そんなアホな

それはもう、彼女の習慣だった。

 

気づいたら体がウズウズしてくる。

いても立ってもいられない、気になって仕方なくなる、心の奥底でボールが跳ねる。

リバウンドした反動で、彼女は我慢できずにドアを開けて颯爽と外に飛び出した。

目的地はそんなに遠くない、それはいつも彼女の目と鼻の先にあるのだ。

 

あっという間に目的地にたどり着いた彼女は、

気づかれないようにそっと窓ガラスに忍び寄って中を覗く。

今日は平日だというのに、建物の中の賑わいはすごかった。

店内の空気は、まるでライブ会場みたいに火照っている、彼女はそんな風に思った。

 

少し緊張しているのだろうか、見つめていると自然と瞬きの回数が多くなった。

店内の照明の輝きが眩しい、まるで全て計算尽くされたかのように、

天井のライトは店内を鮮やかに照らし出していた。

店内には一部の隙も見当たらないように彼女には思えた。

だが、そうであるからだろうか、意図的かどうかはわからなかったが、

そこで忙しく動き回っている人が、その完璧さをわざと崩していたのに彼女は気づいた。

彼女が見つめる目と鼻の先には、鼻の先に白いクリームをつけた女性が笑顔を振りまいていた。

 

「あれ~、おっかしいな~、いつついたんだろ~♡」

 

首を傾げながら春元真冬は照れ笑いを浮かべていた。

彼女の向かいに立ってそれを見ていた男性のお客さんの喉の奥に落ちていく釣り針が、

森未代奈には確かに見えたような気がしていた。

 

 

・・・

 

 

森美代奈はパティスリー・ズキュンヌの店の前に来ていた。

このお店は未代奈がアルバイトをしているカフェ・バレッタの向かいにあることはあまりにも有名だ。

児玉坂でも1、2位の人気を争うお店として、バレッタとズキュンヌは公式ライバルのような関係だったのだ。

 

この二つのお店のうち、最初にできたのはカフェ・バレッタの方だった。

この街の中心地にあり、ずっと昔から古い喫茶店「tender days」として営業をしていたバレッタは、

未代奈がアルバイトとして働くようになってから、その名前をバレッタに変えて営業を続けていた。

彼女はアルバイトでありながら、実質の経営者と言える立場だったのである。

 

一方、パティスリー・ズキュンヌはバレッタの後から店をオープンさせたものの、

実際のところ、店長である春元真冬はずっと前からこの児玉坂の街に住んでいた。

お店の開店準備のために、一時期この街を離れていたことがあり、

そのせいでお店のオープン時期は計画よりわずかに遅れてしまった。

この街に住むものにとって、ズキュンヌはバレッタに対抗して向かいにできたお店だという印象が強い。

 

店長の真冬は色々な経営努力を続ける中で、店頭に制服のマネキンを置いてみたりもした。

だが、実はバレッタも同じような制服のマネキンを店内に置いていたこともあり、

これは真似されたとクレームをつけたのが森未代奈だった。

やがて、真冬は店頭のマネキンを自分そっくりの「まふったん」というキャラクターに変え、

服装も色々と着せ替えるということで、その抗争から離脱することに成功した。

そして、経営的にも、そのアイデアは世間に受けて、このお店はさらに繁盛することになった。

 

この二つのお店にはそういった経緯がある。

だが、未代奈としてはズキュンヌの成功は面白くなかった。

ズキュンヌは洋菓子店だったが、やがて喫茶スペースも設け始め、

そうなると俄然、これはバレッタの競合店となり、お客の取り合いに発展した。

 

これは面白くないと思った未代奈は、ハロウィン商戦に乗じてズキュンヌに顔を出した。

彼女は自らの顔にゾンビペイントを施して、その顔で店長の春元真冬を奇襲した。

店先で泣いているのを発見されたふりをして真冬を驚かしたのだ。

予想通り、真冬はいいリアクションをして腰が抜けたように飛んで行った。

未代奈はその反応に満足して、お礼に今度焼肉を奢ってくださいと意味不明なオファーをした。

彼女はとにかく思惑が成功して嬉しかったのだろう。

彼女のゾンビメイクが話題となり、ハロウィン商戦ではバレッタのお店もかなり繁盛したのであった。

 

 

それからというもの、未代奈はかなり頻繁にズキュンヌの偵察に来るようになった。

堂々とした彼女の性格もあって、コソコソと隠れてくるような真似はせず、

入り口から入って来て、普通に真冬に挨拶をして、景気はいいかと尋ねていくのである。

真冬も明らかに偵察されているのはわかっていたが、懐の広い彼女のことなので、

お店の戦略上、言えないこと以外は、普通に未代奈と交流するようになっていった。

 

むしろ、そうして心惹かれて行ったのは未代奈だった。

初めは偵察目的で顔を出していたのだが、今では単純に楽しさを求めて遊びにくるようになっていた。

真冬が忙しくて相手にしてくれない日は、未代奈の方が残念に思って帰ることもあった。

彼女自身は認めないだろうが、未代奈はすっかり真冬に釣られてしまっていたのかもしれない。

 

 

・・・

 

「ありがとうございました~、また来てくださいね~♡」

 

にこやかに店先でケーキの袋を手渡した真冬は、

嬉しそうに帰っていくお客さんに対して両手を振っていた。

こんなことはバレッタではやっていないサービスだ。

未代奈はこういうサービスを真似しようとは思わなかったが、

お客さんのハートを掴んでいたことは間違いなく、

その点については心の底では密かに真冬を尊敬していた。

 

「あれ、未代奈、来てたの?

 そんなとこ突っ立ってないで、お店の中入って!」

 

窓ガラス越しに店内を眺めていた未代奈に気づき、

真冬は未代奈を店内に招待した。

招かれるままに中へ入ると、椅子に腰掛けて待つよう促された。

 

「ちょっとだけ待っててね~!」

 

真冬はどうしても手が離せなかったのか、

そう言い残して店の奥へと消えて行った。

ズキュンヌは真冬の経営努力もあって、毎日がとても多忙だった。

 

未代奈が椅子に座ってしばらく待っていると、

トレーにお水を乗せて持って来てくれた女の子がいた。

その女の子が無言のまま、歯を小動物のようにむき出しにして変顔をすると、

未代奈も同じように歯をむき出しにして変顔を返した。

そして、二人して見つめあったまま、ケラケラと笑い始めた。

女の子の胸のところにつけられた名札には「綿投びり愛」という名前が書かれていた。

 

 

未代奈が偵察を続けてきてわかったこの店の最近の大きな変化は、

真冬がアルバイトを雇い始めたことだった。

お店のサービスを拡張させていくに連れて、ズキュンヌは人手が足りなくなった。

また、真冬は過去にお店の紹介でTVに出演したことがあり、

それ以来、彼女は児玉坂の洋菓子店の名物店長となり、

様々なTV番組に引っ張りだこになっていった。

そういった事情もあって、このお店では今では三人の女の子達がアルバイトとして働いていた。

 

お店の奥で何やら作業をしている女の子は「鈴見絢芽」という名前だった。

割と人見知りな性格で、慣れないお客さんに対しては余計なことは喋らないが、

真面目そうに黙々と何かを作っている様子だった。

未代奈がスタッフと仲良くなりながら調査をしたところ、

この店では担当制を採っているらしく、彼女が作っているのはおそらくプリンだった。

 

「氷、追加しときまーす」

 

「えっ、まだ残っとるよ」

 

「まあ、そういう制度なんで」

 

未代奈が少し飲んだだけのお水に、びり愛は勝手に氷を追加していった。

そのせいでガラスコップは水よりも氷でほとんどが占められていたが、

これは彼女が氷担当だと店長の真冬から決められたからだった。

彼女は絢芽とは違い、黙々と仕事をやるタイプではなかったようで、

年齢はスタッフの中でも一番若かったが、どこか年不相応の冷めた落ち着きが見られた。

見た目は子供、中身は大人、つまり女子版の名探偵コナンのようである。

なんとなく彼女は、実は年とったおばさんが若い子の着ぐるみをまとっているのではないかと、

そんな風に思わせる雰囲気が感じられる時もある。

 

未代奈はグラスのお水を口につけながら壁にかかっていたテレビを見上げた。

喫茶スペースを設けたズキュンヌは、お客さんに快適に過ごしてもらうために、

バレッタでも置いていないテレビを備え付けることに決めたらしい。

もちろん、大抵は店長の真冬が出演している番組を流していることが多く、

それを従業員に褒め称えさせるのが、この店の決まりらしかった。

 

この日、テレビにはインタビューを受けている綺麗な女性が映り込んでいた。

未代奈が見ていたところ、どうやらそれは児玉坂出身の女性タレントであり、

通称めいやんで通っている白岸芽衣が多くの報道陣に囲まれている様子だった。

昔、店長の春元真冬と一緒にテレビ番組に出たことがあり、

それをきっかけにして双方ともにさらに人気が出ていったのだ。

それほどベタベタする間柄ではないが、真冬は芽衣のことが好きだったので、

そのインタビューが流れるのを知っていてチャンネルを合わせていたのかもしれなかった。

 

「白岸さん、写真集発売おめでとうございます」

 

「ありがとうございます」

 

テレビの中の芽衣は深々と丁寧にお辞儀をした。

 

「今回の写真集のタイトルは『ビザ』ということですが、

 これにはどういう意味が込められているんでしょうか?」

 

インタビュアーからの質問を受けて、芽衣は少し考えるようにして答えていく。

彼女の周りからフラッシュが起こり、カメラマンが写真を何枚も撮影していく。

 

「そうですね、ビザって海外を旅行するときに申請するものだと思うんですけど、

 今後の私のお仕事も、いろんなところにつながっていけるように、

 どこへでもいけるようにという意味が込められているんだと思います」

 

「ありがとうございます。

 この写真集はもう随分前から予約が殺到していたということですが、

 みんな白岸さんのメイクとかファッションとかを真似したくて、

 これ買って真似する人が増えるんじゃないかと思うんですけど、いかがですか?」

 

芽衣はにこやかに笑みを浮かべながら答えを返す。

 

「そうですね、真似してもらえることはすごいありがたいんですけども、

 なんだかちょっとだけ嫌な予感がするんですよね・・・」

 

「嫌な予感?」

 

インタビュアーが首を傾げながらそんなことを言っていたとき、

店の奥の扉が開いて、真冬が慌てた様子で飛び出してきた。

 

「あっ、もう始まっちゃってた~!」

 

両手で胸元に芽衣の写真集を大事そうに抱えながら、

真冬は未代奈の座っている椅子の隣に腰を下ろした。

何も言わなくとも未代奈がテレビを見ている様子を確認し、

真冬も黙って同じようにテレビの方を見つめていた。

 

「これね、昨日お仕事終わってから本屋さんで買ってきたの。

 めいやん、めっちゃ可愛いの、見てもいいよ」

 

そう言って真冬は両手で抱えていた写真集を未代奈に渡した。

未代奈はペラペラと本をめくって見たが、とてもセクシーで綺麗な写真ばかりで、

自分にはとても真似できないなーと感心しながら眺めていた。

 

「あれっ、なんで未代奈のグラス、こんなに氷入ってんの?」

 

先ほど氷を追加されたグラスに気づいた真冬は驚いてそう言った。

「びり愛が」と事の成り行きを未代奈が真冬に告げると、

「ごめんね」と言いながらグラスを手に持って真冬は新しいのと交換しに行った。

 

「ちょっと、びり愛、これ入れすぎでしょ」

 

ウォーターサーバーの近くにいたびり愛を見つけた真冬はそう注意したのだが。

 

「えー、だって真冬さんが氷担当だって言ったんじゃないですかー。

 だからお客さんのグラスに注いで回ってるんですよー」

 

「それはそうだけど、ちゃんとお水も入れてあげなきゃ」

 

ふぅーとため息を注いたびり愛は、真冬の手からグラスを受け取り、

入れすぎた氷を捨てて、新しく適量の氷と水を入れ直した。

 

「今度からちゃんとわかりやすく言ってくださいね」

 

氷と水を入れ直したグラスを真冬に渡した後、

びり愛は元の作業に戻っていった。

入れ直した水を未代奈の元へ持っていく気はないらしい。

 

 

「いちごのショートケーキがお二つですね~。

 ご一緒に写真集はいかがですか~?」

 

真冬とびり愛の様子を眺めていた未代奈の耳に、

ケーキが入っているレジ横のガラスケースを挟んで、

お客さんに向かってそう言っている女の子の声が聞こえてきた。

未代奈はその女の子が言っている内容が一瞬よくわからなかったが、

レジ横に立てられている写真集を手で示しているのを見て、

どうやらそれが言い間違いなどではないことを確信した。

その写真集の帯には「春元真冬1st写真集」と書かれていて、

表紙には肩出し衣装で写っている真冬の姿があった。

どうやらタイトルは「真冬の気圧配置」というらしく、

自社出版をしてケーキと一緒に売り込んでいるようだった。

 

名札に「田柄美織」と書かれていた女の子は、

「真冬さん、めっちゃ可愛いんですよ~♡」と言いながら、

どうやら熱心に写真集の売り込みを続けているようだった。

未代奈はケーキ屋で写真集を一緒に売り込むという前代未聞の戦略に、

一体お客さんはどう思っているのだろうと思い、男性客の顔を覗き込んでみると、

苦笑いを浮かべながらどうやって断ろうかと考えているようだった。

 

そんなことを言っているうちに、真冬はびり愛が入れ直したグラスを持って、

未代奈の座っているテーブルに置くと、悩んでいるお客さんの元へと走りよった。

 

「そうなんですよ、うちのお店でもついに写真集を出すことになって・・・あっ」

 

嬉しそうにお客さんに駆け寄ろうとした真冬は、走った時に足がもつれて転んでしまった。

それを見たお客さんは慌てた様子で真冬の体を起こしに行った。

 

「ちょっと、大丈夫?」

 

「・・・ごめんなさい、ちょっと足がもつれちゃって」

 

派手に転びながらも立ち上がる真冬の姿は、とても健気なものにお客さんの目には写った。

ここの店長は一生懸命だから、というのが児玉坂の街のもっぱらの評判だったのだ。

 

「えっ、買ってくれるんですか、嬉しい~♡」

 

真冬が転んだことで話もどう転んだのか、

同情を取り付けたのか、お客さんはケーキと一緒に写真集の購入を決めてしまった。

こうして、ズキュンヌはケーキよりも高い商品を強引にもセット販売していくのであった。

 

「また来てくださいね、待ってますから♡」

 

そう言って真冬は買ってくれた男性客の腕を人差し指でツンツンと突いた。

男性客はまんざらでもないニヤけた顔になって、出口から出て行った。

 

あまりにも巧みなセット販売術に、未代奈は驚きと尊敬を隠せないようだった。

手を振ってお客さんを見送った真冬がまたお店に戻ってくると、

店の奥の方から冷たい目をして見つめている絢芽の姿が見えた。

彼女はおそらくこうした店長の販売方法にまだ馴染めていなかった、

というよりも多少軽蔑と尊敬の入り混じった複雑な気持ちで見つめていたのだろう。

真冬は自分と同じような接客方法を彼女たちに薦めているが、

純粋に取り組んでくれているのは美織くらいのもので、

絢芽は嫌そうな顔をして決して実践してはくれなかったし、

険しい顔で真冬の方へ歩いてきたびり愛に関しては・・・。

 

「1回ふざけて転んでしまうと、ホントに転んだ時にネタにしか思われなくなってしまうんです!」

 

他にまだお客さんが店内に残っているにもかかわらず、

真冬はこうして彼女に公開説教されてしまうことも少なくないのだった。

 

 

・・・

 

 

「ごめんね、待たせちゃって」

 

びり愛の公開説教からやっと免れた真冬は未代奈の席まで戻ってきた。

テレビでは写真集について「誰かに真似されるような嫌な予感がするんです」と述べている、

複雑そうに眉をピクピクさせている芽衣の姿がまだ映っていた。

 

「さすが真冬さん、甘々な販売方法してますね」

 

未代奈は多少の尊敬と、大半の皮肉を込めてそう言い放った。

最近、どうもお店の売り上げが良いと思ったら、

ケーキ以外に写真集を売りつけていたのだ。

 

「何それ、嫌味?」

 

「いや、違いますよ、尊敬してるんです」

 

「絶対嘘だよ」

 

二人がそんな話をしていると、店の奥から絢芽がトレーにプリンを乗せて運んできた。

 

「えっ、いいの?」

 

「私、プリン担当なんで」

 

絢芽はそれだけ告げると、また店の奥へと引っ込んで行った。

引き続き、プリンの製造に励むのかもしれない。

 

「いただいちゃっていいんですか、真冬さん?」

 

「いいよ、今他にお客さんいないから特別サービスで」

 

「えっ、やったー」

 

未代奈は目を細めながら美味しそうにプリンを食べていく。

真冬は未代奈が向かいにあるライバル店のアルバイトであることを知りながらも、

こうしてもてなすことで相手を知らないうちに虜にしてしまうのだ。

真冬のトークを聞いているとわかるが、その場にいる人達を的確に褒め、

決してないがしろにすることはない、それが彼女の素晴らしい長所である。

 

「実はこんなこともあろうかとですね」

 

プリンを口に入れた後、スプーンを置いた未代奈は、

何やらカバンの中に手を入れてごそごそとし始めた。

しばらくして取り出したのは、包装されたマカロンの詰め合わせだった。

 

「実は、バレッタでも新しい商品を出したいなと思いまして、

 今日はそれを真冬さんに試食してもらおうと思って来たんです」

 

未代奈はそう言いながらテーブルに置いたマカロンの包装を解いていき、

箱を開けてマカロンがいつでも取り出せる状態にした。

 

「えっ、嘘!?

 でもなんか怪しい気がする」

 

マカロンに目がない真冬は、心から嬉しい半面、

未代奈が持って来たものだということが引っかかっていた。

ハロウィンの時にゾンビメイクで騙されたことはまだ忘れていなかった。

 

「疑うなんて失礼ですよ真冬さん、ただのプリンのお返しですから」

 

そう言いながら、未代奈はどこか何やら嬉しそうにニヤニヤしていた。

真冬は何か話がうますぎて奇妙に思い、箱の中からマカロンを取り出し、

それを鼻に近づけて匂いを嗅いでみることにした。

 

「えっ、なんかこれ、絶対変なもの入ってるでしょ!?」

 

「もう~、そんな言い方はやめてくださいよ、うちのお店の信用に関わりますから」

 

「だって、明らかになんか変な匂いがするし」

 

「・・・真冬さん」

 

未代奈はそう言った後、しばらくの間を置いて。

 

「読者サービスの為ですよ、早く空気を読んでください」

 

そう言って未代奈は右手で口を抑えて笑いを堪えていた。

口元は見えていないが、目元は完全に笑っていた。

 

「いや、おかしいでしょ!?」

 

真冬は必死に抵抗を見せたのだが。

 

「読者の皆さんが真冬さんに何を求めているか、

 聡明な真冬さんならもう分かってることじゃないですか」

 

「分かってるけど、そんな言い方されると絶対食べたくないでしょ!」

 

真冬がそうした抵抗を見せた後、

しばらくの間、未代奈は黙って真冬の顔を見つめていた。

見つめること5秒から10秒。

 

「・・・えっ、本当にこのまま食べないんですか?」

 

「・・・本当にこのまま食べません!」

 

未代奈は信じられないという表情で真冬にそう尋ねたが、

真冬は少し怒った表情でそっぽを向いてしまった。

しばらくしても、真冬はマカロンを食べてくれそうな気配は見せなかった。

 

「しゃーねーな」

 

未代奈はそう言って、諦めてマカロンをテーブルの隅に寄せた。

年上に向けての口調としては、異例の無礼さだったのだが、

これが未代奈の魅力であるから、まあ仕方ないところもある。

 

「せっかく真冬さんが喜んでくれると思って作ったのに」

 

「またそんな事言って、どうせ言うことの大半は嘘なんだから」

 

「ちょっと、やめてくださいよそんな。

 口からでまかせの真冬さんに言われるんなんて」

 

「お互い様でしょ」

 

「じゃあ、『でまかせ』っていうコンビで」

 

「何、どういうこと?」

 

また未代奈はカバンに手を入れて何かを探し出した。

取り出して来たのは、一枚の紙にカラー印刷されたチラシで、

Kー1グランプリ 開催決定」と大きな文字で書かれていた。

 

Kー1って何これ、格闘技の大会?」

 

真冬が連想したのは、空手やキックボクシングなどの格闘技で戦う大会だった。

むしろ、ほとんどの人が「Kー1」と聞けばそれを思い出すに違いなかった。

Kー1」の「K」は空手のKであり、キックボクシングのKであり、キングのKでもある。

 

真夏がよくチラシを見てみると、そこには「児玉坂漫才大会」と書かれているのが分かった。

Kー1」の「K」は児玉坂のKだったのである。

 

「何これ、Mー1グランプリみたいなもの?」

 

「そうなんです、なんか町興しのイベントとして行うらしくて、

 どうやら今、参加者を募ってるらしいんですよ」

 

「何、これに一緒に出ようってこと?」

 

「マルチに活躍していらっしゃる真冬さんなら出たいだろうなーと思って」

 

「いや、私は別に忙しいから」

 

真冬がそう言うと、未代奈は無言でプク顔をした。

未代奈は好奇心を抑えきれず、どうしても出たいのだが、

素直に下手に出るような性格ではなかったのだ。

 

「もう!本当は出たいんでしょ?」

 

「もういいです」と言いながら未代奈は悲しそうな顔を見せた。

 

「いいよ、じゃあやってみよーよ」

 

真冬がそう言うと、未代奈は悲しそうな顔から、

瞬時に笑みを浮かべたいたずらな顔に戻った。

 

「しゃーねーな」

 

そう言って未代奈は真冬の肩に一瞬だけ頭を載せた。

真冬への屈折した未代奈の愛情は、時にこんな風に展開されるのである。

 

 

・・・

 

 

「どーもどーもどーもどーも!!」

 

二人は手を叩きながら登場する真似をして見せた。

ライバル店の経営者同士なのに、こういうところは不思議と息が合う。

 

「こんにちは」

 

「よっ!」

 

「私たち、『でまかせ』でーす!」

 

「こんちゃーこんちゃー!」

 

二人は即興でコントをやろうと思ったのである。

考えるよりも、まずやってみる好奇心の旺盛な二人らしい。

 

「いやー私たち、こう見えて二人ともお店の経営をしてるんですよね」

 

「そうなんですよね、まあ私の方が先に始めて、真冬さんは私の真似しただけですけどね」

 

「なんでや!そんなんしとらんわ!」

 

「えーっ、どちらの方言を使うんですか」

 

真冬が奇妙な関西弁でツッコミをしたので、

未代奈はおかしくなって笑ってしまったのだった。

 

「おじさんですか?」

 

「そう、おじさんで行こう」

 

未代奈はとにかく笑いをこらえて先に進めることにした。

 

「いやもう完全に真似したじゃないですか。

 まずほら、肩を出した衣装を着ていらっしゃるところとか」

 

「なんでや!それは私の方が先に始めたんですから」

 

「まあ仮に100歩譲ってそれを見逃してあげたとしても、

 お店の前に置いた制服を着たマネキンとかも真似してますし」

 

「あれはさぁ、ぶっちゃけバレッタより先に制服のマネキンの方がリリース早いからね。

 それでいくと、真似したのは明らかに未代奈の方だよね?」

 

「どうしても真似してるって認めないつもりですか?」

 

「だって何も真似してないもん」

 

「みなさんこんなこと言ってますけどね、

 真冬さん、明らかに私の真似してるところありますから」

 

「何それ、そんなに自信持って言えるなら言ってみてよ」

 

「だってほら、真冬さん私の真似して呼吸をしていらっしゃるし・・・」

 

「もうええわ!

 息してなかったら死んじゃうじゃんか!

 って言うか、私の方が先に生まれてるんだから、真似してるのは明らかに未代奈でしょ?」

 

「あー、ちょっと何言ってるかわかんないですー」

 

「えっ!?」

 

「じゃあ、一発芸お願いしまーす!」

 

未代奈は完全に流れを勝手に断ち切りながら、満面の笑みでそう言った。

漫才としてはめちゃくちゃであるが、ある意味で素晴らしい漫才になっていた。

 

 

 

・・・

 

そんな感じで二人のアドリブ漫才は続いていったのだが、

それを近くで見ていたびり愛は「結構いいんじゃないですかね」と言ってくれたし、

黙々とプリンを作っていたはずの絢芽も「悪くはないと思いますよ」と感想をくれた。

 

二人は即興でこれだけいけるのだから、2ヶ月後の大会には十分間に合うと自信を深めた。

こうして児玉坂一の漫才コンビを決める大会へ向けて練習を始めることになったのだった。

 

「じゃあ真冬さん、お笑いを目指すと決めた以上、

 読者サービスもちゃんとしといてくださいね」

 

未代奈はそう言ってズキュンヌを出ていくときに、

テーブルの上に残してきたマカロンを指差しながらそう言った。

 

「なんでや!それとこれとは関係ないわ!」

 

「真冬さん、キャラはちゃんと定めておいてくださいね。

 関西弁なのか関西弁じゃないのか、よくわかんないですし」

 

未代奈はそんなことを言って満足げにバレッタへ帰って行った。

真冬は未代奈が残していったマカロンが置かれたテーブルに座った。

 

「だいたい、小説って姿が見えないのにリアクションとか取れないじゃん。

 漫才って言っても、体の動きとか表情とかもわからないのに、

 面白さちゃんと伝わるのかな、作者はなんでこんな無茶なもの書き始めたんだろ」

 

確かに作者に不安がないと言えば嘘になるだろう。

だが、一つの挑戦として書き始めることを決めてしまった以上、

それにご協力願いたい、さあ、御託を並べてないで、真冬さん早くマカロン食べて。

 

「えー、絶対なんか入ってるよ~・・・」

 

真冬は嫌そうな表情を浮かべながら手に持ったマカロンを眺めていたが。

 

「えー、じゃあ私食べます」

 

そう言って手を上げて近くにやってきたのはびり愛だった。

普段からあんなに冷めてるあの子がこんなに身を乗り出してくるなんて。

 

「いやいや、私が食べますよ」

 

そんな風に積極的に手を上げてきたのは絢芽だった。

どう考えてもこんなマカロンに興味があるはずはないように思えるが。

 

「えっ、いや私が食べるけど」

 

真冬がそう言ったが最後、二人は「どーぞどーぞ」と言ってしまった。

はめられたことに気づいた真冬だったが、もうどうしようもなかった。

 

「もうー、何この茶番!?

 えー、じゃあもう食べますよ。

 どーせ私が食べないと誰も食べないんだから自分の役割はわかってますけどー」

 

ブツブツ言いながら真冬はマカロンを一個ずつ手に取りながら匂いを嗅いでいく。

これマシだなと思えるやつを選び出し、どうやら覚悟を決めたようだった。

 

「えー、怖い。

 じゃあ、食べますね」

 

そう言って真冬は恐る恐るマカロンを一口齧った。

中から溢れるハバネロの辛さが瞬時に真冬の舌の感覚を奪った。

 

「あー、ちょっとこれ辛い!!

 何この赤いの、よく見たらマカロンからはみ出てたし!!

 舌が痺れて、ちょっとお水ください、もうやばいこれ、本当に辛い!!

 私もう今、辛すぎて椅子から滑り落ちて尻餅ついてます。

 辛いから舌を出してヒーヒー言ってるんですけど、

 やっぱりこれ文字だけで伝えるって難しくないですか、

 ねえ、これちゃんと伝わってます?

 私、本当に辛いんですけど」

 

どうやら、やはり文字だけでこの手の笑いを届けることは無理だったようだ。

彼女がいくら状況を口で説明してくれても、それは笑いとして伝わることはない。

この実験結果からわかることは、以後この手の笑いは書かないようにしようということである。

それを身をもって教えてくれた真冬さんに盛大な拍手を。

 

「ちょっと、作者マジふざけんな!」

 

真冬は激怒したが、よく見ると店の外で未代奈が爆笑していた。

バレッタに帰るふりをしたのは嘘だったのだろう。

 

 

・・・

 

 

 

こうして未代奈は時々ズキュンヌを偵察しにいくのであったが、

この一部始終を一緒に見てきた読者諸君らも幾つかわかったことがあったのではなかろうか。

人手不足の中でアルバイトを採用したズキュンヌであったが、

未代奈が偵察する限り、まだそれほど組織がうまく機能しているとは言い切れなかった。

真冬の忙しさを解消するために採用された三人のアルバイト達であったが、

真冬の思惑とは外れて、甘々な接客を実行してくれる者は誰もいなかった。

お店のルールとして、店長を尊敬する事は決まり事であったのだが、

守られているのか破られているのか、そのボーダーはよくわからなかった。

少なくとも、まだ機能的に動ける段階までは組織は成熟していない。

偵察を終えた未代奈はそんな風な感想をもっていた。

 

 

さて、ところで、今まで描いた物語の中でも、ここまで主役を疎外してスタートしたものはなかった。

おそらく、主役となる彼女も、まさかここまでの流れで自分が主役とは、思ってもいまい。

だがまあ、物語の流れを見れば、おおよその見当がついている者もいるだろう。

それでは、ふざけたオープニングはこれくらいにして、本編の物語を先に進めるとしようか。

 

 

田柄美織は途方に暮れていた。

 

その日の仕事を終えたが、帰宅する足取りは重たかった。

シフトは夕方までだったので、西の空にはまだ美しい夕焼けが見えていたのだが、

彼女の視界には、そんな景色は微塵も入っては来なかった。

 

美織は売れない漫才師だった。

だが、今となっては相方もいない。

一人で何かできる事はないかと思い、

暇な時間でジャグリングを極めてしまったほどだ。

時々、ズキュンヌでもジャグリングを披露する事はあるが、

ただの特技であり、自分がお笑いを目指している事を公にする事はなかった。

 

もちろん漫才だけでは食べていくことができないので、

美織は生活のためにズキュンヌのアルバイトを見つけた。

運よく、とても尊敬できる店長のお店で仕事を見つけることができ、

彼女は素直で純粋だったので、真冬店長からアメ担当に任命された。

ふわふわした甘~い接客を体現して欲しかったのだと思われる。

 

そんな彼女であるから、もちろん真冬と未代奈の話を聞いていないはずがなかった。

二人は美織も持っているKー1のチラシを取り出して大会に参加しようと話をしていた。

しかも、即興で漫才を目の前で披露され、それなりに面白くできていた気もする。

真剣に練習を始めたら、本当にいいところまで行くかもしれないと思った。

 

美織が漫才を志したのは高校生の頃だった。

ある漫才番組がきっかけで興味を持つようになり、

それから若手芸人が出演する劇場に通うようになった。

通いながら数多くの漫才を見ているうちに詳しくなっていき、

グッズをたくさん集めたり、ネット上でも漫才やコントを数多く見るようになった。

 

やがて、自分もやってみたくなった。

お笑い養成所に通おうと思い、チャレンジしてみた。

もちろん、お金を払えば誰でも入学できるはずなのだが、

適当にネタ見せをした時点で、入学は考え直した方が良いと言われた。

彼女はもちろんショックを受けたのであったが、それで諦めるような性格でもなかった。

彼女はもう一度お願いし、二度目のチャレンジをして、それでようやく入学を認めてもらえたのだった。

 

養成所ではお笑いを学びながら、コンビを組んだ相方もいた。

そうして、少しずつお笑いの技術を磨いて行くはずだったのであるが、

とある諸事情からコンビは解散せざるを得なくなってしまった。

突然の解散に戸惑った美織であったが、そうなってしまったものは仕方がなく、

事務所に所属しながらも、また相方を探すことから始めなくてはならなかった。

 

そんな状況であった彼女が、先ほど数分の間にコンビを結成して、

養成所にも通っていないのに、適当にそこそこ面白い漫才を見させられた。

無論、あの二人は何も知らないのであるから何も悪気はない。

しかし、美織は仕事をしながらも浮かない顔になってしまい、

他のアルバイトの二人が見事な連携ボケを繰り出したにもかかわらず、

参加するタイミングまで逃してしまったのである。

彼女がこの帰り道、背中が寂しかったのは言うまでもなかった。

 

「もう!なんで!?」

 

美織が店の裏から自転車に乗って、最初の交差点に差し掛かったところで、

どういうわけか、タイヤの空気が徐々になくなって行くのがわかった。

あれほど弾力があったはずが、徐々に地面の抵抗力が増していき、

ペダルを漕いでも漕いでも進まなくなっていった。

美織は自転車を降りてタイヤを確認してみたが、

触ってみたタイヤはぶよぶよで、間違いなくどこかから空気が漏れていた。

 

美織がそうして交差点の中央分離帯のところで自転車をチェックしていると、

いつのまにか青信号は点滅し始めたようで、

横断歩道を渡っていた人たちは次々と走り出した。

一人が走り出すと、また釣られて他の誰かも走り出す。

美織はあっという間に大勢の人に抜き去られて一人になってしまった。

取り残された分離帯の左右を、次々と荒っぽい車やバイクが走り抜けて行く。

タイヤはもうほとんど空気が残っておらず、このまま乗り続けると、

今度は車輪の方まで傷んでしまう可能性があった。

美織は近くを駆け抜けて行く車の音にもイライラさせられる始末で、

やがて自転車を隅に投げ出して座り込んでしまった。

言葉にできない圧縮された何かがお腹の中に溜まって行くのがわかった。

呼吸のスピードが速くなっていき、なんだか少し頭も痛い気がした。

 

(・・・自転車壊れちゃったし、もうどうすればいいんだろ・・・)

 

両手で思わず顔を覆ってしまった。

なんだかわからないけど、鼻水も出てきそうな気がする。

体の中の、色々と塞きとめる機能が緩んでいるのかもしれない。

美織はうっすらと、これがやるせないと言う感情なのかと思った。

 

交差点の信号がまた青に変わった。

だが、美織はもう立ち上がる気力が出なくて、

目の前を通り過ぎて行く人々をただ見送るしかなかった。

こんなにたくさんの人がいるのに、他人のことは他人のこと。

誰も干渉するでもなく、もちろん自分も関わって欲しいとは思わないが、

まるで視界にも入らないように器用にすり抜けて行く人たち。

無感覚で生きる術をいつのまにか体得し、

彼らはそれを器用さと呼び、不器用な誰かを無言で批難しながら生きていく。

こんなにたくさんの人たちが行き交っているのに、

どうして人はこんなにも孤独なのだろうと美織はなんとなく思った。

人が集まる都会ほど、孤独になる人が増える矛盾って一体なんなんだろう。

 

信号機の青はまた点滅を始めた。

時間に急かされるようにして、また誰かが走り出す。

それを見た誰かが、意味もわからずにその誰かに急かされて走り出す。

どうしてこんなに追い詰められなきゃいけないんだろう。

生きている時間は自分のものであるはずなのに、

どうしていつのまにかみんな時間に自分を操られるようになってるんだろう。

最終的には、何に追い詰められているのか、その理由もわからないのに、

今の自分みたいに焦燥感だけが募って、どうしたらいいかわからなくなる。

 

美織は発狂したくなった。

彼女はどうしようもない時、本当に大きな声を出して発狂する。

家でこれをすると両親に怒られてしまうのだが、

何かやり場のないものを腹に抱えていることの方が実は問題である。

物質ではない、目に見えない何かを、大量に体に取り込んでしまったことに、

この世界の住人たちは誰も気付くことはないのだから。

 

(・・・この世界は生きづらくて苦しいな・・・)

 

美織は重力によって垂れてくる艶のある黒髪を両手で耳にかけ、

その勢いで立ち上がった、しかし信号はちょうど赤になったばかりだ。

まるで彼女をどこへも行かせないかのように色を変えた。

 

(・・・これから何に向かって歩いて行きましょうか・・・)

 

美織が行き先を見失って無意識にため息をついていた時、

後ろからクラクションが鳴らされているのに気がついた。

もしかして自分のことかと思ったが、自転車は隅に倒してあるし、

自分自身も別に道路の真ん中に立っているわけではないので、

クラクションを鳴らされる覚えはないはずだった。

美織が音の鳴る方へ振り向くと、列ができていた車の先頭に、

一台のバイクにまたがった男が止まったまま動いていないのがわかった。

美織が渡るべき横断歩道の信号が赤になったのであれば、

交差している側の道路はもちろん青信号のはずだった。

だが、その男は青信号など目に入らないかのように、

ずっと先頭で止まっているために、他の車が進めないのだ。

 

美織が驚いた様子でそのバイクの男を見つめていると、

その男は右手で被っていたフルフェイスのヘルメットのシールドをあげ、

そこから一重まぶたで鋭い切れ長の瞳をのぞかせた。

印象としては少し冷たくて、何を考えているのかわかりにくい目だった。

男はバイクも、服装も全身黒づくめであったので、

見るからに少し怖い雰囲気を漂わせていた。

 

「・・・だせーな」

 

彼はパンクしている自転車を見てそう吐き捨てた。

そのまま続けて美織の方へ視線を向けた。

 

「片栗粉の原料が栗だと思って最近まで生きてきた俺くらいだせーわ」

 

そう言うと彼は、美織にもう一つのヘルメットを差し出した。

後ろからはまだクラクションが鳴り響いている。

やがていくつもの音が重なり、クラクションはすでに二重奏、三重奏になっている。

 

「かっこつけて哲学者パスカルの言葉を引用して、

 『人間は考える葦である』ってのを人間の『足』だと思ってた俺くらいだせー。

 友達も気を使って失笑状態のままで、俺は『やっぱ人間は歩く生き物だからなー』とか、

 しばらく自己解釈を長々と語ってしまった俺くらいダサダサやわ、それ」

 

クラクションが鳴り止まない中、ついに後ろのトラックの運転手が叫び始めた。

「何止まってんだこのバカ!」と言う怒声が飛んでくるが、男は微動だにしない。

それが美織には不思議と頼もしく神がかって見えた気もした。

 

「後ろ、空いてますけど」

 

「えっ、いや、大丈夫ですから」

 

「いや、大丈夫とか、そんなんええから早よ」

 

「でも、本当に大丈夫なんで」

 

二人がヘルメットの押し返しあいを続けていると、

後ろからトラックのドアが開いて誰かが降りてきた音がした。

ついでに「聴いてるのかこのタコ!こんなところでナンパしやがって!」と聞こえてきた。

 

「いやほんと、早く乗って、じゃないと俺、たこ焼きにされてまう」

 

「ナンパとか結構ですから」

 

「いや、もうほんと、冗談はマイケルだけにして、早く乗ろうや」

 

「えっ、言ってる意味がわかんないです・・・」

 

「マイケルジョーダン知らんのかい、バスケとかやってない?」

 

「バスケは一応昔やってましたけど・・・」

 

「真面目か!

 その情報、今はどうでもええわ」

 

「見つけたぞこの野郎!」と言う唸り声が後ろから大きくなってきて、

坊主頭で怖い感じのトラックのおっさんはもうかなり近距離まで来ていることがわかった。

 

「いや、普通乗るやろこんなシーンやったら!」

 

男は後ろをチラチラ振り返ってイライラしながらそう叫んだ。

さっきからずっと、心は叫びたがっていたのかもしれない。

 

「頼むわ、俺もうあのおっさんのこと考えて胸がドキドキして来てるやんけ。

 そう言うのは可愛い女の子に対してだけに留めておきたいもんやろ!?

 俺もう、なんか大切な感情を失いかけてんで、どないしてくれんねん!」

 

そんなことをしている間に、また歩道の信号機の青色が点滅し始めた。

そうなるとやがて車道の信号も赤に変わってしまうことだろう。

 

「乗って~、なあお願いやから~、一生のお願いやから~。

 このままやと俺、あのタコみたいなおっさんにたこ焼きにされてまうやん。

 俺、将来の夢イカ焼きになることやってん、このままやと大切な夢が途切れてまう、頼む!」

 

美織は何を言っているのかよく分からない男に戸惑いを隠せなかったが、

男がかなり強引にヘルメットをかぶせて来たのと、タコのおっさんが本当に赤い顔をしていたので、

これはやばいと判断したのか、体は自然とバイクの後部座席に乗り込んでしまった。

 

タコが触手を伸ばして来たところで、バイクは勢いよくその魔の手を逃れて信号を渡った。

非難のクラクションは鳴り止まなかったが、もう信号は赤になってしまったので、

後ろから他の車が追いかけてくることはなかった。

 

美織は男の背中にしっかりとつかまりながら、残して来た自転車がだんだんと遠ざかっていくのに気づいた。

よく分からないうちに急かされて、知らない男のバイクに乗り込んでしまうなんて・・・。

 

「ぬっすんだバイクではっしり出す~、行き先もわからぬまま~♫」

 

しばらく走り続けた後で、男が上機嫌に歌を歌っているのが聞こえた。

エンジン音と風を切る音に紛れてかすかに耳に届いてくる。

美織はなんか聴いたことのある歌だと思ったが、誰の歌かは思い出せなかった。

ちなみに、これは尾崎豊の「15の夜」だ。

 

「なんで盗んだバイクは買ったバイクよりも響きがカッコいいんかなぁ?

 なんか世の中おかしいよなぁ、汗水流して働いて買ったバイクの方がカッコよくないと、

 いつまでも世の中が乱れていくばっかりやで」

 

男は信号待ちに差し掛かると、美織に対してそんなことを言った。

何が言いたいのかよく分からなかったが、美織は真面目なのでそうかもしれないと考え込んでしまった。

 

信号がまた青に変わる時、「あっ、このバイクは盗んでへんからな、心配せんでええよ」と言った。

ブーンと音を立てて、また二人は勢いよく前へと動き出した。

 

「ローンで買ったバイクではっしり出す~、行き先もわからぬまま~♫」

 

その歌を聴いていて、美織はこの人について行って大丈夫かと少し心配になった。

こうして行くあてのない彼ら二人のバイクは国道を駆け抜けて行った。

 

 

・・・

 

 

やがてしばらくバイクで走り続けた後、男はバイクを止めてヘルメットを外した。

たどり着いたのは、郊外にある庭の大きくて静かなカフェで、周囲にはお客さんもあまりいなかった。

 

「こんな静かな場所が好きな人やから、こいつ友達すくないやろな~って思ったやろ?」

 

男がヘルメットをバイクに載せて、美織のヘルメットを外しながらそう言った。

ヘルメットを脱ぐと、美織の長い黒髪がストンと肩の下まで降りて来た。

男の髪もそれに負けじと真っ黒だが、美織ほど艶はなかった。

細くて鋭い目にかかって多少鬱陶しくもあり、胡散臭さが際立って見えた。

 

「子供の頃な、習った歌の歌詞で、一年生になったら友達100人できるかなって歌、

 あれすごいプレッシャーやったで、マジか、それが世間のスタンダードな友達の数なんかって」

 

男はそう言ってからカフェの入り口に向かって歩き出した。

「世の中は嘘が多い、気をつけろ」と言いながら軽快にドアを開けて中に入った。

美織には、その妙にカッコつけた素振りがなんだか面白かった気がした。

 

 

一番奥の隅っこの席に座ると、男はメニューを美織に手渡してくれた。

男はもう頼むものを決めているのか、それを見る気は無さそうだった。

美織がメニューに目を落とすと、どうやらお店の名前は「」と書いて無限大と読むらしい。

飲み物はなんでもよかったので、適当に頼もうかと思っていると男がまた何か喋り始めた。

 

「俺な、レッテル貼るやつが大嫌いやねん」

 

「はぁ・・・」

 

男は妙にシリアスな表情をして俯き加減で話を続けた。

 

「お前はこういうやつやとか、常識ではこうせなあかんとか、

 男やから強くないとあかんとか、女やからおしとやかにしとけとか、

 男はコーヒーに砂糖入れんなとか、女はスカートはかなあかんとか、

 どうでもいい価値観を押し付けてくるやつな、俺はホンマに好かんねん」

 

美織がどう返答したらいいかわからなくて困り果てていると、

男は鋭い切れ長の目でまっすぐに美織を見つめて来た。

 

「俺はお前にそんな奴にはなって欲しくないと思ってる。

 いや、そんな奴じゃないと信じてる、そんなつまらない価値観に縛られて、

 生きていくような人間にはなるなよ、もっと広い視野と寛大な心を持って生きていけ」

 

そう言って男はニヤリと笑った。

なんだかわからないが、とても深いことを言っているのかもしれないと美織は思った。

 

「俺から言えることはそれだけや、コーラでええか?」

 

「あっ、はい」

 

そうしていると店員がお水を持ってやって来た。

男はメニューを持ったまま店員さんに注文した。

 

「すいません、コーラ1つと、あといちごみるく1つ・・・」

 

「かしこまりました」

 

注文を受けた店員さんはメモを取って引き返して行った。

美織は男がとても可愛らしい飲み物を頼むんだなと密かに思ったが、

それこそ男がいちごみるくを飲んではいけないなんてレッテルを貼った見方をすれば、

この男に怒られると思ったので、気を使って黙っていることにした。

男はその間もじっと美織の顔を見つめていたが、美織も不思議と男の顔を見つめていた。

なんだかどこかで見たことがあるような気がして仕方がなかったのだ。

 

「・・・なんでやねん!」

 

「えっ?」

 

男はさっきまであれほど真面目だった表情を崩してそう言った。

 

「お前あれやな、生粋のボケやな。

 俺の方がたまらずつっこんでもうたやんけ、やられたわ」

 

「えっ、えっ、えっ?」

 

美織は男が何を言っているのか全くわからず、

両手で口を押さえながら混乱する頭を整理するのに必死だった。

 

「あんだけ丁寧に長い前フリやったら、普通はツッコミ入れるやろ。

 『お前ただいちごみるく飲みたいだけやんけ!』って」

 

男は笑いながらそんなことを話していたが、美織は全く笑えなかった。

あの話がそんな意味を持っていたとは想像もつかなかったからだった。

 

 

「そうかそうか、お前はボケやな、よーわかったわ」

 ほな、俺がツッコミに回ったろ、俺も本職はボケやったけど、しゃーなしやで」

 

「えっ、ちょっとすいません、どういうことですか?

 私、失礼ですけど、さっきから何言われてるのか全然わかんないんですけど・・・」

 

美織がそう言ってストップをかけると、男はまた真面目な顔になって美織を見つめて来た。

 

「それに、私はどちらかと言うとツッコミの方なので。

 ご存知ないと思いますけど、私これでも漫才師なんで・・・」

 

美織は過去に「ぷぷぷシスターズ」と言うコンビを組んでいた時に、

確かに役割はツッコミだったことを述べたのである。

その当時はハリセンを持って、相方の頭を叩くツッコミを披露していた。

 

「いや、そうは言ってもな、俺が見る限りお前はボケやった方がええわ。

 俺の見る目は確かやで、ご存知ないと思いますけど、俺これでも漫才師なんで」

 

「えっ!?」

 

そんなことを言われて、美織は思わず手を口元に当てて驚いてしまった。

必死に記憶を引っ張り出していく、さっきからこの男はどこかで見たことがあるような気がしていた。

それはおそらく、知り合いではなくて、昔通っていた劇場で見たことがあったからかもしれなかった。

 

「・・・あっ、もしかして黒騎士のノギー翔太さんですか!?」

 

「どうも、地獄の一丁目一番地に住んでる男、ノギー翔太です。

 飼っている犬の名前は地獄を守る番犬から取ったケルベロスです、俺もよく手を噛まれます」

 

そのフレーズを聞いた美織は鮮明に記憶を思い出した。

昔、漫才師になる前によく通っていた劇場で漫才をしていたのを見たことがあった。

美織は、ノギー翔太が組んでいたコンビ「黒騎士」はイチオシというほど好きではなかったが、

その独特のキャラクターはよく覚えていた、正直言うと少し怖い漫才をするコンビだった。

際どいネタを使い、言葉も荒々しくて、お客さんをとんでもなくいじり倒すコンビで、

二人とも真っ黒な衣装を身につけて、とにかくプロレスでいうと悪役レスラーの役割で、

いつも劇場では嫌われ役を演じていたようなコンビだった。

 

「えっ、本物のノギー翔太さんですか?

 私、昔劇場に通ってた時に漫才見たことあります!

 えっ、嘘、本当に本物ですか~?」

 

「今では児玉坂の路地裏の三畳一間のアパートに住んでるけどな。

 犬に餌あげたら自分のご飯も食べられず、今では俺もドッグフード食べてます、ノギー翔太です」

 

彼が自虐的にそう言ったのには意味があった。

美織だけでなく、お笑い好きの人であれば知っている人も多い事実だが、

彼が組んでいたコンビ「黒騎士」は人気が出てきた当時、突然なんの前触れもなく解散してしまった。

解散ライブなども行なっておらず、流れ星がきらめいて消えていくように彼らは姿を消した。

彼らがどこへ行ってしまったのか、詳細を知っている人は誰もいなかった。

美織が熱心に劇場に通っていたのだから、わずか2、3年前の話だった。

 

「えー、なんかノギーさん、丸くなりましたよね?」

 

「顔にはお肉つかんように頑張ってるつもりやけどな」

 

「いや、性格ですよ、性格!」

 

「そらもう今年で30歳になるからな、そんなもんや、もう地獄にも飽きたわ」

 

「え~、ケルベロスが部屋の中にしてたウンチを踏んだまま気づかずに歩き回って、

 部屋が本当の意味で地獄になったってあのネタ、もうやってないんですか~?」

 

「自分、ほんまにお笑い好きやねんな、なんか急に喋るようになったし、テンションたかー」

 

テンションが高まっている美織は、もうノギー翔太が何を言ってもケラケラ笑っていた。

本来、どうもかなりツボは浅いようで、気を許した人にはふわふわした性格をみせるようだった。

 

「もう相方が『お前どんな汚いとこ住んどんねん、ほんまの地獄やないかい』ってツッコミも入れてくれんしな。

 ピン芸人としてやっていこーか考えたけど、どうも俺の芸風とは合わんみたいやねんなー」

 

「そりゃそうですよ~、ノギーさんが暴走してから自虐ネタ言って、

 それをつっこんでくれる人がないと、ノギーさん面白くなくなっちゃいますもんね~」

 

「自分、今さらっとひどいこと言うてんで・・・」

 

「えっ、あっ、間違えました。

 ノギーさん一人でも、もちろん面白いですけど・・・」

 

美織は結構天然なので、さらっとグサッと相手を刺すことがあるが仕方ない。

基本的には純粋なので悪気はない、悪気がないのが最もひどいと言う説もあるが。

 

「まあええわ、ただな、俺もそろそろまた復活してこの街に笑いの爆弾投下したろと思ってるわけや。

 お前ももちろん知ってるやろ、今度開かれるKー1グランプリの話は」

 

「えっ、ノギーさんあれ出るんですか?

 やったー、私、絶対に観に行きます~!」

 

美織は両手を合わせて感激していたが、ノギー翔太は何かを考えているようで浮かない顔をしていた。

さすがにその様子に気づいたのか、美織の頭の上にも「?」のマークが多数浮かんでいた。

 

「えー、まあな、それであの、ちょっと頼みがあるんやけど・・・」

 

「なんですか?

 私にできることでよかったらなんでもします!」

 

それを聞いたノギー翔太は相手の様子を伺う子犬のような目をしていた。

以前の彼であれば、まるで地獄の番犬ケルベロスのような野獣の目をしていたものだったが。

 

「そ、そうか。

 じゃあ、もし暇やったら俺と一緒にコンビ組んでください、お願いします!」

 

「えっ、私がですか!?」

 

机に顔が見えなくなるまで深々と頭を下げたノギー翔太と、

いきなりのオファーに面食らっている美織がそこにいた。

 

「でも私、相方だったケヤキ賢太さんみたいなツッコミはできないですけど・・・」

 

「そ、そんなことないって、できるできる、それにお前もちょうど相方おらんねやろ?」

 

「そうですけど、なんかノギーさんにそこまで丁寧に頭下げられたら、

 なんか私ちょっとびっくりしちゃうじゃないですか~」

 

美織がそういうと、ノギーは下げていた頭を上げて歯を見せて笑った。

 

「おお、ええやん、丁寧すぎるの気持ち悪いってツッコミやな!」

 

「えっ、いや、別にツッコミでもないですけど・・・」

 

「いけるいける、俺が見込んだ女や、お前ならできる!」

 

そんな風に言われ続け、最初はどうしようか迷っていた美織だったが、

自分がかつて観た劇場で漫才をしていた人がそう言ってくれるなんて、

これほど嬉しいことはなかったし、内心は照れながら揺れていた。

 

「え~、本当に私なんかでいいんですか?

 私、ノギーさんの足を引っ張っちゃったら嫌なので・・・」

 

「大丈夫や、それにお前も漫才師なんやろ、もっと自信を持てよ。

 いける、やれる、俺がお前を地獄やなくてパ~ラダイスに連れていったる!」

 

そこまで言われると、美織にはなんだか夢心地のような気すらしてきた。

今日はなんだかついていなかったが、どうやらチャンスの順番が自分に回ってきたらしい。

密かに期待していたKー1グランプリにも出場できるということで、

美織も両手をほっぺに当てながら、のぼせている体を冷まそうとしていた。

 

「よっしゃ、これで決まりやな。

 ほな、これから本番までみっちりネタ合わせとかせなあかんから、

 時間あるときはここでまた会うことにしようや。

 今日はバイクでこのまま家に送ったるから、まあ心配すんな」

 

ノギー翔太は満足げに美織にそう告げた。

何かそわそわして、彼も多少興奮しているらしかった。

 

「あの・・・」

 

「ん、なんや?」

 

「そういえば、私、自転車あそこに置きっぱなしなんですけど・・・」

 

美織は道路の隅に置き去りにしてきた自転車のことを彼に告げた。

そういえば話に盛り上がりすぎてノギー翔太も自転車のことをすっかり忘れていたらしい。

 

「あー、自転車な、心配すんな、あとで自転車取ってくるよ」

 

「えっ、いいんですか?」

 

「おう、あそこに戻って、もしあのタコのおっさんと再会してもうたら、

 次に会うときは俺もたこ焼きになってると思うけどな」

 

「えーっ、たこ焼きなんて嫌です!」

 

「そこは『イカ焼きの夢を諦めないで』のほうがええな」

 

「あっ、すいません」

 

「いや、ちっちゃいことは気にすんな。

 これからみっちりネタ合わせして行くからなー。

 すぐにわかってくるわ、言っとくぞ、全ては上手くいく。

 これから俺らのやることなすこと全ては順調に進んでいくんや。

 何も間違いは起こらん、まあみとけ、全てはスムーズに上手くいくから!」

 

自信満々に笑うノギー翔太を見ていると、

なんだか美織も心の底から笑えるような気がしてきた。

今日みたいにやるせない気持ちではなくて、

自分が求めているのは、こういう笑っていられる自分なんだと気付いた。

ちょっと怖い人だと思った彼も、自転車取ってくるよなんて、

実はとっても優しい人で、ギャップがいい感じだとわかった。

そんな彼の言葉を信じたい、信じようと思った。

これから私たちの全ては順調に上手くいく・・・。

 

「お待たせしました、コーラといちごみるくです」

 

先ほど注文していた飲み物がテーブルに運ばれてきた。

ノギー翔太の目の前にはコーラが、美織の目の前にはいちごみるくが置かれていた。

店員はそのまますぐに立ち去ってしまった。

 

「・・・言い忘れとった、笑いの神様はちょっと意地悪やからな」

 

そう言って、ノギー翔太は何事もなかったようにすぐにいちごみるくとコーラの位置を交換した。

 

 

・・・

 

 

 

「軍団長、軍団長ってば~!」

 

次藤みりんが揺すっているのは長椅子に座って寝てしまっていた軍団長こと勝村さゆみであった。

ここはよろず屋、要するに児玉坂の街で唯一無二のちゃらんぽらんなお店、何でも屋である。

 

「早く起きてくださいよ、トト子が呼んでますから」

 

鼻から膨らんでいた風船は生きているようだった。

みりんがしびれを切らし、香車の駒を使ってその風船をパチンと割った。

すると、眠い目をこすりながらさゆみはやっと目を覚ました。

 

「むにゃむにゃ・・・」

 

みなさんに告げておかねばなるまい。

勝村さゆみはアニメのように、普通は言わない音のようなセリフを普通に喋る人である。

だから彼女に取っては「むにゃむにゃ」も「すやすや」も「ムフフ」も「シャキーン」も、

かなり重要なセリフなので、意味のないセリフでもちゃんと聞いてあげてほしい。

全ては可愛いの為なのだ。

 

「え~、なに~、もう朝~?」

 

「いや、もう夕方ですよ、軍団長」

 

「じゃあ、もう一眠り」

 

そう言って体の角度が傾いていったので、

みりんは先手を取って枕を奪い取った。

普段から将棋をやっているからか、

それとも普段から軍団長に振り回されているからか、

みりんは相手の動きを読むことにすっかり長けてしまっていた。

 

「はぅあー!」

 

枕を抜かれたので、頭を長椅子に打ち付けてしまった軍団長。

こうしてやっとお目覚めである。

 

「軍団長どうしちゃったんですか~?

 ふわふわしてるのはいつものことですけど、

 全然起きてこないから心配しちゃうじゃないですか」

 

「えー、だって、聞いてー、作者がなー、裏切ってなー」

 

「ズキュンヌの事ばっかり書いてたからですか?」

 

「うん、だって前はかっちゅんが一番可愛いって言ってたのに~・・・」

 

両手の人差し指同士をつんつんしながら、さゆみは恨めしそうにそう言う。

これは困った、有能なみりんちゃん、あとはフォローよろしく。

 

「確かに作者はいい加減で、有能って言葉だけで全部私に丸投げするのは良くないですけどね」

 

あらら、ごめんなさい、みりんちゃんに裏切られたら話を進められなくなります。

お願いします、みりん様、どうかフォローよろしく・・・。

 

「まあそれでも、うちらに登場のオファーくれてるわけですから、

 何かしら困ってるんだと思いますよ、受けて立つのがさゆみかん軍団じゃないですか?」

 

みりんがそうして説得をしてくれたおかげで、

渋い顔をしながらではあるが、さゆみはようやく体を起こしてくれた。

起き上がったさゆみの目に入ったのは、向こう側で鏡に向かって立っている坂木トト子と寺屋蘭々の姿だった。

 

 

「ねえねえ蘭々」

 

「ん、どうしたのトト子」

 

「最近ね、私、汗をかいて働こうかと思うんだー」

 

「えーっ、それはいい事だねー、ってこんな感じでいいのかな~(小声)?」

 

「うん、いいよー。

 それでね、私、最近やってみたい仕事があってー」

 

「えっ、なんの仕事~?」

 

「アイスクリーム屋さんでアルバイトしてみたいなーって」

 

「えっ、めっちゃいいと思う~!」

 

「じゃあ、私がアイスクリーム屋さんの店員をするからー。

 蘭々はお店にやってきた宇宙海賊の役ねー」

 

「えっ、えっ、何それ、わかんないかも(小声)」

 

「蘭々はあっちから歩いてきてー」

 

「えっ、うん」

 

「いらっしゃいませー、何を召し上がりになられますかー?」

 

「えーっと、遠い宇宙からやってきたからお腹が空いたなー、

 じゃあクッキー&クリームをもらおっかなー、えっ、こんな感じでいいのかなー(小声)」

 

「すみません、クッキー&クリームはもうここにはないんですよー」

 

「えっ、じゃあどこにあるのー?」

 

「私のお腹の中に在庫がたくさんありますー」

 

「なんでや!食べただけやん!」

 

「そういえば、宇宙海賊さんはどこの星からやってきたんですかー?」

 

「えっ、何それ、わかんない!

 そんな設定決めてないから、えっ、スペースパイレーツ星とか、いや、もうわかんないよ~!」

 

「じゃあもういいよ、ぱかー」

 

「誰もぱかーの意味がわかんないじゃん」

 

「じゃあヒントです、ぱかーに強くなれ、この出会いに意味がある~♫」

 

「あんな名曲の替え歌しちゃだめ!」

 

 

・・・

 

 

「軍団長いかがでしたか?」

 

側で見ていたみりんがさゆみにそう尋ねた。

さっきまでの眠気がすっかり覚めてしまった軍団長がそこにいた。

 

「なんやろ~、ただただ可愛い、永遠に見てられる気がする」

 

「でも厳密にはぱかーは『じゃあね』みたいなカジュアルなさよならの意味で、 

 あのネタのは少し飛躍した使い方ですけどね」

 

「いや、もうネタとか別に気にならへんけど、ただただ二人が可愛かった」

 

みりんがよく見ると、軍団長はいつのまにか鼻血を出してティッシュが穴を塞いでいた。

 

「じゃあ、もっと見てますか?」

 

「そうやな~、うちらがこのままじっとしてたら作者もあの漫才の続きを書くしかなくなるもんな~」

 

さゆみはそんなことを言ったが、作者は永遠にネタを提供できるわけではないので、

そろそろ次に進ませていただきたいところである。

 

「って言ってますね」

 

「しゃーないなー、今日はこれくらいにしといたろ~!」

 

 

・・・

 

 

「あっ、軍団長、おはようございます」

 

さゆみが起きたことに気づいたトト子がそう言った。

無茶振り設定をなんとかこなした蘭々もさゆみが起きたことに気づいた。

 

「トト子、何やってんの~?」

 

「これです」

 

トト子が軍団長の目の前に突きつけたのはKー1グランプリのチラシだった。

 

「なんか今度、児玉坂の夏のイベントとして漫才大会をやるって言ってるらしくてー、

 町内会の回覧板で情報が回ってきたんです」

 

「参加者は2名のコンビで漫才を披露する意志があるもの、つまり誰でも出れるみたいなんですよ」

 

有能なみりんちゃんは既にチラシの内容をちゃんと理解していたのでそう説明した。

 

「ふーん、それでトト子は出場する気なん?」

 

「いいですかね?」

 

「ほら、よろず屋の従業員だってこと、町内では有名だからバレちゃってますし、

 勝手に出てよろず屋の看板を汚すことになったらアレだからって、トト子なりに気遣ってるんですよ、ねっ?」

 

「へー、なんかトト子がそんなん興味持つとは思わんかったけど、

 まあやりたいことがあるんやったら、やってみたらええんちゃうかな~?」

 

軍団長はそう言い終わると、また長椅子に横になってしまった。

要件はこれにて一件落着だと思っていたらしい。

 

「軍団長は出ないんですか?」と聞いたのは蘭々だった。

 

「軍団長は世界平和の実現とアニメ観るのに忙しいからパスで~す。

 最近声優業も忙しいし(小声)」

 

「ちょっと軍団長、(小声)真似しないでくださいよ~!」

 

軍団長はそのやりとりに返事をすることなく、また夢の世界へ旅立とうとしていた。

小声で「すやすや、ねむねむ」と言う声が長椅子の方から聞こえてきた。

 

「まあ仕方ないね、私も将棋の仕事で最近忙しいし、

 もし出るなら本番は観に行ってあげるから、まあ頑張ってね」

 

みりんはそう言ってトト子の肩をポンと叩いた。

二人はまた鏡の前に戻り、みりんは話を終えて奥の部屋へと戻って行った。

 

「ねー、トト子はもし優勝して賞金100万円もらえたらどうする~?」

 

「んーとねー、猫ちゃん飼いたいかなー」

 

 

バタンと音がして、二人が長椅子の方を振り向くと、

もうそこには軍団長の姿は見当たらなかった。

 

 

「みりんちゃん、王手」

 

「いや、いきなり道を塞ぐのやめてもらえますか軍団長」

 

みりんが奥の部屋に戻ろうと思ったはずなのに、

いつのまにか行き先には軍団長が立ちはだかっているのに驚いた。

 

「って言うか一つの駒で王手とか将棋では無理ですから」

 

「私、軍団長、最強の駒アルネ」

 

「いきなり謎のチャイナ口調やめてもらえません?

 もうやめてもらいたいことのオンパレードなんですけど」

 

「将棋を捨てて、私と一緒に漫才するヨロシ」

 

「チャイナ口調は継続ですか、それで、断ったらどうなるんですか?」

 

軍団長の目がキラリと光る、悪いことを企んでいる時のいつもの目だ。

 

「香港マフィア舐めると、命なくなるアルネ」

 

「なるほど、力ずくってわけですか・・・」

 

みりんは髪の毛を止めていた香車の駒を手にとり人差し指と中指の間に挟んだ。

軍団長は頭に差していたみかんの形をしたかんざしを手にとって構えた。

 

 

 

「・・・これ、バトル漫画じゃないんで、やめましょうか」

 

「100万円手に入れたら山分けアルネ」

 

「じゃあネタは軍団長が書いてくださいね」

 

「そう言うのは得意アル~!」

 

テンションの上がった香港マフィアはご機嫌で何処かへ走って行ってしまった。

面白いアイデアを考えついた時の軍団長は誰にも止められないので、

みりんはもう諦めるしかないと思っていた。

それに、もし100万円手に入れば、よろず屋の特別収入になるわけで。

 

 

・・・

 

 

「私も関西弁、話した方がいいですかね?」

 

あれからと言うもの、美織は毎日を楽しく過ごせるようになった。

ズキュンヌで働いている時も、ノギー翔太と会っている時も、

念願だったコンビを組んでKー1グランプリに出場できることの喜びで胸いっぱいに満たされていた。

 

「いや、お前はお前の好きにしたらええ。

 面白くなるんやったらそうしたらええし、面白くならんのやったらせん方がええ」

 

二人であのカフェでまた再会した時、ノギー翔太は二人のコンビ名をもう決めていた。

それは「イオリア」と言うものだった。

 

ノギー翔太が最初に美織と話した感想として、「クオリア」という言葉を連想したという。

「クオリア」とは説明することが難しい言葉であるが、つまり「感じ」ということであり、

体験に伴う質感のことなのだが、科学的に説明することの難しい概念である。

 

人はつまり、何か外部からの刺激を感じている。

この感じている、という事の質感、これを「クオリア」と呼ぶのであるが、

科学はこれを説明することが難しいのは、すべて物質空間での作用として分析するからであって、

この人間が感じている、というそもそもの感覚を説明することは簡単ではないのである。

ある意味で捉えようのない感覚という事実のことを表していると言える。

 

「イオリア」になったのは単純に語呂感からであるし、

厳密にはクオリアとはかなり意味が異なるのではあるが、

ノギー翔太は美織が今までにたくさんの漫才師のライブを見てきたことから、

おそらく、彼女は表現しきれていないだけで、何かを感じているのではないかと考えた。

お笑いというのは、それこそ論理で説明することは難しく、最終的には面白いという感覚だけが答えである。

だからこそ、その感覚を知らない人は、笑いを生み出すこともできないだろう。

 

とにかく、ノギー翔太はコンビ名を勝手に決めてしまったが、

根が素直で反抗することを考えない美織は、喜んでそれに賛成してしまった。

 

こうして、イオリアは活動を始めた。

 

 

・・・

 

 

「えっ、私がネタ書くんですか?」

 

2回目にカフェでノギー翔太と会った時に告げられた真実に、

美織はかなり驚かされてしまった。

 

「言っとくけど、これはボケてないからな」

 

「えっ、本当に私が書くんですか?」

 

美織は信じられない様子で目を大きく開けてノギー翔太を見つめた。

 

「真面目か、2回も聞くな」

 

「え~、本当に私ですか?」

 

「串カツやったら2度漬けでも怒られるのに、3度漬けは店から出されんぞお前」

 

美織はまだ信じられないという様子で手で口元を押さえていた。

美織の希望としては、こんなすごい人とコンビを組めたのだから、

ネタはもちろん、ノギー翔太が考えてくれるものだと思っていたのだ。

 

「あの~、私、実は前のコンビでもネタ書いたことないんですよ~」

 

「いや~、俺も生まれた時はまだ背中掻いたことなかったんですよ~、でも今は掻ける」

 

ボリボリと背中を掻いてニコニコしているノギー翔太を見ていた美織は、

この必死さが伝わっていないと、少しムッとなってしまった。

 

「いや、なんですかそれ、背中とネタは違いますよ!」

 

「ええツッコミするようになってきたやん、でも今回お前はボケの方やからな」

 

そう言いながらノギー翔太はいちごみるくを美味そうに飲んでいた。

少し腹の立つ顔をしていたのは、さすがに元は地獄の一丁目一番地に住んでいただけのことはあると思った。

 

「え~、本当ですか~」

 

「お前、さっきからおんなじことしか言うてへんやろ。

 本当かどうかを問い続けて嫌な現実から逃げられるんやったら、

 街中でみんなそのおまじないを言うとるはずやろが」

 

そんなことを言われて、もう言葉を発することができなくなった美織は、

無言の最終抵抗であるプク顔をして見せた。

 

「じゃあどう書けばいいか教えてください」

 

「なんでやねん、お前が考えろや」

 

そう言われた美織はさすがに唖然とした表情になった。

この人とコンビを組んだからには、何か面白いものを教えてもらえるはずだと思っていたからだ。

 

「えっ、さすがにひどくないですか!?」

 

「なんでや?」

 

「だって、コンビでしょ、一緒に助け合うのがコンビじゃないですか」

 

「ちゃうちゃう」

 

ノギー翔太はいちごみるくを飲んでから、また頼んでおいたショートケーキを口に頬張る。

 

「おはえは、ほんなひほひへほっはんは?」

 

「ちゃんと食べ終わってから喋ってください!」

 

ノギー翔太はケーキをちゃんと飲み込んでからニヤリと笑った。

 

「お前は、そんな気持ちでおったんかって言ったんや」

 

「じゃあ、どんな気持ちでいればいいんですか!?」

 

美織は喋る前にケーキを口に入れようとしたノギー翔太の手と口の間を塞ぎ、

ケーキを刺したフォークを置いてくれるように目で合図した。

 

「あのな、コンビである前に、俺らは一人の漫才師や。

 舞台に立つ以上、どっちか一人でも観客を笑いでボコボコにしたろうくらいの意気込みが必要や」

 

ノギー翔太はフェイントをかけて素早くまたケーキを口に詰め込んだ。

そして、猛烈なスピードで咀嚼して飲み込んで、また口を開いた。

 

「相手を助けるのはそれからや、一人の力で立てないもの同士が舞台に立ったって、

 お互いが寄りかかりあって、そのまま双方とも倒れるだけや、そんなんコンビちゃうわ」

 

そんなことを言われてしまうと、美織には言い返す言葉が見つからなかった。

確かに、漫才師としてのキャリアを見ても、自分とノギー翔太が同じレベルだとは思えなかったからだ。

ここから必死に追いついて、それでやっとコンビになれるのだとすれば、

自分はひょっとしてとんでもない事を引き受けてしまったのではないかと思った。

 

「そりゃあ、考えるのが得意な人はいいですけど・・・私は・・・」

 

頭ではわかっているけど、体がついてこない、そういった限界の壁にぶつかった時、

人は笑顔を忘れて、下を向いてしまう、何が落ちてるわけでもない、上を向くのが物理的に辛いだけ。

 

その様子を見て、少し考え込んでいたノギー翔太はいちごみるくをがぶ飲みした。

そのビンク色の液体を、ショートケーキを食べた後の口に大量に流し込みながら、

そのグラスをテーブルに置いた時にはやけにすっきりとした表情をしていた。

 

「できるかできないかやない、お前は笑わせる側のプロや、やらなあかんねん、どうやっても、その覚悟を持て」

 

そう言ってから、ノギー翔太はメモ帳とボールペンをテーブルの上に出した。

メモ帳の表紙には「イオリア」とだけ書かれていた、中は白紙だった。

 

「このネタ帳にボケを書け、書いて書いて書きまくれ。

 誰でも自分にとって面白いことはあるはずや。

 その人にとって面白いことは、その人にしか書かれへんねん。

 まずそれを真っ黒になるまで埋めろ、埋めて埋めて埋め尽くせ。

 そしたら、その中にキラリと光るアイデアが出てくるはずや」 

 

美織はそのメモ帳とボールペンを受け取り、とりあえず開いてペンを握ってみた。

だが、すぐに何か面白いことが生まれてくるはずもなく、何が書ける気もしなかった。

 

「すぐに書けんでもええ、ただしこれからは日常生活の中でも基本的にはボケるようにしろ。

 そうやって、なんか思った事を口にするだけでもええねん、ボケとツッコミはそこから生まれる。

 ほら、思いつかんのやったら、まず今思ってることから口に出してみろ、ほら」

 

ノギー翔太はまたショートケーキを食べて、いちごみるくを飲み始めた。

美織はとりあえずペンをテーブルに置いて、まっすぐノギー翔太を見つめて言った。

 

「ノギーさんの味覚、どうなってんですか、気持ち悪い・・・」

 

 

・・・

 

 

「そんな風にメモ帳を見つめとってもおもろいことは出てこんぞ~」

 

カフェを出た二人は、近くの公園で過ごすのが決まりだった。

若手漫才師たちは、よく誰もいない公園でネタ合わせをする。

「イオリア」の二人も例に漏れず、こう言う場所で声を張って稽古をする。

だが、二人にはまだネタも何もできていない。

時間がなくなってきたら助けてくれるだろうかと時々考えてみたりもするが、

隣でブランコを漕いで揺れているノギー翔太が助けてくれるようには到底思えなかった。

 

美織はブランコに座りながらペンとメモ帳を持ちながら頭を抱えていた。

元来が真面目な彼女は、やるとなったら正攻法で真っ向からやるタイプなのだろうが、

こうしたインスピレーション系の仕事は、実はそういうやり方で成果が上がるものでもない。

机上の勉強のように、決まった答えがない中で、「笑わせる」というゴールだけを見つめて、

そこを登るルートは無数にあるし、どんなやり方をしても構わないのである。

 

答えがないという仕事は、常に恐怖感に襲われる。

もちろん、色々と経験を積むうちに、ある程度の成果は出せるという自信も生まれてくる。

だが、結局のところ、スタートからゴールを見た時、何かしら辿り着けないかもしれないという不安はある。

特に、何も生まれてこない状況に陥った時、人はそれをスランプと呼んだりもするだろうが、

本当にシャレにならない苦痛を味わいながら、ふらふらとこの世を彷徨うことになる。

事務作業と違って、創作というのは、生み出せれば成果、生み出せなければゼロである。

答えが見つかった時、ゴールにたどり着いた時の喜びは比較にならないほど大きいが、

辿り着けない時の苦しみと、全てを失ってしまう恐怖も比較にならないほど大きい。

 

「適当に散歩したり、景色を眺めたり、トイレ行ったりしてみろ。

 そうすれば、なんか面白いことが思いついたりするもんや。

 俺のネタの8割はトイレから生まれていると言っても過言やない。

 トイレは非常にクリエイティブな空間やねんぞー、

 誰かIT企業の社長も同じこと前に言うてたわ、嘘やけど」

 

美織は言われるままに、とりあえずペンとメモ帳をしまってブランコに揺られてみた。

だが、思いつかないものは思いつかない、隣でブンブンブランコを漕いでいるノギー翔太、

二人が漕ぐスピードに差がありすぎて、美織の心には焦りばかりが積もってゆく。

 

「笑いってなー、教えれるもんでもないねん」

 

足で地面にブレーキをかけながらノギー翔太はそう言った。

 

「結局は感じるもんやねん、それが面白いか面白くないかどうか。

 頭の中で論理的に作り出すこともできるけど、それがほんまに面白いかどうかは、

 全て空気の中に漂ってる微妙な感触でしかなくてな、それをうまく掴めるかどうか。

 それができる人は、空気が変わったと思った時に話題を変えたりできる。

 売れてる芸人なんかは、ほんまにそう言うのが上手いなーと思ったりもする。

 場が冷めてるとこに、いきなりおもろいこと言ってもスベるだけや。

 こういうのはほんまに積み重ねしかない、天性のもんもあると思う」

 

ブランコから立ち上がり、ノギー翔太はふらふらと散歩し始めた。

いつのまにか日が落ちてきて、辺りもうっすらと暗くなり始めていた。

 

「まあ、そんな難しいこと、今のお前に求めてないわ。

 今のお前がやれること、ボケること、それだけや。

 ボケってな、色々とやり方はあると思うねんけどな、

 俺が思うに、完璧なもんを崩す作業やと思うねん。

 完璧なもんは笑いにならん、でも崩しすぎてもおもろない。

 10あったら9か8くらいに崩す、それ以上崩したらやりすぎ、おもろない」

 

「・・・崩す?」

 

「笑いはな、完璧なもんが崩れた方がよりおもろいと思うねん。

 普段から変な奴が変なことやっても、別に変とは思わへん。

 でも、めっちゃ真面目な人が、例えば急に割り箸持って変なこと言い出したら、

 なんかそっちの方がおもろいやん、完璧が9か8くらいに崩れるから。

 めっちゃ美人の姉ちゃんが、急に怖い顔になって怒り出してもおもろいやろ。

 これだって完璧が崩れてるからやと俺は思うねん。

 笑えるやつって、なんか変やねんな、それは日常の常識から9か8くらいにずれてるから。

 犬飼ってて散歩させてるけど、犬の方が動き早くて引きづり回されてるとか、

 これは9か8くらいに崩してる感じ、もし本気で噛まれて血を流してたら笑えへん。

 これは5か6くらいまで崩しすぎ、入院でもしてもうたら2か3まで崩れすぎ、これは笑えへん」

 

ノギー翔太は両手のひらを上に向けて欧米人みたいなジェスチャーをして見せた。

 

「あかんわ、こんな真面目に語る俺、めっちゃおもんない、説教くさい。

 とりあえず、お前がおもろいと思うもん、たくさん書き留めてみろ。

 そうしたら型がわかってくる、こうきたらこう返す、このボケの種類は似てる、

 そんなことの色々が、書き留めてるうちにわかってくるはずや、

 そしたら、なんか面白い話してくださいって無茶振りされてもスベらん話ができるようになる」

 

「・・・はい、わかりました」

 

美織は軽くため息をついて、またブランコをゆっくりと揺らし始めた。

ギー、ギーと古い音を立てて、まるで自分の心が軋む音みたいだった。

 

「・・・笑いって難しいですね、笑いってなんなんでしょう?」

 

美織が呟いたその言葉に、ノギー翔太も首を回して考えながら、

こうした言い方もありかもしれないと、彼は何か閃いたようだった。

 

「いろんな答えがあっていいと思うけどな。

 俺は漫才師は医者であると思ったりもしてんねん。 

 科学的に見ても、よく笑う人と笑わへん人では健康に与える影響が違うねんて。

 と言うことは、俺たちはお客さんをこれだけ笑わせてるんやから、

 本当はめっちゃみんなを健康にしてるとも言えるわけや。

 でもな、俺たちは医者や、お前らさあ笑え、俺たちええことしてんねんって、

 そんな態度をとったかて、そんな押し付けがましいの誰も笑われへん、

 だから俺らは、お客さんにそんな立派な思いは微塵も感じさせたらあかんのや。

 地獄の一丁目一番地に住んでます、飼い犬に手を噛まれてます、

 そんなんでちょうどええんや、完璧すぎたらおもろないからな」

 

その時、夕陽は艶やかに西の空の地平線へと沈むところで、

その残光がノギー翔太を包み込むようで、何か神々しいようにも美織には見えた。

彼が言った通り、ちょっと完璧すぎていい話だと思うけれど、確かに全然面白くはなかった。

 

「お前も、それだけ美人なんやから、それええボケの前振りやと思うけどな。

 その完璧を崩してギャップにしてしまえば、面白くなると俺は思うけど」

 

彼がそっぽを向きながら言い放ったそのセリフは、これまた全然面白くはなかったが、

違う意味で少しドキドキさせられてしまったかもしれない。

全ては夕陽のせい、ブランコのせい、なんとなく少し幻のような時間に美織には感じた。

 

何を思ったのかノギー翔太は突然走り出してどこかへ行ってしまった。

バイクで送り届けてもらわないと帰れないのはわかっているはずなので、

おそらく帰ってくるだろうと思い、美織はペンとメモ帳を取り出してさっきの言葉をメモし始めた。

 

 

時間がしばらくたって、美織がせっせと書き連ねていると、

やがてノギー翔太がどこかから歩いて帰ってきた。

 

「おっ、なんか面白いこと思いついたんか?」

 

「さっきのお医者さんの話、いい話だなと思って書いてました」

 

彼は残念だと肩を落として見せた。

 

「なんや、あんなおもんない話、お前、真面目か」

 

「えー、だっていい話じゃないですか」

 

「ちゃうちゃう、今もボケのチャンスやってんぞ。

 あそこに歩いてるフンコロガシをスケッチしてましたとか、

 ノギーさんの顔、いい感じに完璧から崩れてるんで、面白かったんで描いてましたとか、

 なんぼでもチャンスあったのに、お前のことこれから決定力不足のサッカー日本代表って呼んだろかコラ」

 

「あれ、ノギーさん、どうしたんですか、それあんまり面白くないですね」

 

ふふっと笑いながら、美織は大胆にもそんなことを言った。

 

「おっ言うようになったやんけ、おもんないお前と一緒におったら、

 なんかおもんない病気になってもうたわ、しばくぞボケ。

 まあそんなお前にご褒美や、どっちがええ、選べカス」

 

ノギー翔太は両手に持っているアイスを前に差し出した。

サイダー味のものと、バニラ味のものだった。

 

「えっ、私、どっちでもいいですよ」

 

「それや、女は大抵どっちでもいいです~、決めてください~」

 

「あれっ、ノギーさん、女の人に対してレッテル貼るのやめてくださいよ」

 

「知るか、俺はいちごみるく飲めたらそれでええんじゃ。

 ほら、はよ選べや、俺もどっちでもええねんこんなもん」

 

「いや、私も本当にどっちでもよくて」

 

「なんやねん、このまま時間経って食べる前にアイス溶けましたってボケか?

 俺のなけなしの金で買ったもん、そんな粗末な扱いはせんといてくれ、頼む。

 ほな、じゃんけんで決めよう、それやったら文句ないやろ?」

 

「うん、じゃあじゃんけんでグー出した方がこっちのアイスね!」

 

美織は一つのアイスを指差しながらそんなことを言った。

不意を突かれたノギー翔太は、初めてお腹が痛くなるまで笑ったのだった。

 

「なんでやねん、勝った方が選ぶでええやろ、わけわからんルール適用すんな!」

 

 

・・・

 

 

88541円・・・67414円・・・98414円」

 

周囲があまりにも静寂すぎて、カタカタと言う音が虫の鳴き声か何かかと思ってしまう、夏。

 

彼女が仕事をしている部屋の中は自然光が取り入れられる仕組みになっていると聞くが、

実際のところ、造りが古すぎて現代人の生活習慣には適していないのだろう。

彼女はデスクにあるライトをつけて暗い手元を照らしながら作業を続けていた。

 

「・・・ああ、やっと終わりましたよ、りさ先輩」

 

襖が開いて部屋に戻ってきたのは新渕眞木だった。

ぐったりとくたびれた姿が体全体のだるさをよく示していた。

声をかけられた瀬藤りさは、彼女に一瞥向けただけで、

キーボードを打つ手を止めることはなかった。

 

「お疲れ様、煩悩は消えた?」

 

「いやー、私、これ無理があると思うんですよね」

 

眞木はそう言いながら、自分のデスクの椅子に勢いよく腰掛けた。

「あーっ!」と言うおじさんのような声を発し、深くため息をついた。

 

「こんなはずじゃなかったんだけどなー、温泉とか近くにあるはずなのに・・・」

 

座っている椅子をぐるぐると回転させながら、眞木はぼやいた。

向かいのテスクに座っているりさは相変わらずのスピードで熱心にキーを叩く。

 

「とにかく、文句を言っても始まらないわよ。

 仕事は仕事、ちゃんと間に合わせなきゃいけないんだから」

 

「そりゃそうですけどねー、私はりさ先輩みたいに情熱的にはなれないからなー」

 

ミンミンとセミが鳴く部屋の外から、パシッとよく響く音が聞こえてきた。

その音に条件反射してしまうのか、眞木は体をすくめてビクッとなった。

 

「あーもう勘弁してー、あの痛さ思い出しちゃいますってー」

 

「そんなに何回も打たれたの?」

 

「だって足、尋常じゃないくらいしびれてましたよ。

 座禅とか正座とか、私そういうのほんと無理なんですよねー」

 

「眞木ちゃん、長くて綺麗な脚してるのに、確かにそんな使い方はもったいないかもね」

 

「りさ先輩こそ、なんで打たれてないんですか?

 座ってるだけでフェロモン飛ばしまくってるのに。

 住職さん絶対ちょっと鼻の下伸びてましたよ」

 

「ちょっと、人聞きの悪いこと言わないでよ。

 座禅組んでる時くらい、フェロモンは封印してるわよ。

 それより、これあなたの仕事でしょ、経費の計算、残りはよろしくね」

 

 

二人が仕事をしているのは、とある山奥にある古いお寺だった。

なぜこんなところで仕事をしているのか、この光景だけを見ればシュールすぎて、

ちょっと笑えるような絵面だったかもしれない。

 

二人は会社の社員研修にやってきていた。

社員研修では、時々こうして合宿形式を採用して、

泊まり込みでお寺などで座禅修行をすることなどもある。

社会人として、忍耐の大切さを学ぶ場所だと考える社長さんなどもいる。

 

だが、普通の社員研修であれば、お寺で研修をする場合、

会社の仕事は持ち込まず、合宿期間中はお寺の修行だけに取り組めるものだ。

二人が働いている会社は、お寺側がオフィス環境を提供できるという話をしたばかりに、

それなら空き時間を利用して通常業務もこなせるだろうと言い出したのである。

そして、二人は朝から掃除をして、質素な食事を頂き、座禅研修などを経て、

空き時間にまたこのお寺の片隅の部屋に戻ってきて通常業務をするのである。

 

確かに、お寺での研修はそれほど疲れるものではない。

座禅といっても、静かに足を組んで座っているだけで、しびれを我慢すればやり過ごせた。

労働基準法には違反していない時間内で業務もこなせることはできる。

 

だが、二人の心労は考慮されているとは言えなかった。

特に、眞木などは空き時間に抜け出して温泉に行けるのではないかと、

そんな中学生みたいな甘い幻想を抱いてやってきたのであったから、

幻想が甘美であればあるほど、現実のストレスに打ちのめされることになる。

 

 

451018円・・・494949円・・・あーもう疲れた~!!」

 

りさが途中までやってくれたファイルを眞木が続きをやろうとしたのだが、

どうやらもう集中力が続かないようで、思わず投げ出してしまった。

椅子から立ち上がったりさも、スラッとした手足を伸びをしながら動かしていた。

 

「温泉かー、鎌倉にでも行きたいわねー」

 

部屋の襖を開けて、廊下から外を眺めながらりさがそう言った。

クーラーの効いていた部屋から出て、暑い空気が体に張り付くのを感じた。

 

「りさ先輩、私、もう無理です・・・」

 

りさは振り返ると、パソコンに向かってぐったりしている眞木を見つけた。

長い髪の毛が全部前に垂れてきて、まるで貞子みたいになっていた。

 

「ちょっと、眞木ちゃん大丈夫?

 働きすぎは体に良くないわよ、適度に休んで」

 

「でも、仕事まだ終わらないですからね。

 ほんと、会社って従業員を働かせすぎだと思うんですよねー。

 せっかくパソコン発明して便利になったのに、

 じゃあパソコン使って一人で三人分の仕事しろって、

 それじゃあパソコン発明した意味ないっつーの。

 りさ先輩もそう思いません?

 人間って、何を生き急いでるんですかね?」

 

眞木がふざけた様子でそんなことを言ったが、りさからの返答はなかった。

 

「あれ、りさ先輩?」

 

「・・・あっ、ごめん、ちょっと意識飛んでた」

 

片手で眉間を押さえながら、りさは少しめまいがした様子だった。

 

「なんか疲れてるのかなぁ、昨日もいつの間にかフラフラしながら廊下を歩いてたし」

 

「きっと疲れてるんですよ。

 私も昨日、疲れすぎてるのか、歩いてたら宙に浮かんで行く夢見ちゃいましたから」

 

 

きっとそれらは夢ではなく、夢遊病というやつなのかもしれなかった。

 

 

・・・

 

 

そんな風に、翌日も、また翌日も仕事を続けていた二人だったが、

さすがにお寺修行の効果が出てきたのか、日を重ねるごとに無心になっていき、

余計なことは考えずに、ただひたすら座禅、仕事、座禅、仕事を繰り返していた。

ある意味で解脱寸前まで来ていたその日、いつも通り仕事をしていた眞木のパソコンにメールが届いた。

 

「あれ、りさ先輩、なんか変なメール届いてません?」

 

「えっ、私には来てないわよ、どんなメール?」

 

向き合った机に座りながら、二人は自分のパソコンとにらめっこしていた。

眉をしかめながら、眞木はそのメールをクリックして開いてみた。

 

「ちょっと、ウイルスメールとかもあるから、適当に開いちゃダメよ」

 

「でもりさ先輩、このメールのタイトル、完全に私たち宛てなんですよね」

 

「えっ?」

 

眞木が見て欲しそうな、欲しがった顔を見せると、

りさは席を立って回り込んで眞木の後ろからパソコンの画面を覗き込んだ。

送られて来ていたメールのタイトルは「疲れたOLさんと疲れすぎたOLさんへ」だった。

 

「何これ?」

 

「おかしくないですか、まるで私たちが疲れてるの知ってるみたいですよね」

 

眞木はまるで鋭い推理をする名探偵のような表情になって話を続けていたが、

二人はおそらく疲れすぎて冷静な判断ができなくなっていたのだろう。

こうした迷惑メールは、たいていの人が当てはまるように巧妙に書かれている。

疲れたOLと疲れすぎたOLは、この社会には無数に存在しているのだ。

女子が集団を作りやすい傾向まで考慮して、二人組が見ることまで想定して、

日本社会全体が働きすぎていて、このメールに救いを求めることまで計算されていたのである。

 

「なんですかこれ、Kー1グランプリ開催決定・・・」

 

「児玉坂の街で開かれる漫才大会って、今まで聞いたことないイベントね」

 

「えっ、りさ先輩、これ見てください、優勝者には賞金100万円って書いてありますよ!」

 

「へー、町おこしのイベントにしては張り切ってる金額よね。

 でも、こんなの私達には縁のないお話じゃない?

 私、漫才なんてできる人、知り合いでもいないし」

 

「りさ先輩、だからこそチャンスなんですよ」

 

「えっ、どういう意味?」

 

眞木はニヤリと不敵な笑みを浮かべながら話を続けた。

 

「この街にちゃんと漫才できる人なんていると思います?

 きっと参加者はみんなど素人に決まってますよ。

 だからこそ、私達にもチャンスがあるってわけです」

 

眞木はそう言ってからドヤ顔をしてみせた。

確かになかなかいい線をつく発想をしているのだが、

とにかくこんないい加減なメールひとつで自惚れて物事に足を突っ込んでくれる眞木は、

作者にとって非常にありがたい、愛すべきキャラクターであることは間違いない。

 

 

「これでこの研修が終わったら、二人で温泉旅行にでもいけそうですね」

 

「ちょっと、私、漫才なんてしたことないんだけど」

 

「そんなの私もですよ、でも安心してください、この街の漫才レベルなんてたかがしれてますよ。

 OLとして色々と出し物の経験を積んでる私達の方が、絶対面白いに決まってますって」

 

「でもなー・・・この作者から呼ばれてあまりいい事あった試しがないのよねー・・・」

 

さすがに鋭いりさだが、作者としては、今回もあなたの万能さが必要となるのです。

どうかここは、なんとか来ていただけないでしょうか。

 

「いやいや、りさ先輩、考えすぎですって!

 こーんな見え見えのチャンス、逃したら後できっと後悔しますよ!」

 

ありがとう眞木、あなたの軽薄さ、素晴らしい長所だと思います。

 

 

「ねー、ちょっと浮かれてない、大丈夫?」

 

「ふふ、ちょっと浮かれてる!」

 

 

こうして、二人は仕事のことも忘れて、しばらくネットサイトを見ながら、

100万円を使っていける温泉旅行の計画を立てるのに必死になってしまった。

煩悩の塊になった二人が、次の座禅研修で肩を棒で打たれまくったのは言うまでもない。

 

 

・・・

 

 

ノギー翔太にボケの練習をするよう指導された美織は、

あの日からというもの、色々なところでボケる練習を始めた。

どこまでも純粋素直で真面目な美織が、一度真剣に取り組み始めたら、

その打ち込み方たるや、熱心極まりない態度であり、

その彼女のボケへの情熱は、彼女の生活全てに浸透していった。

 

「いらっしゃいませー、いちごのショートケーキですね、

 ご一緒にポテトはいかがですか?」

 

多少つまらないボケであっても、彼女はとにかく恥をかきながらでも、

ボケることをやめなかった、ノギー翔太の教えでは、

スベればスベるだけ、お前の心臓が強くなると言われていたからだった。

 

「こちらのチーズケーキですね、

 じゃあケーキ持ってください、写真撮りますねー、はいチーズ!」

 

始めは驚いていたお客さんも、真面目な彼女が本気でそんなことをやっているのを見て、

だんだんおかしくなって来て、たまらず笑い出すのだった。

その度に、美織は少しずつボケに対する自信を深めて行った。

ノギー翔太にもらったメモ帳は、思いついたボケと、それの自己採点で真っ黒になり、

それがまた新たに新しいボケを生み出し、素晴らしい好循環を生みながら彼女はメキメキと腕を上げていった。

 

彼女はまた、ズキュンヌのみんなに、自分が漫才師であり、Kー1に出場することを宣言した。

今まで美織がそんな夢を抱いていたことを知らなかったみんなは多少驚いたが、

頑張ってね、応援するよ、などの声をもらい、彼女はますますやる気になっていった。

店長の真冬は、「私も出るし、負けないぞ~」と言いながら店内で美織のボケにツッコミを入れたりもしてくれた。

 

「あっ、ケーキの材料なくなりそう!

 ごめん、誰か買って来てくれない?」

 

真冬が困った様子でそう叫ぶと、美織は率先してボケるようになった。

 

「じゃあ、私が行きますね」

 

「いえ、私が行きますよ」

 

「そんな、私が行きますって」

 

美織のボケに続いて、びり愛、絢芽も続く。

 

「えっ、じゃあ、私が」

 

「どーぞどーぞ!」

 

こうして真冬は、雇ったアルバイトにうまく躱されて、

いつも自分で買い出しに行くことになっていった。

 

「なんかおかしいなー、忙しいから雇ってるはずなのに・・・」

 

 

・・・

 

 

「あっ、これ懐かし~!」

 

ある日、美織は自分の部屋の掃除をしていた。

そして、「ぷぷぷシスターズ」で活動していた頃の思い出の品々を見つけたのだ。

 

昔、相方と一緒に撮影した写真、ネタの台本、もらったファンレター、

こういった類いのものを、しばらく美織は振り返ることもなかったのである。

それは、不本意に解散してしまった過去にあまり積極的に触れたくなかったかもしれないし、

現在がうまくいっていないのに、過去の楽しかった記憶にすがるのはよくないと思っていたからかもしれない。

 

(・・・あの頃も楽しかったな、まさか今、自分でネタ書くなんて思わなかったけど・・・)

 

人は皆、過去を振り返ると、現在の自分が確実に成長していることを知る。

全ては比較対象を持って評価される、これは自己成長だけでもない、

物の良し悪しは、結局のところ、相対的に比べられてしまうものであり、

その狭い見方の中で決着をつけなければならないことになる。

人は誰も、今目の前の現実だけを見つめて、その幸福度を測ることはできない。

幸福に埋もれた瞬間、それらすべてが急に当たり前に感じられるようになり、

少しずつ感度が鈍っていって、幸福度は勝手に減少して行くのである。

残念なことに、痛みというのは放っておいてもそれだけで辛いものである。

だから人は幸福を感じるほうが不幸になるよりも何倍も難しい。

人が幸福を感じるためには、それなりに工夫し続けなければならない。

 

「・・・あっ、これも懐かしい~」

 

思い出の品々に混じって登場したのはハリセンだった。

以前、ツッコミを担当していた時、これを使ってツッコミをしていたのだ。

こうした過去の自分に関する物を眺めていると、今や自分はボケの側に回った事実も、

急に不思議な出来事のように感じられてくる。

その事実だけが、なんだか自分の中から浮き出してくるような感覚だ。

突然、一つの事実だけにスポットライトがあたり、他の物事から切り離され、

まるでそれが自分の中にあるものではなかったかように、

客観的にそれを眺めることができるようになる。

 

美織はそのハリセンを持って、鏡の前に立ってみた。

自分がハリセンを持っている姿が鏡の中に映っている。

 

「なんでやねん、これじゃ豆腐も切れんわ!」

 

ハリセンを振りかざして、ツッコミのセリフを言ってみた。

自分以外、誰もいない部屋でその言葉だけが際立って響いた。

 

そうしてツッコミをしてみて、さらにボケのことがよくわかった気がした。

それはおそらく、ボケに挑戦してみることで、ツッコミがよりわかったからだ。

これらはどちらも切り離すことができない、そもそもが一体のものであり、

リズム、間、声の大きさ、動作の見せ方などによって面白いものになったり、

その逆にとてもつまらないものになったりもするのである。

それらは繰り返し練習し、その結果を検証していくしかない。

結果的に面白かったなら、その何が面白かったのかをきちんと分析し、

それをまた体現できるように練習を積み重ねていくのだ。

そんなことをしている間に、やりとりの型が出来上がっていき、

型が出来上がるからこそ、それを型破りな方法へ昇華させることもできる。

場の嫌な空気感なども読めるようになり、状況にあった対応が取れるようになる。

 

お笑いとは職人技に似たようなところがあるのかもしれない。

おそらく人間とロボットが漫才を始めることになったとしても、

最初のうちは「おい、ロボットお前空気読めよ!」というツッコミが成り立つだろう。

もちろん、ネタを考えるサポートはロボットの方が幾分も優れているので、

「俺の漫才のネタ、全部こいつが作ってますねん、俺こいつに食わせてもらってます」

というボケは成り立つのかもしれない、そんな未来はいつかくるだろうか?

 

 

ところで、美織がハリセンを振っていると、

どういうわけか、ハリセンの中からヒラヒラと舞い落ちる紙切れがあった。

おそらく扇の間に挟まっていたのだと思われるその紙切れを拾ってみると、

それは昔、彼女がよく劇場に通っていた頃に買ったライブのチケットだった。

若手漫才師たちが何組も出演するライブなのであるが、なんとそこには黒騎士のサインが書かれてあった。

美織は過去にノギー翔太のサインをもらっていたなんてことはすっかり忘れてしまっていたが、

すごいお宝を発見したような気持ちになり、嬉しくて写真を撮ってすぐにSNSにアップした。

 

 

〈懐かしいお宝発見、今だったら50000円くらいの価値かな~?〉

 

 

そんなことをコメントしながら、こんなチケットが残っているということは、

もしかするとあれも残っているかもしれない、そう思った美織はさらに思い出の品を漁っていった。

そして、お目当の物を発見した、それは若手漫才師たちのライブDVDだった。

 

美織は早速、そのDVDを再生し、収録されていたコンテンツを順に観ていった。

このライブには数多くの漫才師たちが登場していた。

ガネーシャイズム、辿り着いた終わり、マドモアゼルはしか、戦うニート軍、

ちくしょうとろろ芋、タクラマカンボンバーヘッド、果汁2000%、黒騎士・・・。

 

 

「どーもどーも、黒騎士でーす」

 

「いやーほんま頑張っていかなあかんなと思ってるんですけどね、

 まず自己紹介させてもらってもいいですか?

 僕はケヤキ賢太って言います、今年で28歳、乙女座のB型なんですけどもね」

 

「どうも、地獄の一丁目一番地に住んでる男、ノギー翔太です。

 飼っている犬の名前は地獄を守る番犬から取ったケルベロスです、俺もよく手を噛まれます」

 

「あかんやんそれ!

 えらい名前の犬飼ってるなあ、あれ?

 それにしても、お前んちペット禁止じゃなかった?」

 

「だから毎日、大家にバレないように過ごしてんねんやんけ。

 ケルベロスが吠えたら、俺も一緒に吠えてまさか犬が吠えたとはわからんようにごまかしてる」

 

「いや、それ多分ごまかしきれてないで。

 やばいやつ入居してもうたと大家さん思ってると思うわ」

 

「アホ、それぐらいしてもペット飼うのは価値あるっちゅうことやねん!

 みなさんわかります?家に帰ってきた時、犬飼ってたらめっちゃ癒されるでしょ?」

 

「あー、まあわかるな、帰ってきたら尻尾振って寄ってきてくれるんやろ?」

 

「なんでやねん、お前うちのケルベロスを舐めんなよ」

 

「お客さんすんません、こいつのキャラ地獄に住んでるっちゅうことになってますねん。

 だから、キャラ設定守るために、ちょっと誇張してるとこあると思いますけど、

 こいつにはそう見えてるらしいんで、付き合ったってください」

 

「ケルベロスってな、地獄を守ってる番犬やねんぞ。

 だからうちの家でピンポーンってなったら、絶対に吠えて威嚇してくれる」

 

「それ、結構なアホ犬なんちゃうの?」

 

「ちゃうわ、吠えてくれたら不審者来た時にバーッって逃げるやろ?

 ケルベロスは優秀やから扉が開く音しただけで、すぐに玄関走って来て吠えるねん」

 

「結構近所迷惑やと思うけどな。

 あれ、お前さっき犬吠えたら大家にバレるて言うてなかった?」

 

「おう、だからお前、俺が扉開けたら、ケルベロスくるやろ、吠えるやろ、

 大家にバレへんように俺も吠えるやろ」

 

「家帰って来た途端に犬と飼い主が一気に吠え出したら、

 お前隣に住んでる人びっくりするんちゃうか?」

 

「大丈夫や、俺の両隣、今は誰も住んでへんから」

 

「それ、もうすでに引っ越したってことやろが!

 お前近所で相当気持ち悪いやつやと思われてるんちゃうか?」

 

「両隣の奴らなんか俺は知ったこっちゃないねん!

 俺はケルベロスにめっちゃ癒されてるんから!」

 

「あーそう、ほんでどうなんの?」

 

「ほんでしばらく吠えたら、ケルベロスの威嚇は終了や。

 威嚇しても逃げへんちゅうことは、これは威嚇するべき相手じゃないとわかるわけや」

 

「まあそこは犬ですからね、結構頭いい動物やって言われますしね」

 

「威嚇しても意味ないとわかったら、ケルベロスは飛びかかってくるねん」

 

「お前、まだ不審者と思われてるやんけ!」

 

「アホ、地獄の番犬やぞ、そんな簡単に気を許したら逆にあかんやろ」

 

「けどお前、そんなんに飛びかかって来られたら怖いやんけ」

 

「それは犬を飼う覚悟がお前に足らんだけや」

 

「いや、世間の皆様そんな犬飼うくらいで覚悟してないと思うで。

 むしろ飼うんやったら最後まで責任持って飼うとか、命の問題に対しての覚悟はいると思うけど」

 

「命の問題に対しての覚悟か、それは俺もめっちゃ考えるな」

 

「あっ、そうやろ?

 やっぱ犬飼う時ってそういうのよく考えて飼わんとあかんもんな」

 

「ケルベロスが飛びかかって来て、毎日身体中を噛まれて流血してることを考えると、

 俺の命もいつまで持つんかなと、考えることはよくあるわな」

 

「んー、俺の考えてるのとなんかちゃうけどな・・・」

 

「ケルベロスって頭3つあんねんけどな」

 

「地獄設定やから付き合ったってくださいね」

 

「その3つともの頭が一斉に俺に対してかかってくるわけや。

 一つの頭は俺の右手を噛み、もう一つの頭は俺の左手を噛み・・・」

 

「こわ~、さすが地獄の番犬やな、命いくつあっても足らんな~」

 

「最後の一つはめっちゃ笑顔で俺の乳首を舐めにくる」

 

「いや、そいつなんやねん!」

 

「こいつが一番懐いてんねん」

 

「えっ、3つとも別々の感情で動くもんなん?

 あと、乳首舐めにくるって、それ懐いてるっていうか?」

 

「もう俺はこうして毎日地獄の責め苦を受けてるわけや~ハハハ」

 

「なんかちょっと嬉しそうやから気持ち悪いんですけど」

 

「わかったか、犬って癒されるもんやろ?」

 

「それはお前がど変態やから癒されてるだけやろ。

 それにしても、お前その犬どこで買って来てん?」

 

「えっ、近所のペットショップで生後3ヶ月のチワワって書いてたやつ買って来た」

 

「お前の妄想激しすぎるわ、やめさしてもらうわ」

 

 

・・・

 

 

 

美織は久しぶりに黒騎士のライブ映像を観て、

本当にノギー翔太がすごい漫才師だったことを改めて噛み締めた。

 

それでも、わずか数年前のライブ映像なのに、

当時のノギー翔太は今の彼よりも尖っていたような気がした。

数多くの漫才師が出演しているライブだったが、

その中でも誰よりも自信満々に見えたし、誰よりも偉そうな態度に思えた。

今、自分とコンビを組んでいる人が、本当にこの人と同じなのだろうか、

もちろん、顔も声も全く同じなのだけれど、なんとも不思議な感覚が美織の心を占めていた。

 

 

すっかり懐かしいライブ映像に見入ってしまったが、

他の漫才師のライブを見て、今ならば学べることがたくさんあった。

当時はただ面白いとだけしか思わなかったことが、

自分がネタを書く側に回ってみると、漫才の見方が全然違って見えた。

すぐに同じように真似できるとは思えなかったが、それでもそのエッセンスを盗むことはできた。

 

ライブを全て見終える頃には、美織のメモ帳はまたびっしりとアイデアで埋まってしまった。

書きなぐったり、修正したり、とにかくメモ帳を汚すことには成功したのだが、

これをどうすれば、彼らみたいに面白い漫才に繋がるのだろうか。

そのあたりについては、まだ自分でもよくわからなかった。

 

ふと気づいたら、もう結構な時間が経過していた。

さきほどSNSにアップしたチケットに対しての反応が返って来ていることにも気づいた。

美織は嬉しくなって携帯でアプリを立ち上げると、何が書かれているのか覗いて見ることにした。

 

〈黒騎士か、懐かしいな〉

〈あの二人なんか怖いから好きじゃなかったな~〉

〈面白かったと思うけど、もう解散したんじゃなかったっけ?〉

〈売れない芸人の末路は悲惨、今頃どこでバイトしてんのかな?〉

〈このサイン入りチケット、残念だけど今では500円の価値もないと思うよ〉

〈美織が好きなものって本当に変わってるよね~〉

 

みんなが書き込んでくれた反応を見たが、

美織にはあまり共感できるようなコメントはなかった。

彼が何か悪いことをしたわけでもないと思うのに、

世間は何かにチャレンジして成功を収めなかった人に対してあまりにも厳しかった。

美織はなんだかすごく胸が苦しくなって、

その反応に対してまたコメントを書き込むことにした。

そうすることで、何か少しでも苦しい思いから解き放たれたかった気がした。

 

50000円くらいはしますよ、だってノギー翔太さんですよ〉

 

 

・・・

 

 

夏を笑い飛ばそうという趣旨の元で開催されるKー1グランプリに向けて、

季節も空気を読みながら、太陽の日差しをジリジリと強めていった。

お金のない生活を送っている漫才師は、それでも公園でネタ合わせをするしかない。

 

美織が忙しい時間を縫って書き上げて来たネタ本をノギー翔太が読んでいた。

美織はドキドキしながらその反応を待つ。

数日間かけてずっと没頭して書き上げて来たものであったが、

書いた当時は面白かったのに、読み直すとだんだんと面白くない気がして、

当初持っていた自信を喪失してしまう、そんなことを繰り返しながら、

とにかく自分なりのネタは書き上げた。

 

「あとは構成だけやな」

 

読み終えたネタ本を机の上に放ってからノギー翔太はそう言った。

二人が座っているのは公園の中にある子供用の切り株に似た机と椅子だった。

 

「一個一個のネタはおもろいと思うで。

 あとは全体のテーマを決めたり、流れを構成したりすればええんちゃうか?」

 

ノギー翔太は予想に反してそれほど厳しい言葉を吐かなかった。

もっとボロボロに言われるかと覚悟していた美織は少しホッとしたが、

やはり自分に今足りていないものを的確に指摘されたのは耳が痛かった。

 

「ん、どないした?」

 

「なんか、面白いことを伝えるのって難しいですね」

 

「何を今更いうとんねん」

 

「なんか、面白さを説明するのも、私すごい苦手で・・・。

 私はこんなに面白いって感じてるのに、なんか誰に話してもうまく伝わらないし」

 

美織がそういうと、二人の間にはしばらくの間、沈黙が流れた。

 

「お前の口癖、『なんか』やもんな」

 

「えっ、あっ、よく言っちゃいますね・・・」

 

「この洋服、なんか可愛い。

 この映画、なんか面白い。

 この人達、なんかキモい」

 

少し強い風が吹いて、美織の長い黒髪が顔にかかった。

机の上のネタ本が風に吹かれて勝手にめくれる。

このままどこかに飛んで行ってしまいそうで怖かった。

 

「この言葉はすごい抽象的に話を終わらせるときに使うよな。

 何かを感じてるんやけど、その奥底にあるものが全く見えへん。

 それを取り出すことはできへんのやろうか?

 みんな感じてることはいっぱいあるはずやねん。 

 そんなところに大きな差なんてないと思うねん。

 なんかの奥底には、誰もがいっぱい水の溜まった泉を持ってると思うねん。

 それとも、それを取り出せる人と取り出せない人がいて、

 そのせいで才能っていう言葉が誕生してしまったんやろうか?」

 

もっと強い風が吹いて、二人の間に置かれていたネタ本が動いた。

めくれたページがヨットの帆みたいに風を受けてしまって、

そのせいで少しずつネタ本は風によって流されていく。

切り株の机から地面に落ちてしまったら、もう行先の知らない海を漂流していくだけ。

 

机から落ちそうなところで、ノギー翔太がそれを受け止めた。

バタバタとページははためき続けたが、彼はそれを美織に手渡した。

 

「俺だって才能なんかないんや」

 

静かな公園では彼の言葉の他には、遠くで遊んでいる子供たちの声と、

わずかな短い命を精一杯鳴きながら過ごしている蝉の声くらいのものだった。

 

「ほんまに才能ある奴は、才能っていう言葉を知ることもないわ。

 何やってもうまくいく、うまくいく理由が自分に才能あるからやとは気づかへん。

 才能って言葉を知るのは、才能ないやつだけや、俺みたいなやつだけや」

 

近くの樹木から聞こえていた蝉の声が止んだ。

ギギッという音がして、木の下へ蝉が落っこちてきて動かなくなった。

それでもこの公園に吹いている風は止むことはない。

鳥たちは空を飛んでいる、太陽は照りつけてくる、二人は沈黙に包まれる。

 

「でもなんか」

 

「なんか?」

 

「あっ、でも・・・ノギーさんの漫才、絶対面白いですよ。

 私、この間、黒騎士のライブDVD観たんです。

 うまく言えないですけど・・・なんか・・・私は面白いなって思いました」

 

二人の間にまた沈黙ができた。

ノギー翔太は何も言葉を返さない、ただ遠くを見て切なげな顔を浮かべている。

 

「真面目か、ボケろや」

 

「いや、真面目に話してるところで全部ボケるのもおかしいじゃないですか!?」

 

「あれ、珍しくムキになって」

 

「だって人が真面目に話してるのにちゃんと聞かないからでしょ!」

 

「空気読めん奴やな、照れ隠しって言葉知らんのか?」

 

「・・・だって」

 

美織は少し怒って下を向いてしまった。

彼女の長所は、こうして素直に誰かを応援できることだろう。

まっすぐで純粋で、疑うことを知らずに、自分が応援したい人を応援できる。

他の人がなんと言ったって、彼女にとって良いと思うものは良いと言いきれる人だ。

 

 

「俺な、アドリブ弱いねん」

 

ノギー翔太が美織には目を合わせず、ボソッとそう呟いた。

 

「急に無茶振りとかされるとな、全然おもろいこと言われへんねん。

 漫才師がおもろいのって、ネタを事前に作ってるからやねんな。

 もちろん、才能あるおもろい奴は、アドリブでもなんでもおもろいけどな。

 そら素人に比べたらマシやで、でもこれもネタ帳を真っ黒になるまで書き倒して、

 自分の引き出しを増やしてきたからできてるだけであって、

 ほんまは今でも急に話とかふられたらドキドキするしな」

 

そう言って、ノギー翔太は珍しく美織の方を見て照れ臭そうに笑った。

 

「そんなの、私だって全然できませんよ・・・」

 

「そらそうや、誰にでもすぐにできてたまるか。

 そういうの全部できる人らだけがプロの漫才師になって、

 みんなに笑いを提供する代わりにお金をもらえるんやからな。

 アドリブ強いんも才能やろうかとか、いろいろ考えたこともあったけどな」

 

先ほど木の上から落ちてきた蝉が、ジーッと音を立てて、

また羽を広げて何処かへ飛んで行った。

ノギー翔太もそれに合わせて切り株の椅子から立ち上がった。

 

「才能なんかなくても、死ぬ気で努力して生き残ってる人らもおる。

 そういう人らがおる以上、俺も諦めたらあかんなって思うねん」

 

「・・・そうですよね」

 

「前向きな話の時だけ、相槌うつの早ない?

 やっぱりお前、根は結構明るいやつなんやな」

 

「だって、私は笑っていたいですから」

 

ノギー翔太は美織を見つめてニヤリと笑った。

美織も彼を見つめてニッコリ微笑んだ。

 

「まあ、バカっぽいけどな」

 

「いや、それひどくないですか!?」

 

「ちゃうちゃう、いい意味でやで」

 

「絶対嘘ですよね!?」

 

「ほんまほんま、なんか育ちが良くて人を疑うことを知らんおバカなお嬢ちゃんキャラ」

 

「ひどい、言い過ぎでしょ!?

 ノギーさんだって変態でバカで勝手な人じゃないですか!?」

 

「えへっ、褒められた」

 

 

二人はそんなやりとりをしながら、この日はもう終わりにすることにした。

美織はまた仕事の合間にネタを考えては、その構成まで詰めていった。

ネタが固まってきたところで、公園に集まってネタ合わせをしたりして、

二人のコンビでの間の取り方の練習や、セリフ以外の動きの部分など、

お互いに意見を出し合いながら詳細な箇所を詰めていくことになった。

意地悪なノギー翔太は、ネタの途中でアドリブを入れたりしながら、

困った顔になる美織を笑うこともあったが、それらも全て練習のうちだと彼は言った。

時々、美織は仕返しとしてアドリブを入れてノギー翔太を困らせたりもした。

そんな風に回数を重ねるごとに二人のネタは順調に仕上がっていった。

 

 

・・・

 

 

 

 

Kー1グランプリを来週に控え、二人の準備は進んでいった。

時間が合う時にはカフェや公園で会ってネタを考えたり、ネタ合わせの練習をしたりした。

二人とも、お笑いに対する熱意は素人の域を超えていたので、

参加者の中でも、かなり熱心に練習を繰り返していた方に違いなかった。

 

やがてある程度納得する形ができた時、

ノギー翔太は近くで行われる花火大会にでも行こうと提案した。

あまり真面目にやりすぎてもダメで、適当にリラックスしてる時の方が、

面白いことが生まれやすいという彼の持論に由来する提案だった。

 

いつもはバイクで移動する二人だったが、

美織はせっかくなので浴衣を着ることにしたため、

二人は珍しく電車で移動することに決めた。

 

美織は水色の浴衣を着て、可愛らしい頭飾りをつけていた。

一方のノギー翔太は相変わらず真っ黒のシャツとパンツで、

バイクに乗るわけでもないのに黒のブーツを履いていて見るからに暑苦しかった。

 

「昔から衣装は黒しか着ることはなかったから、

 家にあるの黒ばっかりやねん、地獄に水色とか似合わんやろうし」

 

美織は、彼は結局ずっとお笑いのことしか考えていないのだなと思った。

それはそれで、少し寂しいような思いが胸をかすめた。

 

花火大会には屋台のお店がたくさん出ており、人の賑わいもすごかった。

「人多すぎて、何のおもろいことも思い浮かばんわ、失敗した」とノギー翔太はぼやいた。

 

花火が打ち上がるまでにもう少し時間があり、二人は色々と出店を見て回った。

「ノギー翔太が相性試しや」というので、二人は出店にあったピンボールをやり始めた。

ピンボールは転がる球をうまく弾いて狙ったところに当てたりしてポイントを稼ぐゲームだ。

二人は左右のフリッパー、つまり球を弾く箇所をそれぞれ一つずつ担当した。

美織は真剣に球を弾こうとしたが、ノギー翔太はわざと球を落としかけてみたり、

「パスや」と言って美織に無茶振りしたりしたせいで、全然相性試しにはなっていなかった。

そもそも、ノギー翔太が相手だったら、誰も相性がいい人などいないと美織は思った。

 

それでも二人は時間つぶしにピンボールを楽しんでいた。

美織は転がって行く球を見ながら、まるで自分の人生みたいだと思った。

弾かれた球はどこへ行くかわからない、自分と意思とは無関係の場所へ飛ばされる。

美織もふとしたことからノギー翔太と出会い、コンビを組んで、漫才をすることになって。

本当はこんなはずではなかったのに、いったいこれからどうなってしまうのだろう。

 

(・・・どこへ行くの、ピンボール?・・・)

 

 

花火が打ち上がる時間が近づき、二人で花火が見える位置を探していると、

彼らの近くではお母さんに連れられた子供がはしゃいで走っており、

その子供が風船を手に持っていたことが、美織を恐怖させた。

美織は風船が苦手であり、あの感触、割れる音など、とにかく苦手らしい。

 

「そういうおもろいネタを何で早く言わへんねん。

 今度お前に向けてジェット風船飛ばしたるわ」

 

「ほんと、何なんですか、ノギーさん最低な人ですね!」

 

「はは、ええ感じやん。

 そうやって、あんまりええ子にならん方がええぞ。

 ええ子になっても、何もおもんないからな。

 もうこれからは賢いふりもすんな、おバカやねんから」

 

ノギー翔太はそういって美織に変な顔をした。

「もうほんと気持ち悪いです~」と美織は言った。

そんなことをしていると、向こう側から最初の花火が打ち上げられた。

二人は花火が見える場所まで早歩きで進んでいった。

 

 

・・・

 

 

花火は次々と打ち上げられていき、雲ひとつない夜空は明るく照らされていた。

この世界に何も嫌なことが起きていないみたいに、周囲の家族連れは賑やかに笑い、

子供達ははしゃぎ回り、恋人たちは手を繋いで、あたりは幸福に満ちていた。

 

「よし、花火ってキーワードでボケてくれ」

 

「えっ、何ですか、今目の前で花火を見てるのに」

 

「ええから、はよボケてくれ」

 

ノギー翔太の無茶振りに、美織はグーにした手を顎に置いて少し考えてから。

 

「私、大学では花火を学ぶつもりです・・・専攻花火」

 

「優しい笑いやな」

 

「はい、ノギーさんの番ですよ」

 

「お姉さん、この花火めっちゃいいんですよ。

 誰か他の人も紹介してくれたら、お姉さんも儲かります・・・ネズミ講花火」

 

「えっ、どういう意味ですか?」

 

「しまった、ネズミ講を知らん善良なお前にウケるはずがないネタのチョイスしてもうた」

 

「言い方がひどいです、それでねずみ講って何ですか?」

 

「だいたい、お前のツボは難しいねん、何にウケるかあんましわからん」

 

「えー、なんか結構何でも笑いますよ」

 

「じゃあ俺のボケでも笑ろとけや」

 

そんなことを言っている間にも、花火は次々と空に打ち上げられた。

途切れることなく連続で音が鳴り響き、子供達は嬉しそうに笑っていた。

 

「花火は偉いなぁ、湿気たら終わりやのに」

 

「今日は雨降る予定はないですよ」

 

「でも人生には雨はつきもんや、絶対いつか降る、土砂降りになる、湿気る。

 花火師はいつも一発勝負なんや、打ち上がるか、湿気て不発で終わるか」

 

美織にはノギー翔太が何を言おうとしているのか、

その意味がさっぱりわからなかった。

だが、この時の彼がどこか湿っぽい花火見たいな瞳をしていたのだけはよく覚えていた。

 

Kー1グランプリ、1位取られへんかったら、もう漫才はやめようと思う」

 

「えっ、そうなんですか!?」

 

「それくらいの覚悟を持ってやろうって話や、解散したいわけちゃうで」

 

「・・・はい」

 

それから二人はただ黙って打ち上がっていく花火を見続けた。

雨が降らないように、湿気たりしてしまわないように、

なぜかドキドキしながら一発一発の花火を真剣に見つめてしまった。

 

まだ最後の花火が打ち上がらないうちに、ノギー翔太は早めに帰ることを提案した。

その方が駅が混まないからという配慮だったが、美織は珍しくその提案に反対した。

最後までこの花火を見ておきたいという気持ちが強かったからだった。

ノギー翔太は美織に合わせて、最後まで花火を見ることにした。

 

彼が心配した通り、帰りの駅は人ごみでごった返していた。

人の群れに散々揉まれた帰り道、駅のホームで突然美織が笑い始めた。

どうしたのか、何が面白かったのかとノギー翔太が尋ねると、

彼女いわく、ホームにたくさんの人に踏まれて真っ黒になったおにぎりが落ちていたらしい。

それがどうやら彼女のツボだったらしく、2口くらい食べかけてあったという。

ちなみに、それはどうやら梅おにぎりだったようだ。

 

美織はずっとそのおにぎりの件で笑い続けていたのだが、

ノギー翔太はそれを見てもさっぱり笑わなかった。

彼女の笑うポイントが、この段階に来てもまだわからなかったのかもしれない。

 

 

・・・

 

 

そして、いよいよKー1グランプリ当日がやって来た。

 

漫才大会の予選が行われるのは児玉坂公園であり、

当日は参加者や観客など、大勢の人で賑わっていた。

企画者はこの街に色々とコネクションを持つ有力者らしく、

道楽な企画が非常に好きな不動産屋の社長だったらしい。

彼が色々な人に様々なやり方で参加者を集める方法を実行させ、

当日の参加者は予想以上の人数にまで膨れ上がっていた。

 

公園には特設ステージが組まれており、野外で漫才を披露することになっていた。

これまたかなり大きなステージが用意されていたため、

どうやらこの街以外の人達も観客として公園を訪れていたらしい。

 

Kー1グランプリのルールとしては、

まず予選会として短いネタ見せをステージの上で行い、

審査員の判定を経て、最終9組まで絞られる予定だという。

そこからまた一回戦を経て、決勝戦は3組で争われるらしい。

優勝者には賞金100万円が贈られることが決定している。

 

 

いよいよ予選会のための準備は整えられ、観客は観客席へ、

参加者はステージ裏へと集められることになった。

誰もがそわそわしている中、最後までネタ合わせをしているコンビも多い。

そして、いよいよ予選会が始まるのか、盛大な音楽が会場に流れ始め、

ステージの端にスタンバイしている司会者へとスポットが当てられた。

そこには司会者席として、司会者の男性が一人、若い女の子が一人立っていた。

 

「さて、いよいよ始まりました第一回Kー1グランプリ、

 司会は私、ビジリー山田が担当させていただきます。

 こんなローカルなイベントの司会ですけど、児玉坂の街のためですから、

 私しっかり役目を務めさせていただきたいと思います。

 さて、私の隣にいるもう一人のMCを紹介しましょう!」

 

「こんにちは」

 

「はい、えっと、もうちょっとだけ喋ってもらっていいですか?」

 

そう言うと、女の子ははにかみながらふふふと笑った。

 

「はい、今回のMCを務めさせていただきます、内藤明日奈です、よろしくお願いします」

 

「明日奈ちゃん、今回はどういった経緯でこの仕事を引き受けたんですか?」

 

「主催者の不動産屋の息子さんとちょっとした知り合いでして、

 なんか、私がお笑い好きだと聞いたらしくて、そしたらオファーが来ました」

 

「えっ、なんかすごいコネクションですね。

 明日奈ちゃんは噂では神に選ばれたことがあると聞いたんですけど、それは本当なんですか?」

 

「ふふふ、どーなんですかね」

 

「ちなみに、その肘掛はなんですか?」

 

「これはプレミアム肘掛46らしいです。

 なんか今回のために特別に用意してもらったんですけど、

 よかったら優勝した人に持って帰ってもらっても結構ですよ」

 

そう言うと、ビジリー山田は持ちギャグである舌を動かしながら肘掛に近づいた。

 

「私はいいですけど、優勝したい人がいなくなっちゃいますよ」

 

「あっ、そうだ、そりゃ大変だ、やめときましょうね。

 さて、それでは明日奈ちゃんにはMCと特別審査員としても活躍してもらいます。

 審査員は基本的に今回の主催者側で大方揃えているんですが、

 そこに明日奈ちゃんが入ってもらいまして、なんと決勝戦だけ、

 特別にすごい大物の審査員の人に加わってもらうというサプライズを用意しています。

 児玉坂の街に多大な貢献をしてもらっている方々ですので、こちらもお楽しみに」

 

ビジリー山田がそこまで説明すると、どうやら横から原稿が差し込まれた。

持って来たスタッフと目配せをして何かを確認しているようだった。

 

「えー、ただいまここで速報が入って来たようなのでお伝え致します。

 皆様が楽しみにしているKー1グランプリの模様ですが、

 どうやら読者の方々がネタを完全に見られるのは決勝に残った3組だけのようで、

 予選会は基本的にネタの部分は端折られ、一回戦はちょっとだけ書くかもということで、

 どうやらネタを書くことの大半を作者が放棄するらしいことがわかりました。

 明日奈ちゃん、これは非常に残念な結果になりましたね、いかがですか?」

 

「そうですね、まあ確かにここまで読んで来たみなさんにとっては、

 全部のネタを見たいのは正直な意見だと思うんですけど、

 まあ作者にとっては一人で何組ものネタを全部考えるのは、

 漫才師でもないので、これは大変すぎると思いますし、

 まあ仕方ないのかなと思いますね、多分私だったらもっと端折ってます」

 

「はい、というわけですので、

 ネタを書いてもらいたいコンビは頑張って決勝に残りやがれってことですね?」

 

「はい、残りやがれってことです、ふふふ」

 

「それでは、ちょっと参加者を代表して何組かに意気込みを聞いてみましょうか」

 

そう言ってビジリー山田と明日奈はマイクを持ったまま参加者の前へと歩いて言った。

 

「えー、それでは適当に選んじゃいますけども。

 いよいよ本番ですけど、意気込みはどうですか?」

 

「そうですねー、いやーちょっとここまで大勢の人が参加するなんて予想外だったんですけど、

 世の中のOLを代表して頑張りたいと思います、温泉旅行にいくぞー!」

 

「はい、ありがとうございました。

 今回のKー1グランプリには年齢制限がございません!

 どんな方でも参加するチャンスが与えられているということですね!」

 

そう言って、ビジリー山田は次の参加者を探した。

どうやら自ら手をあげる参加者を見つけたので、そちらの方へ近づいていった。

 

「すごく意欲的な様子ですが、意気込みはどうですか?」

 

「あの~、私たちこの街でよろず屋っていう仕事をしてるんですけども、

 頼まれた仕事やったらなんでもやりますんで、よかったら連絡してください。

 詳しくはWebで、http://www.sayumikangundan@・・・」

 

「いや、ちょっと大会以外の宣伝はやめてもらえますか?」

 

「え~、しゃーないな~、じゃー優勝するぞ~、お~♡」

 

またビジリー山田が参加者の前を通り過ぎていくと、

見たことのある顔に目が止まったのでマイクを向けることにした。

 

「ええと、あっ、あなたはバレッタで働いているアルバイトの森さんですね?

 児玉坂の街の超有名店ですから、みんなあなたのことはよく存じ上げています。

 相方の方は、向かいのライバル店の店長の春元さんじゃないですか!

 これはまたすごいコンビですね、ライバル同士が手を組んだ感じですか、意気込みを!」

 

「そうですね、せっかくこういう機会をいただいたので、

 これを機に再起不能になるまでとことんやってやろうと思います」

 

「えっ、ちょっと、それってどういう意味!?」

 

「それはズキュンヌの店長を潰すという意味でよろしかったでしょうか?」

 

「はい、そうですね」

 

「いやいや、おかしいでしょ!? 

 私たちコンビで漫才するだけだから!」

 

そのやりとりを聞いて、会場は笑いに包まれた。

まだ予選会が始まる前だが、もう彼女たちの戦いは始まっていたかもしれない。

 

 

「それでは、お時間となりました。

 今から予選会スタートです!!」

 

「パフォー」という甲高い音が鳴り響いて、いよいよ予選会は始まった。

1人組目のコンビがステージに上がり、最初の漫才がスタートしたのだった。

 

 

・・・

 

 

 

それでは、予選会の様子をダイジェストでお送りしましょう。

 

「ブゥッカッブゥッカッ

 

My head is popcorn!!

 

ボイスパーカッションによるBGMに合わせて、

英語で面白いことを言うという斬新なネタだったが、

惜しくも予選敗退、熱烈なファンが割り箸を振って応援するという一幕も。

 

 

「どうも、井上陽水です」

 

「どうも、私も井上陽水です」

 

カツラをかぶって二人とも井上陽水を演じるという、

不思議なネタだったが、残念ながら予選敗退。

スナックっぽいネタだなという評価を受けていた。

 

 

 

「では、ぱか~の意味を当ててください。

 次の曲がヒントです。

 この制服を脱いで自由になろう JKの特権にぱか~を♫

 

「ネタの使い回しや~、ではみなさまチャッス!」

 

この二人の漫才は可愛いすぎて、永遠に見ていたいという声が鳴り止まなかったが、

残念ながら予選突破ならず、またどこかで披露する機会があれば。

 

 

・・・

 

 

さて、決勝進出の本命と思われた次のコンビだが、

残念ながら決勝に残ることはできなかった。

審査員の評価としては、練習不足ではないかとの指摘もあった。

期待の高いコンビだっただけに残念ではあるが、

少し長めにダイジェスト版をお届けしよう。

 

 

「どーもどーもどーもどーも!!」

 

「こんにちは」

 

「ハローエブリワン!」

 

「私たち、『でまかせ』でーす!」

 

「ナイストゥーミーチュー!」

 

「えっ、ちょっとさっきの打ち合わせの時、その部分そんな英語の挨拶じゃなかったけど・・・」

 

「いや、そんなところは突っ込まないでいいので」

 

「あっ、そう、というわけで、でまかせの春元真冬でーす!」

 

「それにしても真冬さん、相変わらずあざといですね」

 

「なんでや!先ずは名前を名乗らんかい!

 もう私が代わりに言ったげる、この子は森未代奈ちゃんでーす」

 

「あー、今から言おうと思ってたのにー」

 

「お母さんから宿題しなさいって言われた時の言い訳みたいなのやめてくれる?」

 

「じゃあお返しに、私が真冬さんのことを紹介してあげますね」

 

「えっ、じゃあお互いに紹介しあいっこする?」

 

「えー、こちらの方は私が働いてるお店の向かいで店長やってる方なんですけど」

 

「うんうん」

 

「・・・あっ、皆さんちょっと待ってくださいね。

 真冬さん、ちょっと私より前に立つのやめてもらえますか?」

 

「おい!同じとこ立っとるやろ!

 っていうか、文字だけでこういうの伝えるの無理だって言ったじゃん!

 私があれだけ恥かいて実験材料にされたんだから、もう同じ轍は踏まないようにしてくれます!?」

 

「・・・あれ、なんやったっけ、ごめんなさい、ネタ忘れました・・・」

 

「おい!変なとこで台本にないアドリブばっか入れるからでしょ!

 しかもどんだけ正直に言っちゃってんの、そういうのは言わなくていいから!」

 

「えっ、本当になんでしたっけ?」

 

「ほら、お互いに紹介しあって・・・」

 

「えっ、もっとおっきい声で言ってください、聞こえないです」

 

「ほら、可愛くて、頭大きくて、足細くて、あざとくてって、

 褒めるけど合間にちょいちょいディスり入れるやつって、もう私これ説明しちゃってるから!」

 

「あっ、あのー、真冬さんってすっごいモノマネが上手なんですよー」

 

「こら!本番で台本にないことばっか言うな!

 しかも、その手のやつは文字だけじゃ伝わらないってば!」

 

「ちょっと何言ってるかわからないです」

 

「だからあれほど事前に練習しようって言ったじゃん!」

 

「じゃあ、真冬さんのモノマネまで、3、2、1・・・」

 

 

・・・

 

 

だいたい、このような感じで進んでいきました。

 

二人はコンビを組んだ後、組んだことを未代奈がすっかり忘れてしまい、

事前に全くネタ合わせの時間を設けることはなかった。

本番数日前に、真冬が未代奈から何の連絡もないことに気づき、

もう出場しないのかと思って本人に確認したところ、

なんでもっと早く言ってくれないんですかと言われたらしい。

 

そうして二人は急ごしらえのネタを作り出したのだが、

二人ともだいたい口からでまかせ、つまりアドリブで喋るのがうまい為に、

ネタを決めても、どこかで自由にアドリブばかり入れてしまうのであるから、

結局はこんなことになってしまったのであった。

 

 

・・・

 

 

さて、そんなこんなで無事に予選会を突破して一回戦に進んだコンビは、

よろず屋の勝村さゆみ、次藤みりんコンビ、

OLの瀬藤りさ、新渕眞木コンビ、

そして、田柄美織、ノギー翔太コンビだった。

 

そのほかにも優秀なコンビは勝ち進み、

合計9組のコンビで一回戦が行われることになった。

 

 

・・・

 

 

 

 

予選大会を終え、舞台は児玉坂体育館へと移された。

 

予選を勝ち抜いた9組が児玉坂体育館内に設けられたステージに集められ、

それを観に来た観客たちも、児玉坂公園から大勢駆けつけて来ていた。

 

「さあ、いよいよ予選を突破した9組による対決が始まりますね!

 予選会場でMCと審査員をしていた明日奈ちゃん、

 ついに9組まで絞られましたが、いかがですか?」

 

「そうですね、ネタが端折られていたので実際はほとんど見ていませんが、

 どのコンビもすごい頑張っていて、けっこう面白かったんじゃないですかね」

 

「そうですね、私も実際にはほとんど見ていませんが、

 そこは見ていたように語って欲しかったですね、この正直者!」

 

「えっ、あ、はい、そうでした、世間ってそういうものでしたね」

 

「まあ、ダイジェスト版を見る限りでも、なかなか面白いコンビが多かったように思います。

 ネタを見たい気もしましたが、あまり気にせず、1回戦ではできるだけ書いてもらえることを祈りましょう」

 

スモークが焚かれて、「Kー1グランプリ」というアナウンスが流れると、

やがて派手な音楽とともに第一組目の漫才が始まった。

ここまで勝ち上がって来ているのは、さすがにどのコンビも面白く、

観客はダムが決壊したように、その笑いの渦に巻き込まれていった。

 

その舞台袖では、出番を待っているコンビ達が最後のネタ合わせをしていた。

祈るように舞台に出ているコンビを見ている者もあり、

緊張に飲まれてお腹が痛いのか、手でさすっている者もいた。

 

「眞木ちゃん、大丈夫?」

 

「あー、すいません、昨日ちょっと食べすぎて胃がもたれちゃって・・・」

 

 

・・・

 

 

会社からタダでくすねて来た胃薬を飲んだ眞木は無事に復活し、

4番手としてついに出番を迎えることになった。

 

 

「こんにちは~、どうも私たち『アダルティーズ』でーす♡」

 

「はい、こちらの綺麗なりさ先輩と、

 同じ会社の後輩の私、新渕眞木でやらせていただきます~。

 こう見えても私たち、二人ともOLなんですよねー」

 

「いやー、でも私は自分ではまだまだだと思ってるんですけどね」

 

「えー、またまたー、りさ先輩は本当に謙虚なんですよ」

 

「違うの、本当に、本当に私なんて全然なんだから」

 

「みなさん、聞きました?

 こちらのりさ先輩、仕事させたら本当にいつも完璧にやり遂げるのに、

 それでもいっつもこんな風に自分はまだまだだって言っちゃうんですよ。

 もうほんと、そういうとこがOLの鏡だなって思いますよねー」

 

「もう、やめてよー!

 私、本当に自分ではまだまだだって思ってるんだからー!」

 

「またまたー」

 

「ほんとよ、私から言わせれば、眞木ちゃんこそ真のOLだと思ってるんだから」

 

「えっ、なんかそう言われると照れますねー。

 じゃあちょっとだけ聞いてもいいですかね?

 りさ先輩から見て、私のどういうところが、真のOLらしさですか?」

 

「えっ、だって、疲れたらデスクの下に靴脱いでるし、お昼休みに貝ひもとか食べてるし、

 立ち上がるときに、よっこいしょって言ってるし・・・」

 

「あれ、それってもしかして、

 りさ先輩、OLのこと『おっさん・レディー』の略だと思ってます?」

 

「えっ、ううん、全然思ってないよー」

 

「・・・えっ、ほんとですか?」

 

「いやーほんと、眞木ちゃんって思い込みが激しいんですよねー。

 駅のホームで向かいから知らない人に手を振られると、

 自分の後ろにいる人に振ってるのに、自分に振られてると思うタイプでしょ?」

 

「まあ、確かに、そういうとこありますけどー・・・」

 

「あと、足が長い、足が綺麗って声が聞こえて来たら、

 自分のこと言われてると思い込むタイプでしょ?」

 

「えー、それはちょっと思わせてもらってもいいじゃないですかー」

 

「うぬぼれちゃダメよ!

 足が長くて綺麗な子なんてあなたの他にもたーくさんいるのよ!?

 アメンボとかフラミンゴとか」

 

「ちょっとりさ先輩、比較の対象、ひどくないですか?」

 

 

・・・

 

見事なOLネタを盛り込んだりさと眞木は、

その昼休みに上司の悪口を言いながら培った安定したトーク力で、

見事3位で一回戦を突破し、決勝へと駒を進めることになった。

 

 

・・・

 

 

 

OLの二人がネタを終えて、次の5組目が出番を終えると、

いよいよ次は勝村さゆみと次藤みりんの出番だった。

 

音楽が流れて二人が登場すると、二人が話し始める前に、

会場から叫ぶような声援が聞こえて来た。

 

「きゃー、すごい、あの可愛いお方は一体誰だー?」

 

「あっ、本当だ、すっごい可愛いお方、一体誰なんでしょうー。

 あ~、こんな感じで大丈夫だったのかな~(小言)」

 

二人は見るからに先ほど予選で敗退したさゆみかん軍団のトト子と蘭々だったのだが、

二人はサクラであることがバレないように、サングラスとキャップ帽と口ひげをつけていた。

その様子はあまりに不審者であり、会場は逆にどよめいていた。

 

「あらあら、こんなところでも私の可愛さを噂する声が聞こえるなんて♡」

 

「・・・ちょっと、いつのまに二人を仕込んだんですか。

 っていうか、あの口ひげつけてるキャラで黄色い声援はおかしくないですか?」

 

「ノンノンノン、細かいことは気にしない気にしない~♡」

 

「えー、冒頭から大変お見苦しい茶番を見せてしまったことを深くお詫びいたします。

 私たち、「みかんとみりん」というコンビで漫才やらせていただきます。

 よかったら、名前だけでも覚えて帰ってくださいね」

 

「え~、名前だけなんて、そんな寂しいのかっちゅん嫌や~!!

 みなさん、この可愛い顔も、キュートな性格も、そして私の誕生日まで全部覚えて帰ってくださいね~♡

 後日、プレゼント送ってもらってもええんで、しっかり覚えて帰ってやってください、うふ♡」

 

「いやいや、名前だけでもっていうお決まりのフレーズなんですけどね」

 

「そう言えば、もうすっかり替え歌の季節ですね~」

 

「あっ、やっぱり私の話聞いてませんよねー」

 

「替え歌セゾンになりました~」

 

「ちょっと人気のあるものに必死に便乗しようとしてますねこの人」

 

「そら、なんでも乗っかったったらええんですよ~。

 ほんでな~、かっちゅん早速流行りに乗ってな~、替え歌作ってん」

 

「そうなんですか、それで、なんの歌を替え歌にしたんですか?」

 

「今流行ってる児玉坂46の『禿げ水』って曲をチョイスしました♡」

 

「それ本当に温水さんに怒られるから、後で知りませんよ」

 

「いやいや、このタイトルは作者が勝手に考えたやつなんで。

 かっちゅんはそれを『化粧水』に変えてみました」

 

「それだともう読み方が『みず』から『すい』に変わっちゃってますけどね」

 

「それでは、ミュージックスタート~♡」

 

「すいませんね、みなさん手拍子でもお願いします」

 

「ほっぺが切り取られた~♪

 口元の小じわへと~続いている~♫

 真冬のほうれい線は~♪

 どれくらい引き伸ばせば~消えてくのか~?♫」

 

「あれ、これ春元真冬さんのこと歌ってますね」

 

「ビタミンCが不足しているのかな~♪

 ストレス多す~ぎるのだろう~♫

 いつの日からか~彼女は化粧水使って~♪

 伸ばさな~くなった~♫」

 

「間奏に入るドビュッシーがなんか、バカすぎて笑えてきません?」

 

「ミラージュ~ 遠くから見たとき~♪

 頬と口の間にほうれい線があったんだ~♫

 化粧水し~たらふいに消えてしまった~♪

 バカにしてきたのに どこへ行った? あの線~♫」

 

「おい!ちょっと、もうステージ降りてんのにまだいじられるってどういうこと!?」

 

「あれ、どっかからツッコミが聞こえてきましたね」

 

 

・・・

 

彼女達らしい、しっかりと準備した独特なネタを用いて、

しかも第三者をいじりながら、しっかりと笑いをとった二人は、

かなりの高得点を獲得して1回戦を2位で通過することとなった。

 

・・・

 

 

7組目のコンビがステージに上がると、次はいよいよ「イオリア」の出番だった。

予選は難なく通過したものの、こうした大会に出るのが初めてだった美織は緊張を抑えられなかった。

どこかソワソワしながら両手を擦り合わせて落ち着かない様子だった。

 

「この瞬間だけは、多分永遠に慣れへんのちゃうかな」

 

隣でステージを見つめていたノギー翔太がそう呟いた。

表には出していないが、彼も久しぶりのステージに緊張しているのは間違いなかった。

 

「圧倒的な孤独感が、このステージ脇には漂ってる。

 舞台に上がる者は、この場面を見せたらあかんと誰もが思ってる。

 でも、どこかでこの緊張感をお客さんにわかっていてほしいという甘えも持ってる」

 

ノギー翔太が放った言葉に、美織は何も言わなかったが密かに同感していた。

それはきっと人生というステージに上がり続ける誰もが経験する恐怖感であり、

誰もが孤独に歯を食いしばって耐えている暗闇のトンネルみたいな時間だった。

 

「一回解散して、俺もようやくわかった気がする。

 コンビでやってるってことは、こんなに幸せなことやったんやな。

 隣にお前がいてくれるだけで、少しは慰めになるもんな」

 

ノギー翔太はずっとステージを見つめていたが、

美織はその寂しそうな表情がずっと脳裏に焼き付いてしまった。

自分が必要とされる嬉しさ、そして自分が本当にすごいと思う人を、

真横で精一杯支えたいと美織が思えたことが、奇妙なほどに体に溜まった緊張感を溶かしてくれた。

 

「・・・大丈夫ですよ」

 

美織が静かにそう呟いた時、ノギー翔太はチラッと美織に視線を向けた。

そして、ふぅと息を吐いて、またステージの方へと目を向けた。

 

「ええ言葉やな、それ。

 なんの根拠もないけど、生きていく力をもらえる気がするわ」

 

二人がそんな話しをしていた時、前に出たコンビのネタが終わり、

お客さんの拍手を持ってステージから二人が戻ってきた。

 

「よっしゃ、行こう」

 

「はい!」

 

ノギー翔太は首を左右に振りながら、手足をブラブラさせていた。

緊張を取り除くための最後のストレッチだったのだろう。

 

「そのまじない、俺も言っといたるわ・・・お前は大丈夫や」

 

美織はその言葉を聞いてニッコリと微笑んだ。

 

「はい!」

 

 

そうして二人の出番がやってきた。

 

 

・・・

 

 

 

児玉坂46の「そんなアホな」が入場曲として流れ、

ノギー翔太と美織は歓声に迎えられながらステージへと現れた。

 

 

「はいどーも!

 地獄の鬼も真っ青の鋭いツッコミを持つ男、ノギー翔太と」

 

「髪の毛伸びるの人の2倍は早いので、

 すごいエロい疑惑のある田柄美織でやらしてもらいますー」

 

「どうも、イオリアで~す!

 よろしくお願いしますー」

 

「まあ髪の毛伸びるの早いからエロいとか都市伝説やけどね」

 

「いや、あなたが会うたびにこれ言うからでしょ?

 もう聞き慣れすぎてネタに組み込んじゃいましたよ」

 

「いや、そうかもしれんけど、俺が永遠の厨二病やと思われるから、

 あんまりそんなん暴露せんといてくれる?」

 

「こんなの言ってますけどねー、私たちまだコンビ組んで2ヶ月くらいなんですよー」

 

「そうなんですよ、見たところ、なんか俺がボケ役みたいに見えるでしょ?

 でも違うんですわ、ボケ役もネタ書いてるんも美織ちゃんなんです」

 

「いやほんと、この人全然やる気ないんですよー。

 ノギーとか言ってますけど、ほとんどヒモー翔太ですからね。

 私がネタ書いてボケて、この人が適当なツッコミだけ入れてお給料もらってるんですー」

 

「いやいや、ほら世の中は今、女性の社会進出がどんどん進んでるでしょ?

 だから俺もこんくらいでちょっと端っこで様子見ておいた方が世の中にあってるかなって思ってますねん」

 

「いつもこんな感じなんですー、コンビ組んでしまった私がきっとヒモ地獄に足を踏み入れたんでしょうね」

 

「おっ、うまいこと言うやん」

 

「でもほら、女性の社会進出もすごいニュースを賑わしてますけどね。

 私が今すごい注目してるのはTPPの行方なんですよ」

 

「聞きましたお客さん?

 うちの美織ちゃん、実は結構賢いとこもあるんですよ。

 TPPってのは、あれですわ、貿易協定の話なんですけどね。

 日本から物を輸出したり輸入したりする時に今は税金かかってるんですけど、

 それを無くしてしまおうっちゅう話し合いをしてるんですね」

 

「そうなんですよ、それでTPPが締結されたらですね、

 今後は日本の農産品とかも世界にどんどん輸出していかないといけなくなるんです。

 でも、実は世界と比べると、日本の農業ってまだまだ遅れてるんですよ」

 

「まあ日本は小さい国ですからね、世界のルールとかに合わせようとおもたら、

 そらもっと頑張っていかんとあかんとこもあるわけですわ」

 

「それでですね、私、ちょっといいこと考えたんですよー」

 

「ほうほう」

 

「今ね、巷では児玉坂46ってアイドルが流行ってるの皆さん知ってますよねー?」

 

「握手会とかで気軽に会いに行けるってコンセプトのやつな、

 今結構流行ってるよなー」

 

「それでですね、児玉坂46がスマホでできるゲーム出してるんですよ。

 『児玉恋』って言う、アイドルと恋愛することができるゲームなんですけど、

 ノギーさんそういうのやったことありますかー?」

 

「あー、俺は忙しくてやったことないんやけど、それっておもろいん?」

 

「すっごい面白いですよー、ぜひやった方がいいと思います」

 

「そうなんかー、機会があったらやってみたいけどなー」

 

「それでですね、私が考えたいいことって言うのは、

 頑張らないといけない日本の農業と児玉恋がコラボレーションしたら、

 日本の農業を応援することにもなるし、きっともっと面白いことになると思ったんですよ」

 

「えっ、それどう言うこと?」

 

「児玉坂46と本気で農業するゲーム、略して児玉農って言うんですけどね」

 

「なにそれ、大丈夫?

 なんか嫌な予感しかせんけど」

 

「いや、絶対面白いですから、じゃあちょっとやってみましょうよ。

 私がゲームに出て来る児玉坂46のメンバー役やりますから、

 ノギーさんはゲームに登場する主人公の男の子の役をやってください」

 

「おう、わかったわ」

 

「あー、今日も頑張って学校に行かないとなー」

 

「ノギー君」

 

「えっ、あ、びっくりした」

 

「びっくりさせちゃってゴメンなさい」

 

「いや、別にそんなんええねんけどな、うわ、この子めっちゃ可愛いわ、

 やっぱアイドルってすごいなー、ドキドキしてきた」

 

「もっとびっくりさせちゃうかもしれないけど」

 

「えっ、どうしたの?」

 

「はい、これ、朝から頑張って作ってきたんだ、

 ノギー君が食べてくれたら嬉しいなって・・・」

 

「うわっ、なにこれ、児玉農ってこんなゲームなん?

 すごいわ、こんなん男の夢やんかー」

 

「お昼に、お腹空いたら食べてね、授業中に隠れて食べちゃダメだよ!」

 

「そんなこと・・・するわけないやろ」

 

「私が・・・ノギー君の為だけに・・・心を込めて作ったから」

 

「ありがとう、これって・・・」

 

「私が心を込めて作ったおなす、食べてね」

 

「おなす!?」

 

「ちょっとまだ細いけど」

 

「いやいやいや、おなすって何!?

 ここは普通お弁当渡すとこちゃうの!?」

 

「えっ、だから『お』をつけてみたけど」

 

「いやいや、なすに『お』をつけてもお弁当みたいにならんから。

 『お』がついてるもんやったらなんでもいいわけやないから」

 

「難しいですね」

 

「難しく考えすぎなんちゃう自分?

 違うやろ、ここは女の子が作ってくれた手作り弁当を渡すから可愛いんやんか!

 俺、授業中に隠れて生でおなす食べとったら変人やろが!」

 

「私はそういう人、好きですけど」

 

「いや、そういうのは特殊な人だけやから、

 途中まですごい良かったんやから、もっと普通にやって」

 

「わかったちゃんとしますね」

 

「頼むで」

 

「あー、休み時間か、隣のクラスの女子がバレーボールやってるなー。

 あの子可愛いからなー、彼氏とかおるんかなー」

 

「こら~!」

 

「おい、後ろから叩いたら痛いやろ、何すんねん」

 

「だって・・・嫉妬しちゃうでしょ!?」

 

「えっ、なんで・・・お前が俺に嫉妬すんねん」

 

「・・・だってノギー君、

 ちょっと目を離したら、すぐ他の女の子が作ったきゅうりばっかり見てるから~」

 

「いやいやいや、それ、俺何しとんねん!」

 

「たまには私が作ったおなすも見てよ」

 

「おなすはさっき散々見たからもうええやろ!

 ちゃうねん、これ何!?

 俺どこ見とんねんな!?

 こんな可愛い子ばっかりおるゲームやのに、

 なんで俺その子のことを見んで、その子が作ってる野菜ばっかり見なあかんねんな!

 このゲーム何が面白いんや、これ!」

 

「いや、農業と児玉恋のコラボレーションだから」

 

「だからほら、コラボレーションするもの間違えてると思うで、俺は」

 

「でも日本の農業は応援しないといけないでしょ」

 

「お前の目指すところがわからんわ。

 ちゃうねん、こういうゲームってな、ドキドキするもんやろ?

 野菜ばっかり登場しても、男って全然ドキドキせんから!」

 

「えー、じゃあわかった、ドキドキするのがいいのね」

 

「そうや、最初からそういうのでやってくれ」

 

「ヒモのくせに要求は多いんですよね」

 

「やかましいわ、そんなんいらんからちゃんとして」

 

「ノギー先輩!」

 

「おっ、おるよな、こういう元気のいい後輩キャラの子。

 ちょっとアホっぽいけど、底抜けに明るくて可愛い感じのやつな」

 

「私、ずっと言おうか迷ってたことがあるんですけど・・・」

 

「やばい、うわ~、これ、どうしよう、男の夢や、

 可愛い後輩から告白されるって、ドキドキするやんけ~!」

 

「私・・・『ひとめぼれ』なんです」

 

「マジか、生きてて良かった~!」

 

「好きなお米のブランドが」

 

「やっぱり農業やないかい!」

 

「ゆめぴりかも捨てがたいし~、なんか美味しいお米が多すぎてドキドキしちゃう!」

 

「俺は全然ドキドキせんわ~」

 

「えっ、先輩、私のことが嫌いですか?

 やっぱり、私の足が大根みたいに太いからかな・・・」

 

「なんか言い方腹たつな」

 

「それとも、私の髪型がカリフラワーみたいだからですか?」

 

「また野菜に戻ってきた、カリフラワーみたいな頭ってどんな女の子やねん」

 

「ちょっとボリュームがあるだけ」

 

「アフロかな、アフロなんやろうな」

 

「もう先輩大っ嫌い!

 このおたんこなす!」

 

「悪口まで農業やん!

 ちょっと待てやお前~!

 好き勝手やりやがって、なんやねん、コラボレーション言うたかて、

 肝心なとこでちょいちょい農業の要素が強すぎんねん!

 可愛い子がめっちゃたくさんいてるのに、全然活かしきれてないからな!」

 

「さっきの子、田植えうまいですよ」

 

「いや、あの子が田植えうまいとかどうでもええねん。

 その稲を持つ可憐な手つきに萌えーとかならんからな。

 一緒に田植えしてて、一緒のとこに植えようとして手が触れ合ってとかないからな。

 ちょっともっとちゃんとして、もっと農業でもあるやろ、なんかええやつ」

 

「わかりましたわかりました!

 もうそんなガミガミ言わないで、いい農業のやつでしょ、はいありますあります」

 

「なんやねん、俺が間違ってるみたいな感じやけど、

 お客さんもみんな野菜ジュース飲んだ後みたいな苦い顔してるからな」

 

「ノギー君、お待たせ、デートに遅れちゃってゴメンなさい」

 

「まあ、別にかまへんけどな、そんな待ってへんし」

 

「お詫びに、今度うちに遊びに来てくれたら、

 実家で飼ってるヤギを紹介するね!」

 

「おおっ、これええやん。

 なんか農業やけど、実際にありそうやし、田舎の子なんかな、なんか可愛らしいし」

 

「あっ、私の名前は桃子だから、ももちゃんって呼んでいいよ」

 

「うわ、これもええな。

 農業やけどフルーツやったら可愛いし、なんか実際にいそうな名前やしな。

 ちゃんとあるやんけ、ちゃんとコラボできてるやつー!

 ちょっと萌えてきたわー、萌え~!」

 

「ちょっと、ノギー君、その子誰?」

 

「あっ、やばい、他の子に見つかってもうた」

 

「もしかして、さっき、その子とデートして・・・ないよね?」

 

「あー、辛い、可愛い子二人に好かれるってのは男の夢やけど、

 どっちも選べへん、うわーどうしたらええんやー、幸せすぎる悩みー!」

 

「ゴメン、そんなつもりじゃなかったんだ。

 別に、ノギー君に好きな人がいるってわかってたし。

 でも・・・でも・・・私もノギー君のことが好きだったから・・・」

 

「ゴメン、君の気持ち、全然知らんかったから」

 

「ううん、いいんです、私の勝手な片思いだったから」

 

「よかったら、今からでも、遅くはないかな?」

 

「えっ、どう言うこと?」

 

「今からでも、君のことを好きになっても、遅くはないかなってこと」

 

「えっ、嘘、本当に、本当に私と付き合ってくれるの?」

 

「うん、こんな俺でよかったら」

 

「私、とっても嬉しい」

 

「よかったら君の名前を聞かせてくれるかな?」

 

「でも、恥ずかしいよ」

 

「恥ずかしがらないで、さあ」

 

「私の名前は・・・アスパラ ガス子です」

 

「アスパラ ガス子はあかん!!」

 

「えっ、どうして」

 

「アスパラガス子は全然可愛くないやろ!

 ていうか、そいつ誰やねん!

 児玉坂46にそんな名前のやつおらんやろ!」

 

「いや、ゲームのオリジナルキャラだけど」

 

「あかん、製作者の頭がいかれとる!」

 

「どうしてー?

 桃とアスパラガスを交換しただけなのに」

 

「お前、よくその二つが等価値で交換できると思ったな!」

 

「でもガス子も可愛いよ」

 

「いやフルネームで呼んだげて、下の名前だけやとそれはもうただのガスやから!

 アスパラガス子さんはもう嫁に行ける気がせえへんわ、

 独身で通さんと彼女のアイデンティティが崩壊してしまうやろこれ」

 

「そう?

 山田ガス子でも鈴木ガス子でもいけるでしょ?」

 

「もうそれやったらガス会社のゆるキャラみたいになってもうてるやん。

 絶対いじめられると思うわ」

 

「じゃあ伊集院ガス子は?」

 

「お前、伊集院つけたらなんでも高級な感じになると思うなよ!

 伊集院ガス子でもガス子の不快な響きは拭い去れてへんからな!」

 

「じゃあヘリウムガス子は?」

 

「ヘリウムさんはもう外人やろうけどな。

 なんやろうな、ジョン・F・ヘリウムとかなんかな。

 まあそんなやつ日本にはおらんと思うわ。

 あと、それやともう野菜やないわ、それはもうただのガスやわ」

 

「いや、ノギーさんちょっと名前に惑わされすぎなんですよ!

 この子、ルックスはすごくいいですから、めっちゃ美人なんですよ」

 

「そんなこと言うても」

 

「だってアスパラガス子ちゃんはセンターなんですよ!

 誰が見てもわかるくらいめちゃくちゃ可愛いんですから」

 

「えらい緑色の体した細長い華奢なセンターやなー、めっちゃ守ってあげたくはなりそうやけど」

 

「そう、アイドルってブログとか書くんですけど、

 彼女、そこの応援コメントとかもすごいんですよ。

 『しっかり地面に根を張って頑張ったから、やっと芽が出たね』」

 

「なんかファンもうまいこと言うてるけども」

 

「もうコメントこればっかり」

 

「こればっかり!?」

 

「この前、センターなった時はもうこればっかり5000件も来た」

 

「本人も読みたくないやろそんなん!」

 

「他に言ってあげられることがないんですよねー」

 

「そんなやつあかんやろ、センターさせんなよ」

 

「でも、今にも折れそうだから、すっごい守ってあげたくなりますよ!?」

 

「いやわかるけどな、もうちょっとちゃんとしたんやってくれる?

 だいたい、こんなゲーム誰もやるわけないやん。

 一旦、農業から離れてくれる?」

 

「いやー、JAバンクがスポンサーについてますからねー」

 

「わかるけどな、金に物言わされすぎておかしなってるから。

 そいつら農業をアピールしたくてゲームの根幹を崩してると思うで」

 

「わかりました、そうですよね、私が間違ってました」

 

「おお、美織ちゃんやっとわかってくれたか」

 

「譲れないところは譲っちゃダメでした。

 やっぱり恋愛の要素が児玉恋のいいところですもんね」

 

「よっしゃ、成長したな」

 

「はい」

 

「まあ最初の次元がだいぶ低かっただけやけどな」

 

「ノギー君、こんなところに急に呼び出してごめんなさい」

 

「どうしたんや、こんな卒業式の日に下駄箱に手紙入ってるからびっくりしたわ」

 

「私、卒業したら秋田に帰らなくちゃいけないんです!」

 

「えっ、それどう言うこと?」

 

「両親が厳しいから、東京にいることを許してもらえなくて、

 卒業したら実家に帰って来いってうるさく言われてて・・・」

 

「そうなんや、じゃあもう会えなくなるんかな?」

 

「私、そんなの嫌!」

 

「えっ?」

 

「だって、ノギー君の顔が見られないんて、私そんなの嫌!」

 

「・・・」

 

「ねえ、何か言ってよ、帰らないでって、そういう言葉待ってるんだから!」

 

「わかった、俺も男や、覚悟は決めた」

 

「えっ?」

 

「一緒に、秋田に帰ろう。

 都会に住めなくなるのは残念やけど、君がいるならもうそれだけで十分や」

 

「ノギー君・・・私、嬉しい」

 

「俺もだよ」

 

「じゃあ、実家に帰ったら、結婚しよ!?

 結婚したら、私の家、土地いっぱいあるよ、とっても広いんだよ!

 きゅうりでもおなすでも、好きなだけいっぱい作れるから、一緒に野菜作ってね!」

 

「う~んやっぱり農業かい、もうええわ」

 

 

・・・

 

美織は初めて自分で書いたネタを大勢の前で披露した。

一緒にそばにいてくれたノギー翔太の影響を受けながらも、

それでも彼女らしい題材を選択し、オリジナルのネタを書き上げて、

会場中の笑いを取ることができたのだった。

こうして、イオリアは審査員の満場一致で最高得点を獲得し、

一回戦を1位でトップ通過してしまったのである。

 

 

・・・

 

 

 

「さあ、Kー1グランプリ、いよいよ決勝戦となりました!

 数々の猛者たちを倒して決勝に駒を進めてきたのはこのコンビです!」

 

ステージ上に1回戦を突破したコンビが集められていた。

ビジリー山田は場を盛り上げるように声を張り上げていた。

 

「さて、明日奈ちゃん、1回戦の激闘を見た感想をもらってもいいですか?」

 

「はい、そうですね、今回は作者もわりと覚悟を決めてちゃんと書いたみたいですね。

 どのコンビのネタも、結構ちゃんと形にはなってたと思います」

 

「その中で、明日奈ちゃんが好きだったネタはありましたか?」

 

「私は『禿げ水』が一番好きでした、ふふふ」

 

「いやーもうこの響きから温水さんしか想像できませんもんね!

 まあご本人が知ることがないのを祈りますけどね、確実に悪口ですから」

 

「まあ愛のある悪口ですけどね、ふふふ」

 

「愛はあっても、結構な辛口ですけどね」

 

そんなことを言いながら、ビジリー山田はマイクを持ったまま、

それぞれのコンビに決勝への意気込みを尋ねて行った。

 

「そうですね、いよいよ決勝ですね、OL代表として、

 世のOL達の希望になるために全力を尽くしたいと思います」

 

りさは決意したような強い声でそう言い切った。

これは相当自信があるのかと見ている人にそういう印象を与えた。

 

「いやー、100万円もらったら何するかばっかりもう考えてます。

 軍団みんなで美味しいものでも食べに行こうかなと思ってます。

 審査員の皆さん、どうかさゆみかん軍団に清き一票入れてくださいね~♡」

 

さゆみはいつも通りの豪快な感じで、審査員にウインクをしていた。

別のところでインパクトを残し、審査を有利に進めようと思っていたのだろう。

 

「えっと、なんか、ここまで来れるとは思ってませんでしたけど、

 もう決勝戦なので、精一杯頑張りたいと思います」

 

「真面目か、ボケろや!」

 

美織が緊張のあまり真面目な回答しかしなったので、

横で立っていたノギー翔太がツッコミを入れた。

会場はワッと笑いでどよめいた。

 

「そういえば、ノギー翔太さんは噂ではもともと漫才師らしいですね?

 確か昔、黒騎士というコンビを組んでいたと言われていますけども」

 

ビジリー山田がこの大会の途中で知らされた情報を元にそう言うと、

会場中はやはり彼は黒騎士のノギー翔太だったとざわざわし始めた。

 

「どうも地獄の一丁目一番地に住んでましたノギー翔太です。

 最近は親の転勤のせいで児玉坂にやってきました、新しい学校にはまだ馴染めてません」

 

ノギー翔太がボケたので、会場はドッと笑いの渦ができた。

「まあ地獄から引っ越してきたら、それだけでいじめられるでしょうね」とビジリー山田が付け足し、

「上靴に十字架入ってました、多分吸血鬼かなんかと間違われてますね」と返したので、

会場はさらに笑いの竜巻が起こってますます盛り上がっていったのだった。

 

美織は隣でガンガン笑いをとっていくノギー翔太を見ていて頼もしいと思った。

確かに今回、ネタを書くまでは辛いこともたくさんあったし、

決勝でも自分が書いたネタで勝負をしなければならない恐怖も残っていたが、

これだけすごい人が同じコンビとしていてくれるのだから、

これは本当に大丈夫だと思った、決勝でもきっとうまくいくだろう。

 

「はい、というわけで、この3組による決勝が行われるわけですが、

 予選会の時に説明した通り、決勝戦にはスペシャル審査員が来てくれることになっておりました。

 ところが、仕事が忙しくてまだ会場まで到着していないんですね。

 あと少しだと聞いているんですが、中継が繋がっています、どうですかー?」

 

ビジリー山田がそう問いかけると、音声のみで返事が返ってきた。

 

「どうもー、遅れてすいません、児玉坂工事中の収録が押しちゃいましたー、

 あとちょっとでそちらにつきますんで、宜しくお願いしますー」

 

「すいません、相方の方も近くにいらっしゃいますかー?」

 

「はい、ちょっとダンスの練習に忙しくてスケジュールギリギリになっちゃいましたけど、

 なんとかもうちょいで二人して一緒に着きますんで、あのーキウイマンです、宜しくお願いしますー」  

 

音声だけでそう流れたが、会場にはこのサプライズに大きなどよめきが起きた。

決勝戦だけの特別審査員とは、今最も忙しい芸人、キウイマンの二人だった。

 

「それじゃもうまもなく到着するということで、宜しくお願いしますー」

 

ビジリー山田がそういって中継を切った。

審査される側のコンビもキウイマンが審査員だということに驚きを隠せないようだった。

そんな風にして、キウイマンが到着次第、決勝戦のネタを披露することに決まり、

3組はステージ脇に帰っていくことになった。

 

 

・・・

 

 

やがてキウイマンが到着し、こうして決勝の準備は整った。

決勝は一回戦の順位が低いものから漫才を披露することになる。

3位で通過したOLコンビが一番手になり、さゆみとみりんが二番手、

そして1位で通過したイオリアが最後に漫才を披露することになった。

 

「さて、いよいよ決勝となりましたね、ステージ袖の3組も緊張していることでしょう」

 

「そうですね、作者も決勝のネタを書かなきゃいけないので、

 結構緊張してるみたいですけど、まあ温かい目で見守ってあげましょう」

 

「これほど別々のネタを同じ人が一人で書いてるんですもんね。

 まあでも、明日奈ちゃんも含め、審査員もシビアに漫才を評価してくださいね。

 さあ、それでは準備が整ったようですね、それでは1組目はこちらの方々です!」

 

ビジリー山田がそういうと、横でMCをしている明日奈が原稿を読み上げた。

 

「フェロモン全開、お姉さんコンビ、まだまだ若い者には負けません。

 OL魂見せてやれ、明日の出社は気にするな、アダルティーズのお二人です、どうぞ!」

 

音楽が流れて、りさと眞木の二人がステージに現れた。

 

 

「はいどーも、アダルティーズでーす、宜しくお願いしまーす!」

 

「なんか出てくる前の紹介文にも結構嫌味な感じがあったけど、何あれ?」

 

「まあまありさ先輩、年齢のことは気にせずにいきましょう」

 

「わかってるわよ、じゃあいくわね」

 

「はい、いきましょう」

 

「どうもどうも、私たち先ほども紹介されましたけど、

 こう見えても二人ともOLやってるんですよね」

 

「そうなんです、りさ先輩は営業部で、私は総務部なんですけどね。

 どこの部署にいても結構大変なことはあるんですよねー」

 

「ほんとよねー、なんかOLって世間的に大変みたいなイメージあるじゃない?」

 

「結構ありますよねー」

 

「それってね、イメージだけじゃないんですよ。

 会社って本当に大変なことがいっぱいあるんですから」

 

「そうですよね、でもOLってそういうのに耐えないといけないですから」

 

「でもね、眞木ちゃん、私こういうのって我慢してばっかりじゃいけないと思うの。

 男性中心社会だからこそ、きちんとダメなことはダメって主張していかないと、

 世の中っていつまでたっても変わらないと思うのよ」

 

「そうですね、女性の社会進出が盛んになってるって言われてますけど、

 まだまだ古い慣習も残ってますし、私たちが自分の力でそれをなんとかしないとですよねー」

 

「そうよ、嫌なことがあったら、ちゃんと嫌って言わなきゃ」

 

「でも、私ってヘタレだから、そういうのあんまり言えないんですよねー」

 

「ダメダメ、そういう時は私に言いなさい?

 私が話を聞いてあげるから」

 

「みなさん、聞きました?

 もう本当にりさ先輩って頼りになるんですよー。

 困ってる後輩をほっとけないタイプっていうか、

 結構言いにくいことでも、ちゃんとガツンと言える強い女性なんですよね」

 

「そんなことないけど、でも言わなきゃいけないこともやっぱりあるのよ。

 この間なんかね、『ちょっと瀬藤くん、お茶』とか言われたのね」

 

「あー社長そういう言い方しますよねー」

 

「それでね、ムカッときたんだけど、そこは耐えてお茶汲みに行ったの。

 それでお茶を持って社長室まで戻ってきてお茶ですって渡したら、

 『あっ、そう、遅いね』・・・これよ」

 

「これは耐えられないわー、でもこういうの結構普通にあるんですよねー」

 

「だからね、さすがに物事は正さないといけないと思ったのよ。

 学校で何を習ってきたんですかって、そういうレベルの話じゃない?」

 

「そうですよね、人間としての人格の問題ですよね」

 

「だから、さすがに私も失礼だとは思ったけど、言ってやったのよ」

 

「言ってやりましょう、そういうのは」

 

「このハゲーーーーーー!!

 違うだろー!違うだろーー!!違うだろーーー!!!」

 

「りさ先輩、ダメですそれは!

 それは最近、某衆議院議員が秘書に言って党を離党することにまでなった超有名なセリフですよ!

 ちょっと、お客さん、録音とかしてないですよね!?」

 

「いや、こういうのはガツンと言わなきゃダメなこともあるのよ」

 

「えー、でもそれ録音されたらSNSとか炎上しちゃうやつですよ、絶対ダメですって!」

 

「まあそれは冗談として、ほっておいたらセクハラとかされちゃうわよ、

 だからこっちも抵抗するとこ見せとかないとなめられちゃうんだから」

 

「いや、もうそれこっちがモラハラで訴えられるレベルですよー・・・。

 りさ先輩、落ち着いてくださいね、もっと小さな話にしましょっか、ね?」

 

「えっ、そうー?」

 

「はい、その方が平和です」

 

「そうね、あっそうそう、後輩のフォローとかも大変よねー」

 

「あっ、ありますね、りさ先輩なんか若い男の子の社員から慕われてますし、

 色々と相談受けたりすることもあるんじゃないですかー?」

 

「そう、そうなのよ。

 この間もね、私の代わりにお客さんにメール出しといてって言ったんだけど、

 どうやら送り先を間違えてデータを送っちゃったらしいのよ」

 

「あっ、なんか話の流れから嫌な予感してきてますけど・・・」

 

「それでね、後輩がすいませんすいませんしか言わないから、

 私がちょっとほっぺをぺチってやったら、叩くのはやめてくださいって言うの。

 だから私、これは間違ってるって思ったから言ってやったのよ」

 

「お客さん、録音機器は絶対に取り出さないでくださいね」

 

「お前はどれだけ私の心を叩いてる!!

 頼むから私の評判を下げるな!!頼むから私に恥をかかせるな!!」

 

「ごめんなさいみなさん、りさ先輩、いつもはこんな人じゃないんです~。

 作者の台本に従わされてるだけなんです~、録音しないであげてくださいね」

 

「後輩のフォローも大変よねー」

 

「りさ先輩、私、りさ先輩のフォローが大変です・・・」

 

「だからこんな物語に誘われても出るべきじゃないって言ったでしょうが」

 

「りさ先輩、私が間違ってましたね」

 

「まあいいわ、わかってくれたらそれでいいのよ」

 

「りさ先輩、こんな漫才しちゃって、私、明日から会社に行ける気がしないんですけど・・・」

 

「何言ってんのよ、私なんかもうここに辞表書いてポケットに入れてるのよ」

 

「クビ覚悟で漫才してたってことですか!?」

 

「そんなことになりかけたら、色仕掛けで社長を誘惑するから大丈夫よ」

 

「いや、あんまり大丈夫じゃないですけどね」

 

「ただね、一番厄介なのはお局さんよ」

 

「まあ、そうですよね、同性の上司が一番私たちに対して冷たいですからね」

 

「私たちも気をつけなきゃいけないわよね、結婚できなくなって、

 会社で地位だけ上がっていって、若い子に辛く当たるなんていいことないわよ」

 

「そうですよね、ああいう人って、すごい嫌味っぽく言いますしね」

 

「そうなのよ、私もこの間、ちょっと書類の作成間違えたら、

 『あら、若いのに目が悪いのかしら、もうこの先も芽が出ないかもね』だって」

 

「腹の立つ言い方しますよね~」

 

「そうなのよ、それはさすがに言い方がひどくないですかって言ったら、

 『あら、そんなつもりはなかったのよ』だって」

 

「あれ、これまた嫌な流れになってません?」

 

「だから私、さすがに正さなきゃと思って言ってやったのよ」

 

「みなさん、録音機器のボタンは押さないでくださいね~!」

 

「そんなつもりじゃなくても~お前の年齢会社で言いふらして~、

 そんなつもりはなかったんです~~~~って言われてるのとおんなじ~~~」

 

「元ネタを知らなくて笑えなかった人は、検索エンジンで『このハゲー』で検索してみてくださいね」

 

「それにしても、今日はハゲネタ多いわね。

 あっ、『禿げ水』って検索しても何も出ないから間違えちゃダメよ」

 

「私、明日多分、体調不良で会社休みますね、もうやってらんないです!」

 

「どうも、ありがとうございました~」

 

 

・・・

 

 

 

 

 

ネタを終えた二人はなぜかぐったりして苦笑いを浮かべていた。

審査員達が拍手をしている中、ビジリー山田がマイクを持ってやってきた。

 

「いやー、お二人とも、とんでもないネタをぶっこんできましたね」

 

「もう完全燃焼しました」とりさは笑いながらそう言った。

「明日、マジで会社行けないかもしれないです」と眞木は胃を押さえながら言った。

 

「それでは審査員にコメントをいただきましょう、キウイマンの喜多羅さん、いかがでしたか?」

 

「いやーこの二人がこういうネタをやってくるとは思わなかったので、

 本当にびっくりしたっていうのがまず初めの感想ですね。

 瀬藤があんな感じにキレるキャラクターを演じるのも意外性があってよかったし、

 新渕が勢いに押されながら観客を巻き込んでいく感じとか、

 見ていてすごい練習したんだろうなーってのが伝わってきました、よかったんじゃないでしょうか」

 

「ありがとうございます、仁村さんはいかがでしたか?」

 

「そうですね、ニュースとか見てない人には通じないネタだったかもしんないから、

 今時の若い女の子とかには、もしかしたら何の事かわからない人もいるかもしれないですよね。

 それだけが惜しい点ですけど、元ネタを知ってる人にはよかったんじゃないかと思います。

 でも、SNSが炎上しちゃうから、絶対に真似しないほうがいいけどね」

 

「はい、ありがとうございました。

 みなさんもモノマネしたりせず、そっと心の中にネタをしまっといてくださいね。

 それでは続いてのコンビの漫才に参りましょう!」

 

「はい、予測不可能のボケプリンセス、有能すぎるツッコミクイーン、

 私たちのお笑いは間違いなく世界を平和にする、みかんとみりんのお二人です、どうぞー!」

 

MCの明日奈がそう告げると、音楽が鳴り響いて二人が登場した。

 

 

「どーもども、どもどもどーも、宇宙一可愛い勝村さゆみとー」

 

「はい、You know? Im very 有能こと次藤みりんで漫才させてもらいますー。

 みかんとみりんですー、よろしくお願いします」

 

「よろしくお願いしかっちゅん~♡」

 

「えっと、『か』だとそれ全然うまくもないんでやめてもらっていいですかー?

 それ『ま』じゃないと鹿って言っちゃってるんで、鹿って何ってなりますから」

 

「・・・シュン」

 

「あら、落ち込んじゃいました?

 ほら、落ち込んでる場合じゃないので、早く漫才しましょうね」

 

「いやや、もうかっちゅん王国に帰る!」

 

「みなさ~ん、このみかん王国のお姫様って設定、絶対後で後悔しますからね。

 小倉ゆこさんとかが走って来たのと同じレールを追いかけてること、

 結構ファンの皆さんもドキドキしながら見てるんですよねー」

 

「そんなことないもん!

 かっちゅんは永遠の13歳なの~♡」

 

「う~ん、可愛く生まれてよかったね~。

 そうでなかったら、道端で突然殴られても文句は言えな~い」

 

「うん、可愛く生まれて来てよかった~♡」

 

「あれ、皮肉の部分だけ聞こえてないことになってる」

 

「それにしても、私たち二人は元々さゆみかん軍団ってグループなんですよ~」

 

「まあ実はそうなんですよね、今回は漫才だからこの二人だけ出てますけど、

 本当は会場で見ている坂木トト子と寺屋蘭々も合わせた四人で活動することが多いんですよー」

 

「あっ、蘭々、トト子、かっちゅん頑張ってるよ~」

 

「この人、漫才中なのに手を振っちゃうタイプの人なんですよね、

 これ将来、子供の授業参観いってもでしゃばっちゃうタイプのお母さんですね~」

 

「ところで私たち、色々と活動の幅を広げてるんですけど、

 そろそろ次の目標を考えないとなーって思ってるんです~」

 

「そうですよね、軍団長は何がしたいんですか?」

 

「う~ん、かっちゅんは~軍団で写真集とかアルバムとか出してみたいかも!」

 

「いいですね、なんか自主制作でもできそうな気もしますけどね。

 そのほうが、いろんな縛りもなくて、自由に表現できそうな気もするし」

 

「実はですね~かっちゅん、もう勝手にアルバムの曲名を考えて来ちゃいました~♡」

 

「えっ、すごい、軍団長、そういうとこは本当に優秀なんですよね。

 私とかそういうのあんまし思いつかないんですけど、どんどんアイデア出しますもんね」

 

「それでな~、四人それぞれのソロ曲とかも考えてんねん。

 曲のイメージとかも考えてあるから、あとはこのタイトルから作詞して、

 作曲してもらって当てはめていくだけ、それだけで自主制作やから、

 CD売るときに握手券の代わりに一緒にトランポリン飛べるチケットとか入れて、

 ファンの人と一緒にトランポリンするだけで、めっちゃ楽に儲かる予定なんよ~♡」

 

「いや、最後の方のやつ、絶対に言っちゃダメなやつでしょ。

 しかも、トランポリン一緒に飛びたいニーズそんなにあります?」

 

「え~、じゃあ~、一緒に焼肉食べれる券は~?

 もちろん、焼肉代はファンの方のおごり~!」

 

「ああ、これは本当に結構ニーズありそうですね。

 焼肉を一緒に食べたいファンはいると思いますけど、

 私たちが絶望的に太るのと、大人数を1日で処理できないから厳しいですね」

 

「え~、みりんちゃん反対意見ばっかり~! 

 まあええわ、とりあえずアルバムの曲の方から詰めていきましょう」

 

「えっ、じゃあ、とりあえずその考えてる曲名を聞かせてもらってもいいですか?」

 

「じゃあ発表しま~す!

 一曲目は全員で踊れる楽しい曲『サイレントマイノリティー』です!」

 

「いやいや、パクったでしょ?」

 

「そんなことはありません」

 

「いや、どう見てもパクリでしょ、それ」

 

「世の中何でも売れたら盗作盗作って、似たようなアイデアいっぱいありますからね~」

 

「あと、サイレントマイノリティーって日本語に訳したら『静かなる少数派』って意味ですけど、

 少数派なのに静かにしてるような、そんな人達はもう相手にしなくてもいいでしょう、地味すぎ!」

 

「え~、じゃあ二曲目は『愛するフォーチュンバタークッキー』です」

 

「あっ、味は違うんだね~、っで許されると思います?」

 

「ヒットは間違いないと思いますけど」

 

「訴えられるのも間違いないと思いますー」

 

「もうなんでもパクリパクリって、じゃあなんなん!?

 『可愛い』って言葉は、もううちが特許申請したからみんな使われへんようにしたらええのー!?」

 

「そんなめちゃくちゃなことできませんよ、世の中の人みんな可愛いくらい言いますよ」

 

「あー、今言ったー、はい使用料を払ってくださいー!」

 

「13歳っていうか、親戚の5歳児くらいの子と喋ってる気がする」

 

「みんな使用料払えー、TVもラジオも猫も杓子も可愛いって言葉を使ったやつは、

 うちに使用料払えー、それが嫌ならうちに対してだけ可愛いって言葉使えー!

 これでぼろ儲け&私は大満足の一石二鳥だー、ワッハッハ~♡」

 

「・・・軍団長!」

 

「そ、そんな怒らんでもええやん」

 

「ヘラヘラしたらなんでも許されると思ったら大間違いですよ。

 私たちの目指してるのは、世界平和でしょう、それを忘れたんですか」

 

「・・・」

 

「うちらが軍団を結成したのは、もっとこんな世の中を平和にしたかったからでしょうに。

 それがこんなわがままばっかり言って、私は軍団長がそんな人だとは思いませんでした!

 見損ないました、嫌いになりました、もうこのままだったら顔も見たくありません」

 

「・・・」

 

「もう、軍団長!

 ここまで言われて、悔しくないんですか!

 なんとか言ったらどうですか!?」

 

「・・・やっぱり、シンプルにトランポリン飛べる券が一番楽に儲かるかもね♡」

 

「あんた、正真正銘のクズだわ、もうやめさせてもらいます」

 

「ありがとうございましたー!」

 

 

・・・

 

 

 

ネタを終えたとき、さゆみはずっとニコニコしていたし、

みりんは役目を果たせたことに安堵している様子だった。

マイクを持ったビジリー山田がインタビューに向かう。

 

「いやー、お疲れ様でした!

 やりきった笑顔がなかなか素敵ですね」

 

「みなさん、面白かったですかっちゅん?」

 

「疑問文なんで最後の『ちゅん』の部分は上げ気味の発音で変なんですけどね、これ」

 

すっかり安堵していたはずのみりんが即座にツッコミを入れた。

この二人はもう存在しているだけで勝手に漫才を始めてしまうくらい、

天性のボケと、天性のツッコミの組み合わせなのかもしれなかった。

 

「まだ漫才続いてるみたいですねー、いや素晴らしい。

 では、早速感想を聞いて見たいと思います、喜多羅さん、いかがですか?」

 

「いやー、勝村らしいというかね、次藤みりんも見てて安心する感じですし、

 本当にもうベテラン漫才師のような安定感でやってくれたと思いますよ。

 ボケとツッコミの役割がはっきり分かれてるので、俺たちみたいなコンビよりも、

 見ている人はわかりやすかったんじゃないですかね、面白かったです」

 

「はい、では続いて仁村さんも」

 

「えー、そうですね、なんだろう、俺も一緒にトランポリン飛んで見たいわ。

 みんなでフワッフワ飛び続けて、なんかめっちゃ笑顔でさ、軍団らしいけどね。

 でも、一日中トランポリン飛んでるのも結構きついぜー、あと剥がしのにいちゃんも、

 同じように飛んでるわけだろ、アクロバットな剥がし方とかすんじゃないの?

 だってこれ、なかなかうまく捕まえることできねーぜ、トランポリン意外と難しいから」

 

ここでキウイマンの二人は席から立ち上がり、喜多羅さんは剥がし役、

仁村さんはファンの役という設定でコントを始めた。

トランポリンでうまく飛べない仁村さんを、喜多羅さんは思いっきり足を掴んでぶん投げて剥がしていく。

 

「いててて、おい、これ相当危ないイベントだぞ!

 骨折するやつとか平気で出るぞ!」

 

会場はそれを見て大きな笑いが生まれた。

決勝戦は二組目が終わることもあり、会場の盛り上がりはピークに達していた。

 

「それではありがとうございましたー!」

 

ビジリー山田がそういうと、さゆみとみりんはぺこりとお辞儀をしてステージ脇へ下がっていった。

 

 

・・・

 

 

 

さゆみとみりんの漫才が終わった時、ステージ脇にはイオリアの二人が出番を待っていた。

 

「いよいよですね、頑張りましょう」

 

「・・・」

 

美織がそう言って呼びかけたが、珍しくノギー翔太から返事がなかった。

ステージをじっと見つめながら、彼は何かを考え続けているようだった。

 

「ノギーさん?」

 

「・・・えっ、ああ、ちょっと静かにしといてくれ」

 

珍しく小さな、そして少し震えているような声で彼はそう言った。

そして、美織は彼の顔には尋常じゃないほどの汗をかいているのを見つけてしまった。

 

あまり見つめるのも失礼だと思い、美織は視線を外していたが、

横目で見ていると、彼は何度も口元を手で拭い、息を飲んでいるのがわかった。

どうしたのだろう、美織は今までにこんな彼を見たことはなかった。

1位になれなければ解散、その言葉が急に美織の頭に蘇り、体に変な緊張が走った。

彼も同じような恐怖を感じているのだろうか、いよいよやってきた決勝の舞台に、

堪え難いほどの緊張が彼の心を締め付けてしまっているのだろうか。

 

やがて彼は両手でほっぺをパチンと叩いてから、大きく息を吐いた。

前髪を指ではらい、べとつく汗をぬぐっていた、二人の周囲に流れる空気が、

刻一刻と重たくて堪え難いものになっていくのを美織も感じてしまった。

まさしく、場に飲まれていく、というやつではないかと美織は思ったが、

この場ではそんなことは考えないようにしよう、忘れていようと努めることにした。

今はとにかくそんなことを考えるべきではない、一生懸命にやるしかないのだと思った。

 

「それではお待たせしました、最終コンビの登場です!」

 

ビジリー山田がアナウンスをし、MCの明日奈が原稿を読み上げる。

 

「天然ミステリアスロングヘアー、地獄にも愛想をつかされた男、

 この異色の組み合わせが生み出すケミストリーは、きっと笑いの神をも笑わせる。

 決勝戦、最終コンビ、イオリアのお二人です、どうぞー!」

 

会場は拍手で大いに盛り上がり、児玉坂46の「そんなアホな」が流れる中、

白いワンピースに黒い長髪女、全身真っ黒スタイル男のモノトーン二人が姿を表した。

 

 

 

「はいどーもどーも、空気読まんと地獄の釜でうどん炊いてたら怒られたノギー翔太と」

 

「えくぼをクレーターと呼ばれる月の女神こと田柄美織でやらせてもらいますー」

 

「イオリアですー、どうぞよろしくお願いしますー」

 

「えっ、俺、月の女神とか良いように言ったことないけどなー」

 

「いっつも隕石の衝突って言ってえくぼ突いてくるけど、

 私ほんとに嫌なんでやめてもらえます?

   これからは月の女神でお願いします」

 

「いやや、ディープインパクト」

 

「もう!えくぼ突くなって言ってるでしょ!

 ほんと、いっつもこんな風なんですけどねー、私達まだコンビ組んで2ヶ月なんですよー」

 

「このクレーターできたんは40億年くらい前やから、2ヶ月ってつい最近ですやん」

 

「そんな例えしなくても、2ヶ月はつい最近なんですけど。

 ほらボケとツッコミが入れ替わってしまってるから、ちゃんとしてください!」

 

「いやーそうなんです、このコンビ、実は彼女がボケで俺がツッコミなんですよね」

 

「そうなんです、この人が漫才の先輩で、私にボケをやれって言って始まったんです」

 

「まあ、色々と厳しく指導もさせてもらいましたねー」

 

「普段はロクなこと教えてくれないんですけど、まあたまには良いことも言ったりするんですよ」

 

「いや、結構名言ばっかり言ってると思うけどなー」

 

「ちょっと、今喋ってるんで黙っといてくれます?」

 

「おーこわ、地獄を抜け出したと思ったら、地獄の鬼がここにもおった」

 

「まあこんなバカなことばっかり言ってる人なんですけどね、

 教えてもらってた中に、たまには良いことも混じってたんですよ」

 

「俺何言ったかなー、覚えてへんわ」

 

「記憶力が悪すぎるんですよね、この人。

 私はちゃんと覚えてるんです、この人ね、俺たちは医者やって言うんですよ」

 

「ほうほう、それは美織ちゃんどう言う意味?」

 

「バカすぎて忘れてるんで説明しますけどね、皆さん知ってますか?

 今ね、科学的にも笑いが健康に良いって証明されてきてるんですよ」

 

「あっ、その話かー、美織ちゃんそれ言ったげて」

 

「人って笑うことによって、ストレス解消になったりするらしいんですよ、

 だから、私たちは笑いを提供して皆さんの健康に貢献してるんです。

 そんな風に考えたら、漫才師である私たちは医者で、会場のお客さんが患者ってわけです」

 

「あー、俺すっごいええこと言うてるなー、ええ先生ですなー」

 

「あれ?そこのお客さん、今日はどうしたんですか、すごい人相悪いですけど、一体何の病気持ちですか?」

 

「いやいや、人相はみんな生まれつきや、それ言ったげたらあかんわ!

 しかも聞き方に気をつけてや、めっちゃ失礼やで、そんなこと俺が教えてるように思われるやんけ!」

 

「まあ冗談ですけどね、とにかく私たち漫才師は医者なわけですから、

 皆さんに笑いという医療を届けるだけ、さあ皆さん早く遠慮なく笑ってください、

 どうしたんですか、何も気にせずに遠慮なく爆笑してください!」

 

「あんな、その話した時に一緒に言うたと思うけど、俺たちは医者です笑えって言って、

 お客さんめっちゃ笑いにくいやろうがい、そんな無理やり笑わせてもしゃーないやろが」

 

「いや、あなたが笑いを取れないからこんなこと言ってあげてるんでしょうに」

 

「あっ、そうなんや、俺面白くないもんなー、事前に笑えって言っといたら、

 俺のつまらん話でも笑いよるもんなー、ってやかましいわ!」

 

「まあ良いです、そしたらお客さん、今日はお注射しときましょうね。

 笑いという、すぐ効果の現れるお注射しときましょうね、じゃあ先生どうぞ」

 

「アホ!お前なあ、こんなハードル高い無茶振りあるか!

 笑いという注射器を持つ俺の手がプルプル震えてるのが見えるか?

 笑いの特効薬を持ってる人はほんの一部の天才芸人だけやの!」

 

「仕方ないですね、うちの先生どうやら一発ギャグには自信ないみたいで、

 注射打つのにスベったら違うとこ射してしまうことになりますから、 

 じゃあ私から替わりにお薬出しときますね、続けてたらちゃんと効きますから。

 毎日食後に3回このDVDに入ってる漫才を見るようにしてくださいね」

 

「なんやそれ、DVDの漫才やったら食後とか関係ないやんけ」

 

「いや、お腹すいてるときはみんなイライラしてるから、そんな状況では誰も笑えないでしょ?

 そんな状況で私たちの漫才見られたら、まるで私たちが面白くないみたいに思われるでしょうに。

 お腹いっぱいだったら多少は面白くなくても、ちょっと笑ったらお腹が苦しくなるから、

 それでめっちゃ面白かったと勘違いしてもらえるし、眠たくなったらそのまま気持ちよく寝てもらえるし」

 

「そんなもん強制できるかい、俺らがいつ見ても笑える漫才をしたらええだけのことや!」

 

「笑いのお注射がまともに打てるようになってから言ってくださいよ、先生」

 

「なぜか注射器持つと、いっつも手元がスベるんよね~」

 

「えっ、おばあちゃん、どうしました~?

 あっ、そうなんです、ごめんなさ~い、こちらなんですけどね、

 笑いというお薬には保険は効かないんですよ~。

 はい、なので薬代は合計で7万5000円になります~。

 でもほら、DVDは効果が薄くなるまで何回でも観れますから」

 

「おい!それぼったくりやないかい!

 保険効かんのやったら、さっきまでしてたええ話何やってん!

 お前、新手の詐欺師やな!」

 

「ちなみに先生のお注射、1本10万円ですけど、その価値ありますか~?」

 

「う~ん、めっちゃプレッシャー」

 

 

会場は二人が生み出すボケとツッコミによって何度も笑いが起きていた。

美織は自分で書いたネタの手応えを確かに感じていた。

メモ帳に書き溜めた一つ一つの細かい笑いを、まるで編み物を編み上げるようにつなぎ合わせて、

そして掛け合いの中でお客さんに伝わるように声や動きに抑揚をつけていく。

予想通りの箇所で笑いが起きることもあれば、意外なところがウケることもある。

美織はその新鮮なお客さんの反応を楽しむことができていた。

自分が提供したもので、これほどの充実感が得られるとは想像したこともなかった。

 

だが、その反面、普段とは違うノギー翔太の様子にも気づいていた。

漫才をしながらも、彼の額には尋常じゃないほどの汗が光っているのが見えた。

目にかかる前髪も、整えたものが台無しになる程崩れてしまっていて、

ツッコミの間もいつもと違う、テンポが悪い、公園で何度もネタ合わせをした時よりも、

時に早かったり、時に遅かったりする、素人ではわからない程度のことかもしれないが、

一緒に漫才をしている美織には、明らかに彼の調子が良くないのがわかっていた。

 

 

「先生、患者が苦しんでるんで、早く笑いのモルヒネ打ってください!

 早く!患者を苦しみから解き放って、幸福にしてあげてください!」

 

「これなんなん!?

 俺そんなことできてたらピン芸人でもっと売れてるはずやねんけど!」

 

「あれ、先生、患者が何も感じてないようですよ。

 モルヒネじゃなくて、麻酔打っちゃったんですか?」

 

「それ、俺がスベってるだけやろが!」

 

 

微妙な間が違う。

テンポがずれている。

それだけで、面白くない、全然面白くなかった。

 

観客の笑いは少しずつ減っていき、盛り上がっていたムードが、

いつのまにか冷え切った空気にすり替えられてしまっていた。

会場のお客さんから見ていられないような失笑が漏れ始めた。

誰も笑っていないところで話を続けるというのは辛い。

自分がこの世界で何の役にも立っていないのに、

多くの人の時間を犠牲にしてしまっている。

自分の存在意義が失われて、それを取り戻そうと焦る、

そしてスベる、自信がなくなる、またスベる、ネタが飛ぶ・・・。

 

 

「先生、赤ちゃんに下ネタの薬出してどうするんですか!?

 そんなの笑うわけないでしょう!?」

 

「大人になったらわかってくることや、後で効いてくるわ」

 

 

一見、成立しているように聞こえるやり取りではあったが、

実はその間にあるセリフがまだあったのに、ノギー翔太はセリフを飛ばしてしまった。

美織はそれに一瞬ひるんでしまった、ツッコミが短くなってしまったせいで、

身構えていたテンポがよりも早く自分のセリフに回ってくることになった。

二人は2ヶ月という短い期間でネタ合わせをしてきたものの、

ネタが飛んだ時にどう対処するかというところまで練習する暇などなかった。

会場の空気が冷たくて肌に氷を突きつけられているように痛い。

あれほど勢いよく過ぎていた時間の速度が永遠にも感じるほど遅くなってしまい、

地球の重力が増していくような体の重さとやり切れなさを感じていた。

 

「・・・そんなの、教育上、悪いでしょう」

 

「・・・なんやお前、そんな当たり前のこと・・・言うなや」

 

失速していく漫才に、頭が追いつかなくなっていった。

噛み合っていたギアが外れ、回転するたびに無駄な空白だけが膨張していく。

脳内に真っ黒に書き込まれたはずのネタが、全てデリートされて白紙に戻っていく。

 

「・・・えっと、なんか、あの」

 

「・・・なんやねん、お前何が言いたいねん・・・」

 

明らかに気まずい間が流れた。

舞台上の二人が失敗したのは観客から見ても明らかだった。

見ていられないと目を抑えている人、よそ見をして気づかないふりをしている人、

下手な漫才を見せられて怒っている人、早く終われとあくびをし始める人、

多くの人たちにとって退屈な時間が垂れ流されていった。

美織はなんとかこの漫才を回収して引き下がらなければと思っていたが、

何も気の利いたセリフは思い浮かばなかった。

アドリブでその場を切り抜けるには、彼女にはまだ経験が足りなかった。

 

「・・・なんか、なんか」

 

自分の口癖しか出てこなくなり、美織は魔法にかかって口封じをされているようだった。

書き続けてきたネタ帳の文字が、時間が逆回転するように全て剥がれ落ちていく。

積み上げてきた二人の漫才が、下手な抜き方をしたジェンガみたいに一瞬で崩れていく。

こんな風になってしまうなんて、人生はいじわるだと美織は思った。

坂を登っていくときは一歩一歩辛い思いをして足を進めていかなければならないのに、

坂を転げ落ちていくときは、全てを失って数秒のうちに転落させられてしまう。

 

あの日、彼と出会ってコンビを組んだ日。

彼はやるせない気持ちだった全てを吹き飛ばしてくれた。

そして、心の中に絶望しか残っていなかった美織を、

どこか遠くに見えるオアシスまで連れていってくれるような気がした。

 

これでもかと信じて走り続けて、心がボロボロになってたどり着いた今、

近づいてみると、そこには何もなかったような気がした。

ずっと目指してきた夢は幻のようで、残ったのは心にこびりついた拭えない痛みだけ。

お客さんから向けられる視線は、ステージと観客席には隔たりがあるかのような無慈悲さで、

スベっている二人を同じ世界の住人ではないかのように冷たくあしらっているようだった。

先ほどまで同じ笑いを共有して、心が一つになれたように感じていたのが嘘のように、

やはり人は誰もがみんな他人であり、自分以外の事には心底関心など向けられず、

坂道を転げ落ちる誰かを見ても、目をつぶって手を差し伸べることはないように思えた。

 

 

「・・・どうも、地獄から逃げ出した男、ノギー翔太です」

 

美織が次の言葉を探せないでいると、彼は何を思ったのか観客に向かってそう言った。

 

「久しぶりに帰ってきた地獄に馴染めなくて、ほんま汗びっしょりかいてます」

 

急にそんなことを言い出した彼に、観客は笑うはずもなかった。

ネタに詰まって、何かギャグでも言って埋めようとしていると思っただけだった。

 

「まだ黒騎士というコンビを組んで、大阪で漫才やらせてもらってた頃、

 お前ら観客どもみんな笑いの地獄行きじゃって粋がってました。

 漫才するたびにウケてウケて、俺は間違いなく笑いの天才やと思ってました」

 

美織は隣で今まで聞いたことのない話を語り出す彼を見つめていた。

頭が真っ白になったまま、それでも何か喉の奥から込み上げてくる熱いものを感じていた。

 

「ほんで調子乗って相方と上京して、東京都民も笑いの地獄行きじゃって笑ってました。

 でも現実は違いました、レベルの高い漫才師を何人も見て、自分が初めておもろないことを知りました。

 他におもろいやつと共演しても、自分が何もおもろいこと言えずに終わってもうて、

 自分が才能ないことを痛感させられて、笑い無しやったら何も持ってなかった自分に気づかされて、

 この東京は自分にとってほんまに地獄みたいな街やなって思いました」

 

あくびをしていた人、早く終われと思っていた人たちが、

何が始まるのかわからない彼の独白に圧倒されて、とにかくステージに注意を向けていた。

止まった時計の針が、重たい秒針を引きづりながらまた動き出したように思えた。

 

「もうこれ以上、漫才する自信がないって思ったとき、俺は無意識のうちに東京を逃げ出してました。

 相方にも、世話になった先輩にも、大家にも何も告げず、ただあてもなくどこかへ消えたくなりました。

 逃げ出してしまってから、自分がやってしまったことの無責任さを知りました。

 でも、自分がケツ割って逃げ出したことは認めたくないから、隠れてひっそりと生きてました。

 もうこのままひっそりと誰にも知られずに生きていこうかなと思ってた時に、

 道端でおんなじようにしょぼくれた背中で歩いてたこいつを見つけました」

 

ノギー翔太は観客席の方を向いたまま、右手で美織を指差していた。

美織はその話を聞きながら涙をこらえきれず、両手で口元を押さえているばかりだった。

 

「俺はこいつに漫才を教えることで、俺はまだ漫才やっててもええんやと思えました。

 おもんなくて才能もない俺やけど、こいつに教えることで俺には漫才やる理由が見つかった気がしました。

 そんなことしてるうちに、俺はまた純粋に漫才やりたいと思えるようになってきたんです。

 才能なんかないけど、死ぬほど努力して、なんかまだおもろいこと言うたろうと思ったんです」

 

会場にいる観客、審査員の誰もが、予想もしていなかったものを見せられている気がして、

誰も何も言わずにただじっとノギー翔太が語る話に耳を傾けていた。

決して面白い話でもなかったが、真剣に聞かなければ失礼にあたることを、

なんとなく本能的に誰もが感じ取っていたのだろう。

 

「でも、決勝でこんなしょうもない漫才してもうて、その責任は取ります。

 俺、もう今後は漫才から足を洗って、二度とステージに上がることはありません。

 せやけど、こいつには何の罪もないんです、セリフ詰まったんも、元はと言えば、

 俺が今日の漫才であがりまくってたせいで、尋常じゃない汗かいてたんで、

 ツッコミのたびにこいつに汗がバシャバシャ飛んでたんで、

 それで多分、それが目に入ってしみたんやと思います、そうやんな、そうや言うとけ」

 

ノギー翔太がこれを機に漫才をやめると言う話はあまりにリアルで、

観客は本当の意味で笑えなかったし、何だか自分たちにも責任の一端があるような気がして、

何とか励ましてあげたい気持ちと、でも笑えない空気感にがんじがらめになっていた。

 

「そうや、この前、駅のホームで見た踏まれたおにぎりを思い出しました。

 こいつと一緒に駅を歩いてた時、踏まれて真っ黒になってたおにぎりを見つけたんですわ。

 それを見たこいつは、めっちゃ一人で笑い出したんですけどね、俺には全然おもろなくて、

 何でって、このおにぎりまるで俺みたいやと思ったんですわ、惨めに踏まれて潰れてもうて、

 みんなそんなん見ても誰も笑わずに素通りですわ、なんか俺に似てるなと思ったんですよ。

 そしたらこいつは一人でウケて、ほんま笑いのツボが全然わからんのですわ。

 やっぱり、コンビ組むには相性が悪かったのかもしれませんねー。

 でもまあ、おかげで最後にKー1出ることできたし、

 まあこいつに出会えたことは、俺には感謝しかありません、ありがとうな」

 

ノギー翔太は「ありがとうな」のところだけ、美織の方を見てかすかに笑った。

審査員たちは腕を組みながら難しい顔をして、ただ黙って二人を見つめいてた。

観客たちは、オチをつけてくれない展開に、拍手していいのやら、笑っていいのやら、

行き場をなくして、ただ声も上げずにじっと時間が過ぎるのを待つしかなかった。

 

その空気を動かしたのは美織だった。

美織は、顔を押さえたまま声をあげて泣き始めた後、

後ろを振り向いてステージ袖まで走り去ってしまった。

それを見ていた観客たちは、もうどうすればいいのかわからずに、

こんなカオスな状態に陥っている現状を苦しく思った。

誰もがどうしていいかわからずに、隣の人の顔を伺ったりしていると、

先ほど走って行ってしまった美織がまた走ってステージ袖から戻ってきた。

そして、後ろ手に隠していたハリセンを取り出して、いきなりノギー翔太の頭を叩いた。

ハリセンの音は静寂が支配した会場に「スパーン!」と心地よく響き渡った。

 

「・・・何でやねん!真面目か、ボケろや!」

 

美織は両目から止まることのない涙を流しながら、

何度も何度も激しくハリセンでノギー翔太の頭を叩き続けた。

 

「どこにオチがあるのかなと思って聞いてたら、最後まで真面目な話じゃないですか!

 人にはあれだけボケろとか言っておいて、なに自分は真面目な話してるんですか!

 全然面白くなくて、お客さんみんなどうしたらいいかわからんようになってたでしょ!?」

 

「・・・お前なぁ、ハリセンの使い方分かってんのかボケ!

 普通、ハリセンってええ音するけど、痛くないように叩くんじゃ!

 お前下手くそか、めっちゃ痛いやんけ、手加減しろや!」

 

ノギー翔太はかすかに涙を流しながら、アドリブでそんなツッコミを返した。

美織はそのツッコミを聞いて、さらに容赦無い全力でハリセンを使って彼の頭をボコボコに叩いた。

ノギー翔太はたまらず、両手で頭を押さえながら姿勢を崩していったが、

それでも美織は容赦無く追いかけて彼をとにかく本気で叩きまくった。

 

「そんな真面目な話しても、お客さん誰もわからないでしょ!?

 この前、ホームに落ちてたおにぎり、真っ黒で私めっちゃ笑いました。

 今思い出しても面白くてお腹痛いくらいです」

 

そう言って美織は続けてハリセンで彼を叩き続けた。

彼女の顔は泣きながら笑っていた。

 

「私一人で笑いなんか取れません。

 ホームに落ちてる真っ黒なおにぎりがなかったら、

 私はただ退屈に毎日を過ごしてただけでした。

 夢も希望もなくて、笑うこともできませんでした。

 それを見つけた私が、間違ってたとは思えません!」

 

そんなことを言って泣きながらノギー翔太をボコボコにしていく美織に、

観客達はグッと心を打たれて、思わず自然と笑い声がこぼれた。

「ほんまかいな、ありがとー!」と言いながら美織のお尻を蹴るノギー翔太。

それに怒って「こちらこそ本当にありがとうございますー!」と言いながら何倍にも返してボコボコに叩く美織。

ノギー翔太が両手でハリセンを防ぎながらステージ上で転んだところで、

観客は思わず笑いながら立ち上がって、誰が始めたかわからないが拍手を始めた。

 

「お前こら!

 普通、こんなステージの上で生き恥晒した人間をどつく奴なんかおらんやろ!

 どういう神経してんねん、いてもうたろかこら!」

 

「こんな偉そうにしてますけどね、無茶振りしても何も面白いこと言ってくれないんですよ。

 『俺、アドリブ弱いねん』とか女々しい言い訳するし」

 

「アホ!

 そんな楽屋裏だけの話、お客さんにバラさんでええねん!

 お前俺の芸人人生にトドメさす気か!痛い!」

 

美織はノギー翔太に喋らせる隙すら与えないようにハリセンで叩き続けた。

 

「ちょっと!お客さん見てください、俺の手、ほんまに真っ赤になってますから!

 こいつ、ほんまに手加減せんのですよ、頭おかしいんちゃうかお前!」

 

「痛いって言いながら、なんかちょっと顔ニヤついてません?

 あれでしょ、私にボケをさせたの、このためでしょ?

 実はMっけが強いから、マゾの本性ばれたくなかったからでしょ?」

 

「あん、もっと打って、ってあほんだら!

 お前、ここでどんだけ俺の評判貶めたら気がすむねん!

 ケツ割って逃げ出したマゾって、もうなんか響きが最悪やわ!」

 

「本当はもっと罵って欲しいんでしょ?

 このおたんこなす!」

 

「ってそれ、また農業やんけ!

 もうええわ、やめさせてもらうわ!」

 

「ありがとうございましたー」

 

 

二人は汗だくになりながら、そうして漫才を終えることができた。

ステージの上で本気で声を張り上げながら暴れていた二人に、

最終的には観客は誰もがお腹を押さえながら笑い転げていたのだった。

 

 

・・・

 

 

 

 

 

観客からの拍手が鳴り止まない中、マイクを持ったビジリー岡田が登場した。

MCをしていた明日奈も横に寄り添って一緒に現れた。

 

「・・・さあ、これで全ての漫才が終了したことになります。

 とりあえず、感想を聞いてみましょうか、喜多羅さん、いかがでしたか?」

 

話を振られたキウイマンの喜多羅さんは、絶妙な間を置いて鼻で笑ってから。

 

「何これ?」

 

短いたった一言だけの感想で、すでに観客は大爆笑していた。

さすが芸能界で引っ張りだこになるほどの人気芸人だった。

 

「いやもう、何これ、俺たち何を見せられてんのってのが、

 多分、見ているみんなの率直な感想だと思うんですけどね。

 個人的にはね、まさかここでノギー翔太の漫才が見れるとは思いませんでしたね」

 

喜多羅さんがそういうと、ノギー翔太は神妙に彼に向かって頭を下げた。

 

「実は俺たちはノギー知ってるんですけどね。

 昔、ちょっとだけ番組で一緒になったこととかもあってね、

 あん時はノギーも黒騎士で出てきたばっかの時だったから、

 別にそんなにたくさん絡んだりしたわけじゃないんですけど、

 まあ一緒に飯食い行ったりしたよな?覚えてる?」

 

喜多羅さんがそういうと、「はい、覚えてます」とノギー翔太は答えた。

 

「まあさっき自分で言ってたから、もうこれ以上余計なこと言わなくてもいいかも知んねえけど、

 ノギーも黒騎士を突然解散して、そのままどっか消えちゃったからね。

 彼を知ってるやつは、もう誰もあいつとはコンビ組まねえって怒ってたし、

 ひどい奴なんかは、あいつは勝手な奴だって悪口ばっか言いふらしてたしね」

 

喜多羅さんは自分では言わなかったが、キウイマンの二人はノギー翔太が失踪した時、

「あいつにはきっとあいつなりに辛い理由があったんだ」と庇ってくれていたのだった。

そして、キウイマンの二人がそういうなら、という感じになったことで、

彼を恨んでいた若い芸人たちも、もうそれ以上彼の悪口を言うことはなくなった。

 

ノギー翔太はまさか決勝戦でキウイマンが審査員になるとは思ってもみなかった。

自分の過去を知っている人に自分の漫才を見せることは、彼にとって真っ向から過去に向き合うことに等しく、

その恐怖感との戦い、そして何かを隠しながらお客さんに向き合うことの罪悪感に耐えきれず、

自分の過去について正直に語ることになってしまったのだった。

 

「だからここでまたノギーのネタが見れるとは思ってなかったんで、

 俺個人的にはすっげえ嬉しい気持ちがあるよね。

 もう諦めたのかと思ってたけど、まだ諦めてなかったのかって」

 

喜多羅さんがそう言うと、会場からは拍手が起こった。

彼がそう言うのなら、そうなのだろうと思わせるような、不思議な魅力が彼にはあった。

 

「いや、面白かったと思うよ、途中でどうなるのかなとヒヤヒヤしたけど、

 なんとか格好ついたんじゃない?俺は良かったと思いますよ」

 

喜多羅さんはそう言ってコメントを終えた。

 

「ありがとうございます、仁村さんはいかがですか?」

 

「えー、まあ俺もおんなじようなコメントになっちゃいますけど、

 ノギーのネタ、見れて嬉しいってのと、こんだけボケとツッコミが入り混じって、

 何が本当で何が台本かわからないネタを見せられて、お客さんも焦ったと思いますけど、

 これはこれですげえ面白かったし、なんか貴重なものを見せてもらったなって気がしますね」

 

仁村さんがそう言うと、また観客は拍手で返した。

まるで彼のコメントに同意すると言うかのように。

 

「あと、田柄のハリセン、あれ後で俺にもやってくんねーかな?」

 

「そう、仁村さんもちょっとそっちのけがあるからね」

 

喜多羅さんが彼のボケに乗っかってコメントをすると、

会場はまたどっかんと笑いの渦が巻き起こった。

 

「ケツんとこ叩いてほしーんだよ」

 

仁村さんが立ち上がってケツを向けると、喜多羅さんが笑いながらそのケツを思い切り叩いた。

「なんでお前が叩くんだよ」とツッコミを入れ、また会場は笑いが巻き起こった。

 

 

「さあ、それではいよいよ審査が終わりましたね、優勝者の発表です、それでは明日奈ちゃん」

 

「はい、それでは第一回Kー1グランプリ、見事優勝に輝いたのは・・・」

 

 

・・・

 

 

 

 

「あれ?美織じゃん」

 

ビニール袋をぶら下げながら公園を歩いていると、

美織はブランコに乗っていた女の子に突然声をかけられた。

 

「あっ、蘭々ちゃん、久しぶり」

 

美織に声をかけたのは寺屋蘭々だった。

一人でブランコを漕ぎながら、美織の方を見て微笑んでいた。

 

美織は微笑みを返して、蘭々の座っていた横で空いていたブランコに腰をかけた。

そして、何も言わずに漕ぎ始め、しばらくしてから口を開いた。

 

「いつもここにいるのね」

 

「うん、最近はずっと軍団のトレーニングがあるから」

 

蘭々はそういって、ブランコから少し離れたところに視線を向けた。

公園の滑り台の横では、軍団長のさゆみが何やら笛を吹いている。

横にいるみりんが野球バット、バレーボール、象のぬいぐるみ、木の棒などをトト子に渡すと、

軍団長の笛の音に合わせて、渡された物を使って即興でボケを披露していた。

 

「えっ、この装備でラスボスと戦うんですか!?」

 

木の棒を渡されたトト子はそんなボケフレーズを述べた。

RPGゲームでは、大抵「木の棒」は最弱の装備だった。

 

 

「なんだか大変そう」

 

「第二回Kー1グランプリでは、絶対に一位になるぞって、

 軍団長が燃えてるんだー、いつ第二回があるかもわからないけど」

 

蘭々はブランコをゆらりゆらりと漕ぎながらそう言った。

美織も同じように揺れながら、下を向いて何かを考え込んでいた。

 

「この間の漫才、すごいよかったよ」

 

蘭々は微笑みながら美織にそう言った。

美織はしばらく何も言わずに間を置いた後で、

「うん、ありがと」とだけ小さい声で言った。

 

二人してブランコに揺れていると、ブランコは頼りない音を立てて鳴いた。

「キィー、キィー」となんて悲しい音を出すんだろうと二人は思っていたが、

そんな事を言ったら本当に寂しくなってしまいそうなので、お互いに口には出さなかった。

二人はただ無言で、前へ後ろへブランコを漕ぎ続けた。

 

「自分を信じるしかないよね」

 

沈黙を破るように、蘭々がそんな事を言った。

彼女はブランコから見える空を眺めていた。

地上から空は見えるけれど、手が届くなんて誰も保証してくれていない。

それはただ見えているだけなのかもしれない、ブランコは少しだけ地上から彼女たちを空へ近づける。

 

「初めて飛行機で空を飛んだ人は、あの空に辿り着けると思ったんだもんね」

 

そう言うと、蘭々はブランコを止めて、立ち上がった。

軍団長が向こう側から手招きして彼女を呼んでいたからだった。

 

「次は負けないよ、私も」

 

蘭々は美織にそう言って「チャッス」と小声で言ってから向こうへと走っていった。

残された美織もその姿を見送ってから、やがて立ち上がりズキュンヌへと向かった。

 

 

・・・

 

 

美織がおつかいを済ませてズキュンヌへ戻っていると、

お店に到着する直前、向こう側から歩いてくる新渕眞木とばったり会った。

 

「あれ、何、買い出し?」

 

「うん、いつも真冬さんばっかり行かされてて可哀想だから、たまには美織が行こうかなって」

 

「えっ、あの子ここの店長でしょ?」

 

「いつもダチョウ倶楽部方式で決まっちゃうから」

 

「何それ?」

 

眞木はその意味がよくわかっていなかったようだが、

美織はビニール袋の中に入っていたアメを取り出して眞木に渡した。

 

「あっ、サンキュー。

 ところでさー、なんかオススメのケーキある?

 100万円獲得したんだから何か奢れって会社の連中がうるさいのよねー」

 

「あっ、真冬さんが美織のためにデザインしてくれたケーキがあって、

 なんかホワイトチョコでハリセンの形にしてくれたやつなんだけど」

 

「えっ、マジで、さすが真冬さん、なんでも作るね」

 

「まあ、よく作る作る詐欺はしますけどね」

 

「おっ、美織も言うようになったなー」

 

そんな話をして笑いながら、美織は眞木を連れてズキュンヌへ入った。

眞木が来た事に気づいた真冬は、開くとパッチリと大きな目を、

瞬時にクシャッと糸目にして入り口まで走って来た。

 

「えー、いいじゃんこのケーキ、ハリセンが可愛いねー」

 

眞木がそう言ってガラスケースに入っているケーキを選んでいると、

真冬が色々と試食用の準備をし始めて、眞木に提供しようとしていた。

美織は側でその様子を見ていたが、表からバイクの音がして来たことに気づいて、

彼女は入り口のドアの横の窓から外を眺めた。

そこには真っ黒のバイクに、真っ黒の服を着た男が美織を待っていた。

 

 

・・・

 

 

 

 

 

「それでは第一回Kー1グランプリ、見事優勝に輝いたのは・・・アダルティーズのお二人です!」

 

天井から紙吹雪が舞い散り、大きなくす玉が割れて「ババアども優勝おめでとう」と書かれた幕が飛び出した。

優勝した二人は手を取り合って飛び上がりながら、少し涙ぐんでいた。

そして、ビジリー山田から100万円と書かれた祝儀袋を受け取ると、

やがてくす玉から出ていた垂れ幕に気がついて、二人して指をさしながら目ん玉ひんむいて抗議を始めた。

 

「いやーお見事でしたね!」

 

「いやいやいや、あれなんですか!?

 ちょっと、聞いてないんですけどー」

 

「では審査員のキウイマンのお二人に聞いてみましょうか」

 

ビジリー山田がそう言うと、キウイマンの二人もステージまで出てきた。

 

「いやーババアどもおめでとう、もちろんどのコンビも良かったけどね。

 最終的にはやっぱ覚悟かな、クビ覚悟で漫才やろうって意気込みがネタからわかったし、

 瀬藤のキレ芸とかもすげぇ良かったからね、仁村さんも俺も、やっぱここはこの二人かなと」

 

「いやーほんとに難しかったんだよ、みかんとみりんもすげぇ良かったし、

 イオリアも破天荒な感じで面白かったんだけど、やっぱ最終的にはこの二人になっちゃったね」

 

さゆみもみりんも、残念そうではあったが、優勝した二人に拍手をしていた。

ノギー翔太も同じように拍手をしていたが、納得がいっていないのは美織だった。

 

「・・・すいません、私たちも解散をかけて漫才やってたんですけど」

 

美織がそう言うと、会場からは「え~」と言う声が飛んだ。

まだ解散しないでほしい、優勝はできなかったけれど、まだこの二人を見たい、

そういう声が会場からはたくさん聞こえてきていた。

 

「いや、わかるよ、優勝できなかったら解散するって決めてたんでしょ?

 だけど俺らもやっぱ芸人だからさ、偶然面白くなっちゃったのと、

 ネタをしっかり固めて面白く笑わせることができたのとじゃあ、

 申し訳ないけどネタをしっかり間違わなかった方を評価しなきゃいけないわけよ。

 それはさあ、厳しいけど勝負の世界だから、俺たちも心を鬼にして採点しなきゃいけないし」

 

「でもほんと僅差よ、どこのコンビが優勝してもおかしくなかったし」

 

喜多羅さんのコメントにフォローを入れたのは仁村さんだった。

二人とも、言い方は違うけれど、全てのコンビに対する愛情は十分に感じられる言葉選びだった。

 

「それにさ、多分ノギーは俺らがここで優勝させてあげても解散すると思うしね、そうでしょ?」

 

喜多羅さんがそうノギー翔太に対してそういうと、美織はノギー翔太の方を見つめた。

 

「そうっすね、ここで変に優勝とかもらってもーたら、芸人的には本当の意味で地獄ですよね」

 

美織は別に自分が優勝したいわけではなかった。

ただ、ここまで一緒に頑張ってきたノギー翔太に報われて欲しかったのだ。

だが、キウイマンはキウイマンで、ノギー翔太のプロとしてのプライドに配慮した。

本当の漫才師であれば、こんな中途半端な結果で優勝してしまっても、

結局は納得がいかないと彼らは考えたのだ、それはお互いが芸人だからわかる心配りだったのかもしれない。

 

「そうなんだよ、俺ら芸人ってさ、確かに賞をもらったら自信もつくし嬉しいんだけど、

 やっぱ最終的には芸を磨くためにお笑いをやってるんであって、

 何か賞をもらうためにお笑いをやってるんじゃないんだよ、自分のプライドかけてやってっから。

 だからさ、結果が何位であっても、自分が最高に面白いことをやったと思ってたら、

 それで自分を誇りに思ったっていいんだよ、俺だってさ、才能あるわけじゃないよ。

 だけどなんか負けたくねーな、もっと面白いことやりてーなって思って努力するし、

 その毎回の舞台の上でさ、最高の漫才やらコントをやっていこうと思うわけでね。

 その一瞬一瞬で輝く瞬間って、絶対誰にでもあると思うからさ、

 順位だけに一喜一憂せずに、そういう瞬間を大事にしていくのも俺はいいと思うよ。

 って、なんで俺こんなに真面目に熱く語っちゃってんの?

 仁村さん、ここは児玉坂46の選抜発表だったっけ?」

 

「いや、俺もやけに喜多羅さん熱く語ってんなーと思って見てたけど、

 ここ来る前の仕事で俺ら児玉坂46の選抜発表に立ち会ってきたから、

 多分その余韻が残っちゃってんじゃねーかなーと思うけどさ」

 

会場からは笑いもこぼれた。

キウイマンの二人が言ってくれた言葉は、決勝に残った三組だけでなく、

この大会に参加した全員の心に何か大切な温もりを残してくれたような気がした。

初めは納得のいかなかった美織も、やがて涙をぬぐいながら、

優勝した二人を祝福するように拍手を送った。

 

「あのー、すいません、ところであの垂れ幕なんですけどー」

 

話の区切りがついたところで、りさがキウイマンの二人に垂れ幕のことについて尋ねた。

 

「あれひどくないですか、誰ですかあれ作ったの!?」

 

「えっ、あれ、俺だよ、オレオレ」

 

喜多羅さんがニヤニヤしながらそう言った。

「なんか間違ってた?」と彼は付け加えた。

 

「・・・ちょっともう、やめてくださいよー!」

 

りさと眞木は照れ笑いを浮かべながら喜多羅さんにそう言った。

喜多羅さんが書いたのなら、まあ仕方がないかと思ったのだった。

 

「りさ先輩、なんか私たち騙されてません?

 あれ、作ったの絶対に作者ですよ?」

 

「うーん、私もそう思うんだけどね、だって喜多羅さんが作ったっていうから、

 これ以上、私たち何も言えないじゃない・・・」

 

優勝した二人はヒソヒソ声でそんな話をしていた。

喜多羅さんはちょっとふざけた顔をして「あれ作ったの、作者じゃないよ、オレオレ」と繰り返した。

 

腑に落ちない二人の表情を見ながらMCの明日奈は「そんなアホな」と言いながら楽しそうに笑っていた。

 

「まあいいじゃん、100万円貰えたんだからもっと喜べば?」

 

「でもさ、これで本当に会社クビになったら100万円とかもらっても割に合わねーけどな」

 

キウイマンの二人がそういうと、また会場はドッと沸いた。

りさが何かを言いたそうだったので、ビジリー山田はマイクを彼女に向けた。

 

「でも、なんかイオリアの二人の話を聞いてたら、

 私たちだけこんな100万円もらっても、なんか悪い気がして使えないですよー」

 

イオリアの二人はまだ先ほどの漫才の余韻が冷めやらず、

二人とも頬を涙で濡らしながらステージの上で立っていた。

 

「そうですよねー、私たちだけ温泉行ってたら、なんか罪悪感ありますよー」

 

眞木も同じようにそう補足した。

会場のみんなが思っている気持ちを代弁したのだ。

 

「ノギー、あいつらあんなこと言ってるけど、どうする?

 賞金半分ずつにしてお前らも行く?」

 

喜多羅さんがノギー翔太に向けてそんな言葉を投げかけた。

ノギー翔太は頬を伝う涙を手で拭ってから口を開いた。

 

「いや、ババアファーストで大丈夫です」

 

「誰がババアだ!」

 

アダルティーズの二人がツッコミを入れて、会場はまた笑いで包まれた。

こうしてノギー翔太に対して笑いの振りをくれたのも、

彼らなりの後輩への優しさだったのだろう。

 

そこまできて、急に喜多羅さんは隣にいた仁村さんの腕を思い切りはたいた。

 

「痛ってー!ちょっと何すんですか!」

 

「いっけねー、大事なこと忘れてたよ」

 

「なんだよ、大事なことって」

 

「仁村賞まだ発表してないよ」

 

そういうと会場は大きな拍手が鳴り響いた。

仁村さんが苦笑いの表情を浮かべている。

 

「いや、俺もすっかり忘れてたよ。

 では仁村賞は・・・イオリアの二人でーす」

 

先ほどまで落ち込んでいた美織が、驚いた顔を浮かべて飛び跳ねて喜んだ。

ノギー翔太は特に慌てもせず、ただキウイマンの二人に軽くお辞儀をした。

 

「どうする?仁村さんにコート買ってもらう?」

 

「いや、夏だわ、いらねーだろ」

 

「じゃあ、あれじゃない、タイ旅行とかでいいんじゃない?」

 

「いやいや、金払うの俺なのに、なんでそんな気軽に言えるわけ?」

 

「じゃあタイ旅行だな、決定で!」

 

美織は今までの辛かった努力が報われたことに、枯れ果てたはずの涙をまた流していた。

そんな美織を見ていた仁村さんは、おそらくお笑い芸人としてまた気を使ってくれたのだろう。

 

「その代わりさ、ハリセンやってくれよ、俺のケツんとこにさ」

 

そう言って仁村さんは美織に向かってケツを突き出したが、

そこへ向かって非情にも喜多羅さんが思いっきり蹴りを入れた。

 

「いや、なんでお前が蹴るんだよ」

 

会場では笑いが起きたが、仁村さんは喜多羅さんに抗議をするふりをして、

後ろから蹴ってこいの合図を手で送っていた、ノギー翔太はそのサインを見て、

思い切り走り込んで仁村さんのケツを蹴った。

 

「なんでお前も蹴るんだよ、男に蹴られても俺何も嬉しくねーよ!」

 

ノギー翔太に抗議をしながら、また手では後ろから蹴って来いのサインが出ていた。

嬉しそうに走り込んで行ったのはさゆみだった、そしてみりんも続く。

りさも眞木もビジリーも明日奈も全員が蹴った後、美織が本当にハリセンでケツを叩いた。

 

「ちょっと、俺マジでケツ痛すぎて椅子座れなくなるわ!」

 

喜多羅さんが嬉しそうに笑い、こうして第一回Kー1グランプリは幕を閉じたのだった。

 

 

・・・

 

 

 

 

 

「サワディーカップ」

 

バイクから降りてヘルメットを外したノギー翔太は、

タイ語で「こんにちは」を意味する言葉でそう挨拶をした。

 

「タイ旅行に向けて勉強してるんですか?」

 

「アホか、俺は別にタイなんか興味ないわ」

 

そう言ってノギー翔太はタイ行きの航空券2枚を美織に手渡した。

 

「もう俺らは解散したんやし、それに俺はタイなんか興味ない、

 それはお前が誰か誘って行けや、俺とお前が行ってもしゃーないし」

 

美織は少し寂しく思いながらも、その航空券をポケットにしまい込んだ。

 

「あートムヤンクン食べたい」

 

「めちゃくちゃ未練あるじゃないですか」

 

「そういうボケやろが」

 

「そういうツッコミでしょ」

 

二人はそう言って微かに笑い合った。

 

「漫才師やめたって本当ですか?」

 

「ほんまやで、俺には才能ないからなー」

 

あの二人の漫才を最後に、結局ノギー翔太は漫才師をやめてしまった。

会場にいた人々はKー1グランプリでノギー翔太が復活したことを知り、

一時はSNSなどで彼の復活が期待される噂が流れたのだが、

ノギー翔太はその期待に応えることなく普通の仕事を探すことに決めた。

 

「せっかく、復活するのかってSNSで騒がれてたのに、もったいないですね」

 

「アホ、あいつら好き勝手言いたい放題やねんから、気にしてもしゃあないわ。

 どうせ復活したら、おもんないやつ復活したってまた書きよるんや。

 そんな奴らに俺の人生決められてたまるか、俺の人生は俺が選ぶんや」

 

「もう新しい仕事は決まったんですか?」

 

「面接でボケまくってたら、落とされたわ、世の中は頭固いやつばっかりや。

 そんな世間に合わせて生きていくんやから、これからが俺にとっての本当の地獄の始まりや」

 

「どこ行っても地獄ですね」

 

「生まれた瞬間から、俺は地獄の鬼に抱かれてた男やからな」

 

「そんなこと言ってたら、そりゃ面接落ちますよ」

 

「俺は俺にツッコミ入れてくれる人のとこで働きたい。

 その方が、働いててもきっと楽しいと思うしな」

 

相変わらずなノギー翔太の返答に、美織はクスッと笑いながらも、どこか安心した。

彼は漫才をやめてしまっても前を向いて生きていけると思ったからだった。

 

「あんな、これからはショールームに注目しとけ」

 

「えっ、なんでですか?」

 

「今のご時世、別にサラリーマンやってても、

 ショールーム使えばいくらでもネタを披露できるんや。

 俺はそのうちショールームを使って地獄から配信する予定や。

 ケルベロスも映るぞ、どうや、なんか面白そうやろ?」

 

「あのチワワですか、ネタの感じと違って可愛すぎません?」

 

「アホやな、ちゃんと作りもんの頭二つ用意して、ケルベロスにつけるんや。

 あいつも俺の笑いのためやったらわかってくれるはずや」

 

「じゃあ、動物愛護団体に見つからないことを祈ってますね」

 

バイクにまたがり、ヘルメットをかぶりなおしながら、

「なかなかええ返しするようになったな」とノギー翔太は言った。

 

「言い忘れとった」

 

「なんですか?」

 

「漫才師やめてわかったことはな、俺は漫才師になる前に漫才師やったことや。

 黒騎士やめたって、俺は黒い服を着ることは変われへんし、死ぬまで笑いを捨てられへん。

 黒騎士っていう名前は、俺の中から出てきた名前であって、俺が黒騎士になってたわけやない。

 俺は漫才やめても黒騎士やったし、俺から何かを奪うことなんて誰にもできへんねん」

 

ノギー翔太はそう言ってしばらく黙り込んだ。

美織も彼が言った意味が深すぎて、すぐには理解できそうにもなかった。

 

「お前にはちょっと難しすぎたな。

 もっと勉強したら、いつかわかる日が来るかもな」

 

「はい、じゃあもっと勉強します」

 

「そうやな、お前にわかりやすく簡単に言うとしたら・・・」

 

ノギー翔太は上を向いて少し考えた後で口を開いた。

 

「まあ頑張れよってことやな」

 

「いや、それバカにしすぎですよ」

 

ヘルメットを被った後、そこから目元だけがのぞいていた。

ノギー翔太はバイクにまたがり、ブルンと音を立てた。

 

「じゃあな、まあ、面白かったやろ?」

 

「・・・はい!」

 

美織が大きな声でそう応えると、ノギー翔太はバイクに乗って走り去っていった。

「あーグリーンカレー食べタイなー」と叫びながら。

 

 

・・・

 

 

美織が店内に戻ると、眞木があれこれ試食しながらまだケーキを選んでいた。

眞木は美織が戻ってきたのを見つけると、「やっぱハリセンの乗ってるこれかな~」と調子よく合わせてきた。

 

美織は先ほどノギー翔太にもらったタイ行きの航空券を眞木に見せた。

一人で行っても仕方ないし、頼りになるお姉さんを誘った方がいいと思ったのだ。

眞木は喜んでタイ行きのチケットを受け取った。

すぐに計画を立てるから、また連絡をくれるということになった。

 

「じゃあもうこのケーキにしよ!」

 

美織がタイ行きの航空券をくれたこともあって、

眞木は彼女が薦めてくれたハリセンチョコのケーキを買うことにした。

店長の真冬が嬉しそうにレジの横まで移動した。

 

「ありがと~、ご一緒に写真集はいかがですか~?」

 

商魂たくましく、彼女は自分の写真集をケーキとともに眞木にお薦めした。

この店の常連である眞木も、真冬に薦められると断りづらいものがあった。

「えっ、どうしよっかな~」と本当は余計なお金を使いたくない吝嗇家の眞木も、

さすがに苦笑いをしながら困った様子で対応していた。

 

「ケーキのついでに何売っとんねん!」

 

美織はハリセンを持って思いっきり真冬の頭を叩いた。

店内に「スパーン!」という乾いた音が響き渡った。

 

頭を押さえて目を丸くしながら、真冬は美織の方を向いてびっくりした顔をしていた。

何が起こったのか一瞬よくわからなかったみたいだ。

 

「えっ、美織どうしちゃったの?

 あんなに私のことリスペクトしてくれてるスタッフだったのに・・・」

 

「あっ、真冬さん、すみません。

 美織はちゃんとリスペクトしてます、でも体が勝手に・・・」

 

美織は慌てた様子でそう言い訳をしていた。

それを見ていた眞木はおかしくて口元を押さえて爆笑していた。

 

「美織変わったよね」

 

「うん、これからはアメとムチ担当になるかもね」

 

その様子を見ていた絢芽とびり愛がそう言った。

「うまいこと言わなくていいから!」と真冬がツッコミを入れて、

レジでお財布を持っていた眞木はさらに笑った。

 

「もう何この感じ~、なんか楽しいお店になりましたよね。

 若い子たちも慣れてきて、結構活気づいてきてるみたいですし。

 最初はどうなることかと思ったけど、これからも楽しみですね~」

 

眞木はそういうと、写真集のことはうやむやにしようとして、

ケーキ代だけをささっと取り出して真冬の目の前に置いた。

その眞木のうやむや作戦に気づいたのか、真冬は写真集をしっかり両手で持ち、

顔の高さまであげて表紙を眞木の方へと向けた。

 

「そうなの、みんなとっても可愛いの~。

 でも、一番可愛いのは私ですけどね~♡」

 

真冬はそう言いながら、逃すまいと眞木の目の前に写真集を掲げた。

写真集を買わせたい猫目商人と、老後の資金を減らしたくない吝嗇家の戦いは続いたが。

 

「なんでやねん!」

 

美織がまたハリセンを振り下ろし、無情にも乾いた音が店内に響いた。

叩いたのが大きな頭だったからか、ノギー翔太の頭よりも良い音がした気がした。

きっとそれは、幸福の音かもしれないと、美織は思った。

 

「・・・えっ、これって、ちゃんとリスペクトしてる・・・よね?」

 

真冬は頭を両手で押さえながら、恨めしそうな顔をして美織を見つめた。

もちろん、みんなリスペクトしてるから、こんなことできるんですよ、真冬さん。

 

 

ー終幕ー

 

 

 

 

 

 

そんなアホな ー自惚れのあとがきー

 

 

まず、読者の皆様に深くおわびしなければなりません。

このようなゲスい物語を書いてしまいまして、大変申し訳ありませんでした。

今、筆者は地面に顔がめり込むくらい深い土下座をしています。

誠意を込めて土下座をしているのですが、如何せん文字だけではうまく伝わらず、

筆者が謝罪している様子が伝わらないのが残念であります、なんちゃって。

 

この物語は田柄美織が主役であるが、

彼女が主役になるのであれば、漫才をテーマにすることはずっと前から決まっていた。

しかし、笑いを中心に据えて書くというのは、面白いことを言いますと宣言してから、

面白いことをして笑いを取るくらい難しいことであり、そんなハードルの高いことは、

書くには大変勇気のいることであり、一歩踏み出す勇気がなかった。

 

決心のきっかけは理屈ではなくて、いつだってこの胸の衝動から始まるとはよく言ったもので、

直接のきっかけは乃木恋のCMを見た時だったと思う。

「乃木坂46と本気で恋するスマホゲーム」というキャッチコピーを聞いた時、

「乃木坂46と本気で何をしたら面白いだろうかと、一人大喜利が始まった。

そして、乃木坂46と本気で農業したら面白いなと一人で妄想してウケてしまって以来、

このネタであれば、書きたいなと思ってしまったのである。

 

あのネタが読者にとって面白かったのかは定かではない。

だが、筆者の頭の中では相当面白かったので、書いていても一人で笑っていた。

基本的に、今回の物語は最初から最後まで笑いを中心に据えていて、

とにかく少しでも笑いを詰め込むことばかり意識をして書いていた。

だから筆者はとにかく一人でニヤニヤクスクスして楽しみながら笑っていた。

もちろん、それは筆者が脳内再生している映像とセットで笑っているので、

読者の人々に同じように面白さが伝わっているのかはわからない。

これを読んで、本当につまらないなと思われているのであれば、

それは筆者がだだスベりをしているということであり、まあ仕方ない。

今回はそういうことも含めて勇気を持って踏み出して書いたのだから。

 

ちなみに、筆者は乃木恋を一切やったことがない。

ゲームに時間を費やすよりは、こういう変な妄想に時間を費やす人なのだ。

なので、もし的外れの箇所があったらご容赦願いたい。

でも、もし筆者にゲームを作らせてくれるのであれば、

もっと面白いものを作れるという変なうぬぼれはある。

もちろん、ゲスすぎて発表できないものかもしれないが・・・。

 

 

笑い以外のテーマとしては、美織が出会うノギー翔太という売れない漫才師を通じて、

夢と現実の狭間で葛藤しながら、それでも生き抜こうとする思いを描いたつもりである。

筆者だって同じで、誰もと同じように理想にたどり着かないでもがいたり、

現実に打ちのめされたりもするし、立ち直れないほどくたびれてしまうこともある。

 

勝ち負けだけじゃないと言っても、綺麗事だと言う人もいる。

敗者になることは、もちろん綺麗事で片付けられないくらい辛いし、

惨めさを抱えてボロボロになりながら先の見えない暗闇を歩き続けなければならない。

 

誰に認めてもらえなくても、それでも周囲の評価や環境に左右されず、

本当に自分のやりたいこと、信念を貫けたかどうか、それがまず第一の指標となるべきだと、

筆者自身は思っているし、敗北は自分を見つめ直す好機にもなると考えている。

 

そうした時に、自分が何者であるかがわかるような気もする。

自分はどこどこのグループのどのポジションにいる存在だ、

そういう枠にいつの間にか自分を閉じ込めてしまってはいないだろうか?

そういう全てを失った時、自分は本当は立場やポジションではなくて、

この心の中にある信念や、本当にやりたいことに気づいたりする。

 

例えば、筆者は下手な物語しか書けないけれど、

誰に酷評されようとも、自分が描きたいものを書き続けるし、

書いているときは楽しいし、魂を燃やしている気がしている。

何の役にも立たないかもしれない、誰にも認めてもらえないかもしれない。

それでも、この人生、楽しんだもの勝ちなのだ。

 

もしこの下手くそな物語を読んで、少しでもクスリとしてくれたなら、

それだけで筆者にとっては意味のあることだ、嬉しいことだ。

 

こんなゲスい物語を書きながら、なんて真面目なあとがきになってしまったことか。

もう筆者はきっとボケることに疲れたのであろう。

一人でネタを考えるのは、楽しいと同時にすごく辛かった。

もうボケなんて出てこないよと、一人で泣き言を言ったこともある。

ありえない展開ばかりしてしまう物語ではあるが、

「そんなアホな」とツッコミながら読んでもらえれば幸いである。

 

 

ー終わりー