サヨナラの遺志

昨年、僕は父方の祖母を亡くした。

 

その頃、僕はどうしても外せない仕事があって日本を離れていた。

だから祖母の葬式に参列することはできなかった。

 

祖母を最後に見たのは病院のベッドの上だった。

出国の2、3日前、僕は病気で弱っていた祖母が隔離された部屋に移されていたのを見舞った。

ほぼ老衰だったので受け入れがたい現実だというような事はなかったが、

もはや意識は薄れていて余命が長くないことは一目で見てわかった。

僕はやがてやってくる未来を一人で覚悟しながら祖母の手を取った。

そして立ち去らなければならない時間になり、僕は病室を後にした。

 

祖母が亡くなったという事実を知らされたのは滞在先のホテルに到着した後だった。

長い時間の移動で疲労した体を休めながらパソコンを開いてメールをチェックした時、

日本の家族から祖母が亡くなったという知らせが1通だけ届いていた。

こうして僕は遥か海を隔てた異国の地で祖母の最期を知ったのだった。

 

あれだけ長い波乱万丈の人生を駆け抜けたはずの祖母の死が、

たった1通のわずか数行のメールにあまりにもコンパクトにまとめられすぎていて、

僕は一体何がどうなっているのかさっぱり理解することができなかった。

祖母の存在消失という事実は、僕にとっては永遠にメール1通に収められてしまっていた。

 

 

・・・

 

 

目の前にあるノートパソコンの画面を見つめながら、

その右上に表示された時刻が目に入った。

時計の針はすでに夜の21時を回っていた。

 

壁際の席に座っていた僕は、一息ついて顔を上げた。

そして左肩を壁に凭れかかせながら右手で髪をかきあげた。

オフィスには僕一人しか残っておらず、静寂の中に響くのは座っている椅子の軋む音くらいだ。

それほど新しくもない椅子は、姿勢をずらすたびに少し耳障りな高い音を立てる。

あまりにも静かすぎるオフィスにその音が鳴り響くと僕はとても嫌な気持ちになる。

 

僕の座っている席から右斜め前には透明のガラス張りの窓があり、別の部屋へとつながる廊下が見えた。

時々、その窓から警備員のおじさんが顔を覗かせては気を使ってくれてすぐに引っ込むのが見えたりした。

几帳面でかなり真面目な人なのか、30分おきくらいに顔を覗かせては引っ込めるを繰り返していた。

おじさんがいなくなってしまうと、廊下はただ長く向こう側へ続いているだけで、

またひっそりとして時間を止めてしまったように何も変化を起こさなかった。

 

椅子と同じように古くて灰色がかっていた僕の机の上には、

先ほどから仕事で使用していたノートパソコンと幾つかの書類が置かれていた。

机の上に余計な物を置くのが嫌な僕は、必要な物以外は捨ててしまうか、

右下の引き出しの中にしまいこむようにしていた。

本当に使う物以外は机の上に置かない主義だった。

 

だが、机の上にはすっかり冷たくなったコーヒーが容器に残っていた。

先ほど会社の1階にあるコンビニで調達してきたものだったが、

結局、忘れていてほとんど飲まない間に冷め切ってしまった。

僕は冷たくなったコーヒーを飲む習慣はないので、

これはもう役に立たないただの茶色の水にすぎなかったが、

それを眺めていると、どうして人は暖かい物を求めるのだろうと考えてしまった。

そして、どうして全ての暖かい物はその温もりをやがて失ってしまうのかと嘆いた。

 

 

僕は児玉坂46のあるメンバーについて原稿を書いていた。

数週間前、突然のように卒業を発表したそのメンバーに、僕は数日前に取材を敢行した。

他の多くのメディアや雑誌社も彼女に対して取材を申し込んでいたようで、

最初に連絡を取ったときはどうなる事かと思ったのだが、

運良く比較的すぐにアポイントが取れたので、僕はある日の朝に電車に乗って取材先まで出向いた。

 

それから、その取材は無事に何事もなく終えており、

後はその取材した内容を原稿にまとめて会社に提出するだけだった。

 

僕がこの雑誌社に勤めてもう7年が経過していた。

昔から音楽が好きだった僕はアーティスト達にインタビューできると知り雑誌記者に憧れた。

最初は先輩の下でつまらない雑用などをこなす事もよくあったが、

今ではきちんと一つの仕事を任せてもらえるようになっていた。

ロックが好きだった僕がどうして児玉坂46の担当になったのか、

そしてそれを嫌な顔せず続けているのかは色々と事情があった。

だがとにかく、これが僕の仕事であり、社会人としての責任を果たすべき義務だ。

 

だから僕は夜遅くになっても一人で会社に残っていた。

別にそれが辛いわけではない、やるべき仕事が残っているのだから、

残業してでもやり遂げるのが僕に与えられた役割であったし、

雑誌社勤めをしていると原稿の締め切りに追われることは日常茶飯事である。

だから別に何か特別に辛いとか、そういう感情は今の僕には一切なかった。

 

 

高校時代から授業をサボってギターばかり弾いていた僕にとって、

公務員や商社などといった選択肢は初めから与えられていなかった。

もちろん、周囲から冷たい目で見られても勉強なんてしたくなかったし、

だからこの結果を招いたのだとしても僕は自分がまちがっているなんて認めることはなかった。

むしろ敷かれたレールの上を盲目に走り続ける奴らを軽蔑さえしていたのだったし、

大多数から外れた道を歩いていくことが当時はそれが何よりもロックだと思っていた。

ビートルズやローリングストーンズの方が学校の先生なんかよりも信頼できたし、

彼らの音楽は外れた道を一人で歩いていく僕の背中を押してくれてさえいたのだ。

 

そうして僕は高校を卒業した後、しばらくバンド活動をしていたのだったが、

音楽で食べていける才能を持っている人なんて実際には一握りだと言うことを知らなかった。

ミックジャガーやボブディランが神に選ばれた声を持っているなんて思ってもいなかった。

その当時はギターさえ弾ければ僕はキースリチャーズになれると信じていたし、

あとは僕を支えてくれるミックジャガーを探すだけだと信じていた。

もちろん、いくら探してもミックジャガーは見つからなかったし、僕はキースリチャーズなどではなかった。

あれほど僕を熱狂させたギターは、弦が錆びたままで今ではクローゼットの奥に静かに眠っている。

 

 

僕は黙って静かに目を閉じて上を向いた。

ゆっくりと目を開けると天井に取り付けられている空調が目に入る。

だが、僕の目は空調には焦点を合わせる事なく宙を見つめていた。

先ほどからずっとこんな風にして時間だけが過ぎていった。

児玉坂46に関する原稿は全く書き進む気配がなく、

それはもちろん、僕個人が書く気がないからなのであるが、

僕は別に児玉坂46が嫌いなわけでもなかった。

卒業するメンバーに関して寂しく思う事はあっても、

それくらいで原稿が書けなくなるほど僕は繊細でもなかった。

 

気づいた時には少し離れたところにある机を見つめていた。

やはりそういう事だったのかと自分で自分の気持ちに気がついた。

その机は綺麗に片付いてしまっていて、僕の机よりも物が少なかった。

ファイルや資料を区分けする本立てが数個だけ寂しく置かれているだけだった。

 

僕は大きなため息をついて右手で頭を押さえてから立ち上がった。

そして、先ほど見つめていた綺麗に片付いた机のところまで歩いて行った。

静かな部屋に革靴の歩く乾いた音がコツコツと響いて僕の心を幾分緊張させた。

やがて足を止めると、僕は何も置かれていないその机の上に右手を乗せて、

そしておもむろに目を閉じて指先に意識を集中させるようにした。

知らないうちに息を止めている事に気付き、僕はまた大きく息を吐き出した。

 

 

僕はなんとかして彼女の事を感じようとしたのかもしれない。

なぜなら、僕と彼女には何の些細な繋がりもなかったからだった。

 

 

 

・・・

 

樫本奈良未が入社して来たのは5年前だった。

まだ僕がこの雑誌社で一人の仕事を任される事なく、

先輩の下で雑用をこなしていた時期に彼女はやってきた。

 

どこかまだあどけない顔をしていた彼女は、

幾分緊張した面持ちで会社内を歩いていた姿を僕はまだ覚えている。

ある日の朝礼で彼女がみんなに新人として挨拶をした事があった。

何を話していたのかは残念ながら全くと言っていいほど覚えていない。

それが僕の樫本奈良未に対する第一印象であり、

それ以上でも、それ以下でもない。

 

そして、それ以上は仲が深まった事もなかった。

 

初めは右も左もわからないといった風に仕事をしていた彼女も、

数年経つと落ち着いた様子で仕事をこなすようになった。

同僚の噂話から彼女が北海道から上京してきたという事を知った時も、

一度も訪れた事のない緑の大草原を頭の中に思い浮かべたくらいで、

特に何も深い感慨を抱く事もなかった。

東京と違って雪が降ると雪かきに追われて大変らしいという話を同僚がしていて、

同じ日本人でも住む場所によって季節への感じ方も違うのだろうと考える事はあったが、

彼女の美しさについてやたらに熱っぽく喋る同僚を見ていると、

僕は僕の心に雪が降り積もっていくようになぜか冷めていくのがわかった。

誰かが褒め称える美人が好きになれないというのは僕のロックンロールな性格というか、

ただの捻くれた救いようのない欠点だと思う。

 

僕はその間にどういうわけか児玉坂46の担当になり、

彼女は日本のロックバンドの担当に落ち着いた。

幾つかのバンドのライブ取材などをこなしながら、

その記事をまとめているという話を聞いた時には、

僕はただ単純にそれを羨ましいと思った事があった。

だが、やはり僕と彼女はそれ以上でもそれ以下でもなかった。

普段の仕事で別段交流があるわけでもなく、

席も離れていたし、お互いにそれぞれの担当仕事に忙しく、

時々すれ違っては社交辞令的に挨拶を取り交わすくらいの仲でしかなかった。

 

 

そうして5年が経過したのだ。

 

むしろ5年間もその間柄でいられたのが不思議なくらいだったかもしれない。

僕はわりと他人に対して無関心であり、それは僕の育った環境だったり、

友人との距離の置き方、人生に対する思想、個人の哲学観のようなものが影響している。

誰かと馴れ合う事は好きじゃないし、かと言ってひどく冷淡だという事でもない。

街頭募金を見かければ小銭を放り込むくらいの事はするし、

電車で席を譲ることもあるし、映画館で映画を見て一人で泣く事もある。

ただ僕が何をどう考えようが、どういった行動をしようが、

この世界はいつもと変わらない様子で回り続けていくのだし、

人々はどうやら僕よりもこの世界に対して無関心らしいので、

遠い異国の地で起こった悲劇よりも今日の夕食の事を考えているとわかると、

別にそれを非難するわけでもなく、ただ僕は口数が減っていくのだった。

 

彼女がこの世界に対して関心があるのか無関心であるのかはよくわからなかったが、

おそらくこの世界は彼女にとって幾分うるさいのだろうとは思った事がある。

 

それはある日、僕がトイレで手を洗ってから乾燥機で手を乾かした後、

同僚と共に休憩室で話をしている間に彼女を見かけた時のことだった。

ソファーに座って静かに本を読んでいた彼女は、やがて読んでいた本を両手でパタリと閉じ、

ポケットからイヤホンを取り出してぶっきらぼうに両耳に突っ込んだ後、

その閉じた本と同じようにソファーにパタリと倒れ込むようにして横になってしまった。

 

僕にはどういうわけかその姿が鮮明に脳裏に焼き付いていた。

連日の取材で疲れているのだろうと同僚は言っていたが、

僕にはどうもそういう類の様子には見えなかったからだ。

その疲れ方は決して日々の生活や仕事で蓄積されたものではなく、

もっと根源的なこの世界への彼女の反抗心のようなものに僕には思えた。

 

彼女の耳にその時に届いていた声はどんなものだったのだろう?

どんな種類のノイズが彼女の鼓膜を揺らして怒気を誘発したのか?

これは僕の推測でしかない、事実とは異なるかもしれない。

彼女はただ日々の生活や仕事にくたびれて少し眠るために、

ただ少しぶっきらぼうになってイヤホンで耳を塞いだだけなのかもしれない。

仕事終わりにビールを飲んで眠る人に似た行為が、

彼女にとっては音楽であり、イヤホンだったのかもしれない。

 

そして彼女は笑ってこう言うかもしれない。

 

「考えすぎです、私はもっと普通の女の子ですよ」

 

そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。

彼女は嘘をついているかもしれないし、その嘘に自分でも気づいていないのかもしれない。

そんな風に嘘をつくことで心の防衛線を張っているのかもしれないし、

本当にそんなものは全て僕の空想による考えすぎの産物かもしれない。

 

それが僕の樫本奈良未に関する全てだった。

この曖昧で掴めないイメージだけが僕の中にずっと残っていた。

1円の価値もない空想かもしれないし、お金では表せない価値を秘めた情景かもしれなかった。

 

 

そして、先日彼女はこの会社を退社する事を発表したのだった。

 

 

・・・

 

 

普通の女の子がどういうものかを僕は全く知らない。

今までに2、3人の女の子と付き合ったことがあるが、

一人として普通の女の子なんていなかったからだ。

 

「普通」の基準は人の数だけ存在する。

各人にとって何が普通で何が普通でないかはものさしが異なるからだ。

僕たちは普段からこんな曖昧な言葉を使ってコミュニケーションをとりながら、

それでお互いにわかった気になって日々をやり過ごしていく。

 

もし彼女が自分自身を「普通の女の子」だと言い張っても、

僕にとって彼女はおそらく普通の女の子などではなかった。

そうであれば、あんな風にイヤホンを耳に突っ込んでソファーに横にはならない。

そしてこのものさしは、僕個人のものであり、何の根拠も存在しないものだ。

 

 

彼女が退社をするという噂を同僚から聞いてから、

僕はどういうわけかとても悲しくなった。

今まで特に関心を向けていなかった人がいなくなるだけで、

どうしてこんな気持ちになるのかはわからなかった。

そして、その意味を探るべく自分の心にメスを入れて解剖してみると、

どういうわけか行き着く先はいつも彼女がイヤホンを耳にしてソファーに横になっている映像だった。

 

 

それはこの世界への拒絶だったように僕には思えた。

彼女にとっては目を閉じるだけでは足りなかったのだろう。

そして、イヤホンを使って両耳を塞いでしまった。

そうすることで殻を閉じた貝みたいになって世界を拒絶した。

それが僕が見たその情景がもたらした象徴的な印象だった。

 

僕はたった一つの手がかりから犯人を探し出す探偵みたいに、

彼女に関するあれこれを想像しては隙間を埋めていった。

耳をすませば降雪の音が聞こえてくるような土地に産まれた彼女にとって、

この東京の街のノイズは一体どんな風に聞こえていたのだろうか?

それは僕にはいくら想像しても理解することのできない感覚だったろう。

小さい頃からずっと都会に育ち、都会で生きてきた僕にはこの街の音はそれほど騒音でもなく、

むしろある程度音が鳴り続けている方が安心するという習性すら身についてしまっている。

だが、彼女にとっては街の音はたまらないほどにうるさく思えて、

誰かがひそひそと話をする声すら、むしろ小声で話をしているからこそ、

うるさくて耳障りだったのかもしれないし、ひょっとすれば、

彼女には何も声が聞こえないでも周囲の人々の意思がすでにうるさかったのかもしれない。

 

 

誰かが誰かについて自由に話をすること。

それは僕にとってもとてもうるさいことであり、だから僕はあまり誰とも話をしなかった。

そういう意味では僕にとってもこの世界は多少うるさいのだ。

人々の意思というのは電波みたいなもので、目には見えないけれど確実に存在している。

それは空気中を伝わって毎日数え切れないほど慌ただしく飛び交っている。

誰かによって一方的に放たれて、また先端が極端に尖った形で他の誰かを串刺しにしようとしている。

小さい頃からそういうものが見えていた僕は、やがてそれに苦しめられていった。

だからロックンロールを聴いたのだろうと考えるようになった。

歪んだギターの美しい音色は僕の中に響く余計な雑音をかき消してくれた。

僕は僕を苦しめるそれらに抵抗したし、反逆もしたし、キースリチャーズのふりをしてみたりした。

けれども無数の無責任なそれらを構うのはキリがない事だとやがて悟ったのだ。

そうしてやがて僕はそれらを見ないようにして生きることに決めた。

隣町で起きている戦争に巻き込まれないように生きて行くために、

ひっそりと移住して暮らす事を決めた遊牧民みたいな気分だった。

 

 

おそらく、比喩的に表現するなら、僕は彼女を誘ってどこか遠い土地まで一緒に逃げたかったのだろうと思う。

一緒に硬い貝にでもなって、羊でも放牧させながら共に暮らす事もできたかもしれない。

もちろん、僕は彼女を愛してなどいなかったし、そんな提案を彼女が受け入れるとも思えなかったが、

誰かが誰かを愛する事というのはとても狭い世界での限られた偶然の産物である事を考慮すると、

愛しているか愛していないかというのは大した問題ではなかったような気もする。

僕はただ彼女と共に羊を追いかけながら生活をする事ができたのではないかという想像の余地が、

僕をとてもいたたまれない気持ちにさせるのだということだけが確かな事実だと思った。

 

 

それを僕に痛感させたのが、あのイヤホンとソファーの情景だったのだが、

おそらくそれも一つの象徴的な衝撃を脳裏に焼き付けているだけだと思う。

きっとそんな物がなくても僕は彼女に対して抱くこの感覚を得たのは間違いなかった。

彼女と僕は電波のように飛び交っている余計な意思を無闇やたらと誰に放つこともない。

そういう人は表情を見ていればわかるような気もする。

もっと言えば手を見ているだけでもわかるような気さえするのだ。

ちょっとした手の動き、しぐさ、それら全てが語りかけてくるようにすら思えた。

人間は必要に駆られて言語を生み出して、やがてまた進化の果てに言語を捨てるのではないか。

彼女の手を見ていると、僕はそんな思いにとらわれることがあるし、

それは遠い未来ではあながち間違いではないような確信すらある。

なぜなら言語は現在の我々にとってほとんど有用ではないからだ。

それでも幾分の慰めになっているから、我々はまだ言語を捨てきれないし、

言葉を駆使して何かを必死に伝えようとするし、それが生きている意味でもある。

 

 

これらは僕の感覚的な空想であるかもしれないし、

言葉を持って伝えることの限界を感じるエピソードでもある。

そして、何一つ真実などではないかもしれないし、

誰かの役に立つこともなく垂れ流される汚水かもしれない。

彼女に対して無鉄砲に打ち放たれた意思の槍かもしれない。

そういう意味に考えれば、これは誰かがするのと同じような無責任な意思の放射にすぎない。

 

だが、これは一つのあり方として僕の中にあるものだ。

だから僕はそれを感じているし、心を掘り返していく中で見えてきたものなのだ。

 

 

しかし、とにかく、僕が彼女と羊を追う生活をすることはなかった。

この先もきっとないし、だから羊たちは影も形もなく失われてしまった。

無論、そんなことはこの世界にとって何も特別なことなどではない。

同じような出会いと別れはこの世界には無数に存在するからだ。

 

ただし、それによって僕はまた例によって暗室に閉じ込められる気分になる。

そして幾分また祖母の事を思い出しては彼女との面影を重ねていくことになっていく。

まさにそれこそが、先ほど僕にぼんやりとした形で祖母の死を想起させたのだから。

 

 

 

 

・・・

 

祖母の死は僕にサヨナラの意味を再考させることになった。

そして、僕はまだそれをうまく再構築することができていない。

誰かのせいで崩れたジェンガみたいに目の前にバラバラに散らかっている。

 

感覚的に言ってしまえば、祖母はまだ僕の中で死んでなどいないのだ。

彼女はただ僕がいないところで老衰によって生命を全うし、

僕のいないところで家族や知人によって葬儀を終えて見送られた。

彼女の肉体も魂ももはやこの世には存在することなく、

今頃は天国で祖父と仲良く暮らしているのかもしれない。

 

だが、僕はその葬儀に立ち会うことができなかった。

それが僕の中で祖母の存在を宙ぶらりんに止めてしまった。

映画のラストシーンを見ていないうちはその映画を見終えたとは言えないように、

僕は祖母の死をまだどうしても認められないで現在に至っている。

 

祖母の死は本当に例外的な体験だった。

祖父が亡くなった時は葬式にたくさんの人が焼香をあげにきたのを見たし、

最後には祖父の顔を見て、棺に入れて火葬するという現場まで見た。

僕は祖父が骨に帰った一部始終を見てこの目に焼き付けたし、

それが人の死だときちんと理解した、それによって祖父は僕の中で確かに死んだ。

 

こんな風にして僕は幾人かの友人も見送ってきた。

若くして生涯を終えた友人達も幾人かいたのだが、

悲しみの涙を流すことで僕はきちんとそれらにケリをつけた。

そうした体験は命の尊さを僕にしっかりと教えてくれた。

 

でも祖母の場合は例外だ。

彼女はどうしても僕の中にまだ引っかかっている。

そして、彼女はおそらく永遠に僕の中から消えていかないかもしれない。

祖母はただどこか遠い街に引っ越してしまって、

そこで何も変わらずに生き続けているような気すらしてしまう。

僕はあれほど世話になった祖母の死にまだ涙を流すこともできていない。

 

これはつまりこの世界の事実とは関係なく、

僕個人の認識の問題であり、心の問題でしかない。

だが、事実を丸ごと正しく認識できなかった僕にとって、

真実がどうであれ、僕の認識は祖母の死を認めることはない。

 

 

祖母の死を通じて得た特殊な体験は僕を時々混乱させた。

樫本奈良未がこの会社を去るという事実を知った時、

それによって、また僕の心の井戸に石を投げ込まれたような気持ちにさせられた。

深いところで石は着水して身体中の隅々にまで波紋を広げていった。

僕はそのたびに右手で頭を押さえて混乱する思いを押し込めるようにしてやり過ごした。

 

それは拙い言葉で言い表すならばこういう事だ。

樫本奈良未がこの会社を辞めて去ってしまう事と、

認識の不完全によって片付けられなかった祖母の死が、

一体どの程度の明確な差を持っているのだろうという事だった。

それがどうしても僕の中で整理する事ができなかったのだ。

 

 

・・・

 

 

子供の頃に出会った友人達は今どこで何をしているだろうか?

そんな事を誰しも考えた事があるのではないかと思う。

 

僕も例外にもれず、そんな事を考える事もある。

小学校で出会った親友達は同窓会で2、3度は再会したが、

誰が誰だかわからないように変わってしまった人もいたし、

小さい頃の懐かしい面影をずっと残していた人もいた。

もちろん、その同窓会には顔を見せずにまだ再会できていない友人もいる。

 

彼らとはまたいつかどこかで出会う事はあるだろうか。

答えはほとんどの確率でノーだと言えるだろう。

同窓会に来ない人の中には学生時代にいい思い出を残していない人もいるだろうし、

同窓会は様々な理由がある人々を強制して連れてくるようなものでもない。

そうなると、おそらくもう一生会えない友人達も数多くいる事になる。

 

彼らは僕の人生の中のある一定の期間で出会い、

その期間を終える事でまたどこかへ行ってしまった。

別れた時は確かに寂しかったけれど、その当時はまた再会する事を前提に別れて行った。

「また会おうね」や「元気でね」という声を掛け合うことはあったとしても、

これが一生涯の別れになる何てことは誰も前提条件において考えていることはないのだ。

 

そうして人は一生涯の別れを前提にすることなく一生涯の別れを何度もやり過ごしていく。

だがそれは僕にとって、とても奇妙で不可解な出来事であるように思われた。

それは祖母とのあの不完全なお別れを体験してから不明瞭な何かが僕の中でくっきりと形を現すことになったからだ。

 

そうしてさよならした友人達と祖母は同じ場所へ去ってしまったような気がするのだ。

祖母は死んでしまったはずだが、まだどこかで生きているような気がするし、

友人達はまだ生きているのだが、もう二度と会うことはないので死んでしまったような気さえする。

この二つの性質の異なるはずの事実が認識の誤解によって僕の中で交錯して絡まって解けなくなってしまった。

 

僕はまるで底なし沼にでも足を突っ込んでしまったような不愉快さを感じていた。

葬儀に出席できなかったという出来事が祖母を永遠に決着のつかない存在に押し込めてしまったし、

それによってこんがらがった認識が、僕の元を去っていく友人達をどこかへ葬り去っていくように思えるのだ。

「またね」と言って別れていく友人達は、再会するというベールを被ったままごまかされているが、

もう永遠に会うことはなくなってしまい、まるで僕の認識では祖母のいる世界へ去ってしまうような気がするのだ。

それは死と類似しているが死ではない、ぬかるんで足場の悪い沼みたいな湿気を帯びた場所だと思われた。

僕を通過していく人々が、みんな誰彼問わずそこへ押し込められていくような気がして、

この混乱が引き起こされると僕はどうしてもいたたまれない気持ちに押しつぶされそうになるのだ。

 

 

そんな風にして、得体の知れない場所へ樫本奈良未も歩いていく。

それは事実ではなく、完全に僕個人の認識にすぎないのだが、

人々は誰しもが個人の認識で世界を形作っているだけに、

あながち嘘とも言えず、この二つの出来事の9割が類似しているだけに、

友人と別れる際には「じゃあまたね」で済むことを、

僕は余計な観念を引き受けてしまったために一人で苦しんでいるということなのだった。

 

 

・・・

 

 

樫本奈良未がこの雑誌社を辞めてどこへいくのか。

そういったことは何も情報がないし僕には知る由もなかった。

 

だが、人は一つの場所を離れても別の場所で生きて行かなければならない。

職を離れることが結婚という居場所に落ち着く可能性もあるだろう。

または別の仕事に就いて、また新しく生活を始めることだってできる。

 

あれこれと考えてみても仕方のないことだった。

それに彼女だって余計な詮索をされたくないに違いなかった。

それでも、一つの場所から退場していくという事実は何かを暗に示していると言える。

それは変化を求めたという事だ、これは何を言葉で語っても打ち消せない。

 

そして変化を求めるということは現状を何らかの形で否定することである。

現状の否定でなければ変化を求める意味が成り立たないからだ。

彼女がこの雑誌社の仕事に何を感じていたのかはわからなかったが、

何かが彼女の中で問題視され、それを解決するために彼女は別の道を選んでいった。

 

しかし、人は現状を否定すると言っても全てを否定するわけではないし、

一つの企業に終身雇用で忠誠を誓うような時代でもないので、

転職をすることは何も悪いことではない。

リセットボタンを押して新しく始める機会は平等に誰にも与えられている。

様々な経験を積む為に何度も転職して複数の仕事をする人もいる。

一つの職をやめるということが、決してマイナスのイメージにつながる時代ではない。

 

だがしかし、変化を求めるということはより良い環境を目指すことだ。

わざわざ環境を変えてもっと悪いところへ移ろうとする人はほとんどいないだろう。

色々な考え方や物の見方があるだろうが、とにかく彼女はまた新たにより良い場所を求めたのだろう。

この雑誌社の仕事が彼女にとっての終着点ではなかったのだ。

 

 

 

・・・

 

 

僕はそんなことを考えながらしばらく彼女の机の前に立っていた。

集中した指先から何か彼女のことを感じたかったのだが、

僕は別に超能力者でもなんでもない、ひどく感傷的になっているだけだと思い、

やがて閉じていた目を開けて机に置いていた右手を引っ込めた。

 

なんとなく大きなため息をついて僕は自分の席に戻った。

古びた椅子に腰掛けるとまた嫌な高い音を立てて軋んだ。

僕は改めて時計を見て、もうあまり余計なことを考えている暇はないと思った。

児玉坂46の卒業メンバーに関する取材原稿を書き上げるのが目的なのだから、

さっさと集中してそれを済ませてしまおうと気を取り直そうとした。

キーボードに触れるとパソコンのディスプレイは光を取り戻した。

僕にはその突然のバックライトの明るさがとても眩しくて思わず目を細めた。

 

どこまで書き上げたのかと、僕は先ほどまで書いていた文章をまた見直してみた。

今までに何度も取材をしたことがあるメンバーだったので、

彼女がこのグループを去ってしまうことに、僕はやはりいい気持ちはしなかった。

卒業を悲しむなんてのは小学生でも同じだと思うと、

人間というのはいつまでたっても大して成長しないものだと思う。

だが悲しみの質は少しずつ変化している。

大人になって誰かと別れることを数多く経験したことで、

別れるという行為に幾分麻痺してしまっている人もいるだろう。

そして僕も例に漏れずその兆候が認められなくはない。

しかし、それと同時に僕のように沼にはまる人もいるかもしれない。

出会った誰かに対する愛情の度合いが深ければ深いほど、

その沼の底はどんどんと深くなってしまうように思われる。

 

 

また少し文章を書きかけて、僕はその書きかけた文章を消した。

少し大げさに聞こえるかもしれないが、サヨナラの意味に対して僕個人の結論が出ない限り、

この文章を書き上げることは不可能であるように思えたのだ。

何かを書こうとしてもがけばもがくほど、僕の足は泥濘に埋まっていく・・・。

 

 

僕は微かに首を振りながらため息をついて椅子から立ち上がった。

そのままオフィスの出口へ向かって歩き出し、廊下へ出て行った。

僕以外は誰も会社にいなかったので廊下は最低限の明かりしか点いていなかった。

薄暗くてどこへ続くのかわからない洞窟の入り口みたいな長い廊下だった。

 

トイレに辿りついて用を足し、僕は鏡に映る疲れた男の顔を見ながら手を洗った。

昔から変わらず、鏡に映るこの男の顔はいつも影を帯びてくたびれて見えた。

もっと気楽に生きている人達のように笑えたらいいのにと考えたこともあったが、

人間は良い意味でも悪い意味でも現状に慣れ親しんでいくのであって、

そんな自分を惨めだと思いながらも同情心から幾分肯定したりしてやり過ごす。

しかし、もうそんな悲劇のヒーローのような感傷にも飽きてしまうと、

ただやり場のない黒い悲しみだけが胃もたれさせるように腹の中をぐるぐると廻っている気がした。

 

乾燥機に手を入れると威勢の良い機械音を立てて送風を吹かせた。

手を入れる僕に答えて従順に風を送ってくれる機械を発明した人間は、

きっと寂しかったのだろうと邪推して僕は口元を歪めて笑った。

 

トイレを出てまた長い廊下へ戻ると、僕は足音をコツコツと響かせながらオフィスへ戻った。

オフィスの透明の扉の前にたどり着いた時、僕はどういうわけか女性が机に向かって座っているのが目に入った。

綺麗に片付いていて余計なものは何も置かれていない机に向き合っているのは樫本奈良未だった。

僕は肩を大きく揺らして息を吐いた後、扉へ手をかけてゆっくりと大振りにその扉を押して中に入った。

 

「・・・どうしたんだい、こんな時間に?」

 

僕は思い切ってそんな軽快な様子を装って声をかけた。

誰かといる時には、僕は努めて明るく振る舞う癖があった。

 

「・・・少し荷物の整理をしようと思って立ち寄ったんです」

 

彼女はそう言って机の引き出しを開けて物を取り出していた。

有給消化をして退職を待っている身だと思っていたのだが、

まだ細々とした物の整理は終わっていなかったようだった。

 

「あなたこそ、こんな時間までお仕事ですか?」

 

片付けの手を止めて彼女は僕にそう尋ねた。

僕は誰にも見つからないようにして仕事をしていた事がばれて、

なんだか恥ずかしい事をしているような気分に陥った。

別にやらなければならない仕事が終わっていないだけなのだが、

遅くまで頑張っている風に捉えられるとなんだか気恥ずかしいのだ。

僕にはそんな風に努力を人に見せびらかす習性などないのだし。

 

「原稿が終わらなくてね、僕は書くのが遅いから」

 

「ああ、でもそんな時もありますよね」

 

彼女は冷静に優しく気遣ってくれた。

彼女の表情を見ていればわかるのだが、

彼女は本当に何かを押し付けたりするタイプの人間ではなかった。

適切な距離感を取りながら余計な事を言わない。

細やかに配慮しながら相手の心に触れる。

それは僕のような人間にとっては心地よくて救いになる。

 

二人の間にしばらくの沈黙が続いた。

今まで社交辞令的な交流しかした事がないのだから、

それ以上特に話をする事がなかったという当たり前の事情からだった。

僕はこんな時に気の利いた話題を探すのが下手だったし、

彼女も無遠慮に人の心に踏み込むタイプではないので、

お互いにこの距離感を埋める術を持たなかったのだ。

 

「・・・聡明な人を失うのは悲しいことだよ」

 

僕は何か言葉を探しながら何も見つからず、

不意にそんな言葉を告げてしまった。

場の空気や相手との関係を考慮しない、

僕らしい無遠慮な、極めて主観的で一方的な言葉だったと思う。

 

「・・・どういう意味ですか?」

 

片付けの手を止めながら彼女は質問で返した。

自分の事を指しているのはほぼ明らかだったが、

謙虚な彼女の事だったので冷静にまずそう確認したかったのだろう。

 

「君が僕の中で冷たくなっていくって事だよ。

 僕の背後に消えていったたくさんの友人達と同じようにね」

 

僕がそんな風に言った言葉を受けて彼女はようやく少し笑った。

 

「私、今までそんな事言われた事ないですよ」

 

彼女は微笑みながら机の中の荷物を少しずつまとめていった。

 

「まあ、普通ならそんな事言わないからね。

 もちろん僕も普通の人間だけど」

 

「私もあなたが思っているよりも普通の女の子ですよ」

 

「そうだね、君はとても優しい普通の女の子だと思う」

 

僕はそう言ってから少し照れた。

それは僕が彼女を愛していなかったせいだった。

 

「君は僕の事を知らないだろうけど」

 

僕はごまかすようにしてそう続けた。

 

「ホットコーヒーが時間が経つと冷めるように、

 不味くて飲めた物ではなくなるみたいに、

 そしてやがてそんな物があったのかどうかもわからないように、

 僕は全てを忘れていくのだろうと思うと悲しくなるよ」

 

僕はそう言った時にやっと冷めたコーヒーが机の上に置き去りになっていたのを思い出した。

 

「・・・そんな風に言うと寂しく聞こえてしまいますね」

 

「だけど君だって幾分かは忘れられたいと願っているだろう?

 だから僕は君の期待に応えてうまく忘れるようにしようと思う。

 僕の言う忘れるっていうのは、全ての痛みも忘却の彼方に葬り去るって事だよ」

 

「そんなに頑張らなくてもいいじゃないですか」

 

「・・・そうかな、逆効果だろうか」

 

忘れるという行為に努めるのは忘れたくない本音を引っ張り出す事になる。

努めれば努めるほど、見事に反作用する事になる。

自然にしておけば人はどうしたって少しずつ忘れていくのだが、

その過程には痛みを伴う、喪失を嘆く辛さが始まる。

 

それが嫌なので、反対にどうしても忘れないようにと抵抗するなら、

人はまず頼りない記憶を補填するために文章を書いたり写真を残したりする。

だがそれは、当初の意図を全うする事は決してない。

残された記憶の断片は記憶を留める補助にならないばかりか、

時間とともに化石となって過去に変わってしまう。

未来の自分がその残された文章なり写真を見たとしても、

そこにあるのは過去の自分が残した抜け殻のような化石で、

未来の自分は過去を思い出す事はなく、また新しい過去に出会う事になるだけである。

 

「・・・時間に逆らうのは川の流れに逆らうようなものだね」

 

「・・・そうですね、だから限られた時間をめいいっぱい噛みしめるんですよね」

 

「しかし、めいいっぱい噛みしめるとは一体どのようにすればいいのだろう?

 僕らがどのように時間を大切に思って丁重に扱ったとしても、

 この過ぎる速度はおそらくそういう事では遅くもならないんだ。

 時間の速度とは個人の認識によって左右されるが、

 主体的にこれをコントロールする術なんかないんだよ。

 だから僕らは結局は川を流される魚みたいなものなんだ」

 

「難しい事を言いますね」

 

樫本奈良未は片付けの手をすっかり止めて僕の方を見つめてそう言った。

話が想いもよらない方向へ膨らんでしまってどう返していいかもわからない様子だった。

 

「僕にはキースリチャーズしか思いつかない」

 

「・・・どういう意味ですか?」

 

「川の流れに逆らいながら同じ場所に止まり続けている人だよ。

 彼ならきっとお迎えが来るまで革ジャンを着てロックンロールしてると思う。

 この世界を支配する時間という魔物に対して闘いを挑んでいるわけだから、

 そんな勇者みたいな彼のことを誰も忘れることはないんだ」

 

「・・・彼みたいになりたかったですか?」

 

「僕には無理だったけどね。

 10秒くらいで流されて今はこのざまだからさ。

 曲のイントロのギターリフくらいまでで全然歌までたどり着けなかった」

 

僕の例え話の選曲は「Jumping jack flash」だった。

もちろん「Paint it black」でも「Satisfaction」でも大差はない。

要はどれも歌までたどり着けないところで川の流れに飲まれてしまったからだ。

 

「・・・ミックジャガーも見つからなかったしね」

 

「見つかってたら、流されてませんでしたか?」

 

「・・・30秒くらいなら何とか耐えれたかもしれない」

 

僕は本当に意味のない貴重な話をしていた。

価値のない楽しい話をしていたのだと思う。

とてもバカバカしい真面目な話をしていたのだ。

 

「だけど僕みたいな凡人にはそんなことは望むべくもないね。

 そうして川の流れに飲まれて、やがて川は分岐していく。

 僕は右側へ、君は左側へ、そんな風にして流されていくんだ」

 

「でも、人生ってそういうものかもしれませんよね」

 

「そうだね・・・僕は多くを望みすぎかな」

 

「・・・いえ、そういう人もいていいと思います。

 私は今ここにあるものだけで十分だって考える人なんですけど。

 私の場合、何かを求めだすと人間ってキリがない気もするし、

 そうやって、ないものねだりはしたくないので・・・」

 

また片付けの手を動かし始めた彼女は、

机の中から取り出したものを選別していく。

もう不要なものはどんどんとゴミ箱に捨てていった。

とても冷静に物事を処理していくのが僕には見て取れた気がした。

彼女にとってあまり多くの物は必要ないのかもしれなかった。

 

「だけど君は僕みたいな人がいることも許してくれるんだね」

 

「そんなことを許さない人もいるんですか?」

 

「押しつけがましい人はこの世に山ほどいるさ・・・。

 それでいて自らを省みることはなくて、

 誰かから何かを奪うことばかり念頭に置く人たちがね」

 

そう言って僕はしばらく歩いてから壁に寄りかかり、

窓から外の景色を眺めながらため息をついた。

そういえば今朝の天気予報で言っていたように、

今年一番の寒気が東京の空を漂っていた。

そのせいで窓の外にはいつの間にか雪が降り出していた。

 

「僕は何も見ていなかったね」

 

僕がそういうのはこの5年間を指していた。

長かったようでとても早足に過ぎて言った幻想のような5年間を。

 

「君がこんな雪みたいに優しい人だったってことを・・・。

 こんな雪みたいに純粋で透明で、そうであるがゆえに時に子供っぽくて、

 時々怒ったりもするけど、最終的にはとても静かに物事に対処する君を」

 

「・・・なんですかそれ」

 

彼女は片付けの手を止めずに、こちらを振り向くこともなくそう言った。

その言い方には少しばかり笑みが混じっているのが感じられた。

僕も彼女の方を見ることはなくて、ずっと窓の外を見つめていた。

 

「運が悪かったんだよ。

 僕らは結局、川を流される魚にすぎないんだ。

 運命という大きな流れの中で、

 個人がいくらあがいたところで、

 出会いも別れも全ては誰かに決定されてしまっているしね・・・」

 

僕がそう言って彼女の方へ視線を向けると、

彼女は回転する椅子の上でこちらへ姿勢を向けていた。

オフィスにある古びた椅子は嫌な音を一つも立てなかった。

 

そして、そこにいた彼女はとても美しかった。

思えばここで働いていた期間を通じて、

彼女はどんどんとその美しさを増していったのだった。

だが、それと引き換えに彼女の質量は少しずつ減っていった気がした。

澄んだ美しさを増せば増すほど、彼女は霧がかったように霞んで行き、

そのうち空気よりも軽くなって何処かへ消えてしまうように僕には感じていた。

その意味はいくら考えてもわからないが、そういう予感だけがしていた。

そして、それはおそらく正しかったと僕は今でも思っている。

彼女の質量は誰も気づかないうちに減少していったし、

本人はそれを周囲に悟られないように努めていたような気もする。

 

「・・・君はどこへ行ってしまうんだろうか?」

 

僕はとても寂しくなってしまってそう呟いた。

呟いてしまってからハッと自分自身の愚かさに気づいた。

僕は僕にしか見えていない泥沼を念頭に置いて話をしていた。

それはとても失礼な観念上の墓場のような場所だったのに。

 

「・・・そんな風に言ってもらえるのは本当にありがたいことだなって思います」

 

その発せられた言葉は彼女らしい淡白で柔らかな口調で伝わってきた。

どこかうつむきかげんな表情が彼女の儚い美しさを際立たせた。

 

「もちろん、私がこの会社からいなくなってしまったら、

 姿は見えないし、声も聞こえなくなっちゃうと思うんですけど・・・」

 

彼女はとても慎重に言葉を選んで話していく。

自分自身に対して誠実であろうと努めるように、

そして向き合う相手をどこかいつも気遣うように。

 

「でも会えなくても私はきっとどこかで元気に暮らしていると思いますし、

 今までと変わらずに毎日を過ごしていくことになると思います」

 

彼女が発していくとても礼儀正しい言葉を、

僕は一つ一つ大切に心で受け止めていった。

そして、その何気ない行為がさらなる寂しさを僕の心に降り積もらせた。

 

この世界はいつも澄ました顔で悲しみを隠しているのだ。

そして、悲しみはいつも突然のようにして僕らの前に姿を現して、

鈍くて重たい衝撃を隙だらけの胸に容赦なく叩きつけてくる。

その不意打ちのあまりの残酷さに僕らはいつも胸をえぐられて、

今までずっと永遠のように続いてきた平和を一瞬にして打ち壊されてしまうのだ。

 

そして悲しみは容赦なく大切な何かを僕らから剥ぎ取っていき、

その後は赤の他人のような顔をしてそれを二度と返してくれることはない。

川の流れは嵐に遭遇して増水していき、突然にして激流に飲み込まれてしまう。

気づいたときには隣で泳いでいた友人が消えてしまったり、

ようやく巡り会えた運命の恋人を見失ってしまったりすることになるのだ。

そういう自然の猛威に怯えながら人は川を流されている。

 

こんな風に考えざるを得ないとき、僕は時としてとても弱い存在になる。

自分が川をさまよう名もなき小さな魚であることを思い知らされて、

何か絶対的なものに庇護してもらうことを求めてしまう。

特に彼女のような人の前ではなおさらそうだった。

 

「・・・大丈夫ですか」

 

彼女はそう言って神妙な顔をしている僕に呼びかけた。

窓の外にはいつの間にか雪が積もっていて辺りは銀世界に包まれていた。

彼女のふるさとの風景もこんな風に薄暗くて物悲しさを帯びているのだろうかと思った。

 

「あなただってそうですよね?

 誰かと別れてしまったって、それで消えてしまうわけではないですよね?

 きっと朝起きたらカーテンを引いて窓から差し込む日差しを浴びたりして、

 お昼がくれば仲の良い友達とおいしいご飯を食べに出かけたりするし、

 こんな底冷えする真冬の夜には暖かいお布団にでも包まって、

 眠たくなるまで好きな小説を読んでみたりしますよね?」

 

彼女が何かを諭すように語りかけてきた時、

僕は彼女が「姉」として育ってきたのだという家庭環境を強く意識することになった。

女性としての強さ、本当は弱いのだけれど何かを押し殺しながら強くあろうと努める強さが、

そうした時に彼女から滲みでてくる思いがして、僕はどうしても祈るような気持ちになる。

涙を隠して強くあろうとする彼女がもっと楽になれる場所を見つけて欲しいというような。

もちろん、それは僕のとても一方的で押し付けがましい態度なのだけれど。

 

「そんな風にして誰もが今まで通り過ごしていくんだと思います。

 姿が見えなくても、みんなそうしてどこかで生きていますし、

 きっと誰もが思ってるほど何かが大きく変わるわけじゃないと思うんです」

 

そうして彼女に順々に諭されていくと、まるで僕は自分が子供だなと感じた。

何とかして時が止められることを願う少年のような無邪気さ、

親の前で泣き叫べばおもちゃを買ってもらえるような狡賢さが、

大人になった今でも僕の心の底に居座り続けて駄々をこねさせている。

成熟したように見せている仮面を剥ぎ取られたその下には、

昔から何も変わらない寂しがり屋の子供がいるだけだった。

 

彼女が僕に言って聞かせたことは至極当然の事だ。

僕はこの手の回り道を人生で幾度も経験してきた。

何か当たり前にあるものを見失う事が誰よりも得意だったのだ。

だからこそ、僕は彼女に会いたかったのだろう。

彼女がただ去っていくのを黙って見過ごせなかったのだ。

 

 

「・・・片付けの邪魔をしてしまったね」

 

僕はそう言って長々と彼女の前で立ち話をしていた事にやっと気付いた。

彼女はいつの間にか僕の話を聞くために完全に片付けの手を止めてしまっていた。

 

「別に大丈夫ですよ、急いでいる事もないですから」

 

また気を使わせないように、彼女は僕に配慮してそう答えた。

 

「家に帰る前に少し寄り道していこうかと思っただけですから」

 

そう言って彼女はまた机の方を向いて荷物の整理を再開した。

彼女が物を片付けていく手を見ていると、

本当に彼女の人柄がわかるような気がした。

とても丁寧で優しい人なのだと。

 

「・・・素敵な寄り道をありがとう」

 

彼女と話をしていると僕は終わりを決める事が出来ない。

終わりは勝手に誰かが決めてくれるからそれを受け入れられるのだが、

自分で決めるというのは、どうしても悲しみが付きまとう。

だが、彼女もこの流れていく時間に自ら終止符を打って区切りを決めた。

僕も川を流されるばかりではいけないと思った。

だから、こうして最後の言葉を彼女に残して自分の席へと戻っていった。

 

 

・・・

 

 

自分の机に辿りついて後ろを振り向いた時、

そこにはもう樫本奈良未の姿はなかった。

僕はこうして自ら彼女と羊を追いかける未来に終止符を打ったのだ。

もちろん、初めからそんな可能性などは存在しなかったのだが。

 

僕は自分の席から一番近くにある窓へ視線を向けた。

窓の外で降り続いていた雪はまだ確かに街を銀色に飾っていて、

先ほどまで流れていた時間が嘘ではなかったことを証明していた。

ただ彼女の存在だけが幻想だったように消えてしまった。

 

だが、思えば彼女が雑誌社にいた5年間こそが幻想のような時間だったのだ。

「寄り道」なんて言ったら彼女は少し怒るかもしれないけれど、

人が新しい場所へ向かう限り、通過点は全て寄り道になる。

それが迷子であれ、意図的な訪問であれ、その先で出会う人々は必ずいるし、

そういう意味では寄り道は気まぐれがもたらした素敵な時間なのかもしれなかった。

 

僕はまた席に座ってパソコンを見つめると、先ほどとは打って変わって猛烈な勢いで原稿を書き始めた。

彼女に話を聞いてもらえた事が、僕の中で何かが溶け出したように水々しさを取り戻させた。

 

5年前、彼女が雑誌社にやってきた時、

僕の認識の中で彼女は確かに生まれた。

そしてすれ違いや挨拶を交わすたびに温もりを交換して、

やがて今はもう冷たくなっていく段階に差し掛かってしまっている。

 

だが、僕の足元にはもう底なしの泥沼は存在しなかった。

消えてしまった彼女は祖母と同じところへ行ってしまったのではないからだ。

彼女は僕の認識の中で冷たくなっていくと同時に、

また出会う誰かの認識の中で温もりを交換して行くからだ。

 

どこかにいる見えない彼女を信じること。

それが祖母が行ってしまった場所と彼女がこれから行く場所を識別する唯一の方法だった。

それはとても切なくて儚い希望だったように思えたけれど、

ただうやむやな再会のベールを被ったままのお別れとは異なる、

僕なりの納得のいく決着のつけかただったように思えたのだ。

そうしている間に、僕は彼女のことをうまく忘れられる日が来るかもしれない。

そして、またふとしたきっかけに思い出して、信じて、また忘れて。

 

だから僕はもう駄々をこねるのはやめることにしたのだ。

僕はいい加減、さよならに強くならなければいけなかったからだ。

そうして僕は僕が信じている彼女の未来を想像してみることにした。

彼女はきっと雪の降る故郷の大地を懐かしみながら踏みしめたり、

また都会の雑踏へ帰ってきてその賑やかさを享受したりしながら生きて行く。

そして、おそらくまた疲れ果てた時にはどこかのソファーに倒れ込むのだ。

それは健気に生きて行く彼女をきちんと受け止めてくれるソファーであればいいと僕は願う。

色は何色でも構わない、ただ適度な弾力性がある方が好ましい。

破れていたりみすぼらしい格好をしているものであれば僕は交換を所望する。

彼女にはとびきりのソファーを用意してあげてほしいからだ。

 

そして、ソファーで横になっている彼女の両耳には、

また同じようにイヤホンが埋め込まれているかもしれない。

それは以前よりも大きな音量で鳴り続けている可能性だってある。

彼女の心臓の鼓動を打ち消してしまうくらい大きな音量で。

 

その未来予想図の中で、僕は彼女のそばにいることはできない。

だからこそ、とびきり素敵な未来を想像してみたいと思った。

彼女が寝ているソファーの近くには僕ではない見知らぬ誰かが立っていて、

貝のようになって眠っている彼女のことを優しく見守っている。

それが彼女にとっての新しい物語の序章となる場面だ。

 

もちろん、これは単なる僕の想像に過ぎない。

なんなら少しぐらいシナリオが変わっても構わないのだ。

起点と終点さえ僕が考えているものと違わないのであれば、

細部は新しいシナリオライターの手に委ねようと思う。

 

 

僕はそんなことを考えながら児玉坂46に関する原稿を書き上げた。

パソコンを閉じてから、鞄の中に幾つか必要な物をしまうと、

ちょうど警備員がまた窓からこちらを覗いているのがわかった。

僕は目で合図を送りながらまもなく退出する意図を伝えた。

警備員もまた、こんな雪の降る夜に遅くまで残業している僕に対して、

労をねぎらうような優しい笑みで返してくれたように思う。

 

僕は鞄を肩から掛けてオフィスのドアまで歩いて行った。

鍵を掛けてセキュリティーカードをかざして戸締りをして、

最後に扉の横にあるスイッチを押して全ての電灯を消していった。

 

長い渡り廊下を歩いて行くと、ソファーの置いてある休憩室があり、

やはり僕が想像した通り、そこには樫本奈良未が横になっていた。

長い髪の毛が顔を覆い隠してしまっているので、

おそらく彼女は僕の存在に気づいていないと思われた。

もちろん、本当は気づいているも気づいていないもないのだ。

なぜなら彼女は僕にしか見えていない存在なのだから。

 

僕は疲れて眠っている彼女を起こさないように気遣いながら、

そのソファーの横をそっと通り抜けて出口へと向かった。

出口を抜ける前にそっと後ろを振り返ると、彼女はまだ眠っているようだった。

 

センサーに反応した自動ドアが左右に開くと、

外から冷たい空気が一気に吹き込んできて僕は思わず体を萎縮させた。

だが、ためらうことなく勢いよく踏み出して雪に埋もれた薄暗い街へ飛び込んだ。

 

そして歩きながら先ほどの物語の続きを想像していた。

ソファーの近くに立っている男性はゆっくりと彼女の元へと歩み寄って行く。

彼女はそれに気がついて慌てながら体を起こそうとする。

このままでは失礼にあたると思った彼女は両手を耳元へと運ぶ。

だが、その男性はそんな彼女の手を優しく掴みながら、

彼自身の手で彼女の耳に埋め込まれたイヤホンを丁寧に外していく。

彼女はゆっくりとその行為の象徴的な意味をかみしめていく。

やがてずっと背負ってきた重たい荷物を彼に半分預けたりしながら、

その人と羊を追う生活を始める彼女の姿が僕には確かに見えたような気がした。

 

 

ー終幕ー

 

 

 

 

 

 

 

サヨナラの遺志 ー自惚れのあとがきー

 

 

書き上げるまでに何度も葛藤したこの作品は、

発表することを何度もためらったものだった。

それは執筆中でも筆者自身がなぜこういうことを書いているのか、

その理由が最後まで明確にはわからなかったからだ。

ずっともやもやと気持ちの悪い思いを引きずりながら、

もう発表することを止めようかと何度も考えたこともあった。

 

樫本奈良未について書こうと思った時、

彼女が主人公だった前作「この国の出口」を読み返した。

すると、筆者が言いたかったことは多少の変化はあったものの、

大枠としてあの物語の中ですでに語られていたし、

あの頃から現在までをある程度予測していたような気がするくらい、

あの作品だけでもう言いたいことはほぼ書き終えていた気がした。

 

それでもまた何か書き足りないことがないかと思い、

筆者は「恋する文学」をすべて見てみることにした。

そのついでに思い切って村上春樹の「ノルウェイの森」も読み返した。

今だからわかるあの作品の解釈もたくさんあった。

 

「ノルウェイの森」からは生と死に関するテーマを引き継いだ。

筆者にとっても身近にそれに関する事件が起こったこともあり、

こうした内容をどうしても書かざるを得ない葛藤が生まれていた。

 

この物語を書くことに決める最終的なヒントを得たのは、

村上春樹さんの短編集「カンガルー日和」の中の、

「1963/1982年のイパネマ娘」からだった。

 

「イパネマの娘」とはボサノバの名曲であり、

イパネマ海岸を歩いて行くある女性のことを歌った歌曲だ。

 

このイパネマ娘には明確なモデルが存在するようだが、

村上春樹さんが書いたイパネマ娘はそういうことではなかった。

彼は彼の中に存在する歳をとらない永遠の女性を描いていた。

徹底的に主観的な物語だったが、これが最後のヒントになったものだ。

 

そもそも、樫本奈良未について客観的に見てもよくわからない。

いや、彼女だけではなく、誰かを客観的に分析したところで、

それはその人の一面でしかないし、実際にはわからないことだらけなのだ。

それでもそれをなんとかイメージで形作りながら書いていくのであるが、

そうしてイメージしている彼女の姿はもはや筆者の主観的な見方となっていく。

 

思えば「この国の出口」を書いた頃の彼女の印象は、

まだどこかトゲトゲしていたように思う。

それがあの作品の中でも濃厚に感じられるのだが、

現在から振り返ってみると、彼女は随分と印象を変えていた。

あの当時「砂」だと思った彼女の印象はいつしか「雪」になっていた。

手触りや見た目は類似しているが、二つの内容は明確に違う(特に水分が)。

それは「恋する文学」で観たイメージに単純にすり替えられたのかもしれないし、

ただ彼女はある時点から少しずつ変わり始めたようにも思える。

以前のトゲトゲしい一面よりも、周囲に対して優しくなっていったような、

それは卒業という限られた時間を密かに意識し始めた時から、

とても幻想的に、飛躍的に美しくなっていったような気もするし、

それでいて儚さと、他人に対する優しさがもっと顔をのぞかせるようになったような気がした。

 

本当は何も変わっていないかもしれないし、それも筆者の主観なのだが、

とにかく筆者はイパネマの娘と樫本奈良未を重ね合わせていった。

それがこの物語となって姿を現したのである。

 

 

書いているうちにわかってきたことはたくさんあった。

筆者は樫本奈良未に対して無意識的に避けてきた5年間があったことにまず気づいた。

それがどうしても書かないでやり過ごすことができない何よりの理由だった。

 

筆者が彼女を知ったのは、筆者の友人が彼女の存在について教えてくれた時だった。

筆者の友人が熱っぽく彼女のことについて語れば語るほど、

筆者の中の倫理的な部分が無意識に心の中に線引きを始めていった。

彼女は初めから友人の推しメンであり、一つの聖域となっていた。

そこに踏み込む権利、つまり筆者が彼女の推しメンになる可能性は最初から剥ぎ取られていたのだ。

筆者はこんな事実を物語を書き始めるまで気づけなかった。

 

国と国が同盟を結ぶような理由と同じように、

男にはこうした奇妙な心理状態が存在する。

それはお互いの道徳的な意識に近いものであり、

筆者は友人が教えてくれたという立場的な関係もあって、

樫本奈良未を無意識的にかなり遠い場所へ置くように努めていたのだった。

 

だがいなくなる前に5年間を振り返ると、

筆者はどうしてこんなに聡明な人を無視し続けていたのか、

その理由が全く不可解で奇妙に思えてきたのだった。

もちろん、何も制約がない状態で彼女に出会った時、

彼女を推しメンとしていたかどうかは定かではないものの、

それほど無下に自分から遠ざける必要などなかったし、

もっと適度な距離で応援できたような気もしている。

 

そういう前提がこの作品につながっているし、

さよならを前にしてきちんと書いておきたかった気がした。

そして書いていくうちに気づいてしまったのだが、

寂しがりやで子供みたいな筆者の内面性が、

巡り合ったすべての好きな人達との別れを惜しませる。

筆者と彼女の関係性を比喩的に言い表すならば、

それは「羊を追う生活」であるし、

筆者から彼女に対する想いを表現するならば、

「とびきりのソファー」ということになる。

 

そんな表現しかできなかったし、

他の物語に比べると異質で短いのだが、

ひとまずある程度納得のいく物に仕上がったので、

発表することが全く無駄ではないかと思う。

もちろん、この作品はエンターテインメントではないし、

誰が見ても楽しめる物でもない。

筆者の極めて主観的な散文でしかない。

だが、そうであるがゆえに、筆者的にはかなり書く意義はあったと思われるのである。

 

 

ー終わりー