硬い殻のように抱きしめられたい

明日、私は20歳になる。

法律上ではお酒が飲める年齢だ。

 

少し前に16歳になったばかりだと思っていたのに、

どうやら神様は時間を圧縮する術を知っているらしいのです。

4年の歳月は矢のようにという古典的な表現では足りないくらいの光の速度で駆け抜けて行って、

ついに私は社会で一端の責任とやらを背負わされる年齢にまで追いやられることになってしまいました。

 

悲劇だ。

これはちょっとした悲劇である。

これでは、もう私は今後は何ひとつ悪いことができなくなってしまう。

いや、もちろん今までだって犯罪に手を染めるようなことをした覚えはないですよ。

私が言っているのは他でもありません、世間一般が何か決定的な後ろ盾を得たように口にする、

大人なのだから、というフレーズに苦言を呈しているだけなのです。

 

大人なのだから、甘えてはいけません。

ほらまた誰かがお題目のように唱えている。

なんの根拠もないのに信じている神様みたいに。

 

私のモラトリアムは、今こうして幕を閉じようとしていました。

 

 

・・・

 

 

性懲りも無く、またこの季節がやって来ました。

誰も許していないのに、ただ365日が過ぎただけなのに。

一人で考えた結論だけを抱えて遅れないように駆け足でやってくるあいつ。

夏はきっと頭でっかちなのだ、いろんな意味で。

 

街を歩くと、どこかで蝉の鳴き声が聞こえます。

きっと街路樹の上に捕まっているのでしょう。

毎年飽きもせずに鳴き叫び続けるなんて、蝉も物好きですよね。

いや、昨年の奴らとは違うのか、彼らの寿命はひと夏で終わるのだから、

私は実は彼らのご先祖様から20番目の子孫の声を聴いていることになりますね。

そう考えると人間も呑気なものですね、かけっこであれば20周回遅れですよ。

まあそんな偉そうなことを、私が言えたことではないのですがね。

 

それにしても蝉は一体何を鳴いているのでしょうか?

私だって泣きたいことは今まで山ほどありましたけど、

もう20歳になろうとしている今、そんなことはすっかり忘れてしまいました。

16歳の頃の私が考えていたことも、もうあまりよく覚えていません。

寝て起きて、また寝て起きてを繰り返しているうちに、

すっかり別人になってしまったような感慨すらあるのです。

本当はそんなことはないし、私は私のままなのですが、

どうやら細胞レベルでは人間は毎日生まれ変わっていると聞きますし、

そう考えると、私の意識も本当にあの頃の延長線上なのかどうかも疑わしい。

きっと私にこの身体がなかったら、他人から認識される一定不変の顔がなければ、

私の魂が既に別人みたいになっていることがみなさんにもお分かりになるはずでは?

 

 

蝉の鳴き声がBGMという夏真っ盛りの街路樹を私は歩きました。

白いブラウス姿の女子高生達が楽しそうにお喋りをしながらすれ違っていきました。

懐かしいなと思いながらも、私には別にあのように集団で盛り上がっていた記憶はないのでした。

思い過ごしだったかと感じながら、少し眩しかったのはきっと彼女達の白いブラウスのせいでしょうか。

あの白さはおそらく純粋の象徴であって、私にもそうした時期は同じようにあったのです。

そうした感慨があの白さに引っ張られて心の沈殿物を浮かび上がらせたに過ぎないのです。

その純真はきっと永遠に続くものだと、あの頃の年頃だとそう考えるのが自然だし、

私も例に漏れず、そうした天真爛漫な一時期を過ごした人並みの女子ですからね。

何もわからなかったのに、全てを知っていると思い込んでいた若気の至り。

そして、それが大いに許されるのが10代の特権なのでしょうね。

 

 

何やら少し考えにふけってしまいました。

私はどうしてこんなところを歩いているのか、やっと目的を思い出しました。

私が外出をする目的など指折り数えても片手で済みますよ。

ご飯を食べるか、本屋へ行くか。

この二つくらいしか思い当たらないのだし、

そうでなければどうしてこのような魑魅魍魎の跋扈する都会の街などへ足を運ぶものですか。

人は皆、そうした敵から身を守るために住居を構えているのでは?

そうでなければ、みんな群れになり寝食を共にすれば良いじゃないですか?

誰か私の持論に反論できるものがいますかね?

きっといるでしょうね、でも私はそんな意見を聞く気はありませんよ。

 

 

そうして私は自宅から徒歩15分の本屋へようやく辿り着きました。

15分という時間は、私にとってはちょうどいいお散歩の時間ですね。

何かを考えてしまう癖がある私にとっては、これくらいの時間と距離がちょうど良いのでしょう。

これ以上長いと、きっと余計な雑念などで悲観的な方向へ引っ張られる恐れもありますし。

適当な結論をでっち上げていい加減に何かを考えるのを終えるには、15分は適当だと思うのです。

それに、考えたところで人間にはどうせ何も結論など出ないのだし。

でもそうだとすると、私はどうしてこんな考えるという無駄な作業を毎日して生きているのでしょうか?

 

 

本屋は建物の二階にあって、私はエレベーターのボタンを押して待ちました。

見上げてみれば、エレベーターはまだ2階にあることを光の点滅で誰もが確認できます。

これがなければ、人はきっと絶望に心を弄ばれてしまうでしょうね。

いつ来るのかわからない物を待つほど辛いことはありませんから。

それは期待があるからです、もうすぐ来るだろう、来るはずだ。

注文した料理が5分来ないだけで腹が立って怒り出す人もいますしね。

あれはきっと、待つ時間がどの程度か分からないために永遠を感じているんです。

このままずっと来ないんじゃないか、自分の注文が忘れ去られているのではないか。

自分の注文が忘れられるということは、自己の存在がなくなるのに等しい、

と、これは少し論理の飛躍もいいところですが、まあ誰に聞かれる意見でもないから別に気にしないでおきましょう。

とにかく、人は無限の時間を待つことと、自分が無視されることには耐えられない。

だからエレベーターにも、誰か機転の効く心理学者か何かが人々から無限の恐怖をぬぐい去るために、

こんな光の明滅でエレベーターがどこにいるのかを親切に知らせてくれて、人々の心を癒しているのです。

 

私はエレベーターに乗りこみました。

私の後ろからは誰も乗って来ないので、私は一人でエレベーターを閉めました。

 

ハッとして我に返り、それから私は2階のボタンを押しました。

ボタンを押すのを忘れていたせいで、エレベーターはしばらく止まったままだったのです。

その間、私は一体何をしていたと思いますか?

 

私はさっきあんな風に蝉の事を言いましたが、

実は私も彼らから見れば笑われてしまうかもしれないような事をしています。

それと言うのも、エレベーターのせいなのですが。

 

だってこんな何もない空間で、かろうじて時間だけが動いていて、

どこにも行けない四方を囲まれた箱の中で一人きりなんて。

私はどう言うわけか、いつもエレベーターの壁に持たれかかってしまうのです。

お目当のフロアにたどり着くまでわずか数秒しかないでしょう。

それでも、こんな風に囲まれてしまうと、私には抗う術などありません。

 

側から見た人は思うでしょうね、まるで木に止まっている蟬みたいだと。

ええ、どう形容しても構いません、事実私は蟬のように壁に止まっているのですから。

 

なぜこんな事をしてしまうのか、私にはわかりません。

少々、格好をつけて言うなら、そこに壁があるからだとでも言えるでしょうか。

ガチで全体重をかけるのがコツです、まるで自分の足で立ってないみたいに。

壁はちょっと硬めくらいで、冷たい感じだとベストですね。

 

そんな事を説明している間に、もうエレベーターは2階に到着しました。

蟬はまた次の止まり木を求めて、夏の空を彷徨うのですね。

 

 

・・・

 

 

私は本の虫だ、蟬だけに。

 

本屋の本棚を漁りながら、私はそんな事を考えて一人でほくそ笑みました。

私は本を選ぶ時間が長いとよく言われるのですが、私自身はあまりそう思いません。

きっと他人と比較すると長いのでしょうが、別にこんなの誰かと比較することでもありませんし。

ギネスの記録だって、何でも作ればいいってものでもないでしょうに、あれ何でしょうね。

 

この本屋は児玉坂の街でも一番大きな本屋であって、

大抵の本は揃っているし、私はもう何度も足を運んでいるのですが、

見飽きると言うことがないのです、綺麗な空を見上げるのと同じですかね。

そう言う表現であれば、大抵の方にはご納得いただけるやもしれませんね。

 

私が幸福だったと思うのは、本という物が至極まっとうなものであったからです。

もしこれが世間から非難されるものであれば、私は大手を振って本屋には来れなかったでしょうからね。

言うなれば私はちょっとした中毒患者でして、どっぷりハマっているにも関わらず、

これが本という清廉潔白な対象であったからこそ、私は世間での評判を気にしないで済んでいるのです。

もし私がお酒や危険な薬にハマっていたら、世間様はどういう視線を向けるでしょうね?

そういう事は私から言わせれば紙一重なのです、私はそれが本だっただけ。

それだけのことが、私を幸福の境界線の内側に止まらせているのですね。

 

だって先ほど、私が蝉のように壁に止まっている事を赤裸々に告白した時、

皆様は一体どのように感じられましたか?

あまり一般的ではない趣味嗜好を口にするだけで、

その人は奇妙奇天烈な存在として認知されてしまうわけでしょう?

でもこれは同じ一人の人間のアウトプットなのですよ?

私が本を好むのも、壁を好むのも、そこに何の違いもないのです。

言うなれば本という立派な聖人君子のおかげで、私は良い趣味を持っていると世間から言われるだけですからね。

 

そうした世間様の物の見方が影響するせいで、

私は蝉のように壁を好む事を多少恥じるようになります。

全て人間が自由であることができないのは、こうした世間様の影響が大きいですよね。

でも私、壁の事はそんなに隠すつもりもありません。

だから皆様にああやって告白をしたのですし、もし私の中でこれを恥の一部分に留めてしまえば、

私は多少息苦しく生活をする事を余儀無くされてしまうでしょう。

そういうのは嫌ですし、幸いなことに私はもう大人なのですから。

 

そんな事を考えていた時、一冊の本が私の目に留まりました。

それは偉大なる夏目先生の「坊ちゃん」でしたね。

確か随分前に興味を持って読んだことがあったのですが、

物語の内容は結構忘れてしまっていて、覚えているのは赤シャツとかいう登場人物が出てきたかとかだけ。

 

思えば不思議なもので、私達はこれほど本を読んでもすぐに忘れてしまう。

でもまた読む、また忘れる、これを繰り返して生きているのですよね。

忘れなければもう読むこともできないので、そう考えると忘れるのは大事なことかもしれません。

でも、初めて読んだときのあの感覚は一度だけで、やっぱりちょっぴり覚えていますし、

その辺はなんとなく意地悪だなと思いますね、何がというわけではありませんけどね。

 

そんなこんなで、また私はいつの間にか別の本棚へ向かいます。

本の面白いところは背中で語っているところです。

きちんと真面目に整列させられて、背表紙がちゃんと自分の表題を告げているのです。

私なんて、こんな風にまっすぐ並んで立たせられたら嫌になっちゃいますけど、

彼らはそんなことに文句も言わずに、その背中をみんなに見られながら、

選ばれる日を今か今かと待っているのですよ、健気ではないですか。

 

そうして私は整列された本棚から一つ選んで表紙を見ます。

でも、表紙なんて本当は何の意味もなくて、大切なのは中身ですよね。

それでも一応表紙がついているのは、人間に顔があるからやもしれません。

顔のない人間は怖いですからね、いわんや本でも顔くらいないとですね。

 

でもやっぱり、本は中身なのです。

表紙や裏表紙のカバーを外しても、本はその価値を失いません。

もしこれが彫刻だったらどうでしょうか?

誰が美しい彫刻の中身をX線を当てて確認しますかね?

そんなの彫刻にとってはどうでもいいことなんです。

彼には外見が全て、中には何もないんですもの。

でもそういう人もいますよね、外見が美しければそれだけでいい人も。

否定はしませんよ、彫刻が好きな人も、いいんじゃないですかね。

 

そんな風にして2、3冊を選んだ頃でしょうか。

私はふと我に返って窓から見える外を眺めました。

窓に水滴がついていることで、どうやら雨が降ってきた事に気づきました。

夏の空は気まぐれですから、入道雲の気分次第でそんなこともあるのです。

あまり外出しない私は天気予報などを気にすることが少なく、

そういえば傘を持っていませんでした、これは足止めというやつですな。

 

でも、私にとってはそんな事はあまり重要ではありませんでした。

時間を潰すなんて表現がありますが、私には本がありますので、

いくらでも時間を共にしてくれる相棒がいるようなものです。

選んだ本を抱えてレジに並んでいると、本屋に併設されたカフェが見えました。

そこで買った本を読んでいる間に雨もまた上がるのではないでしょうか。

 

そんな事を考えてレジに並んでいると、カフェの方向を見ていた私に隙が生まれていたのでしょうね。

顔をレジの方向へ向け直した時、そこには私を驚かそうと企む人が立っていました。

「じゃーん」と言いながら満面の笑みで現れたのは、そのセリフでおなじみのあの子でした。

 

 

 

・・・

 

併設されたカフェの椅子に座りながら、

私はコーヒーを頼み、彼女は何か甘い飲み物を頼んでいました。

よく覚えていないのは、私には彼女が飲んでいる甘い物に関心があまりなかったからでしょう。

でも誰が私を責められますか、私以外の誰しもが、他人のことにそんなに関心などないのですから。

 

「明日奈さん久しぶりですね~何してるんですか~?」と彼女は尋ねました。

先ほどレジに並んでいた時の事です、私にはできっこない眩しい笑顔を振り向けながら。

 

彼女の名前は皆本演加、みんなからは演加ちゃんと呼ばれていました。

学校の制服を着ていることから、彼女が学生だと言うのは一目見れば誰でもわかります。

ただ学生は学生でも、まだ中学生の方です、義務教育の方なのです。

どうしてもうすぐ20歳になろうと言う私が彼女のような女学生と知り合いになったのか。

それを説明しないと私の精神年齢が幼いとでも思われてしまう懸念がありますかね。

 

私もどう言うわけか、色々とこの児玉坂の街で暮らしていくうちに、

イベントの司会をしたり、近所のお店屋さんのTV取材などに映り込んだりしたことで、

私の姿をメディアで見かけたことがあったらしいのですね。

そうして街で見かけた私に無邪気に話しかけて来たのが演加ちゃんなのでした。

私は突然話しかけられて多少動揺してしまったこともありましたが、

それは中学生などと言う無邪気で、そうであるが故に残酷な人種と、

一体どのように接すれば良いのかと言う恐怖感に心を占拠されてしまったからでした。

そんな私の心配をよそに、彼女は遠慮なく私に話しかけて来たわけですから、

今ではちょっとした知り合いという間柄に収まってしまっているわけなのでした。

 

「明日奈さん、それ何の本読んでるんですか~?」と演加ちゃんは話しかけて来ました。

カフェの椅子に座って、私は先ほど買った本を取り出して読み始めたのですが、

これが大人の心理的な防壁である事を、この可憐な女学生は全く理解していないようでした。

 

ここで私に沸き起こって来た気持ちは、一体恥というものであったのか、

それとも別種の何かであったのか、はっきりと分別する事はできませんでした。

わかっていたのは、私が選ぶ本は一般的には暗くて重たいものだったので、

それをまだ分別もつかない未成年の女学生に素直に告げてしまって良いのかという葛藤でした。

彼女は部活終わりで制服を着ているのかと思われましたが、テーブルには夏休みの宿題を広げて、

ペンを回したり髪を束ねたりと、まるで集中する様子がなく、私に注意を向けて来たのでした。

という事は、彼女の質問には特別の意図はなく、むしろ話題をふるだけのものであり、

深刻に相手が読んでいる物を観察してから話しかけた結果などではないのですから、

これは迂闊に内容を告げてしまえば、相手を驚かせてしまうやもしれませんよね。

それとも、私は重たい本を読んでいる事実を相手に悟られることが恥ずかしいと思ったのでしょうか?

相手のため、自分のため、自己弁護、全ては詭弁でしょうか?

とにかく私が何も答えられずにいると、彼女はその無邪気な笑顔で本をひょいと取り上げました。

大人であれば失礼にあたる行為でしょうか、それはあどけなくて羨ましくもありました。

もうすでに私が失おうとしているモラトリアムの真っ只中に彼女はまだいるのです。

 

「え~、めっちゃ難しすぎて演加には全然わからな~い」と演加ちゃんは無邪気に言い放ちました。

忘れていました、私は杞憂の天才だったのです、この方面では才能の塊なのでした。

彼女はすぐに本を私に返した後、テーブルにうつ伏せになりました。

どうやら宿題が全然進まないようで、これだから夏休みは嫌なのだとぼやいているようでした。

学校の先生がわかってくれないやら、同級生が羨ましいやら、彼女は話し続けましたが、

もうすぐモラトリアムが終わってしまう私にとっては、彼女はまだまだ夏休みの真っ只中。

あと何年もまだ許される期間が続くのだから、でも自分がこのくらいの年齢の時には、

そんな夏休みのありがたさには微塵も気づく事はありませんでした。

きっと人生とはそういうものなのかもしれません、失って初めてわかるのだから、

人間というのは相対的な幸福感の中で生き続けることしかできないのです。

 

「明日奈さんって今年で何歳ですか~?」とまた彼女は尋ねてきた。

無邪気でありながら、こんなに年上の人に対して怖気付くこともなくて、

演加ちゃんはきっと大物になりそうな、そんな予感すら私にはしました。

自分がこのくらいの時には、一体どんな風に過ごしていたでしょうか?

そんな全てはもうすっかり忘れてしまいましたし、思い出すことも必要ないように思えます。

それが大人になるということかもしれません、過去のことに対した価値などなくなるのですね。

 

「えっ、20歳なんですか~、おめでとうございます~、大人ですね~、

 演加もね~、20歳になったら明日奈さんみたいになりたいです~」と演加ちゃんは言いました。

 

気を使ってそんな事を言ってくれているのかなと勘繰りながらも、この年齢差を考えてみっともなく思えたのでやめました。

20歳の方がもっと憮然として構えていればいいのですから、それが20歳の役目なのでしょうし。

 

「でも、20歳って責任が伴うって事だからね」と私は呟きました。

思わずそう呟いてしまったのです、他意はありませんよ、無意識のうちにですから。

むしろ、中学生相手に余裕のない私からこぼれた呟きですからあまりにも無様ですよね。

 

「え~、でもお酒も飲めるじゃないですか~、車の免許も取れるし~。

 演加もドライブとか行ってみたいですよね、せっかくの夏休みなのに演加は宿題ばっかりだし~」

 

テーブルの下で両足をバタバタさせながら演加ちゃんはそう言いました。

ペンを回しながら、次はそのペンを鼻と口の間に挟んで見せる彼女。

そしてニッコリと微笑んで飲み物を飲んで、またそれをテーブルに置いてニコニコ。

一体何がそんなに嬉しいのか、私の方を見つめて笑みを浮かべてくれている。

そして、カバンからスマホを取り出して、おもむろに私の首に手を回して来ました。

私の目の前にはスマホの画面に映る二人の姿が、そしてシャッターは切られました。

何も言わずに演加ちゃんは自分の席に戻り、ケラケラと笑いながらその写メを見せつけて来ました。

私は特に自分の写真を見ることに喜びを覚えることはそれほどありませんし、

もちろん自撮りなどという事をすることもありませんので鼓動が少し高鳴っているのを感じました。

完全な敗北でした、惨敗でした、私の中のネガティブは全てポジティブに換えられてしまうのがわかりました。

 

「見てください、この明日奈さん超可愛い~!」と彼女は嬉しそうでした。

彼女はニコニコしながらその写メを待ち受け画面にしてこちらへ見せつけて来ました。

そんなこと私にはできません、死んでもできないでしょうね、完敗でした。

 

私は何でもなかったように読んでいた本へ視線を戻しました。

そして、やがて外の雨が止んでいることにも気がつきました。

コーヒーはまだ半分くらい残っていましたが、私はこの場を離れる決意をしました。

私は彼女にとって本として見られているのか、彫刻として見られているのかわかりませんでしたし、

でもそこには何の罪もありませんし、敗者は私だったのですから。

 

「え~っ、せっかく明日奈さんに会えたのに~」と彼女は別れを惜しんでくれました。

どうやら彼女はその勝敗の行方になど気づかないように、さらに私の惨めさを強調して行くのでした。

私は「ありがとうございました」と変な敬語になって頭を下げるので精一杯で、

カバンを持ってその場を立ち去ろうとした時に、せめてもの一撃として彼女にコーヒーを飲むよう勧めました。

私にとってそれは、さらに惨めな感情ではありましたが、追い詰められた鼠のささやかな反撃だったのです。

コーヒーには砂糖など入っていませんでした、私はブラックが好きなのですから当然ですね。

 

でも、彼女はそれを自分の甘い飲み物の中にトクトクと注いでから、ストローでゴクゴクと飲み干しました。

若いというのは頭が柔らかいのですよね、というよりも少しずるくても許されるものなのです。

私もそうでしたから、彼女に対して何も言えませんでした、彼女はしたり顔で憮然としていました。

 

だから私は、去り際にさらに追加の宿題として、「ハラミ」を題材に一句読めと告げました。

「ハラミとは・・・」と三回繰り返して詰まって苦笑いを浮かべた彼女を見て、

私はようやく一矢報いることに成功して、その場を立ち去ることに成功したのでした。

 

 

・・・

 

 

私が本屋を出た時、雨はもうすっかり綺麗に上がっていました。

何ならビルの向こうに少し虹がかかっていて、街をゆく人々はそれを眺めていました。

私にとって、その虹の存在は過大評価だと思ったので、わざと目を向けないようにして歩き出したのでした。

 

夏の通り雨は比較的にのろまなやつだったようで、

どうやら私はかなり足止めを食らっていたらしいことに気がつきました。

お昼ご飯を食べる予定が狂ってしまったことを、お腹が鳴ったことでようやく知りました。

本当はもう少し本屋を早めに去って、ご飯を食べてお家に帰る予定だったのですが。

 

それでも私の唯一の長所というか、まあそれほど誇ることでもないのですが、

比較的時間に関してはカリカリすることなく対処できるようなのですね。

別に予定が狂ってしまっても、お腹が満たされれば結果は同じじゃないですか?

お腹が空いてしまうことに関しては、少しイライラしてしまうこともありますが、

別に少しぐらい時間がずれても、最終的に食べられるのであればまあ落ち着いてやり過ごせますよ。

私はそんな風に考えながら買った本をリュックにしまって歩き出しました。

目的地はこの街にある私の行きつけの焼肉屋さんでした。

 

人間って素晴らしいって言う人がたまにいるじゃないですか?

あと、とても人格者で、誰に対しても優しい人っていると思うんですよね。

でも、その人もお肉を食べるんだと思うと、何だか笑えて来ませんか?

結局のところ、人間ってとても残酷な生き物で、動物の命をいただいて生きてるんですよね。

それに対していちいち涙を流してたらやっていけないし、だからどうこうすることもできない、

あと、別にだからと言ってベジタリアンが偉いとか言うつもりもありません。

 

でも、そう言うことだと思うのです。

だから、なんだか聖人君子のような人がお肉を食べてるときほど、

私には滑稽に思えて笑えてくるんですけど、わかりませんかね?

 

だから私は自分がいい人間だなんてこれっぽっちも主張するつもりはありません。

だからどうだって、思う人がいても構いませんし、私も別にそれを主張することに、

特段すごい意味があるとは思っていなくて、ただそんな風に考える自分がいるってだけなんですけどね。

とにかく事実として、私はお肉を食らいますし、ハラミが好きなんです、腹いせに中学生に一句読ませるくらいに。

 

 

そんな風にして、この日も私はただ無になって肉を食らうつもりでした。

この矛盾した存在である人間性を受け入れながら、私の血となり肉となる牛さんを取り込むつもりだったのです。

ですが、そうは問屋が卸しません、なんて現代の若者にはわかりにくい言い回しを使ってみますが、

とにかく彼女が目の前に現れてしまったのですから、私の計画はまたも狂わされてしまったわけですね。

 

 

・・・

 

 

 

「あ~すなさん!」と後ろから声をかけて来たのは、

背が小さいけれど色気はありそうな女の子でした、まあそれも自称なのですけどね。

 

「こんなところでお会いできるなんて奇遇ですね!」と言われてしまいました。

戸田風希は私よりも1つか2つくらい年下の女の子なのですが、

いつ知り合ったのか、もうあまり記憶が定かではないのです。

それと言うのも、ここ最近は時の流れが速すぎて曜日も気にしていないし、

誰とどこでどのように知り合ったなどと言う情報はすぐに忘却のかなたに消えてしまいますからね。

私があまりにいい加減で無頓着だと言う批判があるとすれば、それもまあ受けましょう。

だけど受けるだけであって、私がそれについて反論したり無駄な時間を費やすことはありませんがね。

 

「お昼まだなんですか、私もなんです!」と彼女は嬉々として言いました。

そんなセリフをキラキラした感情と共に表現できる術を知っている方を尊敬しますね。

お芝居か何かでしか、私にはそんなセリフを言うことはないでしょうから。

 

彼女を見つけたことで一人で肉を食らうと言う計画はまたしても水泡に帰してしまいました。

しかし、私の心は密かに踊っているのを、私は隠し通せるものでもないと思っているので、

ここに皆様にしっかりと告白しようと思いますよ、なぜなら先ほどまで私はボロ負けの状態でしたし、

彼女と出会ったことで、これは私はボロ勝ちさせてもらえると踏んでいたのですからね。

私を嫌な女だと言うのであれば、その批判は受けましょう、例のごとくですがね。

 

私たちは焼肉屋の暖簾をくぐってお店の中に入りました。

奥の席に座って店員さんがお冷やを二つ持ってくるのが見えました。

メニューを広げてくれるところまで丁寧に行ってくれるあたり、

しっかりと教育されていてサービスが行き届いています。

まさか死んだ動物のお肉を提供する仕事をしているとは思えないほどに。

これが文明開化というやつですな、教育とは実に皮肉ですよ。

 

さて、私たちはいくつかのお肉の部位を頼みました。

普段、焼肉屋にくるのは1人を好むのですが、それはゆっくりと自分の食べたいものが食べられるから。

誰かと一緒に来るとなると、満足感も二等分、三等分、いやそれ以下になることすらあります。

なぜなら我々はそこで無駄に精神を消耗し、過剰に頼みすぎたりお財布事情を気にしたりして、

食べる量を制限したりすることにもなりかねません、これは大いに不本意です。

 

とだっちょと一緒に来ることになったイレギュラーですが、

しかしながら、私はこれについては非常に楽観的に捉えていました。

先ほども言及したように、私は先ほどカフェでの勝負に敗北して非常に惨めでした。

これを払拭するためには、彼女の存在はうってつけだったからです。

私たちの目の前にはいくつかのお肉の部位が運ばれてきました。

そして、同時に頼んだ白米もテーブルの上にありました。

私はとりあえず先輩として気を使うふりをして、トングでお肉を網の上に載せました。

とだっちょはお手拭きで手を拭きながら、目を輝かせてお肉を眺めていました。

田舎から出てきてまだ間もない彼女は、何をするにも純粋で私には眩しいくらいです。

どうしてこんなに魅力的に笑えるのだろう、なぜ女の子としてこれほど可愛らしいのだろう。

そりゃあ見ていたら小動物みたいに守ってあげたくなるのでしょう、それが男子の一般的に好む女子像でしょうね。

 

私は多少嫉妬したのかもしれません。

肉を焼きながら、モチも焼いてしまったのです。

わかりにくい表現でしたね、つまりは焼きもちと言う感情を抱いたのですよ。

肉が焼けるまでの間、私は割り箸を用意して、テーブルの上にあった白米の乗った茶碗を手に取りました。

そして、その白米を割り箸で彼女の口の前に運びました。

彼女は戸惑いながらも口を開けてその白米を取り込んで咀嚼していました。

可愛かったですよね、そのハムスターみたいな姿を想像するに容易いでしょう?

私の中のモチは真っ黒に焦げてしまいましたよね、そんな姿を見せられたなら。

 

私はもっとたくさんの白米を彼女に咀嚼して欲しいと思いました。

そして、自分の中から笑みが溢れてくるのが抑えられませんでしたよ。

嫌な女だとお思いですか、その通りです、私は決していい人などではありませんからね。

 

私が割り箸ですくいあげた白米の量は、彼女の口の大きさを軽く超えていました。

彼女もそれに気づいたのでしょうね、先ほどとは違う困惑した表情を浮かべていました。

目で合図を送っていましたよね、これは無理です明日奈さん、ええ届いていましたよあなたのメッセージ。

 

でも私は、もちろんガン無視ですよね。

だって、彼女が食べられない量の白米を食べることが、私にとってどれほどの心の慰めになるか、

皆さんはわからないでしょうからね、世間ではこう言うのいじめって呼びますか、へー。

 

案の定、彼女は食べきれないほどの白米を口に突っ込まれながら苦しんでいました。

私はそれを見て、心の底から笑っていました、私の中のストレスが軽減されるのがよくわかりました。

ゲームみたいに何かメーターがあるわけではないのですが、心がスーッと軽くなる感じですかね。

ちゃんと数値化されればわかりやすいのかもしれませんけど、人生ってそれほど整理されたものではないのですよね。

そうした抽象的なものとか、曖昧な物を受け入れなければならないのが人生ですから。

 

そんなことをしている間にお肉が焼けてきたので、

私はトングを使って適度に焼けたお肉をとだっちょのお皿にのせてあげました。

白米には苦しんでいたとだっちょですが、そのお肉は満面の笑みで食べていました。

途中で「牛さんごめんね」と言いながら、人間としての矛盾を受け入れながら。

 

私もお腹が空いていたので、とりあえずお肉を食べることにしました。

2人してお肉を食べながら、同じようにその美味しさを味わっていました。

共感というものが、まんざら悪いものでもないなと感じさせられた私は、

結局のところ彼女にもある種、敗北を喫したのだと思いました。

それが悔しかったので、私はまた大量の白米を彼女の口に運ぶのでした。

そんな風に彼女と時間を過ごしながら、2人で大量の牛さんを消化したのです。

 

「私、アイスが食べたいです」ととだっちょが言い出したので、

デザートは別腹だよなと思いながら、2人してアイスを注文することにしました。

私はそのアイスが来るまでの間、少しだけ席を立ちました。

洗面所で鏡を見ながら、自分がどんな顔をしているのか確かめたくなったのでした。

その鏡に映る私の顔がどんな顔をしていたのかは、私にもわかりませんでした。

いくら眺め続けていても、ただ時間が過ぎ去って行くだけで、私は私が誰かわかりません。

そして、わからないからと言って、時間が止まってくれることもありません。

私はどういうわけか無意識のうちにため息をついてしまいました。

やがて、私は洗面所を出てからとだっちょのところへ戻るまでに、

知らず知らずに壁を探していることに気がつきました。

そして、あまりいい感じの壁ではなかったのを知りながら、

その壁に全体重を預けるようにして、もたれかかっていたのです。

店員さんがお肉を運びながらこちらを見ていたような気がしました。

大きな人間が壁に止まっていたのですから、そりゃあ視線を向けないはずがありません。

 

私がそんな風にして席に戻ると、とだっちょが立ち上がって私の帰りを待っていました。

「明日奈さん、アイス来ましたよ!」と言いながら可愛い笑顔を浮かべていました。

あれだけいじめてやったのに、どうして私のようなクズにまだ笑顔を向けてくれるのか不思議でなりません。

私は無意識のうちに自分の右手を彼女の肩に回していました。

そして、思い切り首を絞めるようにして彼女に腕を巻きつけたものでした。

 

 

その後、着席して2人してスプーンにのせたバニラを食べながら、ああ私はまた敗北したのだと悟りました。

そして、とだっちょはニコニコしながら私の前にスプーンに乗せたバニラアイスを運んで来たので、

私はそれを鳥の雛のように甘えながら食べてしまいました、ちゃんとお返しをしなければと思い、

私はまたスプーンに溢れんばかりのアイスを乗せてとだっちょの口元に運びました。

アイスの量がやはり多かったので、彼女はその冷たさに「んん~!」と悶えながら食べました。

私はまたそれを見て笑いました、この勝負、引き分けに持ち込めるのか、やはり私の敗北なのか。

 

とだっちょはアイスを食べ終えた後で、どうやら友達から連絡が来たようでした。

約束していた時間よりも早まったと言うことで、彼女は申し訳なさそうに謝りながら、

先にこの場を離れることを懇願しました、私は別にそんなことは気にしなかったので、

自由に行ってくれればいいと思いました、彼女には彼女の自由があるのだし。

 

そして彼女はカバンから可愛らしいお財布を取り出したのですが、

私はそれを見て「いいよ」と返しました、ちょっと格好つけましたかね。

でも、これが先輩としての役割なのだと考えました、私はもうすぐ20歳になるのです。

 

案の定、とだっちょはいい子なので「そんな・・・私も払います」的な事を言ったのですが、

私にとってはそれは時間の浪費でしかないので「じゃあもっと白米食わせるぞ」と脅しました。

それに対しては、とだっちょもお代官様ご勘弁をという表情を見せたので、私も笑って矛を収めました。

こんな茶番に付き合ってくれるのがとだっちょなのです、人間って素敵でしょう?

 

そんな風にして、とだっちょは先にお店を出て行ってしまいました。

「ごちそうさまでした」と丁寧に言えるところが彼女の偉いところですよね。

とても良くできた人間だと思います、私なんかとは違って、ね。

 

1人で残された私は、なんだかおかしいなと感じていました。

そもそも、私は一人焼肉を楽しむためにここに来たのであって、

取り残された感情に支配されるのは心外だったのです。

そこにとだっちょが現れたせいで、この取り残された感情が生まれたのです。

それにしても、人間はそういう時にふと感情に取り込まれるものなのですよね。

私は1人で残っていたバニラアイスを食べながら、なんだか涙が溢れてくるのがわかりました。

 

「思ってる事、全部言えたら楽なのに・・・」と私は心の中で思いました。

他人と不用意につながってしまった事が、私の中の心の扉を開けてしまったのでしょうね。

不本意ではありますが、私も1人の人間ですから、こんな寂しい感情に襲われることもありますよ。

淡い期待を抱いてしまえば、人間はもっと理解されたいという欲望に支配されるものなんです。

本当の孤独を知るのは、誰かと繋がった後なんです、ちょっと詩的な感じに言えばそうです。

 

私はしばらく黙って人知れず泣き続けていましたが、

どうやら泣き声を店員さんに聞かれてしまったので、少し奇妙な目で見られてしまいました。

あとでレジでお会計するのが気まずくなるのは嫌なので、私はすぐに涙を収めました。

たまにこんな風になってしまうのは仕方ありませんが、できるだけブレずに行きたいものです。

 

 

・・・

 

 

私が焼肉屋を出た頃には、すっかり過大評価された虹も消えてしまっていました。

食事を終えた後、私はずっと読書に夢中になっていたこともあって、

気づいたらもう数時間は経過してしまっていたのですね。

もうすぐ日が落ちてくるのだろうと思われる時間帯に差し掛かっていて、

先に帰ったにせよ、これはかなり遅いランチになってしまったと思い、

なんだかとだっちょに少し申し訳なく感じていました。

彼女はまた別の友人と会って遊びにでも行ったのでしょうか?

何も私だけが彼女にとって特別な存在ではないのだと自分を浮足立たせないように戒め、

私はふらふらとまた街を歩き始めました、もうそろそろお家に帰る時間です。

 

街路樹に沿って歩くと、昼間は元気だった蟬の声も少し小さくなっていました。

彼らも幾分鳴き疲れたのやも知れぬと考えながら、私は意地悪にも彼らの様子を少し覗いたりしました。

ひょっとすると木の上にいたのかも知れませんが、その姿は見えませんでしたし、私もそれ以上深追いしませんでした。

都会で蝉を珍しそうに眺めているなんて、詩人でもない限りあり得ないでしょうからね。

それを悟られるのはなんとなく居心地が悪くなるというか、私もさすがに恥ずかしいという人並みの心もありますので。

 

家路を行きながら、何度かカバンの中でスマホの音が鳴ったような気がしました。

きっとママの定例のラインなのだろうと思い、今はそれを見る気はしませんでした。

夕暮れというのは多少寂しいもので、人間心理に作用するようにできているのだと思うのです。

とだっちょとご飯を食べたのもあるかも知れません、孤独がいつも以上に胃もたれを引き起こして来たような、

そんな気がしてどことなく家へ帰る足取りも重たいものになっていたのでした。

 

今見えている太陽が沈んで、またもう一度昇って来た時には、

きっと私は20歳になっていて、もう19歳の私はどこにもいないのです。

そんな柄にもない感傷に浸りながら、止まってくれない時間を少し恨んだりもしました。

こんな風にやがては25歳になり、30歳になり、40歳になり、50歳になっていく。

そんな自分は想像もできないし、そんな年齢になった頃には、

もうきっと今ここで抱いている感傷とかもすっかり忘れ去ってしまっていて、

またその年齢の自分が何かを考えて生きていくのだろうと思いました。

今の自分が考える事じゃないし、考えても無駄な事だし、でもそれをしてしまう自分もいるのです。

人間は結局のところ、こうして時間を有効に活用するどころか、役に立たない感傷に費やしてしまって、

自分1人ではどうにもわからない、答えの出ない道を歩き続けていくのかも知れません。

なんとなくそれは寂しくて、叶うのであれば、もう私は自分の足で歩いていくのを放棄したい気持ちになりました。

人生における意志など捨ててしまって、トラックの荷台にでも乗っていくみたいに、

自動的にどこかへ私を連れて行ってくれて、そして誰かのせいにして生きていけたほうが楽かも知れません。

 

そんな無駄なことを考えている間に、もう夕陽はかなり沈んでしまいました。

地平線の向こう側に隠れてしまったら、19歳の私とはもう2度とお目にかかりません。

 

夕陽さん、あなた寂しいですか?

19歳の私とお別れするのを、あなたは惜しんでくれるのですか?

 

あれ、私、今ちょっと寂しくなっているのでしょうかね?

自分がそれほど強い人間じゃないってわかっているつもりですけど、

そんな弱さを全て認めて受け入れられるほど自尊心を捨てたわけでもない。

カバンの中のスマホが何か音を立てている、ママ今は静かにしてて。

だってもう私は20歳になります、いつまでも甘えてなどいられないし。

 

そんなことを思いながら、私は電信柱にふらふらと引き寄せられて行きました。

犬が散歩した後で、おしっことかされていないかな、ガムとかつけられていないかな。

少し懸念はあったけれど、何よりもそこは私にとってオアシスだったのですね、

身体から全体重を預けるようにしてもたれかかって、私は夕陽に照らされる一匹の蝉と化したのです。

通行人が私の後ろ姿を眺めているような気もしたのですが、変な自意識だとバッサリ切って捨てました。

だって私以外の誰がこの身体と心に巣食う孤独を肩代わりしてくれると言うのですか?

 

私、思ってること全部言えたら楽なのに、って言いました。

そうです、私これまで色々と語って来たこともあったかも知れませんが、

本当に言いたくないことは何一つ、誰にも言わずにここまで歩いてきたんです。

だってそれは私だけがわかる孤独だし、他人がわかったふりをしたところで、

その人がいつ裏切るかも知れないし、弱みを握られて攻撃されるやも知れませんよね?

だったら私がそんな弱い部分をさらけ出すことってリスク以外の何物でもないじゃないですか。

私、そんなことになるくらいなら、死ぬまでこの孤独を黙って心の中に閉じ込めて、

胃に多少負担をかけてでも、早く消化してくれることを願って生きていく道を選ぶと思います。

 

だから少しぐらい、壁にもたれかかったっていいじゃありませんか?

壁は何も喋らないし、無口でとてもいいやつだし、だって誰の悪口も言いませんよ?

そこで黙って私のことを見ているあなたよりも、壁の方が何倍も人格者だと思いません?

おっと、これは言い過ぎましたね、あなたには罪などありませんからね。

しかも壁を人間と比べるなんてのも失礼ですしね、壁は恩着せがましくないのです。

ただじっと私の存在を全て受け入れてくれるのですから、壁は大人なのですよ。

 

明日から私は20歳になります。

人間って愚かしい生き物だから、こんな数字のまやかしにかかって、

1が2になるだけで何が変わると言うのか、本当は何もわかっていないのです。

ママ、今まで育ててくれてありがとう、世間の風習に縛られて、私もついに大人になります。

この頃、この街ではどうやら私を慕ってくれる若い子たちも増えてきたみたいです。

だから私、ここからはお姉ちゃんとして、先輩として、20歳の大人の女性として、

立派に生きていきます、なんてやっぱりこれっぽっちも思えません。

こんなふうに蝉みたいに電信柱に張り付いて、ミンミン鳴いてひと夏を過ごすのかも知れません。

だって私にはずっと心の中に孤独が巣食っているし、きっとそれは誰からも理解されることはないし、

できることなら、私を全肯定してくれる存在に出会って一日中甘やかされてみたいと思ったりもするけど、

そんな夢みたいなことを考えているよりも、私は目の前の現実をこの街で生きていかなければならないのですから。

でも、私は悲観主義者ではありませんから、この先もなんとかなると思ってはいるのですよ。

 

私はそんなことをグルグルと頭の中で考えながら、実のところ身体は一ミリも動いていませんでした。

身体と精神のスピードが違うのは、私の生まれ持っての特徴です、身体は怠け者なのです、徹底的に。

思考は突然、嵐のように吹き荒れることがあって、それでもいつか暴風雨も止むことを知っています。

そうして今まで生きてきましたし、自分を制御する方法は自分がよくわかっていますからね。

 

 

やがて私は一息ついて、電信柱から離れました。

空はまた少し薄暗くなって、夕陽も最後の抵抗をしながら街を紅く染め上げていました。

「なんだか疲れちゃった」と私は1人で呟きました、聞いていたのは電信柱だけだったと思いますが。

 

またスマホが鳴りました。

今日のママはやけにしつこいようです、無邪気な方ではありましたが、

こんなに何度も呼び出さなくても大丈夫だとわかってくれる人だと思うのですが。

私はカバンをガサゴソやりながらスマホを取り出し、ラインのメッセージを確認しました。

まるでストーカーみたいに、何件も何件もメッセージが届いているのがわかりました。

どうやら反応があるまでずっと問いかけるタイプの相手が犯人のようです、ママじゃなかったんですね。

 

電信柱にお別れを告げて、私は1人で家に向かってトボトボと歩き出しました。

すると、やがて暮れなずむ街の日を背に、私の目の前に立ち尽くす人影が見えました。

まるで子犬みたいな顔をして、小さな身体を弾ませるように、その人影は私に向かって飛びついて来ました。

そして、私をギュッと抱きしめたまま、どんどん力を強めていくのがわかりました。

きっとこの人は、私が「苦しい」と言うまで抱きしめるのを止めないのです。

私が「苦しい」と言うことで、彼女は私を苦しめたと言う存在意義を得られるのですから。

 

「苦しいよ」と私はついにギブアップを宣言しました。

すると、彼女は嬉しそうにニコニコとしてこちらの顔を眺め始めました。

 

「とだっちょが今日、明日奈さん暇してるよって言ってたのに、なんで返事してくれなかったんですか?

 芋子めっちゃライン送ったんですけど、届いてなかったんですか?」

 

鹿児島弁みたいな訛りを残した声で、大空芋子はそんな事を言いました。

「ごめん、気づかなかった」と私は彼女に告げました。

私は嘘をつきません、なんて嘘はつけない主義ですから、こうして嘘もつくのですが、

なんだか照れくさくなって「離してよ」とまた嘘をついてしまいました。

でも、芋子はそんなにやわではないので、さらに強い力で抱きしめてきました。

私はもう、どうにもこうにも抵抗する力を失ってしまい、

やがてどう言うわけか彼女に全体重を預けるようにしていきました。

いかん、どうして私がぞらっちにもたれかかっているのだと、

そんな風に考えて姿勢を正そうと無駄な抵抗をしましたが、

結局は5秒とこらえることができずに、私はまた彼女の上に体重を預けてしまいました。

こんな事をしている間に夕陽はいつの間にか沈んで行こうとしていて、

夕陽さんが見た19歳の最後の私の姿は、なんと不甲斐ないものだったのでしょうか。

明日、また昇ってきたときには、もう20歳の私とこんにちは。

その時には、もう少ししっかりした自分であなたと対面しますから。

 

「明日奈さん、芋子、明日奈さんのことずっと待ってましたよ?」とぞらっちが言いました。

「もう日が暮れちゃったじゃんか」と私は少し格好をつけてそんな事を言いました。

「私、待てる女なんです」とぞらっちが自慢げに言いました。

「私、ずっと無視してたかもしれないのに?」と私は少し意地悪に努めて言う。

「明日奈さん、今日は来なくても明日はきっと来てくれたんです、だから芋子は待つんです」なんて言いやがった。

 

 

「苦しいよ」と私は震える声でまた嘘をつきました。

全体重をぞらっちに預けながら、私は最後の夕陽が地平線へ沈んでいくのを見送りました。

20歳になった私の夏も、きっと時間は止まる事なく光の速度で進んでいきます。

何かをすぐに変えることなんてできないかもしれないけれど、

私はいま、こんな風に生きています、それも悪くはないかも。

 

 

ー終幕ー

 

 

 

 

 

 

硬い殻のように抱きしめられたい ー自惚れのあとがきー

 

 

この作品に辿り着くまでには、かなり苦労した覚えがある。

今年の夏は何を書こうか、何が書けるのか、考えて考え抜いた結果である。

 

当初はもっと長編を書きたいと思っていた。

だが、時間的な制約があってリサーチができない事に苛立ちを感じていた。

構想としてはある程度あったのだが、実際に形を作るにはこんな短時間では無理で、

それは結局、もっと新しい登場人物をどんどん出すような構想だったので、

一人を研究するだけでも時間がかかるのに、ましてや複数人などは時間的に不可能だと感じた。

 

じゃあどうするのか、何を書くのか、何が書けるのか。

考えて考えて、一度は放棄した。

正直なところ、無理して書くのならやめちまおうと思った。

筆者の無責任さが顔を出して、全てを放棄してやり過ごそうかと自堕落になったが、

何も書かないことも自分的には不満足でやりきれなかった。

 

あまりにも精神的にやつれたので、癒しを求めて「硬い殻のように抱きしめたい」を聴いてみた。

そこで癒しを得た筆者は、このメロディに漂う切ないセンチメンタルを感じた。

これだと思った、叙情詩のような物を書きたくなったのである。

インスピレーションとはこういうものなのだ。

音楽を物語に変換するという行為、芸術家の基本的な感性。

 

その他、いくつかのヒントを得る為の元ネタとして、

セブンルール、水色などいくつかの動画を参考にした。

 

人間というのは言葉なんかよりも行為が全てを物語っている。

明日奈が壁にもたれかかる行為は、何よりも饒舌に何かを語っている。

それは以前から少し頭にあったアイデアで、それを組み合わせながらも、

「水色」の頃から変化した現在を取り巻く彼女の状況を混ぜ合わせた。

そうした時に、彼女は彼女自身の存在ですでに叙情詩を作っている事に気が付いた。

筆者はそれを彼女の20歳のスナップショットとして切り取っただけである。

それが等身大の現在の彼女と、そこに見える風景だと思ったのだ。

 

今までどちらかと言うと、ナレーションを入れながらキャラクターを動かす方式で書いてきたが、

そのやり方だと明日奈はあまり動かなかった、それと言うのも客観的に彼女を見ていても、

彼女は何も語らないし、動かないし、書けることが少なくなりがちだった。

 

今回のような独白調の方が良いと思った。

作中でも書いている通り、彼女のような人間は身体と精神の動作速度がまるで違う。

要するに内面を独白する形であれば、彼女の精神は自由闊達、縦横無尽に動き回るのである。

そして、一気に彼女は個性を帯びた存在に変わる、外面からではわからない内面が暴れ出すことで、

彼女はそのユニークなキャラクターを爆発することができるのだと思う。

彼女は結局のところ、彫刻ではなくて、表紙も綺麗な本だと筆者は思うのである。

 

 

本作の全体的な調子については、これは太宰治風であることは否定できない。

何故ならば、このような女子の独白調の物語の永遠の傑作、太宰治の「女生徒」が筆者のベースにあるからだ。

太宰治の「女生徒」は短編でありながら、また彼自身が男性でありながらも、

見事に女性口調で書き上げた名作であり、筆者にとっての永遠の憧れでもある。

 

また、筆者や明日奈のようなタイプの人間には、太宰治と同じように「恥」と「自意識」について、

多分に共通点があることは否めないと思い、このような調子が好ましいと思ってもいた。

だが、もちろん太宰治の作品などには到底及ばないことは明白ではあるが、

そこに尊敬の念を抱きながら書くことは筆者にとって喜びであったことは間違いない。

 

今まで長編を基本として書いてきたのだが、最近では仕事も忙しくて時間があまり取れない。

だが、こんな感じの短編であれば書けるなと感じたので、今後はこんなのが主になってくるかもしれない。

それに、無理をして長編を書こうとしてストレスを感じるよりも、肩の力を抜いて短編を書く方が良いかもと思っている。

実際、筆者は短編集が好きであり、世の中にはサクッと読めてそれでいて趣のあるものも多い。

短い文量の中に、いかにして良さを凝縮するのかと言う挑戦でもある。

そんな筆者自身の心境の変化もありながら、この作品は書き上げられたのでありました。

少し早めにとった筆者の夏休みを費やした作品でしたが、とにかく夏の宿題を終えた充実感に満たされたことを覚えている。

 

 

ー終わりー