聖服を脱いでサヨナラを

一枚、二枚とお皿を数えるの、あれはなんの妖怪だっけ?

 

蛇口から溢れる水で食器をすすぎながら明日奈はふと考えた。

有名な怪談か何かである事は確かだが、喉まで来ているのに答えが出てこない。

もどかしい気持ちになりながら、後でスマホで調べようと決めて次へ進むことにした。

 

白いお皿に指を滑らせながらも、思考は別の世界へ飛ぶ。

 

とっくに晩御飯を食べ終わっていた彼女は、いつまでも止む事なくお皿を洗っていた。

すでに汚れは跡形もなく綺麗に落ちて排水溝へ吸い込まれている。

だが、彼女の本来の目的は物理的な汚れを落とす事ではない。

単純作業と適度な流水のノイズが引き起こすリラクゼーションの悦楽に浸りながら、

あれこれとモヤモヤした考え事をするのが彼女の習慣であった。

 

 

全てのお皿を洗い終わった後、まだ思考が不十分だと感じた明日奈は、

わざわざ新しい綺麗なお皿を取り出してきては水ですすいでいく。

この流れ行く水のように、自分の思考も滑らかに流れて欲しかったのだ。

 

 

 

おそらく、他人からしたら全く意味のない、とりとめのない空想かもしれない。

だが、そういう物事がポカリポカリと頭に浮かぶのだから仕方がない、と彼女は思っていた。

学校や勉強で忙しく過ごしている時にはそんなことは浮かんでこない。

 

 

では繁忙に人生を過ごしていれば幸福かと問われれば、決してそう単純ではない。

ゆっくりと立ち止まって物事を考えないで慌ただしく過ぎていく生活もまた虚しい。

古代ギリシャでは、奴隷制度がもたらす余暇が哲学を生みだしたとも言われているが、

こんな風にモヤモヤした答えのないことを考えてしまう人間だっているのだ。

そういう意味では、こんな風に暇を利用した哲学タイムは人生の中で最高の贅沢でもあるかもしれない。

 

ぐるぐる巡る思考が自意識にまで戻ってきた時、

明日奈はふと、もう17歳になっている自分を意識した。

もう何度も考えたテーマであったが、やはりまた同じような思索の迷路に入り込んでしまう。

 

 

17年も生きてきたら大抵のことはわかるつもりだ。

楽しいことも少なからずあったし、でも嫌なこともその倍以上はあったかな。

この先どこまで続いていくのかわからないけど、人生はこの先も続いていくし、

おそらくそれほど大きな変化もなく、淡々と続いていくのだろう。

時間とは感覚的であり、刺激のない日常は圧倒的に過ぎるスピードが速い。

幼少期のように何もかもが新鮮に感じられたスローモーションのような毎日は、

もうおそらく自分の年齢を迎えた人間にはやってこないのだ。

そんな事を考えると、早く大人になりたかった数年前の自分をバカらしく思った。

いまこの年齢になってみると、もう少し子供でいる方が楽だったかもしれない。

 

 

気づいた頃には後ろで流れていたTV番組がいつの間にか終わっているのに気がついた。

さっきまでの動物番組から、もう次のバラエティ番組に変わっている。

六時から七時へ時間をまたいでしまったのだ。

 

流行りのお笑い芸人が、神様からの使いで地上に降りてきた天使だという設定のコントをしている。

神様のルールに従わなければ、自分は天界に帰らなければならないらしい。

天使役がとても体格の良い坊主の男性であったため、そのギャップに観客はウケているようだ。

 

(・・・神様か・・・)

 

明日奈が思い出していたのは最近読んだ小説だった。

少し古いその小説は、神はなぜ沈黙しているのだと、

著者は必死になって書き綴っていたように思えた。

その小説家の人生は、結局はその叫びを死ぬまで続けていたことになる。

そんな単純で救いようのない問いを、ずっと問い続けて一生を終えたのだ。

 

それっていったいどんな気持ちなんだろう?

自分の人生をかけてそんなちっちゃなことをずっと叫び続けるなんて。

時間がもったいなく感じなかったのかな?

 

TV画面を見ながらも、頭ではそんな別のことを考えていた。

確かなことは、その画面の中では笑いの神は確かに沈黙を守っていたことだけだ。

明日奈にとっては何一つ笑える点はなかった、彼らの存在自体が滑稽だったのを除いて。

 

 

いつの間にか番組は進行していて、ひな壇の女性タレントが画面の下部に映っている。

そこではVTRを見てはわざとらしいリアクションで驚いた顔を見せている。

どうせ全ては誰かの書いた台本と指示があるに決まっている。

全ては作りモノでやらせばかりの番組に、薄っぺらさを覚えた明日奈はそれをリモコンで消した。

 

そんな風であって、お皿を洗う集中力を切られてしまったため、もう今日はここまでにすることにした。

洗い終えたお皿は水滴を拭き取って食器棚へきちんと返しておいた。

 

 

 

母に食後のコーヒーを入れてもらうようにお願いし、

自分は学校の宿題が残っているのを思い出していた。

 

来週はテストがある週で、今週は最後の追い込みをしなければいけない。

世界史は役に立たない年号やカタカナの人名を記憶する必要があるし、

英語は実際には使わない構文をへんてこな日本語へ翻訳する必要があった。

 

何の役にも立たない知識である事は薄々気が付いていたものの、

周囲の誰もそれを疑ってかかる事はないし、みんな敷かれたレールの上を走るのだ。

もはやそれらを脳に記憶させることは、学生に与えられた義務であり、

父親が会社でクタクタになるまで働いて帰って来る義務となんら変わりはしなかった。

 

 

母が入れてくれたコーヒーを持って、明日奈は自分の部屋へ戻った。

そしてベッドの隅に縮こまりながらコソコソとコーヒーを飲むのである。

こうしている時がなぜか落ち着くのだから仕方がない。

考えても理由の分からない自分の習性だと思っていた。

 

さっき考えていたお皿の妖怪の話を思い出して、おもむろにスマホで検索した。

皿屋敷というお話で、なるほど浄瑠璃やら歌舞伎、落語などになって現在まで伝わっているのだな。

主人たちの大切なお皿一枚を割ってしまったことの罰で殺されてしまったために、

その一枚足りないお皿を悲しみにくれながら数えるのがお菊さん、この妖怪の正体らしい。

 

ずずっと苦いコーヒーを飲みながら、お菊さんは真面目な人だったんだろうなと思った。

お皿を割ってしまったくらいで罰する奴の方がおかしいんじゃないか。

いつだってこの世界では、真面目に頑張る人の方が損するものだ。

 

 

物語は悲しい結末だったが、もやもやした疑問が解消された明日奈は、

さすがにテスト勉強をしなければと考え、しぶしぶ重い腰を上げようとした。

その時、右手に掴んでいたスマホにメールが届いた。

 

「・・・ん? 誰だろう、きめたんかな?」

 

親友の木芽香からかと思い、テキストより先にメールを開こうと思った明日奈が見たのは、

登録されていない謎のメールアドレスからのものだった。

 

その奇妙なアドレスは、今までどこにも見たことがないものだった。

そしてメール内容はいたって質素なものだった。

 

 

 おめでとうございます。

 あなたは神に選ばれました。

 

 

・・・

 

 

 

 

机に座って教科書を広げながら、明日奈はペンをくるくると回していた。

単純暗記作業は苦手ではないが、決して得意でもない。

だが、そこに何の意味があるのかと問い始めると思考は止まってしまう。

 

指からペンが床に落ちた時、ついに抵抗していた気持ちが折れてしまった。

わあっとなって両手を机に投げ出してその上に突っ伏した明日奈は、

先日から読み進めていた「砂の女」という小説の続きが読みたくなった。

物語として展開してくれる知識の方がいくらも楽しくてためになる。

 

突っ伏してパラパラと教科書のページをめくりながら、

ついに退屈に負けて、次の瞬間には立ち上がってベッドの方へ倒れこんでしまった。

投げ出してあったスマホを右手に掴み、先ほどのメール内容をもう一度確認した。

 

 

 おめでとうございます。

 あなたは神に選ばれました。

 

 

いたずらメールに決まっているのだが、凝っているなと思った。

海外からのいたずらメールなら大抵は英語でふざけたことを書いてくるが、

日本語で送っている以上、これは日本人が考えたのだろうか。

 

でも「神に選ばれる」なんて表現はどちらかといえば西洋風だ。

日本の神様は、なんかそういうことはしなさそうに思う。

おそらく、お寺や神社とかでおじいちゃんおばあちゃんの健康を守っているくらいで、

こんな風に積極的に誰かを選んでみたりする活発さはないような気がした。

きっと神様も同じようにお年寄りだから同類に優しいのだろう。

 

 

そんなことを考えてみたりもしたのだけれど、

バカバカしいのだが、心のどこかで嬉しい気持ちがあるのだとも悟った。

誰かに選ばれたりすることは、冗談であったとしても悪い気がするものではない。

人間は誰もが自分を特別だと思っているし、他人と代用の利かない唯一の存在だと認めてほしいものだ。

 

 

だからベッドにゴロゴロと転がりながらも、自分はまたこのメールを見てしまったのだ。

「白馬の王子様がやってくる」ではないけれど、自分もそういう夢みたいな展開を心のどこかで求めていると思うと、

本当にバカバカしく思いながらも、やはり誰もが自分が主役の人生はいつでも幸せでありたいと思うのだろう。

 

 

そんなことを考えていると、スマホの音がまた鳴った。

先ほどと同じメールアドレスからだった。

 

 面接場所:天界都天使区8丁目10番地

 面接時間:10分後

 

 夜分で大変恐縮ですが、翼に気をつけてお越しください。

 

 

こんな風に連続していたずらメールが来ると、明日奈はさすがに少し気持ち悪くなってきた。

しかも、10分後という差し迫った時間を指定されたことが心理的に負担だった。

翼に気をつけてなんて表現は聞いたことがないし、まさか天界まで飛んでこいとでも言うのだろうか。

 

いや、違う。

 

翼という表現で一つ思い出したことがあった。

以前、ビルの上から落下した際に、奇跡的に一命をとりとめたことがあったのだ。

その時、親友のきな子から聞いた話によると、明日奈の背中には金色の翼が生えていたという。

 

しかし、結局それ以来、明日奈の背中に翼など生えたことはなかった。

小さい頃から背中にある浅黒いあざは、鏡に映してみてもいつも通りそこについているだけ。

そこから金色の翼が生えてくるなんてのは、どう想像してみてもやっぱりありえないことだった。

 

だからそれ以来、この翼の事はすっかり忘れ去ってしまっていた。

しかしこのメール内容と照らし合わせると、あの当時の奇妙な話と接点があるようにも思えてくる。

 

 

だが、そんな事を考えている間にもう10分経ってしまっていた。

結局何も起こらないし、なんだか面接をすっぽかしたような奇妙な罪悪感だけ残されて、

一方的に傷つけられたのはとても心外だと思えてきた、本当にバカバカしい。

 

しかし、そうして明日奈が毛布にくるまってウトウトしていると、呼び鈴が鳴った。

 

呼び鈴を無視していると、誰か知らないが何度も何度もしつこく鳴らしてくる。

 

「ままー、誰か来てるよー!」

 

リビングに向けて母親に告げたが、全く反応はない。

そういえば今日は友達とエクササイズがあるからと言って出て行ったのだった。

母親は自分と違って結構陽気な方なので、とても外交的なタイプだった。

だが、こんな大事な時にいてくれないなんて・・・。

 

「もう!」

 

明日奈は一人でそう言って家に誰かいないか探してみたが、

こんな日に限って父も兄もまだ帰ってきていなかった。

自分一人では心細いので、明日奈はしばらく呼び鈴を無視していたが、

居留守を使っているのにもかかわらず、あまりにもしつこく鳴らしてくるので、

これは自分が部屋にいる事を知っている誰かに違いないと思った。

ひょっとしたら、鍵を忘れて出て行った家族の誰かの可能性も考えられた。

 

 

そうして明日奈はおそるおそるインターホンの受話器を取ってみた。

 

「・・・すいません、内藤明日奈さんでしょうか?」

 

知らない男性の声が受話器から響き、瞬時に取ったことを後悔した。

 

「・・・どちらさまでしょうか?」

 

明日奈は人一倍用心深い性格である。

性善説ではなく、性悪説で相手を疑ってかかる方が良いと考えていた。

そういうスタンスの方が生きて行くのに余計な傷を負わなくて済むからだ。

 

「面接・・・どうしてすっぽかしちゃったんですか?」

 

心臓が締め付けられるような激しい痛みが走り抜けた。

こういう心理的な負担がかかる時、人は本当に肉体的な痛みを伴うものだと思った。

次に恐怖感が脳内を占拠し始める、それに飲み込まれると連鎖反応で体は萎縮し始めた。

 

 

「・・・こんないたずらはやめてもらえませんか?」

 

勇気を振り絞ってそれだけ口にすることができた。

これ以上かまってくるようなら、あとは無視して家族に連絡を取ろうと思った。

 

「・・・あっ、そういうことか、なるほどなるほど」

 

男性は受話器の向こう側で一人で何かを納得した様子でそう呟いていた。

 

「多分、あれだよね、神様から何の説明も受けてないんだよね?」

 

男の言葉に対して、明日奈は沈黙をもって返答とした。

 

「やっぱりそうだ、全くいっつも無茶ぶりばっかりだからな・・・。

 あのね、僕は怪しいものじゃないんだよ、名前をホルスっていいます。

 怪しいものじゃないって説明自体が怪しい感じがすると思うけど、

 僕はこれでも天界では選ばれたものしかなれない由緒正しい騎士の称号を持つ天使なんだ」

 

「・・・はぁ」

 

明日奈にはそれ以上の返答はしようもなかった。

先日のビルからの落下事件といい、この頃は変なことばかり起きるなと思った。

 

「いやね、神様がさ、地上ですごい美少女を見つけたって興奮しててね。

 ぜひ面接したいから連れてきてくれって言うからさ。

 もうほんと、いつも衝動的に何かを思いつくから困ってるんだけど、

 君が来てくれないと僕がまた何か嫌味を言われてしまうんだ。

 ただの使いパシリみたいだけど、これも僕の仕事だからさ。

 お願いだからちょっと一緒に来てくれないかな?」

 

明日奈は用心深く男の話を聞いていたが、

とても信じられるような話ではないと判断した。

 

「・・・あの、新手の宗教勧誘か何かですか?」

 

ホルスという男が思ったよりも下手に出てくることもあり、

明日奈が先ほど感じた恐怖感はかなり減少していた。

彼個人としてはおそらく悪い人間ではなさように思えた。

だが、組織的な活動をしているのなら、巻き込まれると非常に厄介だ。

 

「宗教?宗教ってのは人間が作り出したあれかい?

 信じられないかもしれないけど、そんなんじゃないさ。

 しかし、どういうことだろう?君は何も知らないんだな。

 おかしいな、やっぱり神様の無茶ぶりなのか?

 君は天使じゃないのか?」

 

一人で訝しげにブツブツとつぶやいているホルスに、

明日奈はやはり奇妙な感は拭えなかった。

何か二人の間に欠落した事実があって歯車がかみ合っていないように。

 

「・・・するとなにかい、君は堕天使なのかい?

 でもここにある写真を見てる限りでは黒い翼でもないし、

 金色の翼ってことは、かなり生まれの良さを感じるのだけど・・・」

 

その言葉を耳にした明日奈は、信じたくはないけれど、

ホルスが嘘を言っているのではないかもしれないと感じた。

彼は私が金色の翼を持っていると述べているのだ。

かつて親友のきな子が言っていた話とぴったりパズルのピースが合う。

 

「・・・私に翼が生えている写真を持っているんですか?」

 

明日奈は気づいた時にはそう尋ねていた。

 

「うん、神様から預かった君の写真だけどね。

 金色の翼を生やして空を飛んでいる場面だよ」

 

「・・・それ、見せてください」

 

「じゃあとりあえず外に出てきてくれないかな?」

 

そこまで話して、やっぱり新手の詐欺かもしれないと疑いがよぎった。

きな子の話を盗み聞きしていた誰かが、そういう話をでっち上げたのかもしれなかった。

知らない男の人が尋ねてきて、家族が誰もいない時に玄関を開けるのは抵抗があった。

 

しばらくの間、沈黙で返答をとぎらせた明日奈だったが、

ホルスがそれを察するように言葉をつないだ。

 

「そうだよね、見知らぬ男がいきなり尋ねてきたら怖いよね。

 じゃあこうしよう、ベランダの窓から外を見ててごらん、いくよ」

 

明日奈がカーテン持ってぐるぐると包まって身を隠しながら窓の外を覗くと、

地上から飛び上がるようにして浮かび上がってきたオレンジ色の羽が見えた。

目の前には炎のように明るい翼を羽ばたかせて浮かんでいる男の姿が見えた。

 

 

・・・

 

 

玄関のドアを開けてホルスと向かいあった明日奈は軽くお辞儀をして無礼を詫びた。

そして、少しドキドキしながらも翼を生やしているホルスを観察した。

 

白い鎧を身にまとい、ハヤブサの頭をモチーフにしたような兜をかぶり、

腰には由緒正しそうな立派な長剣を帯びていて、

声から想像したよりも立派でたくましい好青年の姿をしている。

日本社会ではコスプレと呼ぶしか形容できない姿だったが、

背中で揺れているオレンジ色に輝く翼を見ていると、

これはそんな形だけを装ったものではないことを明日奈は瞬時に悟った。

 

「こんばんは」

 

優しく微笑みかけてきたホルスに、明日奈もぎこちない笑顔を返した。

非日常の光景が目の前に展開されて、戸惑いを覚えないものはいない。

 

 

ホルスが見せてくれた写真には、間違いなく金色の翼で空を飛ぶ明日奈が写っていた。

 

背景には当時のビルが写りこんでおり、これはあの日の光景に違いなかった。

そして自分の背中にはきな子の証言通り、金色の翼が生えている・・・。

 

 

「驚いたな、本当に美少女だ」

 

明日奈が写真を見ている間、今度はホルスがじろじろと彼女を観察していた。

写真で何度も見ていたはずの実物を目の前にして、それでもまだ感動しているようだった。

 

 

「神様もいい加減なとこあるけど、こういうところは抜け目ないんだよな。

 まあ、仕事をサボって何を下界を見てるんだって話だけどさ」

 

窓際の席で、退屈な授業に飽き飽きして隣のクラスの体育の様子を眺めてしまう。

これは学生あるあるだが、明日奈もついやってしまったことがあった。

そう考えると、神様というのも意外とお茶目なおじいちゃんなのかなと思った。

 

「さて、これでもう信じてくれたかな?」

 

ホルスは太陽のように燃える赤い右目で明日奈を見つめてそう言った。

使いっ走りとはいえ、仕事に情熱を燃やす男の瞳をホルスは持っていた。

 

「さっき言ってた面接ってなんなんですか?」

 

明日奈はホルスがいい加減なことを言っているわけではないと信じることにした。

それは自分が「神に選ばれし美少女」であるということを暗に認めたことになり、

うぬぼれるわけにはいかないにしても、さすがに悪い気分はしなかった。

 

小さい頃には子役としてCMにも出演したことがあった明日奈は、

芸能プロダクションのオーディションや面接などを受けたこともあった。

神様が私を捕まえて、いったいなんの面接を受けさせようとするのだろう。

ひょっとしてアイドルとかかな、いやいやモデルとかかな?

 

「・・・神様が選んだ特別な任務に就くことができる面接だよ。

 僕も神様から選ばれたことによって騎士の称号を得ることができたんだ。

 でもごめんね、何をするのかは僕も知らされていないんだよ。

 ただ、とんでもない美少女だから連れてこいって、 

 僕はそう告げられてミッションを与えられただけだからね」

 

明日奈はホルスの月のように澄んだ左目で見つめられていた。

ホルスはどうやら右と左でそれぞれ異なった瞳の色を持っているようで、

左の瞳は西洋人のそれみたく、蒼く透き通っていて冷静な色をしていた。

 

「・・・別に面接を受けるだけならいいけど、今から?」

 

「そう、今から」

 

「明日とかじゃダメですか?」

 

「神様が今からって言ってるからね・・・」

 

ホルスは弱ったような表情を浮かべていた。

おそらく天界では神様に逆らうことはできないのだろう。

板挟みのサラリーマンみたいな気苦労をホルスは抱えているのかもしれない。

 

「・・・わかりました、じゃあちょっとだけね。

 一時間くらいでいい?」

 

ホルスはぱっと明るい表情を見せた。

 

「うん、たぶん大丈夫だと思う」

 

「・・・じゃあ、いいよ」

 

 

神様が何者かはわからない。

 

でも、金色の翼を持つ明日奈と同じように、ホルスもオレンジ色の翼を持っていた。

いったいこれがどういうことなのか、神様に会えば何かわかるかもしれない。

信じられないことだが、人間界の他に天界は存在したのだ。

自分が特別な人間として選ばれたことで、その世界を覗いてみたいという好奇心もあった。

 

明日奈はこうして面接の件を了承することになったのだった。

 

 

・・・

 

 

ホルスは後悔していた。

 

赤く腫れあがった頬を風にさらしながら暗闇を飛んでいく。

両手で大きな籠をしっかりと掴みながら、どんどんと高度を上げていく。

 

籠の中に入っていたのは明日奈だった。

 

「君、どうして自分で飛べないの・・・」

 

ホルスは何度も明日奈に向かって恨めしそうにそう尋ねた。

てっきり写真に写っているように一人で飛べると思ってやってきたら、

いざ天界に行く段階になって「私、飛べませんよ」と悪気なくさらりと述べられても・・・。

 

そして、解決策としてひょいと明日奈を抱きかかえたのがいけなかった。

背中におぶっては翼が塞がれて飛ぶことができないため、

こうするしか彼女を運ぶ方法はないとホルスは考えたが、

明日奈は瞬時に右手を出してホルスのほっぺたを打ったのだった。

 

(・・・なかなか気の強い天使様を捕まえたもんだな・・・)

 

筋肉痛の両腕を必死に耐えながら天界まで飛んでいくホルスは、

籠の中で優雅にくつろいでいる明日奈をチラリと見てそう思った。

明日奈はのんきにおやつとして持ってきたラスクを食べながら服の上にポロポロとこぼしている。

まるで遠足か何かに行くような気軽さで考えているようだった。

 

まったく、神様がいい加減な下調べで命令を下すものだから、

いつも仕事に取り掛かるとそのツケが自分に回ってくるのだ。

地上でちょっと飛んでる姿を見ただけで飛べると思い込んで、

今自分が見たところでは、この子には背中に翼など生えている様子もない。

幸いだったのは、この子がお人形のように華奢な子だったことだ。

そうでなければ両手でこんな長時間支えて飛べるはずもなかった。

 

「ねぇねぇホルスさん、ラスクを上手に食べられません」

 

明日奈は優雅にホルスを見上げながらそう言った。

 

「・・・ラスクってのはそういう食べ物なんじゃない?

 うまく食べられないけど、そういう食感を楽しむものなんだよ」

 

明日奈は頑張ってこぼさないように食べていたけれど、

やはり溢れるかけらを止めることはできない。

 

こうやってうまくいかない物事の方が人間も天使も燃えるものだ。

完璧で不自由のない世界なんて、改善の余地がなくてうんざりするかもしれない。

 

 

ホルスは月明かりを頼りにどんどん雲を突き抜けて行った。

都会の明かりが見えなくなったところで、星がこんなに明るいことに明日奈は気付いた。

のんびりできる田舎のようなところも案外悪くはないと、最近では思えるようになった。

それも17歳という年齢に達して、少しずつ大人になっているという実感かもしれないと思っていた。

 

 

・・・

 

 

どれくらい飛び続けたのかわからない。

知らないうちに明日奈は眠ってしまっていたからだ。

 

気がついた時には雲の上に寝転んでいた。

どんなふかふかの絨毯でも再現できない柔らかく、

適度な低反発が枕にして持って帰りたいくらいだった。

ここがホルスの言う天界であり、地面には土はなく、すべて白い雲ばかりだった。

 

明日奈はゆっくりと身体を起こして立ってみたが、

不思議なくらい足に負担がまったくかからない。

雲の地面は歩いても足がまったく疲れることなく、

翼が生えているホルスのような天使達が羽休めで歩いたとしても、

まったく不快感を感じさせないような質感でできていた。

 

 

ただし、一つだけ驚いたことがあった。

あたりはまるでお昼のように光であふれていて明るいのだ。

まさか夜に家を出たまま、朝まで眠っていたのではと明日奈は思った。

 

「大丈夫だよ、天界に夜はないから」

 

ホルスの説明によると、天界は基本的に光であふれていて暗闇は存在しないらしい。

そういえば何となく地上よりも太陽に近いせいか街が明るい気がする。

どこもかしこも太陽の光を乱反射させて、明日奈の目には少し眩しかった。

 

「まだ夜の八時だよ、急いで飛んできたんだから、

 まだ四十分くらいしか経っていないさ」

 

明日奈は腕時計を見たが、確かにホルスの言うとおりの時間だった。

そうなると、いよいよ非現実な異世界にやってきたんだと実感が高まってきた。

 

「あれが神様の住む家さ、白い家って呼ばれてる」

 

基本的に白い雲の色が目立つ天界だったが、

豪華な宮殿風の建築物の白さはそれを上回る清潔感があった。

建物のてっぺんからは国旗のような旗が上に向かって誇らしげに伸びている。

 

 

「ほら、天使達のお出迎えだ」

 

ホルスと明日奈が建物に向かって歩いて行くと、

向こう側にはきちんと整列した白い服を身につけた男達が出迎えた。

とはいえ、天使達と言う響きから受ける印象とはちょっと違う気もした。

年齢は皆、四十歳から五十歳くらいの中年の男性ばかりであり、

中にはブルースウィルスのようにいかついスキンヘッドの男性もいた。

それはまるで神様のボディガードではないかと思われるような存在に見えた。

だが、皆に共通していたのは、背中に翼を持っていたことだった。

 

 

ホルスが通りかかると天使達は敬礼のポーズでとおりすぎるのを待った。

そばを付き添っていた明日奈も、ホルスがこんなに偉い人だとその時になって初めて思い知ることとなった。

 

 

ドキドキしながら建物の中を歩いて行くと、やがて立派な部屋にたどり着いた。

ドアを開けて見えた部屋の空間は楕円形に広がっていてとても綺麗だった。

 

そして、そのドアを開けた先の大きな机に座っていたのが神様だった。

ホルスはつかつかと歩いて行って、立ち上がった神様と握手をした。

二人がどういう間柄なのかわからないが、思ったよりもフランクな関係なのかもしれない。

真っ白で大きな翼を持つ神様と呼ばれる男はホルスと同じで二十代くらいの年齢で、予想に反して若かった。

 

「おっ、来たきた、おっつ~!」

 

それが神様と呼ばれる男の第一声であった。

予想以上に・・・軽い。

 

明日奈が恐縮して立ちすくんでいると、神様は自分から歩いて近づいてきて、

片手の平を顔の高さにまで掲げて何かを期待している。

これはどうやらハイタッチを求めているらしかった。

 

ホルスが横から肘でつついてきたので、明日奈は仕方なく手を上げて同じポーズをとると、

「イェーイ!」と声を上げて明日奈の手に思いっきりハイタッチをされた。

その突然奇声をあげるような行動に、明日奈はビクッとなって驚きを隠せない。

 

「ほら~いったとおりじゃん?

 ホルスちゃん好みの美少女だったっしょ?」

 

神様はホルスに向かってそう大声で告げた。

ホルスは少し赤くなって照れているようだった。

デリカシーのない行為とはこういうものだろうとは明日奈にもわかった。

 

「まぁ、とりあえずその辺に適当に座ってくれたらいいよ」

 

神様は明日奈にそう告げた。

部屋の中には立派なソファーが置いてあり、明日奈はとりあえずそこに腰掛けた。

 

ホルスは何やら神様を手招きし、

隅っこでコソコソとした話を続けている。

さっきまで一緒に連れてきてもらったホルスだったが、

突然にして神様側に回ってしまった気がして明日奈は少し心細くなった。

 

「えっ?自分で飛べないって?」

 

せっかくホルスが耳打ちした話を、神様は大声で叫んでいる。

この二人の性格が真逆であり、お互いに仕事がやりにくいだろうことは見て取れた。

とりわけ、この神様と呼ばれる男は、ホルスにとってはさぞやりにくい相手だろう。

 

ホルスは半ば呆れたような顔をしていたが、神様はなにやら書類をあさり始めた。

たくさんの書類から一つを探し当て、そうして中身を丹念に読み込んでいる。

 

「な~に~、やっちまったな!」

 

神様は一人でそう叫びながら書類を見て笑い出した。

ホルスは隅で今更書類を引っ張りだしてきた彼のリサーチ不足の性格を呆れて見ていたが、

男は書類を右手に掴んだまま明日奈の向かいのソファーに勢いよく腰掛けると、

 

「君、天使じゃないの?なに、人間?」

 

自己紹介もなしに、いきなり心の扉を開けて踏み込んでくるようなやり方に、

明日奈はこの男に対して一気に嫌悪感を覚えた。

 

「じゃあなにこれ、なんでこの時は翼生えてたの?」

 

ホルスから写真を取り上げてこちらに見せてきた神様と呼ばれる男は、

それはこっちが聞きたいというような質問を明日奈に浴びせてきた。

 

明日奈は男の質問には答えずに、助けを求めるような視線をホルスへ投げかけた。

ホルスはそれに気づき、神様の横に座った。

 

「神様、彼女は自分にはその当時の記憶はないと言っています。

 私も先ほどまでは天界からの留学生が地上に降りたのだと思い込んでいましたが、

 彼女はどうやら特殊なタイプの人間か、もしくは記憶喪失の天使のどちらかでしょう」

 

ホルスは自分の所感を簡潔に述べた。

それは暗に神様のリサーチ不足と勘違いを責めている内容だった。

 

「あっ、そう」

 

神様は気付いてか気付かないでか知らないが、

ホルスの嫌味をなにも心に留めずにバッサリと切り捨てた。

 

「まあいいじゃん、美少女なんだし。

 ちょうどJKも男ばっかでむさっくるしいと思ってたとこだったしよ~」

 

JK!?」

 

ホルスは驚いた表情でそう言った。

明日奈には彼らの話している内容がいまいちわからない。

天界にも女子高生などというものが存在するのだろうか。

 

「神様、彼女をJKに任命するつもりですか?」

 

「おう、悪い?」

 

「しかし、JK法では800歳以上の男子のみがJKの資格を持つとされていますが・・・」

 

「じゃあさっさと法律を改正したらいいじゃ~ん」

 

神様は他人事のように軽く言い放つ。

 

「ですが、それであれば法案を作成して議会で承認を得なければなりません。

 しかし、スケジュール日程を考えれば、少なくとも今年度中にはもう間に合いません」

 

ホルスは理路整然と意見を述べる。

 

「・・・ダリぃなぁ」

 

明日奈は正直、「何こいつ」と心の中で思っていた。

見たところホルスの方がよっぽど神様としての資格があるように思える。

 

「いいや、神様令だせばよくね?」

 

「しかし、限られた特権を持つJKをむやみに神様令で増やす事は、

 さすがに天界の憲法を考慮して違憲判決が下る恐れがありますが・・・」

 

「そんときゃそんときだよ、なあっ!」

 

神様は馴れ馴れしく明日奈の肩をバシッと叩いた。

「痛っ」とおもわず明日奈は声をあげた。

 

「いいや、合格~!」

 

神様はソファーから自席に引き上げてそう告げた。

面接に合格したのだと明日奈は理解したものの、

形式的な面接はどこにもなく、なんて適当なんだろうと思った。

 

 

「じゃあ、まあ明日から適当にやっといてね」

 

神様はあとはホルスに任せたと言わんばかりに横柄な態度だった。

椅子に腰掛けて後ろに深くもたれかかって見るからに偉そうだ。

 

「・・・しかし、JKの役職はもう仕事がありませんよ。

 もうみんなそれぞれのポジションについているわけですし、

 彼女には一体何をさせればいいんでしょうか?」

 

そんな話を聞いていた明日奈は、もう帰りたいと思っていた。

面接は合格のようだが、これ以上ここにいても何も得るものはない。

ポジションがないのならないで結構、もう帰らせてもらいますから。

 

「そりゃあれだよ、皿洗い」

 

「はっ?」と声をそろえて言ったのはホルスと明日奈だった。

 

「こいつ皿洗い好きなんだよ、お前しらねぇだろ。

 もう洗った皿を何回も洗っちゃうくらい皿洗い好きなんだからよー」

 

神様は満面の笑みでそう言い放った。

この微笑む人が、明日奈は心底憎くなってきた。

 

JKに皿洗いですか・・・?」

 

ホルスは呆れてそう言った。

 

「バーカ、JKにしないとここで働かせられないじゃんかよ。

 あとな、俺は暇なときにちゃ~んと下界を見てたんだぞ。

 こいつが何回も丁寧に皿を洗ってるのをよ。

 ちょうどいいじゃねぇか、美少女の皿洗いが欲しかったんだよ」

 

明日奈は黙って聞いていたが、このくだりでさすがにブチ切れた。

立ち上がって神様を睨みつけてこう言った。

 

「はっ?てめーがやれよ」

 

明日奈はこいつマジで嫌いだと思った。

学校のクラスで言うとピラミッドの頂点にいるような奴だ。

まったく他人の気持ちを考えないで好き勝手に振る舞うような奴。

自分が最も嫌いなタイプの人間だと明日奈は思った。

最も、人間ではなくて神様なのであったが。

 

 

ホルスはなんとか明日奈をなだめていたが、

「おい、ふざけんなよ、聴いてんのかよ、てめーでやれって言ってんだよ」と明日奈は止まらない。

 

だが、神様は神様で「んじゃ、そういうことで~」と真に受ける気もない。

ホルスは結局、板挟みの苦悩にさらされながら反抗する明日奈を抑えながら部屋を出て行った。

 

 

・・・

 

 

「我々にとって、真の平等とは何か?

 それは自由と競争のある社会の中でいかなる障害にも妨げられることなく、

 自己の持つ能力を発揮し、社会の発展に役立てることではないでしょうか?」

 

翌日、白い家にはたくさんの天使達が集められていた。

そして皆、神様と呼ばれる男のスピーチに耳を傾けていた。

 

「ここに一人の女の子がいます、年齢は17歳、とても美しい少女だ」

 

神様は後ろに立っていた明日奈を手で示してそう言った。

ホルスは明日奈の横に立って彼女の監視役となっていた。

 

「彼女の背中にはまだ翼がない、彼女は実は天使ではないのです。

 彼女は昨日、勇敢にも地上からここまでやってきた人間の女の子なのです」

 

観客となっている天使達の間でざわめきが起こった。

下界を頻繁に見ている神様や特権階級のホルスと違って、

地上にいる人間などを見たことがない天使達がほとんどだったからだ。

 

「ですが、私は実は彼女の背中に金色の翼が生えているのを見たことがあります。

 彼女は人間でありながら、実は天使のように飛ぶことができる可能性を秘めています。

 しかし、従来の規則では彼女はここにとどまることはできません。

 ましてや現状のような女性の社会的立場の低さを考えると、それは最も難しいことです」

 

神様は威厳を持ってゆっくりと言葉を区切って話す。

スピーチは低い声でしっかりと伝わるように話した方が良い。

早口では伝わらないし、高い声だと頼りないという印象を与えかねない。

 

「こうしてチャンスがあっても機会を与えられない天使達が世の中にはどれだけいるのでしょう?

 これが私たちの生きている自由な社会なのでしょうか?

 すべての天使達に均等なチャンスを与えることが、我々がここにいる使命なのです。

 彼女のような存在を見て見ぬふりをすることは私にはできません」

 

ジェスチャーを駆使して大きく左右を見て語りかける。

スピーチは理論よりも感情に訴えた方が共感を得られることを神様はよく理解していた。

 

「よって私は神様令を持って彼女をJKに任命したいと思う。

 そうしてここで働く機会を彼女に与えることによって、

 彼女が将来的に一人前の翼を持って自由に大空を飛べることこそ、

 我々の天界が整備しなければならない真の自由と平等ではないでしょうか?」

 

観客の天使達は立ち上がって皆一斉に拍手をしていた。

神様の演説に涙を流す者も見受けられた。

 

「皆様に神のご加護があらんことを!」

 

そう締めくくって神様はスピーチを終えた。

会場からは溢れんばかりの拍手が起こっていた。

明日奈は一人拍手をしていなかったが、隣にいたホルスに肘を突かれて仕方なく形だけ拍手をした。

 

 

・・・

 

 

「おっつ~!」

 

スピーチを終えた神様が自室に戻る時、ホルスと明日奈は彼とすれ違った。

神様は片手を軽くあげる仕草をして二人に挨拶して部屋へ入っていった。

 

先ほどまでの立派なスピーチとは打って変わった軽い態度に、

明日奈は神様という存在がますますよくわからなくなっていった。

チャラいのか、すごい人なのかよく分からない。

 

 

ホルスは明日奈を先導して別の部屋へと連れて行った。

部屋に入ると、そこには二人以外は誰もいなかった。

 

「まず最初に、君に謝らなければならないね」

 

ホルスは丁寧に頭を下げて「すまなかった」と明日奈に告げた。

彼に謝られたってこの現状が変わるはずもなく、明日奈は何も意義を感じなかった。

 

「私、帰りたいんですけど」

 

明日奈は当然のごとく自分の要求を告げた。

 

「無理だ、君はもうここから離れることはできないよ、危険すぎる」

 

ホルスは残念そうに首を振ってそう言った。

 

「だって約束したじゃないですか、一時間だけだって」

 

「だからこうして謝って頭を下げているじゃないか」

 

ホルスもさすがに苛ついているのだろう、語気が強くなっている。

 

「先ほどの演説によって、君の存在は周知されてしまった。

 今から逃げ出そうとしても手遅れだ、神様が許すはずがない」

 

「あいつが許さなくたって私は帰ります」

 

明日奈はきっぱりと言い切った。

普段はおとなしい彼女だが、芯は折れないタイプだ。

譲らない一線はきっちりと主張して我を通していく。

そうしなければ不利益だけを被る結果になることを経験から知っていた。

 

「そんな子供みたいな考え方では何も物事を変えられないよ。

 家では通用しても、少なくともここでは誰もそんな君を相手になんかしない」

 

ホルスは冷静な青い左目を光らせて明日奈を説得してくる。

神様と同じように、この人の中にも二つ以上の顔があると明日奈は思った。

むしろ、それが大人のやり方なのかもしれない、どんどん複雑になっていくやり方。

 

 

「・・・まずこれを着るんだ、それから話をしよう」

 

ホルスは有無を言わさずに明日奈のために用意してきた服と鎧を手渡した。

部屋の奥にある小部屋を使って着替えろという合図を同時に送った。

 

 

部屋に入って中から鍵を閉めた明日奈は、ホルスから渡された服に着替え始めた。

服はホルスが着ているのと似ていて、イノセントを絵に描いたような白い生地と鎧だった。

 

 

「・・・乱暴な言い方をして悪かったね」

 

明日奈が閉めたドアにもたれかかるようにしてホルスが話し始めた。

明日奈は渡された服に着替えながらその話を聞いていた。

 

「でもわかってほしいんだ、ここから逃げ出そうとすると君の命が危ない。

 JKになった君が脱走を試みた途端、君は堕天使という扱いになる。

 天界を抜け出して自由になろうと試みたものは堕落というレッテルを貼られる」

 

ホルスは右手で自分のこめかみを抑えるような姿勢で話を続けている。

こんな話をするのは不本意で彼にとっても頭がいたいのだろう。

 

「レッテルを貼られるだけならいいよ、でも罰はそれだけじゃない。

 神様は決して堕天使を許しはしないんだ、天界にいる限り追いかけてくるよ。

 もちろん、地上まで逃げられれば天界からでも直接的には手を出せない。

 間接的には嫌がらせをしてくるだろうけれどね」

 

「・・・追いかけられて捕まったらどうなるの?」

 

明日奈はドア越しにホルスに質問を投げかける。

 

「・・・神様が放つ真実の矢が襲いかかってくるらしい。

 僕もそれは見たことがないんだけどね、その矢から逃げられた者はほとんどいない。

 そして、その矢に貫かれたものは真実の重みに耐えきれなくて精神的にやられてしまうらしいよ」

 

服と鎧を身につけた明日奈は部屋の中にあった鏡を見つめた。

ホルスが身につけている騎士の出で立ちにとてもよく似ていた。

おそらくJKはみんなこのような格好をさせられるに違いない。

学校の校則で、制服を着るのが皆に義務づけられているように。

 

 

明日奈はノックをしてドアの鍵を開けて部屋から出てきた。

ホルスはドアにもたれかからせていた体を起こして明日奈を迎えた。

 

「・・・よく似合ってるね」

 

「・・・こんなもの別に似合わなくてもいいよ」

 

明日奈はまだ怒っているという事を示すように冷たくそう言った。

ホルスはため息を一つついて、勘弁してほしそうに明日奈を見つめた。

 

 

「私、帰らないと、ままに外出する事も言ってないし」

 

明日奈はホルスがどう説得しても帰る事にこだわっていた。

神に選ばれたかなんだか知らないが、こんな待遇なら来なければよかったと思っていた。

 

「・・・そうか、そんなに言うならもう止められないな。

 その代わり、自分で神様にそれをお願いしてみてくれよ。

 申し訳ないが、僕には君の願いをすぐに叶えてあげる力がないからね」

 

 

そう告げると、ホルスは明日奈を連れてまた神様のいる部屋へ向かった。

ノックして中に入ると、ソファーに寝そべっている神様の姿があった。

 

「おう、来たのか、まあ入れよ」

 

さっきの演説とは別人のようにやる気のない態度をあらわにしている。

ホルスと明日奈は招かれるように部屋に入ってソファーに着席した。

 

「おお、服似合ってんじゃん、やっぱ俺のセンスがいいからなぁ」

 

早速の自画自賛ぶりに、明日奈がカチンときたのは言うまでもない。

私はあんたの着せ替え人形じゃないんだ。

 

 

「・・・あの、私、帰ります」

 

「なんで?」

 

「いや、普通に考えておかしいじゃないですか。

 だって私の意志を完全に無視してますよね」

 

「じゃあお前は俺の意志を無視すんの?」

 

 

神様の言っている事はメチャクチャだと明日奈は思った。

論理的に通らない事を言っているはずなのに、

なぜか彼の言葉には重たくて逆らえない威圧感がある。

自信たっぷりに言葉を言い切るからかもしれない。

それがまるでこちらが間違っているかのように錯覚させられるのだ。

 

「お前はここにいろ、その方がいいって。

 ここにいたらここでしか学べない事が学べるかもしんないよ。

 地上に戻ったってよ、学校でクソみたいな知識を詰めこまされるだけじゃん?

 そんなもん社会に出たら何の役にも立たねぇぜ?」

 

さっきのスピーチといい、神様の言葉には時々正しいと思わされる論理が組み込まれる。

表面的に聞いていたら、まるで正しい事を言っているように思えるのだが、

結局はこちらの意志を無視して自分一人の意見で決めているにすぎない。

明日奈にとってはそういう態度が一番癪に触った。

 

「でも、家族が心配してると思うので帰ります」

 

「あっ、そういうこと~?

 それなら大丈夫、俺は神様だから、ちょちょっとなんとかしとくから」

 

「いや、帰らせろよ」

 

明日奈はオブラートに包んでいた言葉を破壊した。

どんだけ引き止めるのか知らないが、こちらの意志を無視するなと思った。

 

 

「帰らせろって言ってんだよ、聞こえねーのかよ?」

 

彼女が怒りをあらわにするとき、男兄弟で育ってきた口調が表に出てくる。

女の子らしい性格ではあるのだが、曲がったことは許せないのだ。

 

特に彼女の場合は反権力の傾向が如実に出る。

何かしら彼女を縛りつけようとするものがあれば、

必ずそれに対して反抗したくなるようなところがある。

神様の態度などは、まさに明日奈が最も憎むものだった。

 

「・・・ホルス、ガキがうるせーわ、なんとかしろ」

 

神様は面倒くさそうにそう言った。

 

「誰がガキだよ、お前何様だよ」

 

「・・・神様だよ」

 

そう告げてから急に怖い顔になって神様は明日奈を睨みつけた。

 

「・・・いいか、大人の世界には縦社会ってのがあんだよ。

 ここで俺に逆らえるやつはいねーんだ、逆らうやつは消えてもらうだけだ」

 

その時に明日奈が感じたのは、彼は神様ではなく、人殺しのような目をしているということだった。

彼は容赦なく自分の敵を追い詰めて、消し去るにちがいない、そういう黒さを持っていた。

 

 

「お前が堕天使になる分にはかまわねーがな、

 堕ちるってのがどういう意味か、後で身を持って後悔するだけだぜ」

 

まだ17歳の少女に向かって、神様が発した言葉はあまりにドスが効いていた。

明日奈は神様をにらみつけながらもポロポロと涙を流していた。

 

ホルスはそんな明日奈を見かねて、そっと肩を抱いて一緒に部屋を立ち去った。

その程度の事しかしてあげられない自分が情けなくも感じていた。

 

 

・・・

 

 

 

「一枚・・・二枚・・・三枚・・・」

 

あれから数日が経過した。

明日奈が天界を離れられなくなってから彼女の仕事は始まった。

 

白い家では天使達が利用する食堂があり、明日奈の仕事場はそこだった。

皿屋敷のお菊さんのように洗ったお皿を数えてはふき、数えてはふき。

朝から夕方まで、仕事はみっちりと与えられていた。

 

食堂で美少女が皿洗いをしている、というニュースは天使達の間で話題になり、

彼女を一目見ようと天使達が押し寄せる事になり、食堂はさらに集客を増した。

おかげで明日奈の仕事量も日に日に増えていったのだった。

 

天界というのは天国に近い響きを持っているが、

ここの仕事はまさしく地獄のそれのように思えた。

アルバイトの経験もない明日奈にとって、こんなに忙しい労働は初めてだったのだ。

 

 

それでも夕方頃になって食堂の利用時間が終わると、

残りは後片付けだけになって仕事量は減る。

明日奈はこんなところにいても相変わらず皿洗いをすると必ず考え事をしていた。

地上での習慣は、天界に来てもやはり変わらなかったのである。

 

 

だが、洗い物をしながら考える内容は変わっていった。

仕事終わりにホルスが色々と天界の事情を教えてくれていたので、

明日奈にとって、皿洗いの時間は自然とその内容を復習するような思索になった。

 

 

・・・

 

 

Justice Knight(ジャスティス・ナイト)?」

 

明日奈はホルスの言った事を復唱して確かめた。

 

「そうだよ、それがJKの正式名称さ」

 

 

ある日の仕事終わり、迎えに来てくれたホルスと話をしている時に教わったことだった。

神様やホルスが口にしていたJKという略語は、決して女子高生の事ではなかったのだ。

 

「正義の騎士なんて名前がついてる特権階級だよ。

 君の住む日本で言うところの国家公務員みたいなものさ。

 しかも神様の下で働けるんだから、省庁の官僚みたいなもんだ。

 神様がいる限りクビになる事はないし、給料だって安定している」

 

明日奈はホルスの言った事を噛み締めていき、

そして自分もJKに選ばれたという事は、この国ではすごい地位に就いたという事を理解した。

 

「いつかも言ったように、JKは普通では800歳以上の男子にしかなる権利はない。

 そして任命権は全て神様に委ねられているから、自分の意思では決してなれないんだ。

 もちろん、その分選ばれたならこの天界のために尽くさなきゃいけないけどね。

 女性は今まで選ばれた事もなかったし、法律がそれを許していないから、

 神様は神様令という権利を行使して君を無理やりJKに任命したってわけさ」

 

 

明日奈は頑張ってホルスの言葉を理解しようと努めたが、

この天界の制度が不明瞭なために、まだ説明をうまく解釈できていなかった。

そもそも、800歳以上ってことは、いったいホルスは今何歳なのか?

ここの天使達はいったい何年くらい生きるのだろうか?

 

「少し難しいかな?

 まずこの天界の事をもっと説明したほうがいいかもしれないね。

 神様というのは200年に一度の選挙で選ばれる存在なんだ。

 君たちの住む地上で言えば、大統領みたいな役割に近いかな。

 成人している天界の住人全てに選挙権が与えられていて自分達で神様を選ぶ事が出来る」

 

その話が一番の驚きだったかもしれない。

まず神様というのは永久に変わらない存在だと今まで思っていたし、

地上に住む誰もがそう信じて疑わなかったからだ。

 

「天界は地上と同じように法律によって治められている。

 歴史を辿れば、我々天界の人間が地上に降りてこの制度を広めたんだけど・・・。

 その話は関係ないしややこしくなるからここでは詳しく語るのはやめよう。

 つまり、この天界にも神様だけでは物事を決められない仕組みがある。

 それが天使議会と呼ばれるもので、選挙で選ばれた議員達が法律を作る権利を持っている。

 神様も彼らの作った法律の中でしか物事を動かせないってわけだ。

 逆に、彼らの法律を拒否する権利も神様は持っている。

 君達の住む地上と同じように天使裁判所という機関もあって、

 そうやって三権分立によってお互いの権力を監視しあって天界は成り立っているんだ」

 

 

ホルスは一生懸命に話をしてくれるのであるが、少しずつ話がややこしくなってきた。

高校の社会の授業をもっと真剣に聞いておけばよかったと明日奈は後悔した。

 

「う~ん、ちょっと難しい」

 

明日奈はホルスにさらに優しく解いてくれるように求めた。

 

「そうだね、地上の学校で習うような授業だけだと、

 きっとこういう事は頭では理解できても価値を体感することはできないだろうね。

 君は現状の生活が幸福だと感じることがあるかい?」

 

「ときどき・・・かな?」

 

「そうだね、大体の人は時々幸せを感じる程度にすぎない、なぜだかわかるかい?

 それはね、現代社会が圧倒的に幸福すぎるからさ。

 だが皮肉にも、幸福というのは不幸があって初めてその価値を知ることが出来る。

 しかし、現代の子供達は裕福に育っているために苦労を知らない。

 そうなると、幸福に育っているが故に幸福感を感じれないという皮肉な現象が起きる」

 

明日奈は隣にいるホルスの横顔を見つめていた。

右側を見ているために、赤い瞳は燃えるように情熱的だった。

 

「これは僕だけの持論だけれどね、人間も天使も縦軸と横軸で考えなきゃいけないと思うんだ。

 縦軸というのは自国の歴史を過去から未来へと辿ること。

 横軸というのは自国の存在を他国と比較して検討すること。

 みんなそういうものさしを持っていないんだよ、だから幸福の価値とは何かを知ることができない」

 

 

「ものさし・・・?」

 

「じゃあ、例えば縦軸の話からしてみようか。

 僕らの住むこの天界では、昔は神様は選挙で選ばれる存在ではなかったんだよ。

 ずっと世襲制だったんだ、神様の子供が神様を継ぐというだけのやり方で、

 神様の政策に対して誰も抑制する権利は持てなかったし、

 反論を唱えることはすなわち武装蜂起という手段しかなかった。

 民主的に話し合いをする場所なんてのがなかったんだよ」

 

ホルスの赤い瞳は常に燃えているのだが、

反対側の蒼い瞳を見ていると、全てを見透かしている知恵の瞳を持っているようにも思える。

 

「その制度を改めたのが先代の神様だった。

 先代の神様はこの時代遅れの制度を変えようと試みたんだ。

 世襲制を変えるなんて、神様が特権を手放す必然性もないんだけれど、

 実際には神様にしか改革を行う権利がなかったんだからすごいことだよね。

 そして先代の神様は神様の任期を200年に設定し、

 神様一人だと独裁になるおそれがあるから、その働きを止める役割として天使議会を作った。

 法律を作るには議会の議決がなければ神様にも好き勝手できないようにしたんだね。

 でも、神様にも神様令という特別な制度を残してあった。

 それは議会の承認を得なくても神様が独自の見解で物事を推進出来る権利だ。

 もちろん、それは議会が対抗する法律を作って抑制することができるし、

 もう一つの機関である司法、つまり天使裁判所が法律違反だと断定すれば、

 神様の暴走を止めることが出来る、そういう権力分散のシステムを先代の神様は作ったんだ」

 

明日奈はペンでノートにメモを取りながら聞いていた。

この世界を知ることが、この世界から脱出することにつながるかもしれない。

必然的にメモを取る姿勢も本気になる、学校の授業とは大きく違った。

 

 

「それでも昔は選挙権を持つものは限られていたんだ。

 神様も議員も、選ぶには一定の財産を持っている人でなければ選挙権は与えられなかった。

 特権を持っている人達が権利を手放さなかったからだ。

 また、そんな民主主義の制度に対する不信感もあったのかもしれないね。

 誰でも権利を持つということは、すなわち一票の価値が薄められることになる。

 そんな重大な判断を学のない一般の天使達に正しく下せるのかって意見もあっただろう」

 

 

ホルスは天界の歴史を振り返りながらも感慨深かそうな顔をしていた。

語りながらも改めてその経過の重みをかみしめているのかもしれなかった。

 

「それでもとにかく民衆の権利は少しずつ拡大していった。

 そうして今では誰でも選挙権を持てるようになったんだ。

 だけど、当たり前にあるものには誰もありがたみを感じなくなったんだね。

 こういう歴史的な経緯も忘れてしまっているから、投票率が50%に満たないなんてこともある。

 その割に、民衆は文句を言うんだ、誰がなっても一緒だろうとか、誰を選べばいいかわからないとかね。

 でもそれでもいいのかもしれない、そんなことを言っていられる間は平和だってことさ。

 また、もし投票率が100%になったとして、本当に最良の判断が下せているかなんてわからないしね」

 

明日奈は話を聞きながら、こういうのはどこの国でも同じなのだなと思った。

日本だって、ニュースで聞くのは同じように投票率が低かったとか、そういう話ばかりだ。

 

 

「さて、民衆の権利拡大の歴史をこうして述べてきたけれど、

 劇的な変化が起こったのは百数十年前だった。

 君たちの住む地上では、宗教の否定運動が起こった。

 哲学者フリードリヒ・ニーチェの有名な言葉『神は死んだ』ってのがあったけど、

 科学技術が発達しすぎた世の中では、非科学的な宗教は否定されていく運命にあった。

 この人間達の運動を目にした先代の神様はショックを受けて寝込んでしまった。

 そりゃそうさ、今までずっと天界から間接的にとは言え人間達をサポートしてきたんだもの。

 だけど人間達は神の存在を否定していき、ついに精神的に疲れ果てた先代の神様は亡くなった。

 そうして後に続いたのが現在のあの神様ってわけだ」

 

ホルスは悲しそうな表情を浮かべながら語り続けていた。

先代の神様はよっぽどの人格者だったに違いない。

そんな人がショックを受けて倒れてしまったなんて、

人間達は全く知るよしもないのだろう。

 

「もちろん、その時には先代の神様が残してくれた選挙制度によって民主的に選ばれたんだ。

 神様に立候補したのは今の神様、当時はセトという名前で呼ばれていた彼だ。

 もう一人の候補者は僕の父親である現在のオシリス長官だった。

 僕はもちろん、父親を支持していた側だったけれど選挙には負けてしまった。

 投票率は50%程度で決して高くなかったから、組織票に負けてしまったんだよ。

 セトの後ろには軍需産業が支援していたし、当時の情勢は今とは少し違って、

 地獄の鬼が天界に戦争を仕掛けようとして脅しをかけてきていた。

 僕の父親は平和的に話し合いで解決をしようとしたんだけれど、

 戦争の恐怖に怯えた民衆達は、公約に武力強化を訴えたセトを支持したんだ。

 若くてイケメンだった彼に、無学な若者達は雪崩を打ったように投票した。

 軍需産業の組織票と共に、セトは圧倒的な票を獲得して次期神様の地位についたってわけさ」

 

悔しそうに拳を握りしめながらホルスは話を続けていた。

明日奈はホルスが前神様候補者の息子であるという事実を知って、

なるほどこれほど物知りである理由と、現神様との関係性がある程度わかった気がした。

 

 

「スピーチを聞いたらわかる通り、セトは民衆を扇動することに長けている。

 誰も執務室であんな風に独善的に物事を決めているとは気づいてない。

 だが、セトは地上を監視する役割をサボり始めたんだ。

 だから地上ではそれから人間達が二度の世界大戦を経験することになった。

 噂では、地獄の鬼と取引をして人間達の戦争を容認しているって話もある。

 欲望に駆られて死んだ人間達は皆地獄に行くと決まっている。

 そうすれば地獄の鬼達が働かせる労働人口がどんどん増えて行くって話さ」

 

ホルスが説明している歴史は、おそらく表面的には語られない真実を含んでいるだろうと明日奈は思った。

淀みなくスラスラと語っているが、一般の民衆達では知り得ない情報が多々あるはずだ。

この世界の仕組みを知る上で役に立つと感じた明日奈は熱心に彼の話に耳を傾けていった。

 

「今ではセトは地獄の鬼から天界を守るために国防力を増やしている。

 それは選挙支援をしてくれた軍需産業に報いるためにやっているだけだ。

 実際には地獄の鬼と裏取引をしていて戦争などする気もない。

 お互いに牽制したり裏取引をしながら、地上の戦争を煽ったりしている。

 そこから発生する利益を得ることしかお互いに考えてはいない。

 もちろん、それで天界はある程度うまくいっているし平和なんだけれど」

 

 

ここまで話をして、ホルスはいったん口を閉ざした。

 

「さて、これで縦軸である天界の歴史がおおよそわかってきたと思う。

 どうかな、過去から現在に向けての流れを知ることによって、

 今僕たちが持っている当たり前の権利や平和の価値がわかってきただろうか?

 不自由だった過去の比較対象を知ることによって現在の自由の価値もわかってくるはずだよ。

 僕らの誰もが一票の権利を持っているのというのが、どれほど凄いことかを」

 

ホルスは説明を終えて明日奈に向かってニッコリと笑った。

 

「そして、横軸については君自身で考えてみてくれないか。

 君はもう、少なくともこの天界の制度のことがよくわかってきたはずだ。

 それでは君の住む地上の、日本と比べてどうだろうか? 

 何が同じで何が違うだろうか? 

 そういう比較をしていくことによって、足りない部分や優れている部分がわかってくる。

 それは自分と友人の長所や短所を比較することに似ているよね。

 みんな自分探しなんて言うけど、本当は自分以外の誰かを知らなければ、

 本当の意味で自分が何者かなんて、わかるはずがないんだよ」

 

 

ホルスは手ではなく翼を起用に動かして額の汗をぬぐった。

その動きは人間というよりも鳥類の動作に近かった。

天使達だけが持っている特徴もあれば、人間だけが持っている特徴もある。

それらはよく知って比較することによってしかわからないのかもしれない。

 

「さて、今日はもう疲れたろう。

 一気に学んでも頭がいっぱいになっちゃうだろうから、続きはまた明日ね」

 

ホルスはそう言って明日奈に別れを告げて去っていった。

この日の話の内容を、お皿を洗いながら明日奈はモヤモヤと復習していたのだった。

 

 

 

・・・

 

「よくいらっしゃった、二人ともまあ座りなさい」

 

ある日の仕事終わり、ホルスに食事に誘われた明日奈は、

おいしい料理をご馳走してくれるという誘惑につられて彼についていった。

 

天界に来てからJKの高待遇によって何不自由ない暮らしを送っていたが、

寮で一人暮らしのような生活だったために食事は外食になりがちだった。

実家で母親の手料理を毎日食べていた明日奈にとって、

さすがにホームシックになってきており、

家庭料理のような温かいご飯を食べたいと切望していたのだ。

 

冒頭のような挨拶で迎えてくれたのはホルスの父親であるオシリス長官だった。

親が長官なだけに、さすがに綺麗な豪邸に住んでいたホルスであったが、

幼い頃に母親を亡くしているらしく、手料理を振舞ってくれたのはいつも父親だったのだ。

 

「最近じゃ僕が作ることが多いんだけどね。

 今日はなんだか父さんはりきっちゃってさ」

 

ホルスはテーブルの前の椅子を明日奈のために引いてくれた。

その椅子に腰掛けると、ホルスも明日奈の隣の椅子に座った。

 

小さい頃から母親の代わりに料理をしてきたからだろうか。

オシリス長官は食べきれないほどたくさんの豪華な手料理でもてなしてくれた。

 

「今日は特別に人間界から食材を取り寄せたんじゃ。

 口に合うかわからんが、どうぞ召し上がれ」

 

オシリス長官は見たところ人間で言うと六十歳くらいのおじいさんで、

明日奈に微笑みかけてくれた表情は、ホルスに似てとても親切そうに見えた。

 

久しぶりに人間界の料理を見た明日奈は、

お腹を満たす為にたくさん食べたい気持ちもあったのだが、

綺麗な部屋で豪華なテーブルに乗せられた料理を見ていると、

こんなところで食事をする自分を今まで想像したこともなかった為に、

食事の作法なども全くわからず、緊張して思ったように食が進まなかった。

 

「久しぶりに食べたけど、人間界の料理もなかなかいけるね」

 

ホルスは出てきた料理をなんでも美味しそうに食べていた。

明日奈もお肉などの好きな料理はおいしくいただいたが、

嫌いなナスやきのこは、そっとお皿の隅っこに残しておいた。

 

「もう食べないの?」

 

ホルスはお皿をとって明日奈のために料理を入れてくれようとする。

 

「・・・うん、なんかもうお腹いっぱいだから」

 

明日奈はせっかく準備してくれたご馳走を前にして、

自分の好き嫌いの事を言うわけにもいかなかったので、

咄嗟にお腹いっぱいだという嘘をついてしまった。

他人の家で料理を食べる時、こういうところが気を使うから苦手だった。

 

「ホルス、無理に進めなくてよい。

 若い子はダイエットなども気にするのじゃから」

 

オシリスはそう言って明日奈を気遣ってくれた。

 

「じゃあ僕が代わりに食べるよ、残したらもったいないからね。 

 天界は裕福だけど、地獄には食べたくても食べれない人だっているんだから」

 

ホルスはそう言って明日奈の分まで料理を食べ進めた。

 

「少し作りすぎたかのう?

 わしも頑張って食べられるだけ食べるようにしよう。

 近頃では貧富の差が激しくなってきておるし、 

 食べられる事だけでも幸せなことじゃからな」

 

オシリス長官もそう言って頑張って食べていた。

明日奈は二人の会話を聞いていると、

なんだか食べ残してしまっていることに罪悪感を覚え、

その心理的な辛さに耐え切れず、少しだけ嫌いなナスにチャレンジしてみた。

だが、やはりこの味は舌が受け付けず、また皿の隅に戻した。

 

「・・・天界にも貧富の差ってあるんですか?」

 

食べている二人をよそに、することがない明日奈は、

先ほどの話を思い出して疑問に感じた点を質問してみた。

 

「もちろんあるよ。

 君たち人間は、どうも天界をバラ色の世界だと考えているらしいけど、

 実際はそんなんじゃない、特にセトが神様になってからは酷いもんだ」

 

ホルスは食べる手を止めて明日奈にそう答えた。

 

「・・・どうして世の中には格差が生まれるんでしょうか?」

 

明日奈は素朴な疑問を訪ねた。

 

「それはとてもシンプルな問いじゃが、この世界の誰もうまく答えることができん疑問かもしれんな」

 

オシリス長官もワインを飲み干してからそう明日奈に返答した。

 

「わしはこう考えておる。

 セトが神様になってからというもの、あれは自由競争社会を推し進めよった。

 社会的弱者を守ることをおざなりにして、強者にのみ富を集め始めたのじゃ。

 彼は世の中は自由に競争させれば自然とうまくいくと考えているかもしれんが、

 それはわしから言わせれば間違いじゃ、それでは富は1%の者に集中してしまう。

 統計上は国家が成長しているように見えるが、内部のバランスは極めて悪い」

 

オシリス長官は先ほどの優しい顔とは違う、とても真剣な表情をしていた。

 

「じゃあ、どうすればいいんでしょうか?」

 

「勝ち負けだけを絶対視した世界のあり方などいつか転覆する。

 格差は貧しき者の憎悪を育てるだけじゃ、それではいかん。

 政府はそのバランスを取るために存在しているのじゃから、

 富の再分配をして、社会的弱者を守らねばなるまいて。

 それをセトは理解しておらん、あいつには神様の資格などない」

 

ホルスはその話を黙って聞いていたが、耐えきれずに口を挟んだ。

 

「お言葉ですが、先代の神様が介入した政府の事業は全て失敗し、

 多額の借金だけが残ってしまったのをお忘れでしょうか?

 政府の介入は自由競争の不公平を生み出すがために、

 結局は天界の経済成長率を引き下げます。

 そうなれば、やがて地獄との経済競争に負けてしまいます。

 軍事費を増大させる地獄に経済競争で負けるということは、

 すなわち天界の平和が脅かされることになりましょう」

 

自分の質問をきっかけに二人の論戦が始まってしまった。

明日奈はもう口を挟む余地がなくなってしまい黙っているしかなかった。

 

「お前もずいぶんとセトに洗脳されてしまったものじゃな。

 まああいつの秘書として働いているお前じゃから無理もない。

 だがな、セトのように自国のことばかり考えていてはこの先どうなる?

 今、地獄では鬼たちに苦しめられた無数の難民が生まれておる。

 彼らは天界へ亡命を求めておるのにもかかわらず、

 セトは彼らの受け入れを拒み続けておるのじゃぞ。

 こんなことが人道的に許されるはずがない」

 

オシリス長官は切々とホルスに説き続けた。

 

「それは、わかっています。

 僕だって歯がゆい思いをしているのは事実です。

 しかし、地獄からの難民を制限なく受け入れることは不可能です。

 また、それは天界の治安を乱すことにも繋がりかねません。

 中には地獄の鬼からのスパイも混じっているかもしれませんから」

 

明日奈は二人の話を聞いていたが、

同じようにセトの下で働く二人が、それぞれの意見を持っていることに驚いた。

ましてやオシリス長官など、セトが任命した国の重要ポストのはずなのに。

 

「わかっておる、もちろんスパイなど入国させることはない。

 だから難民の受け入れ審査をしっかりと行えば良いのじゃ。

 議会はそういうところをしっかり議論せんといかんのじゃが、

 神進党に過半数を握られている今の議会ではどうにもならん。

 このままではセトの思うがままに天界は汚されていく・・・」

 

明日奈は申し訳なく思いながらも口を挟んだ。

 

「・・・すいません、神進党ってなんですか?」

 

「ああ、天界には天使議会があるって前に説明したよね?

 議会で現在過半数の議席を占めているのが神進党だ。

 神進党は元々はセトが所属していた政党なんだよ。

 だから基本的にセトと思想の近いもので構成されている。

 軍需産業や大企業からの支持を受けて成り立っているんだよ」

 

明日奈は初めて聞いたことはメモをしっかり取る。

これは彼女の元々のくせである。

 

「逆に、労働組合から支持を受けて成り立っているのが天労党だ。

 議会では最大の野党だけれど、過半数を持たないから力は弱い。

 父さんが言ったような難民の受け入れや政府介入型の経済を訴えている。

 けれど、こんな大きな政府のやり方は経済が成長しないよ。

 消費税が25%も取られるなんて、誰も買い物したくないだろう?」

 

大きな政府とは、つまり国家が経済政策に介入することだった。

税金を多く取る代わりに、社会福祉を充実させるやり方だ。

これはいつかホルスが明日奈に説明してくれたことがあった。

消費税が25%というのはスウェーデンなどの北欧型の国家だったと記憶していた。

 

「それは違うぞ、ホルス。

 消費税が25%だったとしても、年金や保険制度がしっかりしていれば、

 国民は安心してお金を使うことになるじゃろう。

 今はセトのように、社会福祉を切り捨てた格差を拡大させるからこそ、

 貧しい者達の生活は安定せんし、税金だって払いたくないのじゃ」

 

「・・・でも国家の成長率が落ちて、地獄に国力で負けたらどうするの?

 軍事力で負けたら、それこそ地獄は天界に戦争を仕掛けてくるよ。

 政治力だって、軍事力の後ろ盾があるから高まるんだ。

 それでなければ、天界は地獄の言いなりにならざるを得ない」

 

明日奈は二人の話を聞いていて、両者共になるほどと思っていた。

どちらの意見も正しく聞こえて、判断が極めて難しい。

 

「だからと言って、軍事力を互いに高めていけば残るのは対立しかない。

 地獄は確かに天界から見れば許せない一党独裁国家じゃが、

 我々とて対話を忘れては解決の道筋を閉ざしてしまうことなる。

 戦争はしないとは言えないが、最後の手段であることは間違いない」

 

「だからって、そんな宣言をしてしまえば地獄の連中はさらに調子に乗ります!

 こちらから弱みを見せるようなことをしてしまえば、それこそ相手の思うツボですよ!」

 

ホルスは次第に感情的になっていった。

楽しかった夕食の場を、自分の質問によってこんな争いの場になってしまったことを、

明日奈は後悔しながらも黙っているより他なかった。

 

「 ・・・ホルス、お前は地獄を見たことがないじゃろ?

 見たことがない天使にはわからないこともある・・・。

 天使達は、地獄を天界とは全く異なる世界だと思っているようじゃが、

 それは違う、地獄にも天使達と全く変わらない住人が住んでいる。

 ただ一部の鬼が社会を牛耳っていることを除けば、

 地獄だって天界と何も変わらないんじゃ。

 地獄に住む者と、天界に住む者の間に、どんな差別もあってはいかんのじゃ」

 

ホルスは地獄を見たことがなかったので、

オシリス長官が言うことに返すことができなかった。

若さが時に人を観念的に暴走させてしまうことを、

セトの例をそばで見て嫌ほど肌で感じていた。

ホルスは客観的に自分達の若さゆえに過ちが生まれやすいことを理解していた。

 

「じゃからの、お前にはまだ言っておらんかったが・・・。

 2ヶ月後の議員選挙、わしは天労党から出馬するつもりじゃ」

 

「えっ、では長官を辞職なさるのですか?」

 

明日奈は偶然にもこんな秘密を耳にしてしまった。

これは天界の誰もが知らない政治事情に違いなかった。

 

「うむ、わしももう年老いた。

 仕事ができるとすれば、あともう数えるほどの年月しかないじゃろう。

 このままセトを暴走させておいては先代の神に顔向けできん。

 わしは最後の政治生命をかけて議会の過半数を握り、セトに一矢報いたい」

 

家族でも知らなかった秘密にホルスは動揺しているようだった。

 

「・・・では、僕はどうすれば良いでしょうか?」

 

「お前はもう大人じゃ、自分の事は自分で決めなさい。

 そのままセトの秘書を続けていても、それは自由じゃ。

 JKとしての特権をわざわざ失う必要はあるまいて。

 もちろん、わしと一緒に天労党を支えてくれれば嬉しい限りじゃが・・・。

 今のお前と政策が合うとは思えんし、それはお前の好きにせい」

 

ホルスは態度を決めかねて黙り込んでしまった。

明日奈は想像もしていなかった展開に戸惑っていたが、

2ヶ月後に予定されている議員選挙に向けて、

これから天界は大きく揺さぶられる事だけはわかった。

 

「アス・・・なんじゃったかな、あなたの名前?」

 

オシリス長官は話題を変えるようにして明日奈に尋ねた。

 

「ナイトウアスナと言います」

 

「そうか、アス・・・はぁ、人間の名前は覚えにくいわい」

 

オシリス長官はそういったが、明日奈からすれば意味がわからない。

ホルスもオシリスも、アスナとそんなに長さは変わらないのに。

 

「そうじゃ、これからはアシュと呼んでよいかな?

 天界の者は皆、天界らしい名前を持っておるものじゃ。

 その方が皆も覚えやすいし呼びやすい。

 アシュじゃ、なかなか良い名前じゃろう?」

 

「そりゃいいや、確かに呼びやすい」

 

ホルスもすぐさま同意した。

明日奈からすればそんなに違いはないように思えたが、

彼ら天界の者からすれば親しみやすい名前なのかもしれなかった。

 

「アシュ、今日はすまんかったのう。

 またゆっくり今度遊びにおいで」

 

オシリス長官はそういって人の良さそうな表情を浮かべた。

この人がセトの代わりに神様になっていたら、

さぞかし天界は平和になっていたかもしれないと明日奈は思った。

 

「寮まで送ろう」

 

ホルスはそういって立ち上がった。

明日奈もホルスを見て同じように席を立った。

 

「ありがとうございました」

 

明日奈はぺこりとお辞儀をした。

人間の自分にこんなに優しくしてくれるなんて、

いつか何か恩返しができればいいなと明日奈は思った。

 

 

・・・

 

 

 

部屋で電話が鳴っても、基本的には明日奈は出ない。

 

自分の携帯電話への電話は、間違いなく自分の知り合いからの連絡に違いないが、

自宅の電話にかかってくるのは、大抵の場合は家族の誰かへの用事であり、

明日奈がその電話を取るという必要性もほとんどなかった。

 

今は一人暮らしをしている明日奈にとって、

この部屋の電話が鳴るという事は初めてだった。

ホルスは大抵の場合は仕事終わりに迎えに来てくれるし、

用事がある場合は直接訪ねてくる事がほとんどだったからだ。

 

だが、部屋の電話は鳴り続いている。

明日奈はなれない気持ちで恐る恐る電話の受話器を取った。

 

「・・・」

 

受話器を取ってもこちらからは何も言わない。

まず相手の反応をうかがってから対処を決めようと思った。

 

「おっつ~! 

 なんだよ、もっと早く出ろよな~!」

 

この声を聞いた途端、受話器を取った事を激しく後悔した。

だからと言って電話を切るわけにもいかず、明日奈はただ渋い顔をしていた。

 

「・・・何か用ですか?」

 

明日奈は不満をめいいっぱい声に込めて尋ねた。

 

「・・・おめでとうございます。

 あなたには2泊3日、地獄ツアーが当たりました」

 

「はっ?」

 

「はっ、じゃねーよ、地獄行き決定ですよ」

 

セトは相変わらず軽い調子で重たい事実を伝えてくる。

明日奈は接するだけで身体が拒否反応を起こしそうだった。

 

「今日の午後からな、ホルスが迎えに行くからよ。

 よかったね~俺に選ばれない限り、地獄見る機会なんてそう滅多にないよ。

 いるとしたら、悪い事して地獄に落ちたやつだけだからさ~。

 まあ楽しんできてよ、地獄の釜湯の温泉とかいいよ、入ったら熱くて死んじゃうけど~」

 

受話器の向こうで一人でケラケラと笑う声が部屋に響き渡った。

こいつは完全に私をバカにしていると思った。

 

「あっ、そうそう、地獄は飯まずいし空気も悪いから、

 なんか食べ物とかマスクとか持ってったほうがいいよ。

 ああ、アドバイスしてあげるなんて俺マジ優しいと思わね~?」

 

本当に優しいならそんなところに行かせてくれるなと思ったが、

明日奈が何かを言い返そうとした時、すでに電話は切れていた。

 

神様が言った事には逆らえない、屈辱的な事実ではあったが、

もう明日奈にはこの世界のルールが徐々に染み付いてきていた。

慣れは怖い、知らないうちに蝕んでいって、そして抵抗力を奪っていく。

こんな屈辱的な事実が当たり前の出来事だと思い込まされていく・・・。

 

 

・・・

 

 

事情はわからないが、とにかく2泊3日分の荷物を用意して待っていると、

言われた通り午後に部屋のドアをノックするものがいた。

やってきたのはホルスだった。

 

「すまない」

 

ドアを開けた瞬間、ホルスはそういった。

だが、明日奈も彼の謝罪はもう聞き飽きていた。

セトの無茶振りを、ホルスが食い止める事ができた試しはない。

 

「神様から大事なミッションを受けた・・・。

 僕はこれから地獄へ行かなければならない。

 そして・・・なぜか君も連れて行かなければいけない」

 

「どうして?」

 

「わからない、僕も反対したんだ。

 僕がいない間、父さんに君の面倒を見てもらおうと思ったんだけれど、

 神様は君を地獄へ同行させてやれ、勉強になるからって」

 

ホルスも明日奈も不安そうな顔をしていた。

ホルスだって地獄に行くのは初めてだ。

噂には聞いていたが、どんな恐ろしいところなんだろう。

そんなところへ、明日奈を連れて行って大丈夫だろうか・・・。

 

「あんな人だけど、神様にも何か考えがあるのかもしれない。

 とにかく、時間がないからすぐに出発しよう。

 飛行機のチケットはもう君の分も用意している」

 

地獄へのフライト時間は約666分だと言う。

悪魔の数字と同じなんて縁起でもないが、

長官の息子であるホルスと一緒にいくのであれば、

地獄の鬼たちも雑に扱う事はしないだろうと明日奈は思った。

そうだとすれば、神様の言うようにこれは本当に貴重な機会になるのかもしれないと、

不思議な好奇心が芽生えてきている事に明日奈は密かに気がついていた。

 

 

・・・

 

 

地獄への旅路は快適だった。

 

666分、つまり約11時間もの長期フライトにも関わらず、

明日奈とホルスが過ごしたのは機内のファーストクラスだったからだ。

十分なスペースが確保されており、足を延ばすことも自由である。

豪華な食事やドリンクも提供され、明日奈は機内で映画を観て過ごした。

 

対照的にホルスは落ち着かない様子だった。

生まれて初めて地獄へ行くからだろうか、誰かから聞いた話によって、

彼の頭の中には様々な地獄のイメージが渦巻いているのだろう。

明日奈には何も先入観がなかったのが幸いだったのかもしれない。

恐怖という感情は、不十分な知識を持つものが最も感じる。

何も知らなければ恐ろしいことはない、下手に何かを知ってしまった者は、

その知識に付随する恐怖を克服するために、さらなる知識を追求する羽目になる。

 

「・・・まだ起きているのかい?」

 

ホルスは映画を観ていた明日奈に尋ねた。

明日奈は何か声をかけられていることに気がついてヘッドフォンを外した。

 

「何か言った?」

 

「・・・いや、もう寝たほうがいいよ。

 出張や旅行って目に見えない疲労が溜まるものだしね。

 向こうに着いたら、地獄の鬼たちとのタフな交渉が待っているんだ。

 万全の体調で臨むようにしたほうがいい」

 

明日奈はホルスの精神がピンと張りつめているのに気がついていた。

自分を気遣う言葉をかけているが、本当は自分の精神の緊張が解けないのだ。

その言葉はそのまま自分自身の不安から出ているに違いなかった。

 

「うん、この映画見終わったら寝るね。

 でも、セトはどうしてこんなに立派な席を用意してくれたんだろう?

 観たかった映画が全部揃ってるから観なきゃもったいなくて・・・」

 

明日奈は、自分が本当に地獄へ行くのかどうかもわからなくなっていた。

それくらいこのファーストクラスの居心地は良かったし、

他の客達の様子を見ても、それほど緊張感は漂っていなかったからだ。

ホルスだけが妙に緊張感を保っている。

それは彼がまだ経験の浅い若者である事を示しているのかもしれなかったし、

もしくは彼のミッションの責任の重さから生じる特別なプレッシャーだったのかもしれない。

 

「・・・嫌な予感がするんだよ。

 セトは人をバカにしたようなところがある。

 こんなやり方で僕らを油断させようとしているのかもしれない」

 

ホルスはどこまでも真面目に対処しようとする。

その態度は危険な場所に連れていかざるを得ない明日奈を守る決意かもしれなかった。

そう考えると、明日奈はホルスに守ってもらっている事をとてもありがたく思い、

天界に来てからずっと一緒に居るホルスに対して一定の好感を抱いている自分に気がついた。

 

「わかった、もう寝るね。

 私も寝るから、そっちこそ早く寝てね」

 

明日奈は外したヘッドフォンを脇に置いて、目の前の画面に映っている映画を消した。

あまのじゃくなところがある明日奈ではあったが、

信頼している人の意見には素直に耳を傾ける素直さを持っていた。

そして、自分によくしてくれたホルスには、

なんらかの形で恩返しをしなければならないと感じていたのだった。

 

 

・・・

 

 

飛行機はやがて着陸のアナウンスが流れ、

明日奈とホルスはシートベルトを着けて着陸の衝撃に備えた。

座席の窓から覗く景色を観て、生まれて初めて見る地獄の光景に緊張感を覚えていた。

 

飛行機のドアが開いて通路へ降り立った二人は、

地上や天界では感じた事のなかった地獄独特の匂いを感じていた。

何の匂いかはわからないが、嗅いだ事のない匂いにさらに緊張感を高める事になった。

 

税関や荷物検査を終え、入国を終えて空港の出口まで辿り着いた二人は、

周囲にいる人達が天使ではなく、地獄の鬼達である事を意識した。

みんな無愛想な表情をしていて、異人である二人は周囲からジロジロと見られていた。

 

建物の外に出てみると、空気は埃っぽくて霧がかっていた。

空は雲が重たくぶら下がっているように見えて、

明日奈もホルスも生まれて初めてこんなに低い空を見た気がした。

 

明日奈はセトの言った通り空気が悪かったため、

さっそく持ってきたマスクで口を覆った。

こんな国に住んでいる者がいることが信じられなかった。

数年も住めば肺をやられて病気にでもなってしまいそうだった。

 

道路には立派な車が幾つも停まっていて、そばにはたくさんの鬼達が待っていた。

ホルスは堂々とした姿勢を保ちながら彼らへと歩を進めて固く握手を交わした。

明日奈も同じように握手を求められたので、恐る恐る同じように握手をした。

初めて触れた鬼の手は、先入観から恐ろしい物である気がしたが、

実は人間や天使達と同じようにできているということも感じた。

 

ホルスと共に乗り込んだ車はどこかへ向かって走り出した。

ドライバーは見知らぬ鬼であり、周囲の景色も今まで見たことがなく、

自分達の命運が鬼達に握られているこの状態は、

さすがに今までに感じた事のない緊張感で一杯だった。

誰かに運転してもらう車が心地よいのは、運転手が信頼できる人だからだと、

明日奈はこんな不安な状況を経験して初めて痛感した気がした。

 

 

・・・

 

 

明日奈とホルスを乗せた車はやがて立派なホテルの前に着いた。

鬼にドアを開けられて、明日奈とホルスは車を降りた。

車外の空気はやはり淀んでいて、ホルスも思わず手で口を覆った。

 

「どうしてこんなに空気が汚いの?」

 

明日奈はマスクをしていても耐えきれないという表情で尋ねた。

 

「環境汚染の事など考えずに経済発展を優先しているからさ。

 僕らは政治交渉を通じて何度も抗議をしているけど、

 環境に優しい技術は金がかかるからね、鬼達は拒んでいるのさ。 

 天界だって昔は同じようにしてきた過去があるくせに、

 どうして自分達ばかりに責任を押し付けるのか、とね」

 

ホルスはこんなところへ明日奈を連れてきた事を悔やんだ。

セトの命令がなければ、絶対にこんなところへ彼女を連れてくることはなかった。

こんな危ないミッションは自分一人でたくさんなのだ。

 

 

ホテルの中へ案内された明日奈とホルスは、

立派な建物の中にある一室へ通された。

そこには地獄の鬼の中でも地位の高そうな人達が二人を待っていた。

 

ホルスはやはり鬼達と握手を交わし、

鬼は明日奈を見て少し怪しそうに見つめながらも同じように握手をした。

二人は勧められたまま席について話を始めた。

 

「本日はこのような場所で出迎えていただけて光栄です」

 

ホルスはそんな風に話を切り出した。

 

「私はホルスと申します。

 長官をしているオシリスの息子と言えばわかりやすいかもしれません。

 あまり時間がありませんので早速議題に入りましょう。

 以前より交渉を進めてきた経済特区の解放と知的財産権のルールについてですが・・・」

 

明日奈は黙ってホルスの話に耳を傾けて聴いていた。

セトが初めてホルスを交渉の場へ送り込んだ意図は何なのか。

外交は今までオシリス長官が主に行ってきたことを考えると、

JKであるホルスが話あっているのはまだ水面下での交渉レベルだろうと思った。

 

「従来までの交渉内容では話し合いの継続は難しいですね」

 

向かいに座っていた鬼は堂々とそう言い放った。

ホルスがまだ若いことを見抜いて、高圧的な態度で揺さぶりをかけているのかもしれない。

 

「・・・承知しております。

 ですので、今回私どもが用意してきたプランで譲歩させていただくのは、

 経済特区における地獄側の金融業の一定の規制を認める点と、

 また通貨制度における改革を10年の期間まで延長することです」

 

ホルスは今までの緊張が嘘のように流暢に説明をしている。

さすがセトの側近として仕事をしてきただけのことはある。

 

飛行機の中でホルスから受けた説明によると、

地獄は一党独裁政権であり、経済や銀行なども政治が全てコントロールしているらしい。

天界側は経済交流を促進するために、一部区域だけ経済特区として自由貿易を推奨しており、

ただしその解放度合いについて譲れない要求が多いという。

そこでホルスはセトと話し合って譲歩する案を準備してきたらしい。

それが先ほど述べたような、金融業、すなわち銀行業界をすべて解放することはなく、

地獄側が有利になるように一定の規制を残すというものだった。

また、地獄側は政治が介入して通貨価値もコントロールしていることから、

天界側はその自由化を強く求めてきたが、その改革年数を10年まで遅らすことを譲歩することにしたのだ。

 

「知的財産権については?」

 

鬼は質問を詰めてくる。

 

「こちらに関しては、やはり第三者機関を設けて二国間でルールを整備しましょう。

 共同出資した機関に、中立の第三者を加えることで公平な監視体制を整えるべきです。

 お互いに要求を主張しあっていても決着はつきませんから、

 あいだに第三者を加えることで中立性を保てる組織を設置しましょう、いかがですか?」

 

知的財産権とは、要するに天界側で生み出している新しい技術や特許のことであり、

これを無断で地獄側に模倣されては偽物やコピー商品が出回ることにになる。

なのでそうした行為を防ぐため、新しい技術や特許を知的財産として認める権利を、

天界と地獄の間で明確にルール付けをしたいのが天界の思惑だ。

だが、地獄はそれを決められてしまうと天界に技術で勝てなくなるので不利になる。

ここに対しても随分と渋っていたのだが、ホルスは中立の第三者を加えた組織をかませることで、

天界の一方的な判断でことを進めないように、地獄側に配慮した案を考えてきたのであった。

 

ホルスの問いかけに、鬼は神妙な面持ちをしていた。

 

「よろしいでしょう。

 ただし、中立性を保つための組織のあり方についてはさらなる議論が必要です。

 第三者とは誰を加えるのか、また知的財産の対象や権利年数なども調整が入ります。

 その点だけを例外とすれば、経済特区と通貨改革、知的財産権についてはおおむね合意できます」

 

セトは独裁的な性格をしているために物事を進める時に譲歩することをしない。

ホルスは話し合いを重視するために、こうして譲歩することで物事を進めるタイプだった。

だが、譲歩の内容によっては改革内容が骨抜きにされてしまう恐れもあり、

慎重に話し合いを続ける必要はあるが、セトはこうした柔軟なホルスの役割を頼りにしていた。

ホルスに対して無茶振りの多いセトであったが、彼を信頼している部分もあるのだろう。

こういう重要な場面では彼の意見を取り入れて合理的に進めることがあるようだ。

 

「ありがとうございます。

 では今回の3つの議題についてはおおむね合意ということで、

 後日、正式に双方の長官レベルでの話し合いの場を設けることにしましょう」

 

「良いでしょう」

 

鬼も満足そうに答えた。

地獄としても、天界と交流を深めて新技術を取り入れることや、

経済特区内に天界の企業が進出し、地獄で雇用を生み出すことを狙っていた。

 

「・・・では、次の議題へ移ります。

 堕天使の強制送還についての問題ですが、

 こちらは早急に調査と実施を行っていただきたい」

 

ホルスはこちらについては譲歩する様子もなく毅然とした態度で問いただした。

堕天使とは、元々は天界にいた天使達が地獄へ亡命を図ったものだ。

かつてホルスが明日奈に説明してくれたように、天界を逃げ出したものはセトの放つ真実の矢に狙われるが、

その監視をかい潜って抜け出した者達がいるらしく、現在は地獄でかくまわれているという。

天界としては、堕天使は天界に逆らうテロリストや反逆者になる可能性が高く、

見つけ出しては強制送還にして天界内部の法廷で裁きたいと考えている。

だが、地獄はそんな天界の意図を見透かして、彼らを帰国させようとはしないらしい。

 

「堕天使に関するお話は以前にもお伝えした通りです。

 彼らは自分の意思を持って地獄へ亡命してきた者達です。

 どういう理由があれ、命を狙われる方々を軽々しく国外追放するわけにはいきません」

 

鬼の以前と変わらぬ態度にホルスはイラついていた。

地獄側は堕天使の保護を口実に強制送還を拒んでいるが、

実際、地獄ではその何十倍もの難民達で溢れているのだ。

難民達はどうにかして地獄を抜け出して天界へやってこようとするが、

地獄の鬼達は難民達の逃亡を許さず、見つけては捕らえているという。

 

ホルスはこうした地獄側の態度が気に入らない。

彼らのやり方こそ、まさしく難民達を強制労働させているのだ。

堕天使に関しては建前で命を守るということを主張するが、

自国の難民に関しては彼らの意志を無視したやり方を採っている。

そしてホルスが納得いかないのは、セトもまた、こうした難民達を全く気にかけないことだ。

オシリス長官に似て、ホルスは現実は厳しいことを知りながらも、

難民受け入れ枠の拡大をセトに要求し続けてきた。

しかし、セトは天界の治安悪化を懸念して難民を受け入れようともしない。

 

「貴国は亡命とおっしゃいますが、堕天使達は行き場所がないため、

 仕方なく貴国へ身を隠すほかないという事情でしょう。

 また、先ほどおっしゃられた、命を狙うなどとはもってのほかです。

 我々はただ、彼らを我々の国の法廷で正義の審判を下したいだけです」

 

それを聞いていた鬼は不敵な笑みを浮かべながら反論した。

 

「天界に嫌気がさして逃亡した堕天使達を、

 無理やり連れて帰るというのはいかがなものかと。

 また、我々としても地獄にすべての堕天使が隠れているなどと、

 そういう無責任な噂を立ててもらっても困ります。

 こちらとしても堕天使の行方をすべて知っているわけでもありませんから」

 

ホルスは相変わらずの鬼達の回答に怒りをにじませた。

もちろん、すべての堕天使達が地獄にいるとは限らないかもしれない。

だが、自分の意思で地獄へ逃れた者もいるようではあるが、

もしかすると地獄の鬼達に無理やりさらわれた天使もいるのではないかという噂もある。

そういう事実があるのであれば、それは越権行為であり正さなければならない。

 

「いずれにせよ、我々としては早急な調査と報告を期待します。

 もし必要であれば、調査に関わる費用は一部負担しても構いません。

 堕天使となった者の帰りを待っている家族もいます。

 我々としては一刻も早い解決を望みます」

 

「・・・わかりました。

 調査費用の負担を検討していただけるということであれば、

 我々としてもやぶさかではありません。

 まず貴国の方から明確な負担費用の提示をお願いしたい」

 

鬼は費用負担という譲歩によって折れてきた。

ホルスには最初から彼らの目的は経済的援助であることがわかっていた。

 

「ええ、しかし同時に調査方法や組織のあり方について、

 我々の方でも意見をまとめさせていただきます。

 主たる調査は貴国にお任せしたいと思いますが、

 方法論についてはきちんと明確にしておかなければなりませんから」

 

負担した費用によって正しく調査が実行されるように、

ホルスとしては念を押して確認しておく必要があったのだ。

 

「こちらとしては、まず費用の提示をお願いしたい。

 方法論については、こちらとしても意見がありますので、

 費用の範囲でできることを検討していく必要があるでしょう」

 

鬼は相変わらず費用の提示を求めて譲らない。

天界側に調査の主導権を握られてはやっかいだからである。

このようなやり取りをしながら、二人は少しずつ内容を詰めていく。

失言など許されない、緊迫した交渉を明日奈は黙って見守っていた。

 

「とにかく、経済特区と知的財産権について、

 数ヶ月後にも長官レベルの会合を設けたいと思います。

 その際にこちらの議題についてもまた話し合いましょう。

 それまでに政府内で費用と意見をまとめて参りますので・・・」

 

堕天使の問題については至極曖昧なままに終始した。

お互いに譲れる部分が少ないため、議論は平行線を辿ることになる。

ホルスが出した費用負担の譲歩は、双方にとって都合の良い解釈を残したまま、

次回に課題を持ち越す形で決着をつけたようだった。

 

 

・・・

 

 

鬼との交渉を終えたホルスと明日奈は、

形式上、鬼と硬い握手を交わしてその場を後にした。

やってきた時の車にまた乗り込んで、

今晩を過ごすホテルへ送ってもらうことになっていた。

 

車の後部座席に乗り込んだ明日奈は、隣に座るホルスを見つめた。

緊張感から少し解放されたような安堵の表情を浮かべている。

しかし、車には二人の他に鬼の運転手と助手席にも鬼が搭乗しているため、

まだ先ほどの議題に関する話は切り出すことができなかった。

二人はぎこちない沈黙を守ったまま、やがて車はホテルに到着した。

 

 

・・・

 

ホテルに帰った後、二人はそれぞれの部屋で少し休んだ。

そして、夕食の時間が近づいてくると、二人は落ち合ってホテルのレストランへ向かった。

 

そこにはセトが言っていたのとは違って、美味しそうな豪華な食事が用意されていた。

しかし、それを見たホルスは渋い顔をして明日奈の手を引いてレストランを出た。

 

ホテル出てタクシーを拾ったホルスは、明日奈を乗せて走り出した。

一人なら飛んで行っても良かったのだが、国外だということもあり、

明日奈もいるので遠慮してタクシーを呼んだのだろう。

 

やがて到着した場所で降り、地下へ続く階段を二人で降りた。

そこにはジャズのような音楽が流れているレストランがあり、

ホルスは明日奈を連れてそのレストランの一席に座った。

 

「・・・ふう、やっと落ち着いた」

 

ホルスは肩が凝ったという仕草を見せてそう言った。

 

「あんなホテルに居たらどこで話を盗み聞きされているかわかったもんじゃない。

 いくら豪華な食事が用意されていたって、そんなところで食べられないだろう。

 それに、あんな豪華は食事は、ここでは普通、庶民のテーブルに登ることはない。

 そんなものを食べたって、本当の意味でこの国を知ることなんてできやしないよ」

 

ホルスは注文したドリンクを飲みながらそう言った。

彼は決してお酒は飲まなかった。

未成年の明日奈に遠慮しているわけでもなく、

ただ重要な仕事の合間にお酒を飲むことは身の破滅になると考えていた。

それはこういう政治の世界に身を置いて得た教訓なのかもしれなかった。

 

「ごめんね、アシュは美味しいご飯の方がよかったかな?

 僕の都合に巻き込んでしまって悪かったよ」

 

ホルスは申し訳なさそうにそう言った。

明日奈はホルスと会ってから何度も彼の謝罪を耳にした。

そんなに気にしなくてもいいことでもホルスは謝ってくれる。

 

「別にいいよ、気にしすぎだよ」

 

明日奈はそれでも気遣いを受けたことは嬉しかったのか、

嬉しそうな笑顔でホルスに答えた。

明日奈はセトがするそれのように、誰かからぞんざいに扱われることは大嫌いだったが、

自分のことを本当に考えてくれている相手であれば、

どんな形であっても不満を述べるようなことはなかった。

相手が何をしてくれるという結果よりも、

相手が何かをしてくれるという、その事実に付随する気持ちを重視するタイプだった。

ムカついた相手には徹底的に刃向かうが、心を許した相手にはとても素直で従順であり、

例えるならば愛情をたくさん注がれて育てられた犬みたいな性格をしていた。

 

「ありがとう。

 明日はまた鬼達が地獄を案内してくれる予定になっている。

 とは言え、移動も多いし疲れるだろうから、

 今日はたくさん食べてゆっくり休むことにしよう。

 なんでも食べていいよ、僕のおごりだから」

 

明日奈は嬉しそうに笑ってメニューを見てみたが、

初めて見るものばかりで何を頼んでいいのかわからない。

正直なところ、ホルスも地獄で食事をとったこともないのでわからないが、

出発前に色々と調べてきたメニューを適当に頼むことに決めた。

 

 

やがてテーブルに運ばれてきた料理を二人は口にしたが、

噂に聞いていた通り、あまり美味しいと思える味ではなかった。

味付けが自分たちの口に合わないこともあったし、

調理方法も決して丁寧に美食を追求したものとは言えないものだった。

 

「・・・おいしくないね」

「・・・うん」

 

おいしいねと言い合う仲になりたかったホルスだったが、

想像以上に地獄の生活というのは辛いものだと悟った。

見た目は比較的きれいなレストランだと思ったのだが・・・。

 

「大丈夫?要らなかったら残してもいいからね。

 僕が代わりに全部食べるから」

 

ホルスは明日奈が文句も言わずに合わせてくれている事は気づいていたが、

やはり申し訳なく思い、気遣うようにそう言った。

 

「・・・うん、食べれるだけにしとくね」

 

初めて食べた地獄の料理は、明日奈にとっては正直辛かった。

できる事ならもう二度と口にしたくはないと思っていた。

 

「でも僕はね、こういう体験も貴重だと思っているんだ」

 

ホルスはこんな場面でも前向きな話題を出した。

 

「だってさ、比較対象を知る事になるんだよ。

 自分たちがいつも食べている料理がいかに美味しいのか、

 これを食べたおかげでそういう事がわかったでしょ?」

 

明日奈はいつかホルスが行っていた不幸を知る事で幸福を知る、

という彼の理論を思い出していた。

ホルスの語っている事は、なるほど一貫性を持っていると思えた。

 

「天界に帰った後、美味しい料理をまた食べよう。

 そうすれば、きっといつもより何倍も美味しいと感じられるはずだよ」

 

ホルスは明るい未来を予感させるような口調をする。

それを聞いていると、なんだか未来は明るいような気も幾分かしてくる。

 

しかし、明日奈はホルスが「天界に帰る」という言葉を口にした時、

自分は本当は地上に帰りたいのだと心の底では思っていた。

ホルスはきっと私が地上から来た事を忘れているわけではない。

無意識のうちにわざとこういう表現を使ってしまったのだ。

それは、きっとホルスは明日奈に帰って欲しくない思いがあるのではないかと、

そういう繊細な心の動きを、彼女はこの言葉の表現から捉えていた。

普段からよく読書をしている明日奈には、

相手の言葉の表面だけでなく裏側を見通す鋭敏な感受性が鍛えられていた。

 

「ふふふ」

「何笑ってるの?」

「ううん、なんでもない」

 

明日奈はいたずらっぽい笑顔を浮かべてそう言った。

 

「でも、いくら今度食べる料理が美味しいからって、

 実はもうこんな美味しくない料理は二度と食べたくないって思ってるでしょ?」

 

ホルスの意地悪な問いかけに「えっ、うん」と苦笑いを浮かべながら明日奈は正直に答えた。

そして食べれないと思った料理を笑いながら全部ホルスのお皿に移し始めた。

 

「全部食べてね!」

 

ホルスがええ~っという渋い顔をみせると、

明日奈は心の底から嬉しそうに八重歯を見せて笑った。

こういう多少意地悪な無茶ぶりをする態度こそが、

彼女にとって心を許した人への甘え方だった。

 

 

・・・

 

 

二人は食事を終えてデザートとコーヒーを楽しんでいた。

店内の照明は少し薄暗くなり、奥にあるステージでバンドの演奏が始まったようだった。

 

次にステージに上がるのはスリーピースのバンドだった。

ドラム、ベース、そしてギター&ボーカルの三人から構成されており、

レストランでも人気があるのか、大きな拍手と歓声が上がっていた。

 

「・・・あれは、ルシファー!?」

 

ホルスはステージに上がったギター&ボーカルの男を見て驚いたようにそう叫んだ。

明日奈もホルスの驚いた顔を見て、同じようにその男の方を見つめた。

ステージに上がった男は身長がスラリと高くて白髪であり、

何より特徴的だったのは怪しくツヤを帯びている背中の黒い大きな翼だった。

 

歪んだギターサウンドが軽快なリフを弾き始めると、

ドラムがギターに合わせて地響きを鳴らすようなバスドラを合わせていく。

うねるようなベースの低音がそれに絡みつくように走り出した。

 

 

 I went to the crossroad, fell down on my knees

 I went to the crossroad, fell down on my knees

 Asked the Load above ‘’have mercy, now save poor Bob, if you please''

 

(俺は十字路へ行った、そしてひざまついたのさ

 俺は十字路へ行った、そしてひざまついたのさ

 そして神様に頼んだんだ、’’どうかこの哀れなボブを救いたまえ’’ってね)

 

 

ホルスがルシファーと呼ぶ男はしゃがれたハスキーな声で歌っていた。

その歌声は歌っているというよりは嘆きや魂の叫びであるようにも聴こえた。

 

 

 Standing at the crossroad, tried to flag a ride

 Standing at the crossroad, tried to flag a ride

 Didn’t nobody seem to know me, everybody pass me by

 

(十字路に立って、手を上げて車を止めようとしたんだ

 十字路に立って、手を上げて車を止めようとしたんだ

 だけど誰も俺の事を知らないように、みんな俺の横を通り過ぎていく)

 

 

明日奈の耳に届く歌詞は英語のようで、何を意味しているかわからなかったが、

それでも伝わってくる気迫から、音楽とは人間の感情を爆発させるものなのだと思った。

 

 

 You can run, you can run, tell my friend Willie Brown

 You can run, you can run, tell my friend Willie Brown

 Load that I’m standing’ at the crossroad, I believe I’m singing down

 

(さあ走れ、走れ、俺の親友のウィリー・ブラウンに伝えておくれ

 さあ走れ、走れ、俺の親友のウィリー・ブラウンに伝えておくれ

 俺は十字路に立ってるんだと、俺は沈んで行くのさ)

 

 

最後のフレーズを叫んでから、ルシファーのギターに合わせて演奏は盛り上がっていった。

狂喜乱舞するように派手なパフォーマンスでアドリブのギターソロを弾きながら、

どんどんと高みへ昇っていくようなステージ上の彼に観客全員は釘付けになっていた。

地獄で働く労働者が集まるようなこのお店の、日々の鬱憤を代わりに晴らしているのかもしれなかった。

 

やがて演奏が終わると、観客達は手を叩いて盛大な拍手を送った。

ステージ上で弾いていたギターを下ろして観客に手を振って答える。

やがて少し照明が戻ってきた店内には、また洒落たBGMが流れ始めた。

 

ルシファーはステージを降りると仲間から酒の入ったグラスを受け取り、

それを持ったまま真っ直ぐにこちらに向かって歩いてきた。

 

「天使を見たのはいつぶりかな。

 地獄は楽しめてるかい?」

 

 

・・・

 

 

「ここの飯はどうだい?

 地獄ではまだマシな方なんだが、

 初めてだとキツイかもしれないがね」

 

ルシファーはホルスと明日奈のテーブルに来て椅子を持ってきて座った。

彼は人間で言うところの三十代くらいに見える容貌をしており、

ホルスよりも少し世代が上であるように思える。

その間近で見た黒い翼はまるでカラスのそれのように不吉な印象に思えた。

 

「堕天使になったとは聞いていましたが、こんなところにいたんですか」

 

ホルスは先ほどまでとは変わって緊張感のある表情に戻っていた。

明日奈はホルスが鬼との交渉時に度々口にしていた堕天使を目の前にして、

得体の知れない存在に自然と警戒心を高めていた。

 

「天界の奴らはそんな風に呼んでるかもしれないが、

 俺らは堕ちたつもりなんざ一ミリもないんだがね。

 まあ、なんとでも好きに呼べばいいさ」

 

ルシファーは何も気にしないという態度でグラスに口をつけた。

飲み方を見ている限り、アルコールには強い方だとホルスは見抜いた。

 

「君はオシリスの息子のホルスだな。

 地獄までやってきたということは何か交渉事でもあったのかい?」

 

「国家秘密なので言えません」

 

「まあそうだな、俺たちに機密を教えるはずもないか」

 

「あなたが堕天使だからじゃありません。

 僕は特命を受けている身分ですから内容は誰にも明かせないのです」

 

ホルスは真面目で堅いなと明日奈は思った。

ただ、信頼できる相手であることは間違いない。

だからセトからもある程度の信頼を得て特命を受けている。

 

「あなたはどうしてこんなところにいるんですか?」

 

ホルスは逆に質問を返した。

 

「自分は答えないのに、他人には返答を求めるとはね・・・。

 天界の奴らのそういうところが俺は受け付けないね。

 自分たちが全て正しいと思い込んでいるところがな」

 

明日奈はルシファーが冷めたタイプである事が口調からわかった。

自分も似たように冷めたところがあるからか、

同類の持つ哀愁みたいなものが明日奈には見える気がした。

 

「俺は天界では有名だろうから君も知っているだろう?

 神様と意見が合わずに自ら堕ちた天使は俺くらいのものだからな」

 

「ええ、真実の矢に真っ向から立ち向かって生き延びられた唯一の堕天使・・・。

 あなたの存在はある意味で天界では伝説になっていますよ」

 

その話を聞いて明日奈は驚いた。

そんな前例があるならホルスはどうして自分に言ってくれなかったのか。

 

「しかし堕ちた先が地獄だったとは知りませんでした。

 セトと仲違いしてたどり着いた先がここだったなんて・・・。

 もしかして、あなたが求めていた何かが地獄にあったとでも言うのですか?」

 

ホルスの言葉からは、ルシファーを多少軽蔑しているような印象を受ける。

天界を追われたものは、地獄のような場所しか行き場所がないのだとでも言わんばかりに。

 

「さっきの曲、Crossroad bluesと言うんだが知ってるか?

 アメリカという国の100年前くらいの曲だ」

 

ルシファーはホルスの問いとは全く関係のないような返答をした。

ホルスは何が言いたいのかわからずに返事に窮していた。

 

「十字路に立って悪魔に魂を売った男の歌だよ。

 俺はあの曲が好きでね、その男の気持ちがよく分かる気がする。

 そいつは悪魔と取引をして魂を売ってしまった。

 だが引き換えに絶大なギターのテクニックを身につけたらしい。

 若くして死んじまったが、そういう噂が立った男だったそうだ」

 

明日奈は先ほどの演奏から伝わってきた気迫の意味がわかった気がした。

その男とルシファーの境遇は似ているのかもしれない。

 

「俺は逆なんじゃないかと思っている。

 人々は強大な能力を身につけた相手を畏怖するようになる。

 とんでもないギターのテクニックを身につけたその男は悪魔と取引したと噂され、

 やがて本当に悪魔に魂を売ることになってしまったんじゃないだろうか?」

 

ルシファーの言葉の意味を解釈していくと、

つまり自分は強大な能力を持っていたがために堕天使になったと言っていることになる。

明日奈はこの男はなんと自惚れが強い男だと思ったが、

セトと喧嘩して天界を出て行くほどの覚悟を持った存在である事を考えると、

彼が語っている本意を正しく理解したいと思った。

また、真実の矢から逃れた唯一の存在であることも彼女の興味を引いた。

 

「・・・あなたには一体何が見えていたんですか?」

 

明日奈は好奇心から思い切って尋ねた。

 

「人間の少女か・・・いや、君は天使なのか?

 俺には君がどちらにも見える気がする。

 君は全く新しいタイプの存在だな。

 俺に似ているところもある気がするよ」

 

ホルスは明日奈に話掛けるルシファーを警戒していた。

それは多少の嫉妬心が含まれていたようにも思えた。

 

「自由民主主義を否定したあなたがアシュに似ているだなんて、

 そんな事を言うのは止してくださいよ。

 彼女はもっと純粋な女の子です」

 

明日奈にはルシファーがホルスの言うように軽蔑すべき対象とは思えなかった。

彼の黒い翼は、堕ちる前はひょっとすると真っ白だったのかもしれないとすら思った。

 

「その自由と民衆が選んだ神様がセトだって?

 笑わせるじゃないか、これが正しい判断をしたと言えるのか?

 投票率はたったの50%で、自分たちの未来も選べないやつが半分もいる。

 多数決が正しいなんて、一体誰がそんなことを決めたんだろうな」

 

ルシファーは幾分悲しそうにも見えた。

天界を憂いているのはルシファーもホルスも変わらないのではないか。

 

「それは・・・まだ民衆が本当の意味で成熟していないからだ」

 

ホルスは言葉に詰まりながらもそう反論した。

 

「じゃあいつになったら成熟するのだろうな。

 いつになったら民衆はみんな正しい判断ができるほど成熟して、

 高尚なレベルで将来を選択する議論ができるのだろうね」

 

そう言ってから手に持っていたグラスからアルコールを喉へ流し込んだ。

ルシファーが酒を飲むのは、きっと味が好きだからではないと明日奈は思った。

きっとそれが彼なりの悲しみの忘れ方なのだろう。

 

「はっきり言おうか、そんな成熟は永遠にやってこないよ。

 だから俺は選挙権を持つものの縮小を訴えたんだ。

 まともに判断できない民衆に一票を渡したって無駄なんだ。

 それならば一定の資格を持つものだけに選挙権を与えればいい。

 免許制度のような形にするんだ、そうすればもっとまともな選挙ができる。

 正しい判断ができるものだけが選挙に参加してくれればいい。

 そして正しい判断ができるものであれば、政策を政府に提案する権利だってあっていい」

 

そこまで聞いてホルスは口を挟んだ。

 

「しかしそれでは低所得者が十分な教育を受けられないために資格がとれなくなり、

 それが原因で選挙権をもらえなくなる可能性が生まれるじゃないか。

 そんなことになっては貧富の差が問題になるし自由平等の社会にはならない」

 

ルシファーはそれを聞いて応酬した。

 

「それは政府が教育コストの平等をさっさと実現させれば良いことだ。

 大学の授業料を無償化するなど、いくらでも方法はあるだろう。

 綺麗ごとをいいながら学歴社会を生み出しているのに、

 選挙権だけは皆が持つ平等な権利なんて言うのはおかしいにもほどがある。

 大体、まともに考えている奴とそうでない奴の一票の重みが同じなんて、

 これ自体がおかしな話だ、真剣に考えた奴が一票を投じたとして、

 適当に考えた奴が反対に一票を投じたら相殺になるなんておかしいだろう?」

 

明日奈はルシファーとホルスの議論を黙って聞いていたが、

ルシファーはただの堕天使ではないと思った。

セトと喧嘩するだけあって、相当自分の意見を持っているようだった。

ただ、その意見が一般社会から見れば相当過激であることは明日奈にもわかった。

 

「だけど、仮に選挙権を持つ選ばれた民がいたとして、

 本当に正しい判断などが下せるものだろうか?

 彼らは選挙権を持たないものの幸福を願いながら、

 貧富のない社会の実現が本当に可能だろうか?

 僕にはそうは思えないんだ。

 結局、権利を持つものは自分達だけに都合の良い選択をして、

 権利を持たないものをのけものにしていくんじゃないだろうか?」

 

ホルスはルシファーの案の弱点を突くように発言した。

 

「もちろん100%正しい判断ができるとは言わないさ。

 だが何も判断できない愚かな人々の成熟を待つよりは、

 選ばれた資格を持つもの達に品格を求める方がまだ期待できる。

 言っておくが、俺は別に選民思想を推し進めたいわけではないぞ。

 ただ自分でしっかりと考えて、きちんと自分の意思を持つ奴らに物事を決める権利を与えたいだけだ」

 

「しかしそれを突き詰めたのがこの地獄じゃないか!」

 

ホルスは思わず激昂してしまった。

 

「一党独裁で選ばれた権利を持つ人々だけが物事を決定し、

 だからこそ党内でも権力争いにまみれているんだ。

 権力を握ったものの独善で民衆をさばいていくなんて、

 結局はこんな誰も救われない社会を生み出してしまうだけだ。

 そうか、だからあなたはこんなところへ来たんだな。

 地獄の方があなたの肌に合うというわけですか!」

 

珍しくホルスが熱くなってしまっている。

ルシファーはいつまでも冷静を保っているところを見ると、

これが良い意味でも悪い意味でも若さというものだった。

 

「極端な話の進め方はよせよ。

 俺だって地獄が良いなんて一言もいってない。

 こんな情報統制のある国では自由に意見も言えないし、

 政府に都合の悪い情報はニュースにもならない。

 不自由さが民衆をみな政府の顔色だけを伺わせることになる。

 だが、決定者が少ない分だけ決断が早いというメリットもある。

 天界みたいに神様と議会が対立することもないからな。

 大人数の民主主義では決定に要する時間がかかりすぎるんだ」

 

ルシファーはホルスの熱に引きづられることなく淡々と答えた。

 

「だからって、権利を与えられないものが増えれば、

 結局は権利の格差が広がって革命を生むだけだ!

 そこには暴力革命の結果が待っているだけですよ!」

 

ホルスの右目は真っ赤に燃えていた。

情熱の炎にルシファーの言動が油を注いでいく。

 

「そんなバカげたことにはならない。

 選挙権などなくても気にしない人は山ほどいる。

 また、参加する権利が欲しくて資格試験に落ちてしまった者は、

 自分の実力不足から再度勉強をやり直してもらえば良い。

 そこで犯罪や革命に走るのはただの八つ当たりだ」

 

「しかし、そんな過去に逆戻りするような政策などナンセンスです!」

 

「自由と平等なんて言うのは言葉としては耳障りが良いが、

 現代ではただ無責任な若者を増やしているだけなんだ。

 権利が奪われて初めてその価値に気がつく者も出るだろう。

 そういうショック療法も民衆には必要なんじゃないか?

 子供だって甘やかしてばかりではダメになるだけだろう。

 時には厳しいことを言うのも大人の役目だと思うが」

 

「くっ・・・!」

 

ホルスは返答に窮してしまった。

権利が無くなって価値に気がつくという説得は、

ある種ホルスが言う不幸を知るから幸福の価値を理解するというものに似ていたからだった。

 

「じゃあ一緒に天界に戻ってください!

 あなたはセトと喧嘩して飛び出したかなんだか知りませんが、

 正々堂々と民衆にその政策を訴えてもう一度戦えばよかったんだ。

 そうしないあなたはただの臆病者です!」

 

ホルスは吠えた。

地獄でくすぶっている者にとやかく言われたくないと。

 

「そもそも、俺の思想自体が民衆に問いかけて成立するものではないよ。

 権利を持つ者が、わざわざその権利を自ら放棄するような案に賛成するわけがない。

 こういう事は機に乗じて一気にやるべきなんだ、彼らが気づかないうちにな。

 そして、仮に今戻ってもセトに売国奴とでも言われて殺されるだけだ。

 もしくは裁判所で裁かれるにしても、俺は無知な民衆に裁かれたくなどない。

 陪審員制度なんてあるが、あれも選ばれた者は迷惑してるんじゃないか?

 めんどくさいことに巻き込まれたなと思っている程度だろう」

 

明日奈は日本にも陪審員制度があるなと思った。

詳細を理解している人など少数派だろうけれど。

 

「そんなやり方はアドルフ・ヒトラーと変わらないじゃないか。

 民衆をバカにするのも大概にしてください!

 あなたは危険だ、やはり無理矢理にでも連れて帰ります!」

 

「地獄の鬼達がそんなことを許すはずがない。

 俺を無理矢理連れて帰ったら国際問題になるぞ。

 セトもそんな厄介なことは望んでいないだろう」

 

ルシファーが地獄にとどまっている理由は、

結局は強制送還を逃れる為だけなのだろうとホルスは思った。

さすがのセトも地獄からムリヤリ彼を連れ戻すことは不可能だからだ。

 

「俺だっていつまでもここにいたいと思ってるわけじゃない。

 だが、地獄へ来てみてわかったこともたくさんある。

 皆は地獄をただ救いようのない劣悪環境だと考えているようだが、

 それは違うと俺は思う、ここはもちろん鬼達が独裁体制を敷いているが、

 民衆には天界と同じように普通の生活がありその中に楽しみもある。

 ここにいる連中だってそうだ、俺の音楽を認めてくれる奴らもいる。

 本当に罰を受けなければならないのは鬼であって民衆ではない。

 だが、天界の奴らは地獄をステレオタイプにしか見ていないし理解しようともしない。

 ただ忌み嫌われた場所として何も考慮されずに排除されているだけだ」

 

それはホルスも明日奈も感じていた。

地獄へ来て初めてわかったことは、想像していたよりも天界と同じような生活がこの国にもあり、

そこに暮らしている民衆達は天使や人間と同じように生きていることだった。

ただ怖い場所だとばかり思っていた古い概念は、ここへ来て少しずつ壊されていた。

 

「天界も地獄も、また地上だって皆同じように生きている奴らがいる。

 そこは何も変わらないんだ、その共通点を拾えば相互理解も可能だと俺は思っている。

 天界の奴らは俺を堕天使だとレッテルを貼って排除し続けるかもしれない。

 だが、俺は俺のやり方で正しさを貫きたいと思っている。

 君の言う通り、俺は確かに臆病者なのかもしれないが、

 大人はもう少し冷静に機会をうかがうものだ。

 ただ正義感や情熱に駆られて焦っても事は成らんよ」

 

大人の意見にたしなめられて、ホルスは自分が熱くなっていた事に気がついた。

左目の冷静な瞳で物事をみなければ全てを見通す事は出来ないのだ。

 

「・・・ルシファーさん」

 

明日奈は話に少し間ができたところで話題を切り替えた。

 

「もし良かったらでいいんで教えてもらいたいんですけど、

 ルシファーさんはどうやって真実の矢から逃れる事ができたんですか?

 私、セトに地上からムリヤリ連れてこられただけなんでお家に帰りたいんです」

 

その話題はホルスにも興味があった。

ルシファーが真実の矢から逃れた話は伝説にはなっているが、

全て曖昧に伝わっている話が多く、なにが真実なのかよくわかっていなかった。

 

「真実の矢か・・・。

 何も難しい事じゃない。

 あれは真実から目を背けている人には辛い現実がのしかかるんだ。

 貫かれた瞬間に一気にこの世の過酷な真実が襲いかかってくる。

 真実と向き合った事のない者は、免疫がないから耐えられずに病んでしまうんだよ」

 

「・・・じゃあ、具体的にどう免疫をつければいいんですか?」

 

明日奈にとってはこの疑問を解消することが何より大事だった。

地獄までやってきて天界から逃れられた堕天使にも会えたのだ。

その知恵を聞かせてもらえれば自分も同じようにセトの元から脱出できるかもしれない。

 

「それは自ら進んで真実に向き合って生きていく事だ。

 だが、これは言うはたやすいが実際に行うのは並大抵の事じゃない。

 皆、自分には知らず知らずのうちに嘘をついているものだからだ。

 本当の自分の心、無意識にまで踏み込んで真実と向き合うのは本当に難しい。

 だが、それができる者は痛みを知りながら大人になっていく事ができる。

 知らなくてもいい、できなくてもいいなんて甘えは捨てる事だ。

 人は歩き出して転ばなければ成長していく事はできない。

 過保護に守られているだけでは足の筋肉は発達しないからな。

 常識になど縛られず、間違っても良いから自分の意見を持って進んで行くんだ。

 そして、汚いものも辛いものも全てその眼に焼き付けて向き合えた時、

 もし君が天使なのであれば、立派な大人になった証拠として色のついた翼が生えてくるはずだ。

 俺の場合は元からあった白い翼が抜け落ちて、代わりにこの漆黒の翼が生えてきたよ。

 だが・・・君はどうなんだろうな、人間なのか天使なのか俺にもよくわからないが」

 

ルシファーは明日奈の背中をじっと見つめていた。

明日奈は背中を見られる事が苦手でとっさにホルスの後ろに隠れてしまった。

 

「まったく、可愛らしいものだな。

 だが、可愛いだけでやっていけるのは20代前半くらいまでだ。

 いつまでも外見の美しさだけに頼っていた女性は、

 大抵20代後半くらいから周囲からそっと距離を置かれるようになるさ。

 若い頃にチヤホヤされる分、余計に寂しさに耐えられなくなる。

 だが、気づいた頃には誰も自分の相手をしてくれなくなるんだ」

 

「おい!ひどい事を言うな」

 

ホルスは明日奈をかばってルシファーに反抗した。

 

「俺は酷いことを言っているか?

 本当に美しい人は30歳でも60歳でも美しいものだ。

 それは真実に向き合って痛みを乗り越えて努力を続けるからだ。

 彼女らの中身から溢れる高尚な精神によって女性としての魅力を保つ事ができる。

 俺はただ、20代がピークだなどと安易に思って欲しくないだけだ。

 確かに若さは失われるが、人生は若さを失ってからの方が長い。

 これも確かに過酷な一つの真実かもしれないな」

 

ルシファーはニヤリと不敵な笑みを浮かべていた。

ホルスは自分より人生経験が豊富なルシファーに劣等感を覚えていた。

悔しいが、今の自分ではまだ彼を言い負かすことができない。

 

「もう十分だ、僕たちはホテルに帰ろう。

 ルシファー、忘れないでください、僕はいつかあなたを天界に連れて帰る。

 それは罰を与えるためでも裁きを下すためでもない。

 あなたの意見も偉大なる民主主義の一つだからだ。

 そしてあなたほどの人が、地獄でくすぶっているのは惜しくもある」

 

ホルスは明日奈の肩を抱いて連れて帰ろうとした。

 

「その時を楽しみにしているよ。

 だが、ホルス、君にもやがて過酷な真実が待ち受けることになるだろう。

 綺麗事だけでは世界は変えられない、それが君にもわかる日が来るさ。

 そしてまた会う機会があるのなら、その時は一緒に酒でも飲もうじゃないか」

 

ルシファーは自らグラスを持ったまま立ち上がり、向こうへ行ってしまった。

ホルスと明日奈はその後ろ姿と漆黒の翼を見送ってから店を後にした。

 

 

・・・

 

 

翌日、ホルスと明日奈はまた鬼達に連れられて地獄を巡った。

とは言っても、想像していたような地獄の釜湯が見られたわけでもなく、

鬼達が労働者を強制的に働かせている場面があったわけでもない。

そういう一面もおそらくはあるのだろうが隠して見せないのだろう。

そして二人が案内されたのは立派な建造物や歴史的な遺産などであり、

地獄の鬼達が誇れるような部分だけに限られていた。

 

鬼達は二人を連れ回して色々と説明をしてくれたが、

ホルスも明日奈も、これが本当の地獄絵図だとは信じられず、

退屈に感じながら、時々昨夜のルシファーとの談話を思い出していた。

彼から聞いた話の方がよほどリアルだったし意味があったような気がしていたのだ。

 

結局、クタクタになるまで観光案内を受けた二人は、

やっと鬼達から解放されてホテルの部屋に戻った。

 

「まったく、退屈すぎて地獄だったね」

 

ホルスはソファーに座って大きくため息をつきながら明日奈にそう告げた。

地獄を観光した感想が、退屈すぎて精神的に地獄だったという彼なりのユーモアだった。

 

「・・・いや、別におもしろくないよ」

 

ホルスがちょっと拗ねたような顔をみせると、明日奈はそれの方がおかしくて笑った。

 

「まあ、冗談はさておき。

 これでようやく仕事が全部終わったね。

 僕もやっと肩の荷が下りたよ」

 

ホルスは重圧から解放されてさすがに嬉しそうに見えた。

 

「おつかれさまでした」

 

明日奈もホルスの隣に座って労いの言葉を述べた。

2日間ずっとホルスと行動を共にしていた明日奈にとっても、

何事かをやり遂げたような奇妙な達成感があった。

初めて地獄を見て回り、普通では体験できない事をたくさん経験できた。

共通の目的を一緒に成し遂げるというのは、人々を不思議と仲良くさせる効果がある。

 

「ねぇ・・・ひとつ聞いてもいい?」

 

明日奈は神妙な面もちでホルスに尋ねた。

 

「何?どうしたの?」

 

ホルスは開放感から少し陽気になっているようだった。

返事の声がわけもなく弾んでいる。

 

「どうしてルシファーさんのこと、教えてくれなかったの?」

 

「どうしてって・・・?」

 

「だって真実の矢から逃れることができた天使がいたのなら、

 それを言ってくれれば私だって帰れる可能性があるって思うのに」

 

ホルスは少し考え込んだように黙ってしまった。

そしてゆっくりと口を開いた。

 

「堕天使の話は君にはしたくなかったんだよ。 

 天界にある堕天使問題はとても複雑なんだ。

 ルシファーみたいに自分の意思で天界を去ったものもいれば、

 政府の転覆を目論んで地獄まで逃亡したものもいる。

 ひょっとしたら地獄の鬼達に強制的に連れ去られたものもいる。

 ただ堕天使問題と言っても、単純には割り切れない事情があるんだ。

 ただ、いずれにせよ天界では堕天使の存在はタブー視されているよ。

 セトが神様である限り、堕天使は危険分子だとみなされているからね」

 

みんな単純にレッテルを貼って物事を見たがるのだ、と明日奈は思った。

地獄が救いようのない世界だと見なされているように、

みんな本当の姿を見ることも考えることもしないで、ただ推測だけで嫌悪して排除する。

 

「それにルシファーは特別だよ、真実の矢から逃れることができるなんて、

 そんな前例は彼以外にはないんだ、大抵の者はその矢に刺されて再起不能になった。

 あと僕だってルシファーと実際に話をしたのは今回が初めてだったし、

 セトや父さんと神様候補として彼の名が挙がっていた時は交流がなかったんだ。

 むしろ僕は父さんの支持者だったから敵対していたわけだしね」

 

なるほど、ルシファーは神様候補だったのか。

どうりで話に説得力があると明日奈は感じていた。

まるでセトの演説に匹敵するほどの扇動力を持っているとすら思った。

 

「ルシファーは神様には選ばれなかったってこと?」

 

明日奈は詳細な理解を求めてさらに追求する。

 

「以前に説明した通り、神様選挙はセトと父さんが最終的に争う形になった。

 ルシファーはセトと同じ神進党に所属していたから、

 神様選挙の前段階で立候補者として党内から選ばれる必要があった。

 だけどルシファーはああいう人だったから、選挙権の資格制度なんかを訴えて、

 確かに彼自身の言う通り、民衆はそんな政策に票を投じるはずもなかった。

 元々、ルシファーとセトの政策は似ていたんだよ、同じ党に所属していたんだからね。

 でもセトはうまく民衆を扇動していったのに比べて、ルシファーは正直すぎたんだ。

 正論だけどみんなが見てみないふりをしてきた問題に焦点を合わせ過ぎたんだろうね。

 みんなが痛みを伴う改革には逃げ腰になって、結局は飴とムチを上手く利用したセトが勝者になった。

 そこで彼は民衆に絶望したんだろうね、そしてセトと仲違いをして堕天使になった」

 

明日奈は昨夜ルシファーが話していた内容と照らし合わせながら聞いていく。

そう考えていくと、彼の漆黒の翼の前にはよほど純粋な翼が生えていたのだろうと思えた。

 

「セトはルシファーを引き止めたらしいよ。

 自分が神様になれば長官のポジションをルシファーに用意すると約束していたらしい。

 でもルシファーはそれを断って天界を去った。

 結局、選挙が終わってからセトは僕の父さんを長官に抜てきした。

 もちろん、こんなのはただの民衆へのパフォーマンスに過ぎない。

 敵対した候補者を側近に選ぶなんて事は普通はありえない話なんだけど、

 それによってセトはまた好印象を得て人気をあげる事になったんだ。

 父さんも政策の違うセトの下で働くのは不本意ではあったと思うけれど、

 自分の年齢を考えて、政府内で働く方がセトの暴走を止める事ができるかもしれないと考えたんだ。

 結果的に、セトの独裁を抑えることなんてできやしなかったけどね。

 だから今度の議員選挙に出馬するなんて言い出したんだろう」

 

ルシファーの事を聞き出して、初めて全景が見えてきたような気が明日奈はしていた。

オシリスが長官になった経緯も含めて、様々な思惑が絡み合った末の今がそこにはあったのだ。

 

「・・・」

 

明日奈は何か考え込んでいるように黙っていた。

 

「何?どうしたの?」

 

ホルスは心配になって尋ねる。

 

「なんだろう、ルシファーさんってすごい純粋な天使だったんじゃないかなって。

 でも正直すぎてみんなから受け入れられなかったから堕天使って呼ばれるようになって、

 本当に彼を理解してあげられる人がいればそうはならなかったんじゃないかな」

 

明日奈は不思議とルシファーに惹かれる思いがしていた。

それは嘘を嫌う正直な性格をしている自分と似た部分に共鳴していたのかもしれない。

 

「アシュは・・・彼が好きなのかい?」

 

ホルスは少し悲しげに尋ねた。

 

「・・・別にそういうんじゃないけど」

 

その後、二人の間には微妙な沈黙が生まれた。

ホルスは明日奈の方へ姿勢を向け、両手を取って話始めた。

 

「ねえ、天界に戻ったらさ、少し二人で旅行にでもいかない?」

 

「えっ!?」

 

「郊外にとっても景色が綺麗な場所があるんだよ。

 何か美味しいものを食べてもいいしさ。

 もしアシュが嫌じゃなければ・・・」

 

まっすぐに瞳を見つめてくるホルスに、

明日奈は照れて少し視線を逸らした。

 

「・・・ダメかなぁ?」

 

「ダメじゃないけど・・・でもどうして?」

 

「それは・・・僕は君の事がす」

 

そこまで話をしていた時、テーブルに置いていたホルスの携帯電話がなった。

地獄に来てからは一度も鳴った事のない電話がかかってくるなんて、

これは何か緊急事態かと思い、ホルスはソファーから立ち上がって電話を取った。

 

「もしもし、何かあったのか?」

 

明日奈は先ほどホルスが言いかけていたセリフについて考えていた。

まだ両手に残っているホルスの掌のぬくもりが生々しかった。

 

「なんだって、父さんが!?」

 

その驚いたホルスの声を聞いて、明日奈はホルスの方を見つめた。

一体何が起こっているのかはよくわからなかったけれど、

ホルスが先ほど言いかけた言葉の続きが聞けなくなる事だけはわかった気がした。

 

 

・・・

 

 

 

翌日、地獄から帰国したホルスと明日奈を待っていたのは、

変わり果てたオシリス長官の姿だった。

 

国際電話を受け取ったホルスの耳に飛び込んできたのは、

オシリス長官が自宅のベッドで亡くなっていたという知らせだった。

親しいJKがオシリス長官と連絡が取れない事を不審に思い、

部屋へ入ったところ、ベッドで眠るように息を引き取っていたオシリス長官を発見したらしい。

 

発見された当日、リビングには空のワイン瓶が転がっており、

死因は泥酔いによる何らかの発作的な持病、もしくは薬物の過剰摂取等の疑いもあったが、

ニュースとして報道された時には急性心不全という形で公表された。

 

ホルスが帰国後、葬儀は速やかに取り行われた。

天界の長官の死はトップニュースとして報道されることとなったが、

セトは報道陣の前でオシリスの死を悼む感動的なスピーチを行った事で、

なぜか彼の支持率はまた上がる事になったのだった。

 

 

それからしばらくの間、明日奈はホルスに声をかけることができなかった。

自分が留守にしていた間に片親であった父を失うことになったのだから無理もなかった。

すれ違っても軽く会釈をするだけで、ホルスから話しかけてくることもなくなり、

失意にくれている彼に、明日奈はかける言葉も見つからなかった。

 

 

・・・

 

 

ホルスがしばらく公の場に姿を見せなくなってからというもの、

なぜか明日奈に対して色々な人から連絡が入るようになっていた。

白い家の人間関係に詳しい者には、明日奈とホルスの仲が良い事は知られていたし、

地獄へ出張した際、ホルスに同行していたことがその印象をさらに深いものにしていた。

 

その中でも特にしつこく声をかけてくる人達がいた。

明日奈を何度も訪問してはホルスの行方を聞いてくるその人達は天労党の議員達だった。

2ヶ月後の議員選挙で立候補を予定していたオシリスが突然亡くなったことで、

選挙の目玉候補を失った天労党は、オシリスの息子であるホルスを候補者に仕立てあげたかったのだ。

もちろん、ホルスがセトに近い人物であることは承知の上であり、

天労党との政策の違いがあることも理解していたのであったが、

セトの側近中の側近を口説き落とすことで、セトの勢力のイメージダウンも狙っていたのである。

 

政治とは時にこのようにして飛び道具のような技を駆使してイメージを高めたり数を集めたりする。

これが民衆からすればいまいち理解できない政治不審につながる部分であるのだが、

一方でこうしたその場を繕うだけに見えるやり方が効果を発揮することもある。

ルシファーが嫌う、扇動されやすい民衆達がパフォーマンスによって揺さぶられるからである。

有名人を立候補させたり、時代の流れに合わせて急に女性候補を増やしたりするのも、

実際は全く中身の伴わない人達を数合わせしただけに過ぎないのであるが、

結局は時代の風に流されて当選してしまったりするのであるから、こういうやり方はいつまでも続いてしまう。

 

 

一方で、政治家たちもこうしたやり方が効果を発揮してしまうのだからやめられない。

誰かが民衆をバカにするなという声を上げるか、もしくは選挙で徹底的にNoをつきつけない限り、

未成熟な民主主義社会を動かすやり方を、政治家達も改める機会を持てない。

自分たちがやらなければ敵対する勢力がその手を使ってくるだけであり、

結局はそのやり方をとらなかったが為に選挙結果で負けてしまうからだ。

民主主義政治というのは、投票権という最大の選択を民衆に預けていることになる。

そんな強大な力を持っているという自覚を抱いている国民はいったいどれほどいるだろうか?

 

 

・・・

 

 

ところで、明日奈にしつこく声をかけてくるのは天労党員だけではなかった。

 

「・・・もしもし」

 

部屋で鳴っていた電話の受話器を取ったのは明日奈だ。

 

「おっつ~、だんだん早く電話とるようになってきたな!

 いいじゃんいいじゃんその調子」

 

かかってくる電話の9割がセトであることはわかっていた。

だが、天界のルールが嫌でも染み付いてきてしまった明日奈は、

次第に受話器をとるスピードを上げることになった。

でなければセトがうるさいからだ。

「いいじゃん」と言ってくるが、それは彼にとって都合が良いだけであり、

明日奈にとって良いことが起きているわけではない。

しかし、こうして褒められていくと人は次第にその罠にはまっていく。

その人に従うことが、まるで自分にとって正しいことをしているように錯覚してくる。

セトはこういう人心掌握の術に長けているのだった。

 

「面白いことを考えたんだよ、なんだと思う?」

 

知らねえよ、と心の底で思いながらも明日奈はただ黙っていた。

 

「なんかあだ名が『アシュ』になったんだって?

 だからさ、それだったらこういうキャッチフレーズどうかな。

 『アッシュッシュ~』ってやるんだよ、どうよ?」

 

またこいつはつまらなくて恥ずかしいことをやらせようと企んでいると明日奈は思った。

セトにとっては世界は自分中心に動いていて、周囲の人々は彼の暇つぶし要員なのだ。

 

「・・・いやです」

 

「なんだよ~つれないやつだな。

 じゃああれか『ちちんぷいぷいチロチロポン』とかの方がいいか?」

 

「・・・それ、どこから調べたんだよ」

 

「あれ、これ黒歴史だった?」

 

「・・・」

 

ちちんぷいぷいチロチロポンは、明日奈がまだ中学生だった時に使っていたおまじないの言葉だった。

児玉坂の近所に引っ越してきた綺麗なお姉さんと一緒に考えたものだ。

どうやらセトの手元には人間界の住人全部のデータが管理されているらしく、

過去にあったことなどは検索すればすぐに調べられるらしい。

神様の特権ではあるが、個人情報をこんな風に悪用されると大変気分が悪い。

 

「・・・要件はなんだよ」

 

明日奈はイライラしながら話を逸らした。

 

「そうカリカリすんなって!

 あのさ~最近ホルスちゃんどうよ?」

 

「・・・最近は会ってないから知らないよ」

 

明日奈はそう言ってから少し寂しくなった。

天界に来てからホルスと合わない日なんてなかったのに。

 

「あっそう、あいつ俺の電話も無視しやがってよ~。

 普通ならこれクビだよクビ、サラリーマンなめんなよって」

 

あんたの電話を取りたい人なんて一人もいなんだよ。

そう思いながら明日奈は話を聞いていた。

 

「もしあいつにあったら伝えといてくんない?

 お前を長官にしてやるからさっさと部屋に来いってな」

 

「長官!?」

 

「ポスト空いちゃってんだからよ~、早くしてねって」

 

それだけ言うと、ガチャリと受話器を置く音がした。

セトはいつも自分だけ用事をすませると一方的に電話を切る。

 

受話器を置いた明日奈はホルスにどう伝えようか迷っていた。

そもそも、すれ違うことも少ないしこちらから電話でもしない限り会うことはない。

しかし自分から能動的に電話をするタイプでもない明日奈は一歩踏み出せないでいた。

 

 

結局、悩んでいても踏み出せない明日奈はコーヒーを入れて一息ついていた。

天界にきてから色々と考えることが増えた、それは本がないからだ。

以前であれば暇があれば読書をしていたから、それはそれで知識を蓄えることができた。

ここでは話を聞いたり新しい物を実際に見たりして知識を得ることが多く、

それを暇な時間に考えるということが彼女の日課になっていたのだった。

 

 

オシリス長官の事件の後、周囲が劇的に変化しているのを明日奈は感じていた。

ホルスが動かない今、情報はすべて自分の元に集まってくるようになっていた。

天労党の幹部からの誘い、セトからの電話、そのほかにも色々な人がホルスの行方を聞いてくる。

 

オシリス長官の死因が今ひとつはっきりしないのもあり、

未だにその原因を追求しようとするジャーナリスト達もいるらしい。

二ヶ月後に天労党から出馬する予定だったことが公に明らかになった途端、

事故死に思われていた結末が、にわかに事件の匂いを帯びるようにもなった。

ホルスと明日奈が出国していた間に起こったというのもタイミングが絶妙すぎる・・・。

 

誰が得するのだろう?

オシリス長官がいなくなって得をするのは誰だろう?

そんなことを考えるたびに怖くなってきた。

政治の裏にある、得体の知れない黒い影。

何か目に見えない大きな渦が、人間一人くらい簡単に飲み込んでしまう。

 

 

(・・・まま・・・)

 

明日奈は急に怖くなってきて、家に帰りたくなった。

とんでもない世界に自分は足を踏み入れてしまったのかもしれない。

汚い世界はもうたくさんだ、優しい家族がいて、平和に暮らせる日々があって、

そうして毎日が続いていくだけで十分幸せだった。

平凡な日々のありがたさは、失ってみるまで気づけないものなのだ。

人間とはなんて愚かなんだろうと明日奈は思った。

 

気がついた時には受話器を手に取っていた。

ホルスの番号を押して応答を待つ。

この天界で頼れる存在はホルス以外にはいなかった。

 

「・・・もしもし」

 

「・・・アシュ?」

 

久しぶりに聞くホルスの声は温かかった。

 

「セトから電話があったよ・・・」

 

「ああ、すまない、きっと僕が出ないからだな」

 

ホルスは少し疲れたような声をしていた。

突然やってきたこんな現実に、すぐに対応できるわけもなかったのだろう。

 

「・・・長官にしてやるから来いって」

 

「・・・なんだって!?」

 

ホルスは驚きと、そして少し怒りの混じった返事をよこした。

長官という響きが父親の事件を連想させたのかもしれない。

 

「・・・わかった、ありがとう。

 あとでセトの部屋に行くよ。

 よかったらアシュも一緒にきてくれないか?

 君に話したいことがある・・・」

 

ホルスから誘ってくれたことが明日奈には嬉しかった。

自分から声をかける勇気がない彼女にとって、

想いをくみとってくれるホルスの優しさが何よりもありがたかったのだ。

 

「うん・・・ホルス私ね」

 

「・・・どうした?」

 

緊張感の高まる間が生まれた。

明日奈の声もストレートに出て来ない。

 

「私ね・・・もう帰りたい」

 

そういってから悲しみが心から溢れてきた。

堰を切ったように流れ出た涙。

 

本音をどこかで押し殺していた自分に気がついた。

ホルスの気持ちを知っていたから言い出せなかったのかもしれない。

彼はきっと自分が帰ってしまうことを悲しむに違いない。

オシリスを失ったこのタイミングで言い出すなんて、

それは本当は許されないことだと明日奈だってわかっていた。

しかし、もう我慢の限界がきていたのだった。

 

「・・・ごめんね」

 

ホルスはそれだけポツリと言った。

彼もどこかで私の気持ちに気づいていたのだと明日奈は思った。

 

 

・・・

 

 

電話を切った二人は、それぞれ準備をしてセトの部屋までやってきた。

 

溜め込んでいた気持ちを吐き出した明日奈はホルスに会えるのが素直に嬉しかったし、

明日奈の本音を聞いてきちんと受け止めたホルスも、思っていたよりもスッキリした表情をしていた。

 

二人で開けたドアの向こうには、相変わらず最悪なセトが二人を待っていた。

 

「ホルスちゃんおせーよ、もうクビだよクビ!」

 

セトは椅子に座って偉そうに両足を机の上に乗せていた。

「すみません」とホルスは即座に謝った。

 

セトは椅子から無言で立ち上がり、ソファーまで歩いてきて座った。

 

「もう秘書はクビだから、次から長官やってもらうから」

 

セトは偉そうにホルスに向かってそう指示した。

ホルスと明日奈もセトと向かい会うようにしてソファーに座った。

 

「とりあえず今は他の奴に兼任させてっけどよー、

 ホルスちゃんの了承次第で俺が指名してやっからさ。

 そしたら後は議会の承認を待つだけだよ、簡単だねー」

 

セトは笑顔で楽しそうに話しをする。

ホルスが父親を失った悲しみなどまるで気にしていないように。

 

「正式に承認されたらさ、すぐにまた地獄に行ってくれよ。

 この間お前があっちまでいってまとめた話しあったじゃん?

 次は長官級の会議で正式におおむね合意できる手はずだろ?

 いいじゃん、就任早々大きな手柄が得られるなんてよー。

 まあ、前回もお前がまとめてきた話しなわけだし、

 お前が長官なってから正式合意ってのもそういう定めなのかもなー」

 

オシリスの後を継いで息子のホルスが長官に抜てきされる。

それは民衆の感情を高ぶらせ、セトの好感度が上がるのは明日奈でもわかった。

天界に長くいたせいで、そういう政治に関する勘が鋭くなってきていた。

 

「・・・あなたが意図的に作り出した定めじゃないんですか?」

 

ホルスの声が震えていた。

 

「このタイミングを狙ってわざと僕とアシュを地獄へ送り出したんじゃないんですか?」

 

セトの表情から笑顔が消えた。

ホルスが何か情報を掴んでいると気づいたのだ。

 

「たまたまだろ・・・。

 まさかお前、俺が何かやったとでもいいたいの?」

 

セトは真面目な顔つきになりホルスの反応をうかがっている。

ホルスはセトが偶然を言い訳にしてそんな風にごまかしていたのを見抜いていた。

 

「あなたは二ヶ月後に父さんが長官を辞職して天労党から出馬するのを知っていた。

 だから支持率の低下と議会選挙の行方を懸念して始末した、違うか!?」

 

ホルスの左目が光っていた。

冷静な青い瞳は、すべてを見通す知恵の象徴だと言われていた。

 

「おいおいふざけんな、証拠あんのかよ、デタラメはよせよ」

 

「あなたは気づいていないかもしれないが、神進党の中にだってスパイや裏切り者はいますよ。

 ここ数週間、僕はずっと父さんの事件のことを追い続けていたんだ。

 そしてルシファーが教えてくれました、あなたが命令してやったことだと!」

 

明日奈はセトが初めて心底イラついている表情を浮かべているのを見た。

 

「・・・お前、ルシファーに騙されてるんじゃねえの?

 あんな堕天使の言うことを信じるのか?

 あいつは天界に逆らって自ら出て行った犯罪者だぞ」

 

「初めは私も信じてませんでしたよ・・・。

 しかし、彼はあなたが私を長官にさせたがっている事実まで知っていました。

 だからアシュから本件を聞いたときに、すべてのシナリオがつながりました。

 父さんがいなくなったら、あなたの次の不安要因は私が天労党から出馬することだ。

 だからその芽を排除するために長官のポストに収めようとしている、違いますか!」

  

ホルスは今にもセトに食ってかからんばかりに興奮していた。

もしホルスの話しが本当ならば、父親を殺した相手と向き合っていることになる。

彼の怒りはもっともだと言わなければならなかった。

 

「・・・どっからそんな話しを組み立てたのかしらねぇがな、

 堕天使のスパイごときが政府や議会に潜んでいたって公的に立証できねぇよ。

 虚言を述べて政府を混乱させた罪で、見つけ次第に俺が正義を下してやるよ」

 

「私も今まで堕天使は政府転覆を狙うテロリストだとばかり思っていました。

 でも違う、それはお前が神様の地位についているから起こるんだ!

 私の左目、このウジャトの目はすべてを見通す知恵を持っている。

 誰のためにもならない政治を行っているのだとすれば、

 お前がこの部屋にいる資格などない、お前こそ国民から正義の審判を受けろ!」

 

月の象徴と言われているホルスの左目が蒼く光った。

そして太陽の象徴と言われているホルスの右目は赤く燃えていた。  

明日奈もこんな気迫でセトに立ち向かっていくホルスを初めて見たのだった。

 

「・・・最後にもう一度聞く、長官になるのかならないのか」

 

セトは二者択一を迫っているが、その実は服従か死かという選択肢の提示だった。

 

「セト、貴様には人間達の叫び声など永久に聞こえてこないだろうな。

 どれだけの人間達が神の沈黙を嘆いていることか・・・」

 

ホルスの言葉には憂いが混じっていた。

少なくとも今まで信じて支え続けてきた神様への決別となるのだから。

 

「・・・お前はルシファーに利用されてるんだぞ。

 あいつは俺とお前が潰し合いをするのを地獄から見ているんだ。

 俺たちが両方潰れたとき、あいつが登場するってシナリオだよ」

 

互いを信用することなく、使えるものはすべて利用していく。

それが政治、人間が生み出したこの世の真実の一部・・・。

 

ホルスは明日奈を連れて部屋から出て行った。

 

 

・・・

 

 

セトの部屋を出た二人はホルスの提案で郊外へ出かけることにした。

天界へ昇ってくるときのように明日奈を籠に入れ、

ホルスの翼で飛んでいくことにした。

 

20分程で到着したところは、自然に囲まれた公園だった。

空気は澄んでいて人も少なく、二人は久しぶりに人混みを避けることができた。

草原に座って空を眺めていると、まるで地上にいるみたいで明日奈には少し懐かしかった。

 

「ほら、あれはハヤブサだよ」

 

ホルスが指差した先には鋭い目を光らせたハヤブサが飛んでいた。

野鳥が観察できる程、このあたりは自然で溢れているのだ。

 

「どうして雲の上の国にこんなに自然があるの?」

 

明日奈は鋭い質問を浴びせた。

確かに地上ならまだしも、鳥が生息しているのも不思議に思える。

 

「地上にあるものは大抵は天界にあるんだよ。

 君たちは知らないだろうけど、元々はこっちから地上に移したんだから」

 

明日奈は飛んでいるハヤブサを見ながら聞いていた。

あのハヤブサは、どことなくホルスに似ていた。

 

「最近では神様は人間が作り出した想像上の産物みたいになってるらしいけど、

 神話をちゃんと読めば、神が世界を作り出したって書いてあるんだ。

 例えばアシュの住む日本の神である天照大神だって、昔は天界に住んでいたんだよ。

 ここから少し行ったところに、彼女が隠れたという有名な天岩戸だってある。

 太陽の役割を引き受けていた彼女は恥ずかしがり屋だったからね。

 当時は隠れてしまって地上が真っ暗になって大変だったらしいよ」

 

授業で習ったかならわなかったか、日本人なら聞いたことがある程度の認識しか明日奈にはなかった。

天照大神(あまてらすおおみかみ)なんて現代人は気にしたこともない。

現代人が生きる上で神話なんて気にもしない、そんなものなくても生きていける。

 

「彼女が恥ずかしがり屋だったからかな、日本人はみんな今でもシャイだよね。

 本当はキリストだってムハンマドだって釈迦だって、みんな天界から送った使徒なんだよ。

 先代の神様が地上を監視していたとき、平和をもたらすために考えた案だったんだ。

 人間は彼らから知恵を学んだはずだったんだけど、結局はキリストなんかは民衆に殺されてしまったよね。

 彼らは地上に降り立った後、人間達と交流するうちに闘争に巻き込まれていった。

 そして中身がない形式的な宗教だけが現代でも残り続けているんだ。

 彼らが伝えたものは、本質はみな同じことを伝えたかっただけなんだけれど、

 人間達は勝手に枠組みを設けて宗派とかによる対立を作り出してしまった。

 そして今でも終わることのない戦争が続いている・・・」

 

ホルスはそう言いながら悔しそうだった。

 

明日奈はそんなホルスを見つめながら思った。

人間界では「神は死んだ」だの「神は沈黙している」だのと言われているが、

天界にはちゃんと人間のことを考えてくれている天使はいたのだ。

 

「その使徒達は、何を人間に伝えたかったの?」

 

明日奈がそう尋ねると、ホルスは少し遠い目をして答えた。

 

「命は美しい・・・ってことさ」

 

「命は美しい・・・」

 

明日奈はそのフレーズを復唱してみた。

たったそれだけの言葉だけれど、秘められた意味は深くて重たい。

 

「アシュは比較的に哲学が好きな方だよね?

 時々、哲学なんて何の役にも立たないって言う人もいる。

 でも僕は違うと思う、それは短期的には実利をもたらさないけれど、

 長期的に見ると人生の土台を築くために最も重要な学問だと思うんだ」

 

そこまで言うと、ホルスは背中の翼を広げて大きく深呼吸をした。

オレンジ色の羽が風に舞い、どこかへ吸い込まれるように飛んで行った。

 

「僕らは物心がついた時から生きている。

 それは当然の事で、命あるもので生きていない者はいない。

 でも、だからこそ、生きているという事を深く考えることがない」

 

「・・・うん」

 

「以前、僕が説明した話に似ていると思うけれど、

 生きているということ、それだけでは実は生きている事を実感できない。

 幸福がそれだけでは比較対象を失って幸福感を感じれないように、

 生きるという事を本当の意味で理解するには、その対極にある死を知らなければならない。

 いつやってくるかわからない死から逆算して残された時間、それが生になる」

 

明日奈はこの話を聞きながらオシリス長官を思い出していた。

ご飯をご馳走してもらったので、いつか恩返しがしたいと思っていたけれど、

突然やってきた出来事によって、それは一生叶わない願いになってしまった。

 

「悲しみがやってくるのはいつも突然だ。

 みんな昨日と同じ今日がやってきて、そして今日と同じ明日がやってくると思っている。

 でもそうじゃない、悲しみは突然何の前触れもなくやってきて現実は突然のように断絶させられる。

 当たり前だと思っていた事が当たり前にはできなくなって初めて命の尊さに気づくんだ」

 

こんな話をさせてしまって、明日奈はホルスを見つめながら申し訳ないと思った。

父親を失った後で、さぞかしこんな話をするのは辛い事だろう。

 

「もし宇宙の果てから僕らの生命を眺める事が出来たなら、きっと僕らなんてアリみたいなものだ。

 広大な世界には、僕らが解明できない謎がいくつもあり、そして真実なんてわからない。

 人間が生きるわずか100年程度ではその謎が解明されるはずもない。

 なんの為に生きるのか、それを問いかけたって空の果てまで暗闇が黙り込むだけだ。

 すなわち、君らが生きている間には、この世の真実なんて誰もわからないってことだ」

 

明日奈はホルスが空を眺めながら話を続けているのを聞いていた。

地上から天界にきて、今まで見た事がない世界をたくさん見てきたけれど、

その上にはまだ星があり、宇宙があり、銀河の果てがあり・・・。

 

「じゃあ僕らにとって生きるとは何なのか?

 それは結局、残された時間ということになる。

 人生とは、その残された時間をどう生きるのかということ、

 そしてタイムアップが来ればいつかみんな等しくサヨナラだ」

 

ホルスは両手を泡がはじけるような仕草で表現して見せた。

人生の時間なんて、空に浮かぶシャボン玉みたいなものかもしれない。

 

明日奈は、いつか16歳の誕生日にお風呂場の泡で作ったシャボン玉を思い出した。

16秒数える間にシャボン玉は空のどこかで儚く消えてしまったのだ。

 

「そんな儚さを持ちながら、それでも僕ら生物は生きることに固執する。

 死が近づけば近づくほど、生きていたいという想いはより強烈になってくる。

 そして、その限られた時間が命の本質だと気付いた時、すべての悲しみは消えていくことになるんだ。

 この生は永遠に続かないんだと気付いた時こそ、その一瞬一瞬が生きている本当の意味だと体感することになる」

 

ホルスは話を続けながら涙を流していた。

父親のことが頭をよぎったのかもしれない。

もしくは、命の美しさとは、そうして涙を流すほど感動するものなのかもしれなかった。

 

「そうして命は美しいということに気付いたなら、

 人々がお金や地位や名誉の為に命を天秤にかけていることがバカらしくなる。

 本当に大切なものを忘れて、目先の欲望に眩んでいるだけにすぎないってね。

 そうしたら次は、自分と同じように生きている者達がすべて等しい存在だと気づく。

 皆、有限の時間の中で生きて行く存在であり、その限られた時間を共に生きる存在だと。

 それに気づけたら、もう彼らを傷つけようなんて決して思わなくなるはずだよ」

 

ホルスが言っていたのは、こういう思考を人生の土台にして、

その上で他の知識を積み重ねるという事の大切さなのだと明日奈は思った。

 

「さあ、アシュはこれからの残された時間で何をする?

 そういう目的が決まれば、なんとなく生きていくなんて勿体ないことはできないはずだよ。

 そして僕はね、父さんの代わりに天労党から出馬することにするよ。

 議会で3分の2を取ればセトだって神様の権限だけで好き勝手することはできなくなる。

 そうすれば、君を地上に返してあげることだってできるはずだ」

 

そのとき明日奈は、先日、地獄で話をしていた時にホルスが言いかけた言葉を思い出した。

明日奈の考えが正しければ、ホルスは明日奈が地上に帰ることをあまり望んではいないはずだった。

 

「・・・帰っていいの?」

 

明日奈はホルスにそう尋ねた。

それはあの言葉の続きを聞きたい気持ちと、でもホルスの想いを裏切ってしまって帰ってもいいのかと、

そういう相反するような二つの間で揺れている想いだった。

 

「・・・僕は、本当は君に帰って欲しくなかったんだよ。

 だから無意識のうちに君を積極的に帰す方法を探してこなかったのかもしれない。

 人生の残された時間を、僕は君と一緒にいたいと願ってしまったからね」

 

そう言うとホルスはオレンジの翼を器用に動かして顔を隠してしまった。

ちょっと照れくさかったのかもしれない。

 

「でも、それまではもう少しだけ僕のそばにいてくれないかな。

 時期が来たら、必ず君を地上に帰れるように手配するよ」

 

ホルスが立ち上がって右手を明日奈に差し出した。

明日奈はその手をとって草原から立ち上がった。

この繋がれた手が二人にとっての約束の証になった。   

 

 

・・・

 

 

「私はなぜJKの特権を捨てたのか?

 その答えを皆さんに伝えたいと思っています」

 

天使議会選挙はスタートし、ホルスは天労党からの出馬を正式に決めた。

セトの側近中の側近であったホルスが突然にして天労党へ鞍替えしたことにより、

ホルスが継ぐはずだった長官のポジションを埋める人材がいなくなった。

それが政府内で何か奇妙な不協和音を鳴らしているように人々は感じ始めたのだった。

 

オシリス長官の突然の死とホルスの鞍替えにより、謎が解明されないあの事件について、

何か陰謀論のような風説が流れ始めたこともあり、セトの支持率は急低下したのだった。

 

そしてホルスを引き抜くことに成功した天労党は、

これ以上ないほどの看板候補を手に入れた事に異常な盛り上がりを見せていた。

前神様候補の息子であるホルスがJKの特権を捨てて出馬をするという事態に、

セトのやり方に不満を持っていた層が一気にホルス支持に流れたのだ。

 

明日奈はと言えば、セトの提供してくれた寮へ戻る事は危険だと判断し、

天労党の幹部達が彼女を守るという事で決着がついた。

そして、明日奈はこの機会にボランティアとしてホルスの選挙活動をサポートする事にした。

 

それが思いも寄らなかった結果を招いた。

今まで全く選挙に興味関心のなかった無党派層が、

「神に選ばれた美少女」として話題になった彼女に興味を示したのだった。

結果的に、セトが招き寄せた明日奈の存在がセトの首を絞めることになった。

自分が連れてきた美少女が勝手に神様ブランドとして認知されながら、

なぜか敵対する天労党のサポートをしているという皮肉な状況を生む事となった。

 

政治に全く関心のなかった若い世代も、明日奈を見たさに演説に足を運ぶようになり、

そこには自分たちとあまり年齢の変わらないホルスが神がかった演説を披露していた。

神様選挙ではないにもかかわらず、ホルスは次期神様の有力候補として取り上げられるほどになっていた。

 

 

「私の父オシリスは、先代の神様を支えた功労者の一人でした。

 自由民主主義を推し進めた先代の神様の側近として活躍し、

 自由で豊かな自由社会を夢見て政治の道を志した天使だったのです」

 

明日奈はいつも一番近くでホルスの演説を聞いていた。

今のホルスは、明日奈が初めて出会った頃よりも何倍もたくましくなっていた。

この数ヶ月で体験した様々な出来事が、彼を成長させていったのかもしれない。

 

「しかし、先代の神様が亡くなられた後、セトが神様を継いでからはどうでしょう?

 彼はむやみやたらと軍事予算を拡大し、武力による平和を主張しています。

 ですが一方で地上の国々に関しては戦争を抑制させることはできず、

 人間達の神様に対する失望は想像以上に膨らんでいます。

 とある有名な文化人はこう述べたそうです『なぜ神は沈黙しておられるのか』と」

 

演説を聞いている観客は大きな歓声をあげる。

古き良き時代を知っていた老人達はこの若者にオシリスの面影を重ね、

新しい時代を生きる若者達はホルスに同世代の希望を重ね合わせていた。

 

「もちろん、抑止力としての軍事力は今は減らせないでしょう。

 地獄という隣国がいる限り、天界の安全を保障する使命があります。

 しかし、セトは安全保障を盾にして地獄で溢れている難民の受け入れを拒んでいます。

 いったいどうしてそんなことが人道的に許されるでしょうか?  

 地上の模範にならなければいけない天界が、情けなくも偏狭なナショナリズムに陥っているのが今の現状です」

 

歓声の中には何度も熱狂的にホルスの名前を叫ぶものもいた。

人々は閉塞した時代にいつも新しい英雄を求めている。

その期待を一身に背負っていたのがホルスであり、

民衆からすればまさに彼の名は希望であった。

 

「セトは堕天使問題を解決する手段として強制的に連れ戻すことを主張しています。

 しかし、そもそも堕天使問題の原因は何なのでしょうか?

 それは天界に絶望した天使達の逃亡先だと私は思っています。 

 ですが、本当にこの国が豊かであれば、わざわざこの国を出て行くなんて誰が考えるでしょうか?

 堕天使が自ら堕ちていくのではなく、まさにセトが堕天使を生み出しているのです!」

 

この間、セトが代理を任せている長官は地獄を訪問し、

ホルスがまとめてきた経済特区や知的財産権問題のおおむね合意を発表した。

それは政府の支持率をあげるためのパフォーマンスとしてセトが企んだものだったが、

皮肉にも当事者であったホルスが最もその政策や事情に精通していたため、

ホルスに批判の的を提供するような形になり、ますまず神進党の支持率は低下していった。

 

「父オシリスは言いました。

 私の右目はラーの目といい、太陽の象徴であると。

 私の左目はウジャトの目といい、月を象徴していると。

 もしセトがどんな小手先だけの人気取り政策をしたとしても、

 私のウジャトの目は誤魔化せません。

 ウジャトの目はすべてを見通す知恵なのです。

 またセトがどんな悪事を企んでいようと、

 私のラーの目からは逃れられません。

 ラーの目は太陽のように光を放ち悪を焼き尽くします」

 

郊外の草原で話をしていた時、ホルスは明日奈に語ってくれたことがあった。

ホルスという名は地上ではかつてエジプトを治めていた天空と太陽の神の名であると。

ハヤブサの神でもあり、右と左でそれぞれ異なる瞳を持っている。

特に左目であるウジャトの目は、すべてを見通す知恵の象徴とされ、

地上では古代エジプトのシンボルになっているという。

 

「父は生前、今回の選挙に出馬すると宣言していました。

 しかし無念にもその思いを果たすことができませんでした。

 彼が出馬を決めた理由は簡単です、何年もセトの下で長官を務めたにも関わらず、

 セトのやり方に納得できなかったからです。

 私は父の無念を晴らしたい、そして私自身がJKの職を捨てて出馬することを決意したのです。

 どうか偉大な天界を再び取り戻すために、皆さんの力を貸していただきたい!

 そのためなら私は、このウジャトの目を父オシリスに捧ぐ覚悟はできています!」

 

演説を終えたホルスには鳴り止まないコールがこだましていた。

ホルスは手を振って大歓声に答えている。

初めは明日奈を目当てに来ていた観客達も、

しだいにホルスの演説に聞き惚れながら政治に関心を向けていったのだった。

 

草原でホルスの名前について語ってくれた時、

彼はまたアシュの名前の由来についても教えてくれた。

アシュというのもまた、古代エジプトにあった神の名前であり、

鳥の頭を持つオアシスの神の名前だという。

 

まさに今回の選挙戦では、明日奈はホルスや民衆にとってのオアシスだったのかもしれない。

そして、この快進撃はついに選挙終盤まで止むことはなかった。

 

 

・・・

 

 

「準備はできたかい?」

 

背中でもたれ掛かっているドアを、ホルスは拳で軽くノックする。

ドアの向こうでは明日奈が帰国の準備をしていた。

 

ずっと身につけて着慣れてしまったイノセントを絵に描いたような鎧を外し、

白い生地で縫われていた衣服を脱いで、天界へやってきた当時の私服に着替えていた。

ずっと着慣れていた服をもう着なくなるなんて、まるで学生で言えば卒業みたいだと思った。

そういえば自分がいなくなってから高校はどうなってしまったのだろうか?

みんな私がいなくなったことで心配しているのだろうか?

それはとりあえず帰ってから考えることにしようと思った。

今感じているのは、この聖なる服を脱ぎ捨ててサヨナラする自分だ。

まるでみんなより一足早く卒業する気分、みんなより一足早く大人になるような気持ちだった。

 

明日奈はドアを開けて部屋を出た。

ホルスは私服に着替えた明日奈を見て少し寂しげではあったが、

やっと帰国の時がやってきた明日奈を気遣って笑顔を見せた。

 

議員選挙で大躍進を遂げた天労党は、歴史的な大勝利を収める事となった。

単独で議会の3分の2を握ることになり、天労党は立法府の権限を勝ち取る事ができたのであった。

 

新時代のカリスマとして活躍したホルスを党のリーダーとして選んだ天労党は、

そのホルスの旗振りによって次々とセトの権限を弱める法律を立案していった。

議決を得た法案は、セトが神様権限で次々と拒否権を発動したが、

議会へ戻された法案は再度3分の2以上の可決を経て成立されていった。

 

これによってセトが天界から逃亡する堕天使に向けた制裁である真実の矢についても、

その制度を禁止する法案がホルスの強い意向によって可決されることとなった。

こうして法律上、セトは明日奈に向けて真実の矢を放つ事ができなくなったのだった。

 

「本当は僕が送って行ってあげたいところなんだけど」

 

ホルスは申し訳なさそうな口調でそう述べた。

自分がいけない代わりに部下に送らせる手はずを整えていた。

 

「・・・いいよ、議員が堕天使の逃亡を手助けなんてできないし。

 本当はこうやって会ってるのもあんまりよくないって言ってたじゃん」

 

明日奈はホルスを気遣ってそんな風に答えた。

天界にいる期間が長いため、当初に比べて明日奈の知識も格段に増していた。

 

「院内総務ともなると、変な制約に自由を束縛されるんだよ。

 党のリーダーみたいなものだからね、世間の印象を気にするはめにもなる」

 

ホルスは忙しい合間を縫って明日奈を見送りに来ていた。

この後も議会でのたくさんの仕事が待っていた。

 

「今までありがとう」

 

ホルスは右手を明日奈に向かって差し出した。

明日奈も同じように右手を差し出して硬い握手を交わした。

 

手を離したホルスはやはり少し寂しそうな表情を見せた。

そんな表情を見ていると明日奈も別れ際が辛くなる。

 

「次の神様選挙、僕は必ず立候補するよ」

 

ホルスは明日奈の目をまっすぐに見つめてそう言った。

 

「そしてセトに勝って次の神様になる」

 

ホルスはそう言ってから少し照れくさそうに下を向いた。

 

「うん、日本から応援してるね」

 

明日奈はホルスの勝利を願ってそう告げた。

 

「・・・もし神様になれたなら・・・」

 

「・・・もしなれたなら?」

 

ホルスは顔を上げて決意を込めて言った。

 

「もう一度神様として君を選んでもいいかな?

 そして君を本当の意味で神に選ばれし美少女にしてあげたい」

 

明日奈はそれを聞いて意味深にふふふと笑った。

そして・・・。

 

「バーカ」

 

結局、彼女はいつも通り大切な箇所をはぐらかしたまま去っていった。

 

 

・・・

 

 

明日奈の出発を見送ったホルスは、息つく間も無く議会へ足を向けた。

 

セトの横暴を止めるために次々と手を打たなければならないため、

議論されるべき法案の検討から要人との面会など、

ホルスは休む間も無く打ち合わせを次々と済ませていった。

 

議員選挙の結果を受けて、天労党には追い風が吹いていた。

それはセトに対して逆風が吹いている事を意味している。

互いに牽制し合う政府と議会は互いに否決を繰り返す様相を呈し、

天界の政治は完全にスピード感を失う事になった。

 

思い通りに物事を進められなくなったセトはいらついていた。

支持率は低下を続ける一方で、ホルスばかりが注目される結果になる。

このような状況に陥ると、普通であれば政治を前に進めるために、

神様と議会が歩み寄って妥協点を探っていく事になるのだが、

セトの性格は独裁以外の方法を選ぶ事を許さなかった。

神様と議会は対決色を強めていき、天界の民衆の不安は日に日に増加していくことになった。

 

不安の高まりは、民衆のホルスへのさらなる期待となって現れていく。

常に対話の窓を開いているホルスの態度に共感を覚えた民衆は、

対決姿勢を強めていくセトのやり方に不満を抱いていった。

そうしてセトは政界の中でますます孤立していく結果となっていったのだ。

 

 

・・・

 

 

政治の駆け引きは緊張と緩和で進展する。

 

お互いにまだ対立の余地が残っている時、政治対立はギリギリの線まで緊張を高めていく。

しかし、緊張が高まり過ぎた場合、何らかの暴発による予期せぬ結末に終わることになり、

それを避けるようにギリギリの線を越えずに妥協点を探ってまた緩和されることになる。

 

例えば、天界と地獄の駆け引きにおいては、お互いに武力で威嚇を続けるも、

戦争の一歩手前にまで踏み込むと、双方が不利益を被る戦争には突入せずに着地点を探る。

そして、お互いにその着地点からまた対話を続けていくと、また利益をめぐっての衝突が始まる。

そこからまたギリギリの線までお互いの緊張感を高めていく事になるのである。

 

政治力学を知らない民衆としては、このように無駄に緊張感を高めて欲しくないし、

不安を煽るような武力衝突や脅し合いなどは政治への不信感を募らせるだけである。

ただし、このような政治上の駆け引きを止めることはできない。

だから世界中で核兵器の開発競争やミサイルの威嚇発射などが起こる事になる。

もちろん、きちんと政治力学を理解していれば、その出来事にいちいち振り回されることもない。

 

だが、気をつけなければならないのは、そういった政治力学の常識が通じない相手である。

若くして指導者の地位を継いだ独裁者や、人気投票のような形で選ばれた大統領など、

従来の駆け引きの常識が通じない人物こそ、政治的暴発のきっかけを生み出すことになってしまう。

大統領や首相、議員などは、そういう大きな未来を背負っている国民の代表であり、

それを選んでいるのが、まさしくあなたが持つ一票であるということを忘れてはならない。

 

 

・・・

 

 

分刻みのスケジュールで仕事をこなしていったホルスに突然の伝言があった。

次の場所への移動中に、ホルスの横を歩きながら何かを耳打ちする秘書。

 

「・・・なんだって、セトが!?」

 

緊張した面持ちで事実確認を続けるホルス。

秘書とのやりとりの中で、その情報はほぼ間違いないという事実が伝わった。

 

ホルスはすぐに秘書になにやら指示を出し、またすぐに携帯電話を持って来させ、

今までに見たことがないほど怒りに満ちた表情を浮かべていた。

 

「セト!貴様正気か!」

 

ホルスが電話をかけた相手はセトだった。

電話が通じると、ホルスはセトの反応を聞く間も無く問いかけた。

 

「・・・なんのことだ?」

 

「とぼけるな!貴様、アシュに真実の矢を放ったな!」

 

ホルスが秘書に指示を出したのは明日奈の安否確認だった。

突然飛び込んできたのは、先ほど白い家から何か矢のようなものが飛び去るのを見たという報告だった。

 

「ああ、あれは真実の矢じゃないよ、なんか最近弓の腕が鈍っちゃってるからよ~、

 ちょっと試しに空に向かって普通の矢を射ってみただけよ、悪い?」

 

「ふざけるな!法律違反だ!」

 

ホルスは今にも携帯電話を握りつぶさんばかりに怒りに震えている。

議会で可決された法案によって真実の矢を堕天使に対して放つことは禁止されたはずだったからだ。

 

「・・・いやいや、ホルスちゃん適当な事言わないでくれる?

 どこにそんな証拠があるんだよ、俺は普通の矢を射っただけって言ってんじゃんよ。

 なに、お前神様の言うことが信用できないっていうの?」

 

セトは相変わらず傲慢な態度を貫いている。

証拠がない限り、セトが本当に法律違反をしているのかどうか追求する術はなかった。

 

「貴様、それでも神様か、恥を知れ!」

 

「相変わらず青いヤツだな。

 そういう事は証拠を抑えてから言えってんだよ。

 お前こそ名誉毀損で訴えてやろうか?」

 

セトは受話器の向こうで高笑いをしている。

政治的な常識が通じないセトのような存在は、

これがどんなに危険な行為を行っているのかわかっていない。

追い詰められすぎた立場で、暴発という最悪のシナリオを選択した事になる。

 

「貴様だけは絶対に許さない!

 僕のウジャトの目をなめるなよ!

 証拠を抑えて必ず貴様に正義を下してやる!」

 

「やれるもんならやってみろよ」

 

セトと真っ向から事を構えることになるのなら、

彼はどんな手段を使ってでも必ずホルスを潰しにやってくる。

そんなことになれば、こちらもただでは済まないだろう。

 

「たとえこの目を失うことになったとしても、

 必ず貴様を天界から追放してやる!」

 

その宣言はホルスなりの覚悟の表れだった。

刺し違えてでもセトを神様の座から引きづり落としてやる。

 

受話器の向こうからこちらをバカにした高笑いが聞こえてきた。

ホルスが電話を切ろうとした時、セトは突然声のトーンを変えてホルスに告げた。

 

「・・・この世で一番苦しい事は何か知っているか?

 それはな、自分自身の肉体的苦痛じゃないぞ。

 愛する誰かを守りきれずに失った時の悲しみだ・・・」

 

そこまで言って、セトは電話を切った。

 

 

・・・

 

 

 

ホルスが手配してくれた天使に運ばれながら、

明日奈は来た時と同じ籠で地上へ向かっていた。

 

何層もの雲を突き抜けて急降下するジェットコースターのようであったが、

ホルスが手配してくれた天使はマッチョなボディガード風の天使であったので、

実際にはホルスが運んでくれたあの日よりもいくらも安定したフライトだった。

 

いくつも雲を突き抜けてやがて地上が見えてくると、明日奈は籠から顔を出して眼下の景色を眺めた。

ホルスと出かけたあの日と何も変わらないような夜に包まれた街が見えていた。

東京の街は眠ることなく、輝かしい光を放って眩しいばかりに煌めいていた。

それは久しぶりに地上を見た懐かしさが、明日奈の心境に影響したのかもしれない。

ただ、明日奈は籠を運んでくれているのがホルスでないのが少し残念ではあった。

ボディガードの天使によってしっかり運ばれているので籠は全く揺れないのであるが、

ホルスと過ごした日々を思い出しては明日奈の心は懐かしい思いに揺れ続けていたのだった。

 

 

「まもなく到着しますよ」

 

ボディガードの天使は明日奈にそう告げた。

東京の上空にたどり着いたので、後は少しづつ高度を下げていくだけである。

明日奈は、とりあえず自宅に帰ったら母が入れてくれる温かいコーヒーが飲みたかった。

これまでの疲れを癒して、とにかく何も考えずにボーッとして過ごす時間が欲しかったのだ。

今までは特に貴重とは思わなかった地上の生活が、いざ目の前に迫るとこんなに恋しかった。

 

 

明日奈が籠の中でそんな妄想に耽っていると、突然風が強く吹いて来るのを感じた。

今まで全く揺れていなかった籠が強風に吹かれてグラグラと揺れ始めたのである。

上を見つめると、ボディガードの天使も強風に煽られて飛びながら姿勢をぐらつかせていた。

飛行機が気流を抜ける時に揺れるような、ああいう類の揺れである。

 

 

「危ない!」

 

ボディガードの天使の声が響くと同時に、明日奈は籠が大きく揺れて体を打ち付けられた。

彼が突然フライトの姿勢を変えたために、油断していた明日奈は籠の中で振り回された。

山道で急カーブを何度も曲がる車に乗っているように、何か今までとは違う飛び方をしている。

 

「・・・どうしちゃったんですか!?」

 

明日奈は不安になってボディガード天使に目をやった。

スキンヘッドにサングラスをかけている彼の表情は読み取れないが、

何か想定外の出来事が起きていることだけは明日奈にもわかった。

 

「・・・くそっ!」

 

彼は飛びながら背後を見てそう言った。

明日奈がそちらに目を向けると、見たこともない黒い矢がこちらへ向かって飛んできているのが目に入った。

そして、その矢は間違いなく明日奈の方をめがけて進んできているのがわかった。

 

籠がまた激しく動き、明日奈の視界は揺れた。

もう両手でしっかりと籠を抑えていなければ姿勢を保っていられなかった。

ボディガード天使がうまく体を反転させて方向転換を図ったのだ。

そして黒い矢は明日奈を捉えることができずに通りすぎて行った。

 

 

しかし、明日奈が籠からヒョイと顔を出して矢の方向へ目をやると、

黒い矢はグイッと回転して軌道を変えてまたこちらへ向かって速度を上げて飛んできた。

 

「・・・天使さん、あれ!」

 

「何っ!?しまった!」

 

完全に背後を取られた状態で、黒い矢はもう明日奈の目前まで迫ってきていた。

黒い矢が籠ごと明日奈を貫こうとした瞬間、とっさにボディガード天使が自分の体を投げ出してかばった。

 

「うわぁぁぁ!」

 

黒い矢はボディガード天使の頭をかすめた。

ただかすめただけであったが、彼は何か恐ろしいものを見たように両手で頭を抑え、

やがて意識を失ってしまった。

 

彼はかろうじて翼で浮かんでいたが、やがて腕の力を失って明日奈の乗っていた籠を手放した。

ジェットコースターが落下するときに瞬間的に生まれるあの浮遊感が全身を駆け抜け、

やがて籠から放りだされた明日奈は真っ逆さまに地上へ落下し始めた。

 

 

そして落下する明日奈を追うようにして、黒い矢は猛スピードで明日奈をめがけて飛んできた。

 

 

・・・

 

 

大人になるってどういうこと?

 

早く自立したいって思ったこともあったけど、

やっぱり自分には無理だと思った。

 

大人への階段が見えてきて、子供でいることの楽しさを知った。

前に迫ってくるから逃げたくなるのかな?

だって何も姿形のない漠然とした不安だけが胸を締め付けるだけだから。

 

敷かれたレールの上を、何も考えないで走る方が楽だ。

制服を脱いだ後、私たちはどこへ向かえばいいのだろう?

今まで学校で学んだことは、きっと何の役にも立たない気がするのはどうしてだろう?

だってレールの上を歩く方法は教えてくれていても、

新しく自分でレールを敷く方法も、そのレールが続いていく方向も、

今まで誰も教えてくれたことはなかったから。

 

私たちは、突然暗い夜道に放りだされるのだ。

そこからは自由に歩きなさいなんて、まるで希望に満ちているような未来を語られて、

本当は落とし穴だらけの暗い夜道を一人で歩かされることになる。

 

この世界の仕組みなんて私たちは知らない。

ルールもわからないゲームに急に参加させられるように、

私たちは一歩一歩と進みながら傷ついてたくさんの物を失っていく。

そこには不条理なこともたくさん待っていて、

でも悪いのはルールを知らない私たち、ということになる。

知らないということは、それだけ損をするということ。

何も気づかない間に、どんどん奪われていくということ。

 

 

親切そうに声をかけてくれる人は嘘つきで、

翻弄されるままに時間だけが慌ただしく過ぎていくことになる。

いつかそんな惰性の日々に慣れてしまって、

生きるということは、ただ浪費した時間と引き換えに得る、

諦めの先にあるわずかな気休めになる。

 

 

生きることはどうしてこんなに痛みを伴うのだろう?

生きることはどうしてこんなに孤独なのだろう?

辛くても誰も助けてくれない、誰もこの気持ちをわかってくれない。

誰もが癒せないほどの傷を負っているはずなのに、

誰もがそれを隠しながら歯を食いしばってただ前へと歩いていく。

その先に何があるのかなんて、誰が保証してくれるわけでもないのに。

 

 

嫌いなものは食べたくない、好きなものだけ食べていたい。

でもいつも私を見ていてほしい、不安な心を鎮めてほしい。

誰か私を助けてください、ずっと一人になんてしないで。

だけど適度に離れていたい、痛いところには触れないように。

 

 

わがままでごめんなさい。

だって、まだ甘えていたかったから・・・。

 

 

・・・

 

 

 

色々なことがたくさん頭に浮かんだ。

 

小さい頃に両親に連れて行ってもらった旅行先の思い出や、

仲の良い友人とたくさんくだらない話をしたカフェでの出来事や、

読み終えた小説の面白かったくだりの自分なりの解釈や、

天界の食堂で洗ったお皿の枚数を数えたあの日々や、

ホルスと一緒に食べたおいしくなかったあの地獄での食事・・・。

 

明日奈は瞳に知らないうちに涙が溜まっていくのがわかった。

二度とは戻らない日々、特に意識することなく過ごしてしまった時間、

その何気ない一瞬一瞬が、すべて尊い命の美しさであったことを悟った。

 

 

黒い矢は明日奈の体を今にも貫こうとしている。

生きることを諦めてしまえば、矢はすぐにでもその命を奪ったことだろう。

 

彼女の命は、まるで風に吹かれている木の葉のようだった。

その手を離せばすぐ楽になれるのに、だけどそれでも人が生にしがみ付くのはなぜだろう?

 

 

(・・・それでも生きたい・・・)

 

 

明日奈の脳裏のその意思が電流のように走り抜けた瞬間、

背中にあるあざが激しくうずくのを感じた。

 

次の瞬間、黒い矢は明日奈の体に到達することができずに止まった。

彼女の背中から生えてきた金色の翼が明日奈の体を包み込むようにして守り、

黒い矢はその翼を貫くことができないでジリジリと押し戻されていった。

 

明日奈がゆっくりと目を開くと、金色の翼は勢いよく黒い矢を弾き飛ばし、

それはやがて粉々に砕け散って塵となって消え去った。

 

 

・・・

 

 

「久しぶりだよね~」

 

甘いトーンの音が弾ける、木芽香の声だ。

柔らかくて心を落ち着かせてくれるような響き。

 

天界から帰国してから1週間後。

明日奈は友人である木芽香の家に泊まりに来ていた。

木芽香とは約4カ月ほど前、歌手である桜木レイナのバックバンドを務めた時に知り合った。

彼女はそのバックバンドでコーラスとして参加していたのだった。

スタジオ練習を通じて交流しながら少しずつ仲を深めてゆき、

明日奈にしては珍しく一緒に頻繁に写真を撮ったりするほど仲が良くなった。

だが元々、そういう仕事上の付き合いから始まったため、

仲良くなった今でもお互いになぜか「ビジネスの関係」だと言っている。

 

「いつ帰ってきたの~?」

 

木芽香はそう尋ねる。

急に言いだしたお泊まり計画にもかかわらず、

木芽香は「いいよ~」と気軽にOKをくれた。

テキパキと世話を焼いてくれる彼女が明日奈には心地よい関係だ。

 

「ついこの間だよ」

 

明日奈もにこやかに明るい声のトーンで返した。

シャイな彼女にとって、気心が知れた間柄だからこそ見せる屈託のない笑顔だった。

 

「どう~?楽しかった~?」

 

木芽香は妹がいるからか、お姉ちゃんキャラで明日奈に接してくれる。

自分は妹であるため、色々と甘えられて気楽だ。

 

「え~、うんすっごい楽しかったよ。

 なんかね、久しぶりだったから」

 

これは三日前、明日奈が家族と一緒におばあちゃんの家に行った時の話だ。

久しぶりに訪れた田舎の風景は、なんだかこの年になってやっといいなと思えるようになった。

そんな年齢的な成長エピソードを話していたのだ、まだ17歳なのであったが。

 

 

天界から帰国した明日奈にとって意外だったのは、

少なくとも半年は過ごしていたと思われる天界での生活が、

地上に戻ってみるとなぜか1日も経過していなかったことだった。

そして家族も友人も、明日奈が家を出ていた事実を全く知らなかった。

とても密度の濃い日々を過ごしたはずだったのに、

自分でも不思議に思えるほど何もなかったように処理されている。

きっと天界の方でどうにかして調整をつけたのだと明日奈は思った。

だけどこんな風にされると、あの期間がまるで夢だったのではないかとすら思えてくる。

 

 

真実の矢から逃れた明日奈は、金色の翼を羽ばたかせて自らの力で地上に降り立った。

どうしてかはわからないが、今では自分の意思で自由に空を飛ぶことができる。

ホルス達と違って、明日奈はその金色の翼を意思の力で出し入れする事が出来た。

何もない時は、ただ背中には浅黒いあざがあるだけだ。

でも、飛びたい時にはいつでも金色の翼を取り出して飛ぶ事ができる。

初めは少しなれなかったが、リハビリ運動のように毎日動かしているうちに、

やがては自分の手足を使うように翼を動かす事ができるようになった。

いつかホルスがやっていたように、翼で器用に汗を拭うことだってできた。

 

「じゃ~ん、できたよ~!」

 

明日奈がTVをつけてボーっと考え事をしている間に、

木芽香はテキパキと夕食を作ってくれた。

彼女は自分よりも2歳くらい年上だけれど、

自分と違って女子力が高いなと思わされる。

あと2年経ったら、自分もこんな風にできるかな?

彼女を見習わなければいけないなと明日奈は密かに思った。

 

「すっごいおいしい!」

 

天界から戻ってきた明日奈にとって地上のご飯はびっくりするほどおいしかった。

今までは当たり前のように食べていたご飯がこんなにおいしいなんて知らなかった。

ホルスが言っていた通り、比較対象を知ることで舌が成長したのかもしれない。

すでに1週間が経過しているが、この鋭敏な味覚の傾向はまだ止む気配がない。

 

「まだいっぱいあるよ~食べな」

 

いつも会っていた友人とこうして何でもない話をするだけで、

今の明日奈にとってはすべてが幸せに思えた。

天界での日々もホルスがいてくれたから決して寂しくはなかったけれど、

どこか心の片隅で求めていた地上の友人との再会を願う気持ちを、

知らず知らずのうちに心の底へ押し込めていたのだろう。

私は、実はこうして早く木芽香に会いたかったかもしれない。

 

 

明日奈と木芽香はご飯を食べながらたくさん話をした。

お互いの近況報告をしあったり、共通の友人の話題を出したり、

今悩んでいることを打ち明け合ったりもした。

 

「お互い色々とあるよね~」

 

「そうだね~」

 

そんな感じでくつろぎながら時間は過ぎていった。

一人の時間も必要だけれど、誰かと気持ちを共有し合える時間も楽しい。

寂しかった心の隙間がどんどんと埋まっていくような気分になる。

 

 

お腹もいっぱいになったところで話題も一旦尽きた。

リラックスしたままで、別に気まずくはない沈黙が流れる。

そんな二人の間に生まれた静けさを埋めるようにTVのニュースキャスターは喋る。

 

「それでは次のニュースです。

 昨年度に成立した公職選挙法等の法律の改正により、

 2016年6月19日より選挙権年齢の引き下げが行われる予定です。

 これによって、20歳からだった選挙権が18歳から与えられることになります・・・」

 

ニュースキャスターが原稿を読み上げると、

次は画面が変わり、若者にインタビューをする場面が映し出された。

「18歳より選挙権が与えられれば、あなたは選挙に行きますか?」という内容で、

画面には次々と若者達がインタビューに答える様子が流れている。

 

「嬉しいです」という声もあれば、「行かないです」という答えもある。

前者は国の未来を決める権利を若者に与えることの重要性を説き、

日本の政治への関心が高まってくれることを期待する内容である。

後者は結局誰が選ばれても同じでしょ、たった1票で何も変わらない、

誰を選んでいいかわからない、全く興味がない、などという内容だった。

 

 

「へぇ~そうなんだね。

 私は今年で20歳になるからなんだか損した気分。

 あすなりんはもうちょっとで18歳だよね?」

 

「・・・」

 

「あすなりん、どうしたの?」

 

明日奈はホルスのことを思い出さずにはいられなかった。

ずっと一緒に活動していく中でたくさんの事を教えてくれた彼は、

私たちがこうしている今でも、天界や地上の為に頑張っているのかもしれない。

 

「えっ、ああ、そうだねもうすぐだよ」

 

天界で遭遇した様々な出来事は、結局は誰にも言っていない。

地上での時間が経っていないこともあって、

自分でも夢だったんじゃないかとすら思うほどだ。

でも、もし夢じゃなかったとしたら余計に言えない。

自分は今の天界では、堕天使という扱いになっているからだ。

余計な事をすればホルスの邪魔をしてしまうかもしれないと考えた明日奈は、

この出来事は心の中にそっとしまっておこうと決めたのだ。

 

「じゃあさ、もし選挙になったら一緒にいこーよ。

 学校で習ったことはあるけど、実際はどうしたらいいのかわかんないしね。

 なんかこういうのって誰も教えてくれないじゃん?

 だからさ、一人で考えるのもちょっと難しいよね~」

 

木芽香は寂しがりやなのか、トイレですら一緒に行きたがる。

女の子らしくてかわいいと言えばそうである。

 

「・・・」

 

法律が改正され、選挙権は18歳から与えられる事になる。

明日奈たちの世代にとっては、ひょっとすると大人へのモラトリアムが削られてしまったような、

そういった突然の容赦ない「大人宣告」になるのかもしれない。

子供のままでいたいと思っていても、世の中はそんな自分をいつまでも甘えさせてはくれない。

 

「あすなりん、どうしたの?

 今日はなんか変だよ?」

 

「えっ、ううん、なんでもないよ」

 

明日奈は意味深にふふふと笑った。

自分だけ天界で「大人への近道」を教えてもらったなんて言えない。

 

「今はおじいちゃんおばあちゃんしか選挙行かないから、

 若い人にも選挙行けって言われてるみたいだよね~。

 私たちが行ったら何か変わるのかな?

 でも世の中は格差社会だからさぁ・・・」

 

「うん、そうだね」

 

日本でも今、格差社会だと声高に叫ばれているが、

本当のところを言えば、他の国々に比べると貧富の差は少ない。

アメリカなどはあれだけ先進国であるにもかかわらず貧富の差は激しく、

アジアやアフリカなどの発展途上国では富が等しく行き渡る事はない。

これらはみんなホルスが言っていた事だ。

 

それでも日本で格差社会を主張する人もいる。

もっと言えば、世の中のどこにも格差は存在する。

人間がいる限り、比較という行為は必然的に生まれるし、

それを排除しても人間にとって極めて不自然な形になる。

私たちは買い物でも購入するものを比較して選んでいるし、

研究でも、生物の特徴を比較して名前をつけたり整理したりする。

それが区別を超えて差別に感じる時、人はそれを格差と認識するのかもしれない。

 

自由過ぎれば一線を越えてしまうし、統制し過ぎれば不自然になる。

バランスをとりながら進む為には、私たちが常に何かを考えて選択していかなければならないのかもしれない。

 

「う~ん、難しいよね~。

 格差ってなんであるのかな~?」

 

木芽香は素朴に明日奈に尋ねた。

実際のところ、この二人が話しをするとよくこの話しになり、

今までなんどもこの議題については話し合ってきた仲である。

 

「・・・それはとてもシンプルな問いだが、この世界の誰もうまく答えることができない疑問かもしれんな」

 

明日奈はそう言った後にまた意味深に笑った。

オシリス長官のモノマネをしたって、この地上では誰もわからなかったが。

 

「ねぇ~なにそれ~?

 今日のあすなりんやっぱりなんか変だよ~?

 どうゆうこと~、ねぇ教えてよ~」

 

木芽香は教えて欲しいとねだったが、

明日奈はいつも通り「なんでもないよ」と言ってふふふと笑うだけだった。

もうこの話題はいいやと思って明日奈はとっさに話題を変えることにした。

 

「そういえばさぁ、きめたんもう『バカリボンの騎士』の舞台観に行ったー?」

 

「いや、なんかあれ腑に落ちないっていうか、ややこしいっていうか、

 私が出てるのか菊ちゃんが出てるのかよくわからないっていうか~」

 

「いや、きめたんは出てないっしょ」

 

「まあ、そう言っちゃーそうなんだけどね~」

 

 

そんなくだらない話しをして二人はいつまでも笑い合っていた。

天界でのつらかった出来事も、こんな日常の些細な喜びも、

どんな出来事も人生の輝かしい1ページとなっていく。

微笑みも涙も宝物だとわかった今となっては、

常識に縛られることも、必要以上に傷つくことを恐れることもない。

 

間違っていたって構わない。

一度きりの人生を好きなように生きてみよう。

大人になっていくことは痛みを伴うものでもあるけれど、

生きるということは、それらを乗り越えていくことなのだ。

 

 

「ふぅ~、もうお腹いっぱーい」

 

たらふく食べた明日奈は体を横たえて天井を見上げた。

上を見るたびにホルスのことを思い出す。

彼が早く神様になれば、世界も少しは変わるのかもしれない。

 

ふと気づくと、木芽香が夕食の後片付けをしていた。

高い女子力で色々と尽くしてくれる子だなと感心した。

でも、今日はなんだかそれだけでは終われなかった。

 

「あれ~、どうしたの、あすなりんいつも通り寝てていいよ~?」

 

明日奈が食べ終わった食器を片付け始めたのだ。

台所の流しへ持って行ってせっせと洗っていた。

 

「私もいつまでも子供じゃないから。

 それに、皿洗いなら得意だし。

 いったい今まで何枚洗ってきたと思ってるんだよ、なめんなよ」

 

そう言って洗い物を続けている明日奈を木芽香はじっと眺めていた。

 

「なんかあすなりん変わったよね~。

 背中に自信がみなぎってるよ~」

 

そう言われた明日奈は、金色の翼をしまい忘れたかと焦って背中を触った。

だが、背中の翼はちゃんと隠れていて、あるのはただのあざだけだ。

 

「びっくりさせんじゃねーよ」

 

明日奈は木芽香の肩に軽くグーパンチをした。

「えへへ」と笑っている木芽香だったが、

片付けをしながら口ずさんでいる曲が「翼の折れたエンジェル」だったことから、

ひょっとしたら彼女には隠していても私の翼が見えているのかもしれないと思った。

 

「いや、折れてねーわ」

「なんのことー?」

 

多分、これは明日奈の考えすぎだったかもしれない。

 

 

 

・・・

 

ある日、議会演説を終えたセトがホルスとすれ違った。

セトがホルスに視線を投げかけるも、ホルスは目線を合わそうとせず横を通り抜けた。

 

「おいおい、無視はよくねぇんじゃねえの?」

 

通り過ぎたホルスを振り返るように見てセトは声をかけた。

 

「貴様に話すことなど何もない」

 

軽く振り返ったホルスは冷たくセトにそう言った。

背中にあるオレンジ色の翼は炎のように燃え上がっているように見えた。

 

「若いなお前、表面上くらい仲良く振る舞ったほうが世間への印象はいいぜ。

 それくらいでなきゃ社会をうまく渡っていくなんてできないよ~」

 

ホルスは無視して立ち去ろうとした。

あの真実の矢の一件以来、ホルスはセトへの対話の窓口は完全に閉ざしてしまった。

 

「おい、久しぶりに会ったんだ、少し話くらいいいだろ~?

 お前だっていつも見てるんだろ、地上に降りたアシュのことを」

 

天界から地上を眺めるのは簡単だ。

特に神様やホルスくらいの役職に就くと地上の情報は自然と集まってくる。

 

「あいつ一体何者なんだ?

 なんで翼を出したり引っ込めたりできんの?

 俺たちでもあんなことできねぇのに」

 

真実の矢が明日奈によって破壊されたことを知ったセトは驚いた。

かつてこの矢から逃れるのことができたのはルシファーだけだったからだ。

ホルスは明日奈の話題だけは答えてやろうとセトのほうを振り返った。

 

「貴様だってあの金色の翼の美しさを見ただろう?

 あんな翼を持っているのは天使の中でも普通の天使じゃない。

 どういう理由かはわからないが、彼女は地上に生まれた天使だよ。

 ひょっとすると、天使と人間のハーフなのかもしれないな。

 いずれにせよ、僕らの想像を超えた存在になるかもしれない。

 彼女がこれから大人になっていくのが楽しみだよ」

 

ホルスはまた振り返って歩き始めた。

これ以上セトに話をすることはないと言うように。

 

「なるほど~面白いな、そりゃますます気に入った!

 よし、あいつをいつかまた俺の秘書にしてやろう。

 あんなの地上に置いておくのはもったいないしよ~」

 

セトはわざとホルスを挑発するような話をするが、

もうそれ以上ホルスがセトを振り返ることはなかった。

現状の神様の権利でそんなことができないのはわかっていたからだ。

たとえセトがアシュを連れ戻そうとしても、

自分たちが議会で反対の声を上げ続ける限り、

セト一人では何もできやしない。

 

「おい、無視すんじゃねーよ。

 まったくつれないやつだなー」

 

セトが何を言おうと、ホルスは黙ってその場を離れていった。

明日奈は地上で、自分は天界で頑張らないといけない。

その間に、セトを必ず神様の座から引きずり降ろす。

 

(・・・本当に僕にそんなことができるのだろうか?)

 

明日奈の前ではあんな風に語ったけれど、

冷静に我が身を振り返ると時々怖くなる。

自分だってただの普通の一人の天使にすぎない。

もし自分に向かって真実の矢が飛んできたならば、

僕は明日奈のように勇敢に立ち向かうことができるだろうか?

 

地上のエジプトという国では、ウジャトの目は全てを見通す知恵の象徴だと信じられている。

だが、一人の天使の目が全てを見通すなんてことができるわけがない。

僕のオレンジ色の翼だって、いつも炎のように燃えているわけでもない。

挫折感を味わって、それこそ地上であの女の子が歌っていたように、

僕だって翼の折れたエンジェルになったことだってある。

「飛ばねぇ豚はただの豚だ」って話は聞いたことがあるけれど、

飛ばないエンジェルは、もう存在意義を問われてしまう。

後戻りのできない覚悟がそこには必要とされる。

 

 

みんな飛べないエンジェルになることはある。

それでも折れた翼をまた羽ばたかせて、恐怖に負けないように一人で空を飛ぼうとしなければならない。

 

幸いなことに、僕らには与えらえた時間がある。

限られているけれど、一緒にいられる時間を精一杯生きてみよう。

 

人間だって天使だって、生まれた時からみんな飛べる資格を持っているはずだ。

誰もがそれぞれの翼を一生懸命に羽ばたかせればいいだけだ。

そうすれば例え失敗しても後悔はしない。

自分で納得できるくらい、充分にやりきることができたなら。

 

ホルスは最後に思い出したようにセトを振り返ってこう言った。

 

「今の僕に触れるとやけどするよ、僕は燃えているからね。

 あえて英語で言うのなら『I’m on fire』だ!」

 

そしてまた振り返って助走をつけるように走り出した。

燃えるように大空へ飛翔した上空のホルスから、

鮮やかな火花のような羽が幾つも地面へと降り注いでいた。

 

 

ー終幕ー

 

 

聖服を脱いでサヨナラを ー自惚れのあとがきー

 

 

政治ではタカ派やハト派という表現方法がある。

鳥類に例えながら、その主張の激しさや穏やかさを表している。

 

ハヤブサというのは、見た目はタカに似ている気がするが、サイズはハトに近いらしい。

丁度あいだくらいの存在であるならば、ホルスの立場はハヤブサ派とも言えるかもしれない。

 

本作の執筆のきっかけとなったのは「神に選ばれし美少女」というフレーズから、

明日奈が天界に行くというアイデアを思いついた事だった。

そして「制服を脱いでサヨナラを」を取り上げながらテーマを探った。

「大人になる」という手前である彼女の年齢を考慮しながら、

そういえば選挙権を与えられる年齢が引き下げられる事を思い出した。

政治に関するテーマで書いた事もなかったので、今回はそれらをミックスさせることにしたのである。

 

だが、実際に書き出してみて悩んだ事の方が多かった。

そもそも明日奈というキャラクターは受動的な性質を持っているのであって、

「転がった~」の真冬や「個々にある~」の万理奈のように主体的ではない。

趣味が読書である彼女は、自分から動くというよりは慎重に眺めてから行動に移る。

だから一人で放っておいても物語は進展しないため、巻き込まれなければいけない。

しかし、そうなると結局は筆者の色がどんどんと色濃くなってしまった。

 

もう一つ悩んだのは、おそらく内容がかなり難しくなってしまったことだ。

今までの娯楽的な作品に比べ、政治や経済、哲学的な内容に触れてしまっているので、

できるだけ台詞調にしてみたが、それでもうまく説明できているかわからない。

筆者は書いている側なので説明などなくても理解できているつもりだが、

読み手にそれが伝わっているのかは何ともわからない。

 

 

この天界や地獄は、いろいろな現実世界の混合物でできている。

それこそ日本やアメリカの政治システムをごちゃ混ぜにしたところもあり、

ただ話のつじつまを合わせるために大雑把に進めているところもある。

もちろん、現実でも政治システムは各国を見れば一つとして同じものはなく、

その国の歴史によって王族がいる場合もあれば特権階級が残っている国もある。

だからこの天界の制度も別にありだといえばありなのだが、

調べながら書いていて筆者は知識不足を痛感していた。

わかっているつもりでもわかっていない疑問が多数噴出してきたのである。

それらを解釈して書いていくのはなかなか難しかった部分も多い。

 

 

登場キャラクターについては、筆者の一部である者もいれば、

実際に筆者が出会った事のある人物をイメージした者もいる。

それについては詳細を語る事は省略しようと思うが、

ホルスやセト等の名前はエジプト神話から拝借したものである。

 

天界のキャラには神様の名前をつけようと思っていたが、

鳥に関係する神様を調べていたところ、偶然にもエジプト神話で「Ash」という神様を見つけた。

しかも偶然にも鳥の頭を持つ神様だったのでそれを採用することにした。

そうすると必然的にエジプト神話からホルスやセトの名前を取ることになった。

ホルスもまたハヤブサをモデルにした神様であり、神話でも実際にセトはライバルである。

 

エジプト神話ではホルスはセトに勝利する際に左目を失う事になっている。

彼の左目のウジャトの目は、その後世界を巡ってまたホルスの元に戻る事になる。

だからウジャトの目は全てを見通す知恵の象徴として考えられているらしい。

 

 

ちなみに、この物語を書く前に意識したのは「ソフィーの世界」だった。

ずいぶん前に読んだ本なので、正直なところ内容はもうかなり忘れているが、

哲学の世界を知る入門書のようなストーリーだったのを記憶していた。

だからこの物語も、政治版ソフィーの世界にすることを狙った。

うまくいったかはわからないが、今調べてみたところ、ソフィーの世界は高校の哲学教師が書いたらしい。

筆者も一応高校教師の資格を持っているから、なるほど共感するはずだなと思った。

(実際に教師ではないけれど)

 

 

余談であるが、この物語の最後の方に登場する木芽香は、

別の構想で主役として登場する物語を考えている。(まだ未完だが)

決してこの脇役だけで終わるわけではないので念のために述べておくことにする。

 

しかし、筆者のような人間が書く物語だから、

決して良いことばかり綺麗に書くわけでもないので、

期待してくださいなどと言うつもりはない。

ただ待っていてくださいというだけである。

 

 

ちなみに、筆者には書きたい物語のアイデアが現時点で少なくともあと10本は溜まっている。

ただし身体は一つしかないので執筆が全然追いつかなくて悔しい思いをしている。

また、主人公として取り上げられたからとか、取り上げられないからとか、

そういうことで何か差別をしているわけでもないので念のために言っておく。

 

ただ、書いている者だからわかってくる事実もあるのでそれだけ述べておきたい。

 

登場キャラクターとして描きやすい人物というのは間違いなくある。

それは例を挙げれば菊田絵理菜と春元真冬と勝村さゆみである。

この三人は筆者的に書きやすくて楽をさせてもらえる優秀なキャラであるのは間違いない。

 

共通点はキャラが恐ろしいほどに確立しているところと、

また恐ろしいほどに主体的に前に出る性格をしていることである。

しかも書いていて勝手に面白くなってくれる不思議なキャラクターだ。

要するに、そこに登場させるだけで勝手に動き出して活躍してくれるのだ。

不思議なことだが、書き手として書いているという感覚があまりない。

それはキャラが確立しているから、勝手に動き出すという感覚に近い。

彼女たちが持っているネタも豊富なので引き出しに困ることはないし、

また彼女たちは放っておいたら、おそらくまだこれからも勝手にネタを量産すると思う。

 

こういう視点で見ることができてわかってきたことは、

おそらくTV番組を作成しているディレクターなどもきっと同じことを考えているということ。

使いやすいと思われるキャラになれば、もちろん活躍させてもらえるチャンスが増えるだろう。

活躍させてもらえれば、また色々とネタを増やしていくという好循環にはまっていく。

 

 

もちろん、みんながみんなこういうキャラになったら大変だ。

だから別にこんな風になれば良いというわけでもないけれど、

彼女たちが持っているセンスを学ぶことはできるのではないと思う。

こんな風に出過ぎるくらい出て、やっとキャラクターが確立していくと考えれば、

何とも芸能界というのは過酷なものだと思わざるを得ないが、

これくらい強いキャラを持っていれば、筆者にも強いインスピレーションをくれるのは間違いない。

 

 

ちなみに、今回は政治というテーマで書いてはみたが、

個人的にはTVに出る人間はあまり政治を語らない方が良いと思う。

個別の思想などを主張し始めると、必ず反対派のバッシングを受けるだけだからだ。

一人の人間としては大切なことだが、そこはあまり色を出さない方が良いと筆者は思っている。

 

 

また、ホルスの最後の台詞で英語を使っているが、

決してきな子をディスっているわけではないので念のため。

ホルスにああいう話をさせることで、筆者も燃えていると言いたかったのだろう。

そんな風に燃えながらこれからも書いていけたら嬉しいものである。

 

 

明日奈については物語の中でたくさん触れたのであえてここではあまり書かないことにする。

思い入れも多いので逆に書きにくい部分も多々あるとも言える。

今後も大人になる過程を経て、金色の翼で羽ばたいてくれるのを祈るばかりである。

 

 

~終わり~